2013年10月1日(火)
――学生時代はどんな音楽を聴かれていたのですか?
土屋:学生時代は、すごくマイナーな曲を聴いていましたね。……と言っても、今でもそうなんですけれども。僕の周りでは、邦楽だったらビーイング系……いわゆるWANDSやDEENの音楽が流行していて、ちょっとシャレたヤツは洋楽のボン・ジョヴィを聞いていました。そんな中、中学生の僕がジャコ・パストリアスですからね(笑)。
――中学生でジャコ・パストリアスを聴いている人は見たことないですね(笑)。ジャズやフュージョンをメインに聴いていたのですか?
土屋:僕は、ジャンルというよりも“自分がいいなと思うものを聴く”スタイルを、なぜかそのころから確立していました。フュージョンが好きかと言われると残念ながら苦手ですが、「ジャコの音楽はフュージョンじゃないか!」と言われると、「ジャコの音楽は大好きです!」と(笑)。
ジャコはいろんなアーティストと一緒にプレイするので、そこをスタートにしてリトル・ビーバーだとか、ジョニ・ミッチェルの音楽を聴いていました。
※ジョニ・ミッチェルとは、カナダ出身のロックミュージシャンであり画家。アメリカの音楽や政治、大衆文化を扱う雑誌『ローリング・ストーン』誌上の“ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト”2011年版で75位にランクインしている。
CDコーナーに足を運ぶと、目に入ったものをジャケ買いしたり視聴したりするので、幅が広がるんですよ。当時を振り返ると、圧倒的に洋楽が多かったのと、インストばっかり聴いていたと思います。今にして思うと、おもしろい経験をしていましたね。
――学生時代に、洋楽の中でもインストを聴いている人は珍しいですね。洋楽の中でも、ボーカル曲は私も聴きましたけれど……。
土屋:学生時代は、ずーっとヘッドフォンをして音楽を聴いていました。今もたくさん聴いていますが、当時は1日8時間じゃすまないくらい。しかも僕は、1曲をヘビーローテーションしても飽きないので、同じ曲を延々聴いていました(笑)。あと、自分の中で“1日に1回は必ずジャコの『Portrait Of Tracy』を聴く!”というルールをしいていましたね。大好きな曲です。
今、家に1000枚を超えるCDがあるので、CD棚がたわんできてしまって……。それは最近買ったものだけではなくて、20年以上かけて買い集めたものです。リッピング(データ化)を一生懸命しているんです。3分の1くらいリッピングしたんですが、15,000曲くらいになってるんですよ。
聴いてきた音楽はそれだけじゃなくて、レンタルで借りたものもあるし、テレビから流れてきた楽曲もあります。意識したもの、していないものを含めれば、今までに10万曲近い音楽を聴いていると思うんです。それが僕の音楽のルーツだなと思いますね。
――演奏を経験して、そこから演奏家や作曲家を目指すには大きな意識の違いがあると思いますが、どうして作曲家を目指されたのですか?
土屋:ブラスバンドに熱中していた時は、高校以降のことが全然イメージになくて、何をしたらいいかわからなくなっちゃったんです。
――“進路の迷い”というやつですね。
土屋:本当に何にも考えていなかったんです。卒業後は大学に行くとも、働くとも思っていなかった。僕の中で、全力で取り組んでいた高校のブラスバンドは本当に素晴らしいもので、それが世界の中心のようになっていたんです。
ただ“ブラスバンドをしていたい”という気持ちだけでした。授業は出なくても、ブラスバンド部には参加していましたしね(笑)。
――ダメじゃないですか!(笑)
土屋:1回浪人をして大学には進みましたけれど、“何をしたらいいかわからないから、とりあえず入った”みたいな……。自分なりの体裁を整えたかったんです。武蔵工業大学(現・東京都市大学)の電気電子工学科? 電気通信だったかな? に入学しましたが、(入った学部の)記憶も曖昧なくらい、全然大学にも行かず……。
大学も目的があって選んだわけではなくて、予備校の先生に「あなたくらいの偏差値だったらこのへん」と言われたので、じゃあそこに行くか、と決めたんです。
――言われるがまま!?
土屋:真っ白でした。いろいろなもののやる気が喪失していましたね。
――大学の時は、ブラスバンドや音楽活動などはされなかったんですか?
土屋:やっていないですね。パソコンを使って好きな曲を打ち込む程度のことはしていましたが、遊び程度です。引きこもってはいなかったので、友人と楽しく遊んではいましたが、心の中はすごく荒んでいましたね。
――では本当に数年間、空白の期間があったんですか!?
土屋:(大学に入っても)社会に出るというイメージがわかなかったのは事実ですね。アルバイトはしていましたが、社会に出て飯を食うために働くということが、どういったものなのかわかりませんでした。その欲求もなかった。
僕は自分に自信が一切なくて、予備校時代からずっと悶々とはしていたんです。体が強いだとか、手に職があるだとか、語学が堪能だとか、そういったものを持っていなかったので、“自分は何もできない”と思っていたんです。
自分以外の人間が、皆スーパーマンに見えましたね。働いている人を見るだけですごいと思いました。それは今でも思いますけれども……。自虐的ではないんですが、僕は今でも自信がとにかくないです。
――そこからどうして、現在のようにバリバリとすごい音楽を生産されるようになったのか謎です……。
土屋:大学を3年目に中退したんですが、そこが1つの転機になりましたね。
→中退から一変! 毎日最低1曲は書いていたその生活とは?(3ページ目へ)
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