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2012年10月26日(金)

発売後だからこそ語れるエンディングに込めた意図も激白! 『イース セルセタの樹海』ロングインタビュー

文:電撃オンライン

■気になるエンディングの演出や意図についても直撃!

――ここからは、ストーリーについてお話をお聞きしようと思います。メインストーリーにおいて、特に印象に残っている名場面はありますか?

 これは逆に、僕が皆さんに聞きたいところですね。制作者的なところからいくと、飛行機を飛ばすシーンが思い出深いです。そもそもアドルの世界で飛行機を飛ばすことはできないんですけど、それでも飛行機を飛ばしたいなと思ったんです。逆に、そこからエルディールの設定を考えていった経緯があるので、ライトプレーンが飛ぶシーンは本当に思い入れがありますね。

――飛行機は本来、あの世界にあってはいけないものですからね。川のシーンで突然、飛行機が空を飛んでいて「え?」とビックリしました(笑)。

 そもそも飛行機を飛ばしたかったのは、今までにない絵作りをしたいという気持ちがありました。でも、『イース』世界で飛行機が飛ぶとしたら、世界観的に理由が必要だというところから逆算していって、あのエルディールの設定が生まれたんですよ。

 その一方でエルディールについてですが、有翼人という設定はあっても、そこから先が実はあまり語られてこなかったんですよね。どんな役目を背負ってセルセタにいたのかが、あまり説明されてきませんでした。また、太陽の仮面についても、なんとなくすごい力を秘めたパワーソース的なものとしては語られているんですけど、具体的にはなんなのかは明かされていませんでした。

 今回、日本ファルコムとして『セルセタの樹海』を作るからには、そういった部分も語らないといけないと思っていました。そういう気持ちと、飛行機が飛んだらおもしろいねっていうところがあわさり、逆算していったところ、太陽の仮面やエルディールの役割といった設定にフィードバックされていったんです。

『イース セルセタの樹海』 『イース セルセタの樹海』
▲エルディールと飛行機に思い入れがあると語る近藤社長。ゲームをプレイした人にとっても、飛行機のシーンは思い出深いはず。

――本来の文化的には作れない飛行機だけど、ある理由からエルディールだけは作れるということですね。

 久々に有翼人を出すわけですから、フィーナやレアと同格以上の存在にしたかったんですよ。以前の『イースIV』のエルディールは、敵に利用されておしまいというポジションでしたけど、今のユーザーさんに対して期待を裏切ることはできないと思ったので、その存在感を出せるように意識しました。そういうところもあいまって、オープニングなどで飛行機が飛ぶシーンは思い入れが強いですね。

――エンディングの見せ方にも驚かされました。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、演出的に狙った部分などがありましたら教えてください。

 今回はまず、アドルを再構築したかったという部分がありました。また、せっかく新しい人に向けてやるということもありますし、シリーズをいったんリセットして、新たな導入として『イース』を立ち上げる、シリーズを再構成したいという気持ちがあったので、大前提としてアドルにスポットが当たる構成にしたかったんですね。

 記憶喪失という理由もありますけど、冒頭の段階で“『イース』とは、アドルの冒険日誌に基づくもの(ゲーム・物語)である”ということをあらためて強調しているのも、そのためです。

 また、アドルが冒険家を名乗るきっかけについても、今まで語られていませんでした。冒険家はアドルのアイデンティなのに、実はそこがはっきりしていなかったんですよね。そう考えていった時に、“セルセタの樹海”でのエピソードは時代的に非常に合致すると思ったんです。

 アドルは17歳でエステリアやイースでの冒険をしたわけですが、その時はまだ駆け出しのペーペーなわけです。まだ自分で冒険家を名乗るのは早すぎるだろうと。一方、『イース SEVEN』でアルタゴを冒険した時はもう23歳なので、そのころにはもう、さすがに冒険家を名乗っていたはずだと。そう考えていった時、今回の“セルセタの樹海”はちょうどいいかなと。また、冒険家を名乗るきっかけがエルディールであったとしたら、先ほど話に出たフィーナやレアと同等以上の存在感と言う部分とも合致しますし。

 そんなわけで、今回の『セルセタの樹海』においては、この物語がアドルの冒険日誌であるという視点を重視していたということが、エンディングの見せ方に対する答えの一例となります。

『イース セルセタの樹海』 『イース セルセタの樹海』
▲有翼人の役割や太陽の仮面の意味など、かつての『イースIV』では明言されていなかった部分についても、かなり詳しく描写されている。

――他の演出なども考えられたのでしょうか?

 最初はそれこそ、エンディングで細かい部分まですべて語る形を考えていました。でも、本作のエンディング後に語られるセルセタの姿は、すごく高度な政治的な問題を描く必要がありますし、何年もの時間をかけて長い歴史の中で見せていく問題がたくさんあるんですよね。あの地を誰がどう管理していくのか、元から住んでいた人なのかロムン帝国なのか、いろいろなしがらみが予想されます。

 そう考えた時、アドルがそういった問題について冒険家として語ることが、ちょっと想像できなかったんです。セルセタの地に隠された秘密やリスクに対して、それを冒険日誌に記して後世に詳しく伝えることが、はたしてアドルの役目なのかどうかっていうところですよね。

 そこまで考えた時に、今回のエンディングの形にしようと思ったんです。

――たしかに後日談的なエピソードを入れすぎると、アドルではない第三者が語らざるを得なくなり、“アドルの冒険日誌”というスタンスがブレてしまう気がします。

 これは最後の最後まで悩んだところではあるんですけれど、冒険日誌も1つではなく、いろいろな冒険日誌があると思うんですよ。また、アドル自身も、毎回すべての事実を綴ったわけではないと思うんですね。アドルも人間ですから、気持ちや思いがありますし、冒険日誌ごとに個性もあると思います。

 例えば、未完の冒険日誌があるかもしれませんし、途中で書くのをやめてしまったものもあるかもしれません。今回の“セルセタの樹海”に関する冒険も、そういったものの中の1冊としてクローズアップしてますので、そう考えていくと、今回のエンディングはあの形がベストだと思いました。

 スタッフにも相談したところ、賛否両論はありましたけどね。でも、すべてを書こうとすると、長くて生々しいものになってしまいます。エンディングでの展開を見る限り、あの場所はあのままじゃいられないわけですからね。そこがどうなっていくのかも全部考えたんですけれど、それって、何年もかかって行われていくことなんですよ。

『イース セルセタの樹海』 『イース セルセタの樹海』
▲ロムン帝国の人間のドラマを描くことと、その裏の世界観が見えるような構成になっている。

――そもそもセルセタの樹海は前人未到の地で、これまでは村と村レベルの交流すらなかったわけですからね。

 例えばハイランドの街なんかも、あの後どうしていくのかは、1年2年で語られることじゃありません。本来の文化レベルよりも高いものが日常にある街ですから。そういう部分については、今後のシリーズ作品を通して見せていければと考えてはいますけれどね。と、僕たちの次に『イース』のシナリオを手掛ける、次世代に向けて投げてみます(笑)。

 ただ、そういった部分はアドルの日誌でアドルの観点で書かれることはないと思うんですね。アドルは次々と新たな冒険に移っていく人間で、その土地で暮らし続ける人間ではありません。エンディング後の話は、その土地に残った人たちの話なんですよ。

→目指すはギネス登録!?
シリーズファンが気になる老アドルや北極点の話題も!(6ページ目へ)

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