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2013年3月21日(木)

“月刊ディスガイア”でPS3市場に殴り込み!? 当時の最新機種PS3への挑戦を新川社長が熱弁!【電撃日本一】

文:電撃オンライン

 この“新川社長インタビュー”は、日本一ソフトウェアの設立20周年を記念する特設ページ“電撃日本一ソフトウェア”の連載コーナー。社長である新川宗平氏にさまざまな話をお聞きしながら、これまでの長い道のりを振り返っていく。

 第16回目となる今回は、PS3が普及し始めた2008年における日本一ソフトウェアの商業戦略について、新川社長に語っていただいた。

■PS3登場に合わせた日本一ソフトウェアの商業戦略とは?

“電撃日本一ソフトウェア”
▲日本一ソフトウェア代表取締役社長の新川宗平さん。

――2006年11月にPS3が登場し、大きな話題となりました。この新しいプラットフォームに対して、日本一ソフトウェアではどのように対応されましたか?

新川:この時期は日本一ソフトウェアの大きな転換期でした。我が社が大阪証券取引所(JASDAQ)に株式を上場できるかどうかというタイミングでしたから、PS3というモンスターマシンにどう向き合っていくかというのは大きな課題で、当時は本当に頭を悩ませました。当時はPS2が俄然現役だったので、PS3に早期から切り込むかどうかが、まず大きな焦点となっていました。

――PS3の登場から間を空けずに、2008年1月には『魔界戦記ディスガイア3』を完全新作タイトルとしてリリースしましたね。

新川:そうですね。当時、このタイトルはPS2で出した方が、間違いなく売り上げはよかったと思うんですが、マーケットではいずれPS3が主力マシンになると感じていました。PS3は、PS2とは段違いにハードルが高いマシンだったので、PS3が売れ始めるであろう2年後、3年後に参入しようと思っても、日本一ソフトウェアの持つ技術や能力では、その品質に合わせることはできないと感じたんです。だから、できるだけ早いタイミングで、一番歓迎される商品を出すということになりました。

 これは“日本一ソフトウェアではPS3でこんな感じにやります”とお客様にアピールしたかったというのが一番の目的です。こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、日本一ソフトウェアのグラフィックはPSの時はSFCレベル、PS2の時はPSレベルと言われました。だから、どれだけ頑張っても、PS3に入った時にPS2レベルと言われることはわかっていたんです。じゃあ堂々と、PS2レベルであったとしてもPS3で迅速にやろうと(笑)。

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▲2008年1月31日に発売された、やり込み要素満載のPS3用S・RPG『魔界戦記ディスガイア3』。モンスターを武器にできる“魔チェンジ”など、新たなシステムが多数追加された。

――株式上場のタイミングで勝負に出るというのは大変だったんじゃないですか?

新川:もちろん、そうですね。うちの管理部門は売上が欲しいということでナーバスになっていましたし、私も開発の責任者として、証券会社に「なんで堅実にPS2で出さないのか」とさんざん言われました(苦笑)。その時にはPS3で出すと心に決めていましたから、「絶対PS3です!」という姿勢を貫きましたけどね。

――『魔界戦記ディスガイア3』は、ダウンロードコンテンツの継続的な配信で、長期的展開も行いましたね。

新川:“月刊ディスガイア”といったテイストで、毎月コンテンツを提供しました。PS3発売初期のタイトルでそのような試みを行っているタイトルが少なかったので、あのタイミングでできたのは非常によかったと思います。収益的にも助けられる部分が大きかったです。正直かなりしんどかったですが、そういう技術、能力を早い段階で学べて、実績も作れたというのは、日本一ソフトウェアにとって大きなプラスになったと感じています。


【次回のインタビューは4月4日掲載予定】

電撃日本一ソフトウェア

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