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2012年9月27日(木)

阪神ファンだけど巨人の長嶋監督の影響で丸坊主に! 『マール王国の人形姫』における波乱万丈の制作裏話【電撃日本一】

文:電撃オンライン

 この“新川社長インタビュー”は、日本一ソフトウェアの設立20周年を記念する特設ページ“電撃日本一ソフトウェア”の連載コーナー。2013年の7月までの長期間にわたって、社長である新川宗平氏にさまざまな話をお聞きしていく。

 第6回目となる今回は、『マール王国の人形姫』についてクローズアップ。『マール王国の人形姫』が制作される過程で起こったハプニングなどを新川社長にお聞きした。


“電撃日本一ソフトウェア”

日本一ソフトウェア 代表取締役社長 新川宗平

 1996年に日本一ソフトウェアに入社後、営業、広報、開発と、さまざまな分野でゲーム制作に携わる。多くのタイトルのプロデューサーを務めながら、『魔界戦記ディスガイア』などではシナリオを執筆。2009年7月に同社の代表取締役社長に就任したのちも、『絶対ヒーロー改造計画』のシナリオを執筆、『魔女と百騎兵』のプロデューサーを務めるなど、ゲーム制作の現場に立ち続ける。


■辞表を持って制作に挑んだ! 『マール王国の人形姫』の制作仰天エピソード!

――電撃Playstationで思い出深い号はありますか?

新川:表紙を飾った号はやはり思い出深いです。一番初めは『マール王国の人形姫』。日本一ソフトウェアで初めて表紙を飾ったタイトルなのでよく覚えています。その次が『魔界戦記ディスガイア』。タイトルを発表したタイミングと発売したタイミングの2回、表紙でやっていただいたんですよね。同じタイトルで初めて2回表紙を飾ったタイトルなので、思い出深いです

 あとは『神様と運命革命のパラドクス』ですね。表紙になった時点ではタイトル名も決まっていない時だったので、我々としてもすごくインパクトがありました。

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▲何度も電撃Playstationの表紙を飾った日本一ソフトウェアのゲーム。見覚えがある表紙もあるのでは?

――その中で一番思い出深いタイトルを選ぶとしたらどれでしょう?

新川:一番思い出深いのは『マール王国の人形姫』ですね。私が広報をやってきて初めて表紙になったタイトルなので、すごくうれしかったんです。

――新川さん自身が広報として電撃Playstationに来ていたのは、いつごろでだったのでしょうか?

新川:純粋に広報の立場としてうかがったのは、『マール王国の人形姫』までですね。『リトルプリンセス マール王国の人形姫2』からは営業担当が1人増えて、仕事を分け合う感じになりました。その人がいない時でも、かわりに誰かが入るという体制になっていたので、少なくとも1人ではなくなりましたね。『マール王国の人形姫』の時は広報以外にもいろいろな仕事を兼任していたので、忙しさが半端ない感じでした。

――自分で作って自分で売りに行くという感じですものね。

新川:ゲームを開発して、ロムを作って、ヨドバシカメラさんにロムを見せにいってプレゼンして……と、目まぐるしかったですね。それに加えて、プレゼン中に「スタッフ同士が意見の違いから喧嘩しているから戻ってきて!」と、会社から電話がかかってくるといったこともしょっちゅうありましたし(笑)。

――相当シビアな状況だったみたいですね。では、『マール王国の人形姫』の開発過程の話を具体的に教えてください。

新川:前回の記事でも少し話しましたが、このころは1タイトルの受注本数が1万本を切っていて、もはやパズルゲームやボードゲームで経営を続けるのは限界でした。じゃあ、ジワジワ潰れるのを待つより華々しく散ろうじゃないかと、『マール王国の人形姫』の制作がスタートしたんです。

 ただ、当時はいろいろ開発に必要な技術が足りていませんでした(苦笑)。実は『マール王国の人形姫』って、最初はS・RPGとして開発していたんですよ。最終的にRPGになったのは、その当時のできる範囲での限界でした。当時の社長がS・RPGが無理だったとしてもRPGに切り替えてやらなければならないと決断してくれたので、最終的に今の形で出すことができました。

 S・RPGが無理となった時にプロジェクトを存続させるかどうかの緊急会議も開かれたんですよ。私は、このタイトルに賭けていたので、『マール王国の人形姫』が無理となったら会社を辞めようと、辞表を懐に入れて会議に望みました。前社長がRPGで出すと決断してくださって本当によかったです。

“電撃日本一ソフトウェア”
▲『マール王国の人形姫』(PlayStation Storeのゲームアーカイブスで配信中)には、高低差のあるバトルフィールドやマス目移動など、S・RPGを思わせる戦闘形式が取り入れられている。

――過去のインタビューでよく話されていますが、『マール王国の人形姫』の開発中に丸坊主になったとか?

新川:開発と営業は仲がよくないって、業界内ではよく聞きますよね。日本一ソフトウェアは仲がよいほうだったんですが、それでも開発と営業の境界線みたいなものはやっぱり存在するんです。私はストーリー制作とサポート全般を務めてきましたが、営業でありながら開発陣を仕切るという立場であり、外様のような立ち位置で雰囲気は重かったですね。実際、当時の私は開発の実績がなかったので「あいつに従っていて大丈夫か?」と疑問に思われても、仕方がない部分がありました。

 特にミュージカルについては、疑問の声が大きかったですね。ゲームシステムと関係ないじゃないですか、ミュージカルって。「システム開発だけでギリギリの状況なのに、無駄なことをやる必要があるのか?」という反発がすごく強かったです。制作が佳境に入ったころはみんなピリピリして、「お前はいつも無茶ばかり言う!」という不満が爆発してしまい、このままじゃダメだと思いました。

――それで丸坊主に?

新川:ちょうどそのころ、“巨人の長嶋監督が丸坊主になって選手の士気を高めて一致団結!”というニュースを見たんです。私は阪神ファンなので巨人は嫌いなんですが(笑)、この時は「コレだ!」と思いましたね。営業として外に出る立場だったので、社長に「僕、坊主になっていいですか?」と許可を取って、その足で五厘刈りにしてきました(笑)。

 翌日、丸めた頭に驚く社員一同の前で「このプロジェクトを完成させないと会社が成り立たない。それはみんなわかると思うから、悪いけど一緒にやってくれ!」と、お願いしたというのが一連のエピソードですね。

――それが重要なターニングポイントとなったのでしょうか?

新川:どうでしょうね(笑)。結果としてはミュージカル部分がユーザーに評価され、『リトルプリンセス マール王国の人形姫2』の制作で「またミュージカルをやるよ」といった時に「そうですね」と賛同が得られたので、ホッとしました。


【次回のインタビューは10月11日掲載予定】

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