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2010年5月2日(日)

『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』に出演しているGACKTさんが想いを語る

文:電撃オンライン

 4月29日から公開されている映画『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』。劇中でマルタザールの日本語吹き替えを担当している、GACKTさんのインタビューの後編をお届けする。

『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』

 『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』は、リュック・ベッソンさんが監督を務めるファンタジー映画。CGアニメと実写を融合させた作風が特徴だ。本作は、全3部作の第2章で、2007年に公開された第1章『アーサーとミニモイの不思議な国』の続編となる。眠りについたはずの魔王マルタザールから王国を救うべく、再び立ち上がる少年アーサーの活躍が描かれる。

 『アーサーとミニモイの不思議な国』に続き、劇中でマルタザールの日本語吹き替えを担当しているGACKTさんのインタビューを、電撃オンラインで2回に分けて掲載している。昨日掲載したインタビュー前編とあわせてチェックしてほしい。

『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』 『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』
▲アフレコ中のGACKTさん(左)と、GACKTさんが演じるマルタザール(右)。

――GACKTさんが演じたマルタザール役を除いて、気に入ったキャラクターがいれば、教えてください。

 僕はセレニアみたいな、気が強くて、でも実はハートフルなキャラクターっていうのは好きだね。

――今回、マルタザールを演じられてみて、「ここが楽しかった」というところがあれば教えてください。

 今回は2作目にあたるわけだけど、3作目へのつなぎになる2作目って非常に難しい立ち位置にあると思うんだ。そういった時、この映画でも言えることだと思うんだけど、キャラクターの魅力をどんどん押していくしかないんだ。そうでないと2作目から3作目へつながらない場合も多いから、なおさらマルタザールのキャラクター性が大事になってくるんだよ。

 子どもたちが観た時に、「マルタザールってこんなにチャーミングなんだ!?」とか、「こんな抜けてるキャラクターなの?」とか、「こんなにヒューマニックなの?」とかいうところを感じてくれたらうれしいなって思いながら演じたんだ。

 要は、マルタザールもまた子どものまま大きくなってしまったキャラクターじゃないのかなって思うんだ。だから、どこかアンバランスな感じがするし、言ってることや振りとかは非常に大人っぽいんだけど、やっていることは非常に子どもっぽかったり……そういうキャラクター性がマルタザールのおもしろさでもあるんじゃないかな。

――GACKTさんの中にも、「今も少年の心があるな」と、ご自分で感じられますか?

 感じられるというか、子どものまんまだからね(笑)。「こうだ!」と思ったことは絶対にやるしね(笑)。たとえば、「いや、それは無理ですよ」って言われて、「ああ、無理なのか」で終わってしまったら、何もおもしろいことができないでしょ? だけど自分が「これはおもしろいな、できればいいな」って思うものを提案した時、みんなに「無理だ」って言われた瞬間、「何で?」って聞くからね(笑)。

 「だって、こういう理由で……」って言われても「何で?」。「でも、大人の事情で……」って言われても、「何で?」の繰り返し(笑)。そこで「じゃあ、こうしたら? こうしたら?」って、どんどん被せていくと、実はみんなが無理だと思っていることって、実際は無理ではないことも結構多かったりするんだ。それで、どんどん詰めていくとみんな、できる気になっていって、気がついたらできていたりするんだよ。

 確かに、そこまで行くのはとても大変なことなんだけど、僕の中にあるのは、“大変か大変ではないか”ではなくて、“できたらおもしろいよね”っていう部分が原動力になっているんだ。「それは大変ですから」っていうのはだいたい大人の都合だけの問題なんだから。

 たとえば、雪で雪だるまを作ったり、かまくらを作ったりして遊んだりするけど、大人は「作ったけど、だから何?」っていう話になってしまうということが多いんだよね(笑)。できたら、「よかったよね」っていう気持ちにはなるけど、作っている最中は、崩れたりとかして、すごく大変じゃない。そこに、もし大人がかかわってしまったら、子どもと違って、しんどいからって途中であきらめたりするんだよ。

 でも、子どもってそういうのがなくて、もう無我夢中で作って、作り終わった時に「わぁ!」っていう感動があって、もうそこで疲れて寝ちゃうみたいなところがあるじゃない。そこが大人と子どもの違いだよね。子どもはでき上がることに対して、でき上がった後の喜びに目が行くけど、大人っていうのは、そのプロセスのしんどさに目が行くから、クリエイティブの幅が狭まる。

 だから僕は、いつも自分のコンサートとか、いろんなものを作る時には、「これ、できたらすごくない?」とか「これ、できたらおもしろいよね」とか、とにかく結果だけしか言わない。プロセスにあるしんどいことは言わないようにしてるんだ。言うとみんなやめちゃうから(笑)。

――今回の『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』でも、そういうことはあったんですか?(笑)

 今回は、録ってる最中に、台本に書いてある台詞を言わなかったり、逆に台詞のないところで、勝手に台詞を作ったりしてたね(笑)。そうすると、周りは驚いて「そう来ましたか!?」って感じになるんだけど、「この方がおもしろくない?」って、マルタザールがスクリーンに映っていない時や、後ろ向きになっている時で、オリジナルだと台詞が入っていないところに、台詞を入れてみたりしてね。

 あとは、オリジナルでは、たくさんしゃべっていても、なるべくしゃべらないようにしてみたりして、「こっちの方がおもしろいんじゃないの?」というようなやり取りを常にしていたね。そして最終的に、それがブレてなければOKになる感じかな。

――今、『アバター』が世界各国で話題になっていますが、『アーサー』の3D CGの技術には、興味はありますか?

 映像に関しては、技術がどんどん先に進んでいっているから、使い方を間違えなければ、おもしろい作品になると思うよ。ただ、いつも思うのは、1作、それで当たってしまうと、それ以降、似たり寄ったりの作品がどんどん出てきて、「とりあえずやっておこう」みないな感じになって、お腹いっぱいになってしまう傾向があるよね。

 ただ、一番最初にオリジナルでやる人たちっていうのは、技術屋がいやがることを言うんだ。「こことか、こうしたらおもしろくない?」とか言った時に、やっぱり技術屋は「いやぁ…それは……」ってなるんだよ。でも一度そのプラットフォームを作っちゃうと、それを流用できるから、他の映画もどんどん真似していくんだけど、最初のオリジナルがやっぱり一番おもしろいんだ。後から出てくるものは、コピーみたくなっちゃうからさ。

 そういう意味では『アーサー』に出てくる表現っていうのは、「前衛的な表現じゃないかな」と思うし、リュックとしては「映像美に感動してほしい」っていうことではなくて、「自然に見せたい」っていうところが大事なんだと思う。「映像すごい!」っていうのは大人の都合で、大人が見てそう思うわけなんだよ。『アバター』とかはそうだと思うんだけど、あれは大人が見て、大人が感動するための映画だからね。だけど、子どもの頭の中っていうのは、すでに自分が昆虫に乗っていたり、『フランダースの犬』を観た後は、みんな犬に乗れるんだと思って乗ろうとするし(笑)。僕だって、とにかく大型犬がほしいと思ったし、他にもライオンを飼って、ライオンと一緒に生活しようとか思ったりね(笑)。

 子どもはそういったことが簡単に頭の中でできるんだ。それができなくなるのは、大人が常識の中で「いや、それは……」っていう大人の都合上の話なわけだから、子どもに対しては、その“映像”という部分は、あまりリュックが推したいところではないと思うんだ。

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▲本作では、少年アーサーが、身長2mmの“ミニモイ”になって大冒険を繰り広げる。

 子どもにとってはすべてが冒険なんじゃないかな。だって、子どもにとっては、隣の町に行くことだけでも冒険だと思うんだ。僕だって小さいころは、自分の知らない町へ行くこと自体が冒険だったし、大きな信号を渡ることさえ冒険だった。森の中で入ってはいけないところに入ることさえドキドキしたし、「この見たことのないキノコ食べてみようかな」とか「これ食べたらどうなるのかな」とか、「触ったら変身するのかな」とか(笑)。何か、そういうことを考えるだけでも冒険だったと思うんだ。

 そう考えると、東京にいる子どもたちはかわいそうだなと思うことはあるよね。田舎の子どもたちは山に行ったり、川に行ったりとか、そういう経験がたくさんできるんだけど、東京って都会がベースになっているから、たとえば「イチゴはこういう風に育つんだ」とか、「ブドウはぶら下がってるものなんだ」とかを、全然わからない子どもたちばっかりだと思うんだ。「ブドウっていうのは、スーパーに置かれて売られてるものなんだ」としか思っていない子どもたちばかりなんじゃないのかな。だからこそ、この『アーサー』のような世界っていうのは、そういった子どもたちの救いでもあると思うんだ。

 僕は、想像力っていうのは、子どもにとって成長していく上での財産になると思うんだ。だから、その想像力を与える努力を親はしなくてはならないと思うし、今の世の中って想像しなくてもいい世の中になってきてるじゃない? 検索すればすぐ知りたいことだって知ることができる。でもそれは、あまり知ろうとする気持ちがあるとは思えないんだよね。昔は、自分が知りたいと思うことを知るためには、すごい努力が必要だったじゃない? それで、その上で探せたものっていうのは、自分の財産になって、周りの友たちに「実はこれってこうなんだぜ」って言ったら、「すげぇ! そうなんだ!」ってなるわけでさ。

 ところが、今は違うよね。1つの言葉をクリックしても、それはみんなが知っていることだから、知識が財産ではなくなってきてると思うんだ。本来は知識が財産であるべきだと思うし、想像力が子どもを成長させる一番の原動力だということを親ももっとわからなくてはいけないと思うんだ。それを与えるための努力をしている親も、今の世の中では、どんどん少なくなってきている。

――1つ不思議に思うのは、子どもが生まれたりして父親になれば、子どものために何かしたいといって、こういった作品に参加したりすることがハリウッドなどでも多いと思うのですが、GACKTさんは身近に子どもと接するような機会がよくあるのでしょうか?

 僕の場合は、姉に子どもがいて、その子どもたちと一緒に生活してるんだ。彼らは、僕のことを「お兄ちゃん」って呼んでくれるんだけど、実際の立場はおじさんなんだよね。でも、「おじさんって言ったら、ぶっ飛ばすぞ」とかよく冗談で言ってる(笑)。

 その成長していく過程を見ている中で、「よくなるのも悪くなるのも、本当に親次第なんだな」って感じるよね。子どもっていうのは、「触っちゃダメだ」と言われたものは触りたがるから、たとえば親がピアノを練習させたいと思って「練習しなさい」ってガミガミ言ったところで、子どもはますます反発してやらなくなる。逆に、親がピアノを自分だけ楽しそうに弾くようにして、子どもが弾こうとしたら鍵をかける、とかしたら、子どもたちは「何とか鍵を開けて弾こう」って思うわけじゃない。やっぱり、そういうことができる親が少なくなったのを感じるからこそ、こういう作品に携わって、「今後、子どもたちの背中を押せたらな」と思うんだ。

 でも、やっぱり子どもたちの背中を押す一番の先生っていうのは親だから、少なくともこの作品を子どもだけで見に行かせるのではなく、大切なのは“親が子供を連れて”映画を見に行ってくれることなんだ。僕はこの映画の中で、「完全に悪です」とか「完全にわかりやすいキャラクターです」とかではなく、すき間をたくさん作って、子どもに疑問が残るようなキャラクター作りをしているから、見終わった後に「ねぇ、ねぇ、マルタザールってさ、どうしてああなの?」って、子どもは一緒に行った親に必ず聞いてくると思うんだ。だから、「その質問に答えられる準備をするつもりで、親は映画を見に行かないとだめだ」と思ってほしいし、それが1つのコミュニケーションツールにもなってくれると思って僕もこの作品に携わっているし、それは僕が選ばれた役割だとも思っている。

――GACKTさんのおいっ子さん、めいっ子さんには、今回のことも「お兄ちゃんがこれやったんだよ」と報告されるんですか?

 今はもう大きいんだけどね(笑)。でも、こういう作品に携わることっていうのは、子どもたちにとってうれしいみたい。それに、子どもたちだけじゃなく友人などでも、たまたま『アーサー』を見ていたら、聞き覚えのある声だと思って、見たら“GACKT”って書いてあって驚いたらしくて、「今、アーサー見てるんだけどさ!」って電話かかってきたりしてね(笑)。だから、みんなうれしいみたいだよ。

Photos : Daniel Smith
(C) 2009 EUROPACORP - TF1 FILMS PRODUCTION - APIPOULAI PROD-
AVALANCHE PRODUCTIONS

■『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』概要
【公開日】2010年4月29日より新宿ピカデリー他で全国ロードショー
【配給】アスミック・エース

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