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2012年11月12日(月)

日本人にもよくわかる“インディペンデンス・デイ”の始まり──『アサシン クリードIII』の舞台となるアメリカ独立戦争の開幕と戦いの推移

文:イトヤン

■植民地の民兵とイギリス軍がついに開戦! ~レキシントン・コンコードの戦い~

 1774年、北アメリカに駐留するイギリス軍の総司令官であるトマス・ゲイジが、マサチューセッツ総督として、ボストンにやってきました。ゲイジはかつて、ジョージ・ワシントンとともに、フレンチ・インディアン戦争に参加していた人物です。ゲイジは植民地の人々が反乱を起こすのを防止するため、武器や火薬の押収を行いました。

 1775年4月18日、ゲイジは部下に、ボストンの北西にあるコンコードの町に集結している民兵たちを解散させて武器弾薬を取り上げるよう、命令を下します。この動きを察知した独立派の人々は、ボストンからコンコードへ向かう途中にあるレキシントンの町へ警告を発することにしました。レキシントンの町には、ボストン茶会事件の首謀者で今ではイギリスから逮捕状の出ているサミュエル・アダムズと、彼の支援者であるジョン・ハンコックがいたからです。

 独立派の活動家、ポール・リヴィアが真夜中に馬を走らせて、レキシントンの人々に警告を伝えました。ここからさらに、コンコードの町をはじめとする周辺地域に情報が伝えられたことで、植民地の民兵たちは進軍してくるイギリス兵を迎え撃つことができたのです。

『アサシン クリードIII』
▲実際の歴史では、ポール・リヴィアたち3人の伝令が手分けして警告を伝えましたが、『アサシン クリードIII』ではなんと、リヴィアとコナーの2人乗りで真夜中の騎行に出発します!

 4月19日の早朝、約700人のイギリス兵がレキシントンに到着すると、待ち受けていた77人の民兵との間で最初の戦闘が発生しました。これを打ち破ったイギリス軍はコンコードへ進軍しますが、今度は約500人の民兵が待ち構えており、イギリス軍は撤退を余儀なくされます。撤退する間も、各地から次々と集まってくる民兵たちから攻撃を受けて、レキシントンに戻った時は壊滅しかけていたほどでした。レキシントンでボストンからやってきた増援と合流し、イギリス兵はなんとかボストンに逃げ帰ったのです。

『アサシン クリードIII』

 翌4月20日の朝、トマス・ゲイジ総督はボストンの街が、約15,000人もの植民地民兵に包囲されていることを知ります。これがその後8年にわたって繰り広げられる、アメリカ独立戦争の始まりとなりました。

『アサシン クリードIII』
▲軍人として誇り高いイギリス兵たちは、植民地の市民が武器を手にして集まっただけの民兵など簡単に倒せると高をくくっていましたが、コンコードの戦いで民兵たちは優勢な戦いを繰り広げました。

→多数の死傷者を出した“バンカーヒルの戦い”(4ページ目)

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