2013年12月12日(木)
仁はふいにその顔に向けてつぶやいた。
「どうしてこっちで天体観測なんてやってるんだ」
「……うざ。いいかげん消えてくんない?」
「不思議なんだよ。ここの星空はデジタルの偽物だ。そんなもんを見てどうするんだ?」
仁が深く考えずに放った問いに、時矢は露骨に顔をしかめた。
「あんた、モノ知らなすぎ。電脳空間は構築当時主流だった地図情報サービス“K-MAP”のデータベースを下地に創られてる。トーゼン、そこには正確な星図の情報だって含まれてる。ここにあるのはデタラメな偽物なんかじゃない」
時矢はだんだんと早口になっていた。彼ははっとして、口を噤む。
その反応が可笑しくて仁はくくっと肩を震わせて笑った。
「よっぽど星が好きなんだな。素直なところもあるじゃねえか」
「……うるせーよ」
時矢は唇をとがらせてそっぽを向く。
その隣に詰め寄ると仁はずうずうしくその場にあぐらをかいてみせた。
「なんのいやがらせだよ。もう帰れよ」
「興味が湧いた。頭の悪い俺に教えてくれよ、星のこと」
「チッ……あの女といい、またメンドくさいエージェントが増えた」
「あの女?」
「新人なら知ってんじゃないの? 新規のスカウトは全部あのピンク頭が担当してるって話だし」
「綾花のことか」
「そ。遭遇するたびに話しかけてくるんだよね。そういうの、べつにいらないのに」
苦々しい表情になる時矢。
「あいつはたしかにちょっとめんどくさいところもあるな……まあ、馬鹿正直でまっすぐすぎるだけで悪い奴じゃないというか、むしろ良い奴ではあるんだが」
「なに他人事みたいに言っちゃってんの。あんたもうざい奴の一人なんですけど」
「ハハッ。ホントむかつくガキだなぁお前。いいからいろいろと聞かせてくれよ。お前はふだんどんな星を見てるんだ?」
不満を漏らす時矢を無視して仁は望遠鏡を覗き込もうとする。その後頭部を押しのけながら時矢は諦念の息を吐き出す。
「変な奴。ま、ARCANAの星図を馬鹿にされたままじゃ俺も納得できないし。いいよ、俺がおにーさんにいろいろと教えてやるよ」
時矢の鼻にかけた態度はそのままだが、心なしか声のトーンが上がっていた。時矢は望遠鏡の角度を調整して空の一点、一点を順番にさしながら説明を加えていく。黄道十二星座、仁には名前も知らなかったマイナーな星座、強く赤く光る恒星。
無愛想な表情は変わらなかったがドライな声でつぎつぎと星を紹介していく時矢の横顔には、人間らしい温度がほんのすこしだけ滲み出ているような気がした。仁が本当に興味を抱いたのはむしろそちらのほうで、熱心に語ってくれる時矢には申し訳ないが、天体観測にそれほど興がのっているわけではない。ただその些細なとっかかりを通じて、このミステリアスな少年の内面に、正体に、すこしでも迫ることができればと思えたのだ。
しかし時矢の口から流れるように出てくる星座の名やその星の持つ神話のエピソード、宗教的な背景や象徴などを聞くにつれ、不思議なことに、話題そのものにも興味をひかれてきた。
やがて話の途切れる隙間を見出して、仁は言葉をさしはさんだ。
「趣味でそれだけの知識がすらすらと出てくるのは凄いな」
「べつに。こんなの余裕っしょ。この程度の知識、ネットや本でいくらでも手に入るし。あとさ、俺、馬鹿を描いた物語を読むの好きなんだよね」
「へえ」
「論理的に効率的に考えて最適解を出していけば失敗なんてそうそうしない。でも星座にまつわる神話なんかを調べていくとさ、ギリシャ神話の神様ってのは、欲望にとらわれたり、アホなことして破滅する奴が多い。世界を作ったでっかい力を持ってるくせに、何やってんだ、って考えたらなんか笑えるじゃん」
時矢の口の端に嘲笑が浮かぶ。ポケットに両手をつっこんで欄干に軽く背中を預けた。
「電脳空間ARCANAを創った奴らもおんなじなんだよね」
「この世界を創った奴ら……?」
思わぬ方向に話が飛んで仁は首をかしげた。
「あんたはどうしてこんな仮想現実世界が創られることになったか知ってる?」
「いや、知らないな」
仁はあっさり首を振った。
綾花にあらかじめレクチャーされていたのは、この世界で何をすべきか、どう立ち回るべきか、という実戦的なことだけだ。電脳空間の成り立ちや存在意義などについては何も聞かされていない。一度だけ訊ねたこともあったが、どうやら綾花も知らない様子だった。
「人工の増加で治安が悪化したり食糧不足が加速したりしてて、実は今、日本ってすっげーやばいんだよね」
「そうなのか? 生まれたときからそんな感じだったから、特別にやばいと感じたこともなかったが……」
「少なくともARCANA構築当時はたくさんの人が危機感を持ってたってコト。だからこそあいつらは膨大なデータベースを応用して現実世界に似たもうひとつの世界を創り、人口の半分をそっちの世界に移住させようとした」
「待てよ」
仁は時矢の言葉を遮った。
「移住って……この世界は偽物だろ。俺やお前の体だってデジタルデータであって本物じゃない」
「だね。本体は研究室のカプセルの中で延命処置を受けながら生き続けることになる」
「それは、生きてると言えるのか?」
「……」
一瞬。ほんの一瞬だけ時矢の瞳が奇妙な揺らぎ方をした。かすかに目を逸らして自分の体に触れると、何かを思い直したように首を横に振る。そして仁のほうへ指を向けた。
「端末を使ってダイブしてるから現実世界と電脳空間は別物だって理解できてるだけっしょ。何年も何十年もこの世界で生きてみなよ。自分の体が寝たきりだなんて、いつの間にか忘れてる」
「黒野。お前……」
「とにかくさ」
今度は時矢が仁の言葉を遮る。
「奴らは気づいちゃったんだよね。電脳空間は言ってみれば自分達の創りあげたもうひとつの新しい世界。ってことは、自分達は創世の神々に等しい存在なんじゃないかって」
そこまで言うと時矢は小馬鹿にするような笑いをこぼした。
「馬鹿なところまで神話を真似しなくてもいいのにさ」
「こうして一般人には隠されたまま放置されてるってことはそいつらの計画は頓挫したってことなんだよな」
「そゆこと。星座の話に出てくる神様ってのも、調子に乗ってサソリに毒を入れられたり、追放されたり……ってたいていろくでもない結末を迎えてるからさ。そーゆーとこまでパクってんじゃねーよって感じ」
時矢は両足で地面を蹴りつけて宙に浮くと、器用に体をひねって欄干の上に跳び乗った。遥かな眼下を見下ろして億劫そうに肩をすくめる。
「――ちょっとしゃべりすぎたかも」
直後、時矢は半透明のカードを展開した。魔法陣が回転するようなエフェクトとともにその場に現れたのはとんがり帽子をかぶったデフォルメのカラス。カラスは高くひと鳴きすると、その足で望遠鏡をつかんで時矢のもとに舞い戻る。時矢はその足をつかんで、屋上の外へと身を投げ出す。
「おい、どこへ行く?」
「逃げる。あんたと話し続けてるといらないことまで言っちゃいそうだからさ。あんた、モノ知らないけど人にしゃべらせるの得意だね」
「お前が勝手にしゃべっただけだろ」
「どうだかね」
「なあ、最後にひとついいか?」
「ん?」
「ガキのくせにやたらと電脳空間の成り立ちに詳しかったが、お前、もしかして」
「教えてやんねー」
べ、といたずらっぽく舌を出して、時矢はカラスをけしかけた。そしてそのまま時矢の体は林立するビルの狭間へと消えていく。
(不思議な奴だったな)
と思いながら仁はふたたび天を仰いだ。
そのとき、永遠に変化しないはずの空を一筋の流れ星が横切る。目の錯覚かARCANAの制御システムの気まぐれか。ほんの一瞬だけこの場所を現実世界のように錯覚した自分に気づいて仁は、ぶるり、と身震いした。
Illustration:Production I.G
(C)SEGA
データ