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2012年8月9日(木)

若さゆえのやんちゃが多すぎ!? 入社1カ月で麻雀ゲームのディレクターになった新人が開発会社と大激突!【電撃日本一】

文:電撃オンライン

 この“新川社長インタビュー”は、日本一ソフトウェアの設立20周年を記念する特設ページ“電撃日本一ソフトウェア”の連載コーナー。2013年の7月までの長期間にわたって、社長である新川宗平氏にさまざまな話をお聞きしていく。

 今回は日本一ソフトウェアの黎明期にあたる1995年前後に発売されたタイトルに関する裏話を掲載する。


“電撃日本一ソフトウェア”

日本一ソフトウェア 代表取締役社長 新川宗平

 1996年に日本一ソフトウェアに入社後、営業、広報、開発と、さまざまな分野でゲーム制作に携わる。多くのタイトルのプロデューサーを務めつつ、『魔界戦記ディスガイア』などのシナリオを執筆。2009年7月に同社の代表取締役社長に就任したのちも、『絶対ヒーロー改造計画』のシナリオを執筆、『魔女と百騎兵』のプロデューサーを務めるなど、ゲーム制作の現場に立ち続ける。


■入社1カ月でディレクター&シナリオ担当に!? 今こそ明かす『ロジック麻雀 創龍』のぶっちゃけ話

――1995年前後に発売された、初期のタイトルに関する思い出をお聞きします。まずは第1作目となるPS用『ジグソーワールド』から。

新川:1995年に発売された『ジグソーワールド』は、日本一ソフトウェアのメーカーとしての第一歩となったタイトルです。当時、私はまだ入社しておらず、このタイトルは創業メンバーが作ったものです。日本一ソフトウェアは小さい会社でしたし、プレイステーションへの参入決定が少し遅れたこともあって、第1作目となるゲームは、少人数かつなるべく早く作って発売しないといけない状況でした。

 そう考えた時、パズルゲームは少人数で短期間に作るという条件に適していたので、かつてスーパーファミコン時代に下請けとしてパズルゲームを作ったノウハウを生かして、『ジグソーワールド』を開発したそうです。そのかいがあって、『ジグソーワールド』はプレイステーション本体の発売からかなり早い時期となる1995年2月3日に発売でき、 この月に発売されたプレイステーションのゲームはこの1本だけという、なかなかおいしいタイミングで発売できました(笑)。

――次に発売されたのは『The 鬼退治!!目指せ!二代目桃太郎』ですね。

新川:当時の日本一ソフトウェアのカラーは“家族で遊べるゲーム”というもので、テーブルゲームやパズルゲームの企画が多かったようです。ちなみに、実は自分はこのゲームの広告を見て日本一ソフトウェアに応募したんです。あるゲーム雑誌を読んでいたら、目に入ってきまして。

――そうなんですか! もちろん、電撃PlayStationですよね?

新川 いえ、ファミ通さんでした(笑)。電撃PlayStationも一読者として読んでいましたけどね。

 当時、私はとにかくゲーム業界に入りたかったので、手当たりしだいにゲーム会社に書類を送って面接を受けていた時期でした。ちょうどそんな時に広告を見て、なんだかユニークな感じだと思って応募してみたら、合格して入社することになりました。ゲーム自体をプレイした思い出はないんですけど、そういう意味でご縁のあるタイトルですね。

“電撃日本一ソフトウェア” “電撃日本一ソフトウェア”
▲1995年10月13日に発売された、PS用のボードゲーム&紙芝居ゲーム『The 鬼退治!!目指せ!二代目桃太郎』。桃太郎が育てた4人の子ども(かき太郎、くり太郎、うり太郎、なす太郎)が鬼退治に出かける、4人プレイが可能なボードゲームだ。現在、PlayStation Storeのゲームアーカイブスで配信中!

――入社後はどんな仕事をされていたのですか?

新川:営業・広報として採用されたので、そういった仕事を中心にしていました。電撃PlayStationに記事を載せてもらうため、御茶ノ水にあったメディアワークスさんの編集部に営業マンとしておうかがいしたこともありますね。

――1996年には『ロジック麻雀 創龍』や『ジグソーアイランド』が発売されました。これらにも広報としてかかわった感じですか?

新川:どちらも広報をやりながら、ゲーム開発にも関係することになりました。『ジグソーアイランド』については、パズル部分に実写の写真を使うことになったので、写真会社との交渉や写真選び、選んだ写真をスキャンしてデータに落とし込むという作業を担当しました。

 ちょっと話が長くなるのが『ロジック麻雀 創龍』でして、実は自分が初めてディレクターを担当したのがこのゲームなんです。

――え! 入社直後でディレクターですか!?

新川:ええ、入社1カ月後の出来事でした(笑)。たしか大阪に出張するために岐阜の駅のホームで電車を待っていた時、当時の社長である北角(北角浩一現代表取締役会長)から突然、「お前、このプロジェクトのディレクターね」とさらりと言われて驚きました。

 自分はゲーム開発の専門学校を出ているわけでもなく、ディレクターとして何をすればいいのかわかりませんでした。でも、そもそもゲームを作りたくて入社したわけですから、これはチャンスだと思って引き受けました。経験豊富な先輩たちと組ませていただき、いろいろと教えてもらいながら仕事をできたのが幸運でしたね。

――新川さんのゲーム開発デビューは麻雀ゲームだったんですね。

新川:ええと、ゲーム開発だけでなく、実はシナリオ執筆もこのシリーズでデビューしています(笑)。

 そもそもは開発会社がシナリオも担当するはずだったんですけど、何度せっついてもシナリオがあがってこなくって……。「早く書いてくださいよ!」「そんなに言うなら、自分で書けよ!」「ああ、書いてやるよ!!」みたいなノリで、勢いで自分がシナリオを担当することになっちゃいました(笑)。

――シナリオを引き受けたということは、執筆経験があったということですか?

新川:いえ、ありませんでした。本当に若さってすごいというか、無謀ですね(笑)。

 そんなわけで困っていたんですが、そうこうしているうちに開発会社から「シナリオはまだですか?」と催促があったので、慌てたと言いますか、カチンと来たと言いますか(笑)。もう意地になって、その日のうちにダーっと書きまくって、ファックスで大量に送りました。

――すごい武勇伝ですね(笑)。

新川:幸い、その開発会社と深刻なトラブルにはならずに結果オーライでしたが、今考えると入社直後から無茶をやってますね(笑)。

 初めて尽くしで本当に大変でしたが、この時に学んだことが今の自分の基礎になっている部分も大きいと思います。

“電撃日本一ソフトウェア” “電撃日本一ソフトウェア”
▲1996年に発売された、PS用の麻雀ゲーム『ロジック麻雀 創龍』。新川社長にとってゲーム開発&シナリオのデビュー作となる、思い出深いタイトルとのこと。

【次回のインタビューは8月23日掲載予定】


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