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2012年11月8日(木)

『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』のプロト版はSTGだった!? 社長インタビューで伝説の名作の舞台裏がチラリ【電撃日本一】

文:電撃オンライン

 この“新川社長インタビュー”は、日本一ソフトウェアの設立20周年を記念する特設ページ“電撃日本一ソフトウェア”の連載コーナー。2013年の7月までの長期間にわたって、社長である新川宗平氏にさまざまな話をお聞きしていく。

 第9回目となる今回は、PS2の初期に開発された『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』や『魔界戦記ディスガイア』の思い出話をお聞きした。

■天才プログラマー小林良綱さんの名エピソードとは?

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▲日本一ソフトウェア代表取締役社長の新川宗平さん。

――今回は2002~2003年に発売されたタイトルに関する思い出をお聞きします。まずは『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』から。

新川:『天使のプレゼント マール王国物語』の開発が終わった後、次はシリーズものではなくて新しいタイトルに挑戦しようという話になったんです。このころはゲームデザイナーでありプログラマーでもあった小林良綱がいたので、彼と話して『マール王国の人形姫』で思い描きつつも実現できなかったS・RPGをやろうということになり、『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』の開発がスタートしました。

 しかし、なぜかそのプロト版として作られたものはSTGでした(笑)。最終的には、ちゃんとS・RPGに戻ったんですけどね。

――それはすごい話ですね(笑)。小林さんはSTGが好きだったということですか?

新川:どうなんですかね? メインプログラマーの小林は、言ってみれば天才型の作り方をするタイプで、ゲームシステムを実際に作って試しては、それを壊してもう一度別のシステムとして作り直すという、ものすごく規模の大きいトライ&エラーをすることが多かったんですよ。

――とはいえ、違うジャンルのシステムを作って、それを壊して作り直すのは、時間効率的に厳しかったのでは?

新川:普通の人がやっていたら、そうだったでしょうね。でも小林はプログラミングのスピードもズバ抜けていたので、普通の人がスケジュールに追われている間に、何回もトライ&エラーをできたんですよ。そういう中で、STGという発想も生まれてきたんだと思います。

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▲2002年1月31日に発売されたやり込み要素満載のPS2用S・RPG『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』。なぜかSTGになっていたというテスト版がどのようなものだったか気になるところだ。

――パーティ編成による能力値の変動や魔法の属性値&スキルレベルなど、『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』のシステムは後に『ディスガイア』シリーズなどにも踏襲されていきましたね。

新川:『天使のプレゼント マール王国物語』のシステムをさらに昇華したのが『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』と言えます。『天使のプレゼント マール王国物語』では“ゲームシステムをどこまで盛り込めるのか”、また、“そもそもゲームシステムに力を入れたら人気が出るのか”が読めなかったので、ストーリーや雰囲気を重視したんです。対して『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』はストーリーとゲームシステムのバランスが5:5くらいのイメージで作っています。その結果、後々の日本一ブランドとも言える“やり込み系ゲーム”の根底となるものが完成したと言えます。

 『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』は売り上げ本数が約5万本まで伸びて、『天使のプレゼント マール王国物語』の3万本を大きく超えました。このことで、当時のお客様のニーズは“ゲームシステムとしてしっかり遊び込めるもの”なんだというのが見えてきたんです。

――そして、次に『魔界戦記ディスガイア』が登場するわけですね。

 『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』の結果から、次のタイトルは、7:3でゲームシステム重視にしようという話になりました。ただ、『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』の売り上げ本数5万本というのは決して満足できない数字です。我々としては、かなりおもしろいという手ごたえを感じていたタイトルだったので、正直、何をどうすれば売れるかわからないという感じでした。

 だから“何をやっても許されるよね、魔界だから”という理由で決まった魔界というテーマを軸に、当時、ゲームデザイナー兼メインプログラマーの小林、プロデューサー兼シナリオの私、デザイナーの池田がそれぞれ、自分が考える“お客様が絶対喜んでくれるもの”を自由に作り、ある程度できた段階で持ち寄るという流れになったんです。それでいざ持ち寄ってみたら、それぞれの持ち味が見事に一致しまして、ミックスして調整を重ねてみたら『魔界戦記ディスガイア』になったという具合です(笑)。

 ここで話したように、『魔界戦記ディスガイア』はやり込み要素を重視して作ったものではなく、お客様に喜んでもらえるものを詰め込んでみようと考えた結果でした。お客様へのサービス精神が実を結んだタイトルと言えるかもしれません。

――たしかにサービス精神的なものが強く出ている気がしますね。とにかくいろいろな要素がありましたから。

新川:我々としても作っていて楽しかったです。もちろん、たくさんの要素を無秩序に盛り込んだだけでは自己満足になってしまうので、スタッフにデバッグをプレイしてもらって反応を検証するわけですが、一様に喜んでもらえていたので「このタイトルはいける!」と確信しました。実際、『魔界戦記ディスガイア』は初回こそ売り上げ本数が5万本を切っていましたが、気づいたらあっという間に10万本を超えました。ここまで評価していただけたタイトルは初めてだったので、とてもうれしかったです。

――“やり込み系S・RPG”という方向性を強く意識されたのはいつごろからですか?

新川:“史上最凶やり込みS・RPG”というキャッチフレーズは『魔界戦記ディスガイア』で謳っていましたが、実際に意識し始めたのは『ディスガイア』の発売後ですね。ユーザーの皆さんの反応を見て、やり込み要素を求められていることがわかりました。だから、プロモーション映像でやり込みをウリにした場面を作るなど、アピールポイントとして全面に押し出したのは『ファントム・ブレイブ』からですね。

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▲2003年1月30日に発売されたPS2用S・RPG『魔界戦記ディスガイア』。笑いあり涙ありのストーリーに加えて、LV9,999までのキャラ育成やアイテムの超強化といったやり込み要素が高く評価されている。

――『魔界戦記ディスガイア』がヒットした際の社内外の反響はどうでしたか?

新川:一番覚えているのは発売後です。当時、電撃PlayStation Dなどでお世話になっていた江口聡さん(現電撃ゲームメディア総編集長)からお祝いの言葉をいただいた時のことは、今でも印象に残っています。日本一ソフトウェアがジグソーパズルゲームを作っていた時代のことを知っている方なので、すごくうれしかったです。そういう感じで多くの人たちに「おめでとう」と言っていただけたことが思い出に残っています。

 その時、「自分たちの力だけでヒットしたわけではないんだ」とつくづく思いました。当時、日本一ソフトウェアは知る人ぞ知るメーカーでしたから、『魔界戦記ディスガイア』が10万本を売り上げた際は、多くのユーザーが「自分が育てた会社だ」とか「自分が最初に見つけたんだ」と感じてくださったと思うんです。そう感じていただけることをうれしいと思う反面、これから先、そういった皆さんの期待を裏切っちゃいけないと、身が引き締まりましたね。


【次回のインタビューは11月22日掲載予定】

電撃日本一ソフトウェア

(C)2002 NIPPON ICHI SOFTWARE INC.
(C)2003 NIPPON ICHI SOFTWARE INC.

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