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2013年12月27日(金)

『World of Tanks』に登場した日本戦車の背景を解説します! 『ガルパン』グッズのプレゼントも!!【めざせ! 戦車道免許皆伝 第13回】

文:田中尚道

 『World of Tanks(ワールド オブ タンクス)』(以下、『WoT』)を遊んでいる周囲のプレイヤーに、日本戦車ツリーについて聞くと、「実装されたら使う気でいるけれど、ゲームの中だと弱いんだろうな」という声がちらほらと。

 確かに、史実ではコテンパンにされた話ばかりです。ノモンハン事件ではソビエト戦車にボコボコにされ、南方ではアメリカの軽戦車である【M3 Stuart】にも太刀打ちず、それに対抗するために新型戦車を用意したら、今度は【M4 Sherman】に完膚なきまでに叩かれるというありさま……。まともに活躍できたのは中国戦線だけじゃないでしょうか?

 戦車の仕事は対戦車戦だけではなく、歩兵の直協支援だったり、陣地破壊だったりといろいろあるわけですが、海軍の派手な活動に比べるとパッとしないのは確かです。でもご安心ください。『WoT』で戦車をランク分けする“Tier”は、同時代性よりも戦車の性能で区切られているので、(多分)いい戦いができるはず。まぁ、装甲の薄さについては、いかに開発スタッフのフォローがあっても、なんともならないとは思うけれど……。

『World of Tanks』

■とにかく装甲の薄い日本戦車!

 12月24日に実装された最新アップデート“Update 8.10”では、4両の軽戦車と9両の中戦車、合計13両の日本戦車が新たに実装されました。今回は、それぞれが実際にどんな戦車だったかを紹介していきます。

『World of Tanks』
▲現時点では、軽戦車と中戦車しかない日本の開発ツリー。駆逐戦車と自走砲と重戦車は後日追加されるそうです(※画像は英語版のもの)。

 最初の戦車が登場したのは、第一次世界大戦のさなか。予想もされていなかった塹壕戦が各所で展開したために、歩兵に多大な犠牲を強いることになってしまったのがキッカケでした。トラクターなどの装軌式車両にヒントを得たイギリス海軍の陸上軍艦委員会は、兵器秘匿開発コード“特殊水槽”(Water Tank)の名称で、新兵器の開発に本腰を入れました。この開発コードによって、戦車は“タンク”と呼ばれるようになりました。

『World of Tanks』 『World of Tanks』
▲先日行われたプレス向けの説明会。ウォーゲーミングジャパンでミリタリーアドバイザーを務める宮永忠将さんが、“日本戦車はなぜ弱いのか?”を解説してくれました。

 戦車の最大の目的は、歩兵を守りながら敵の塹壕線を突破すること。そのために、大砲や機関銃が車体に取り付けられました。もちろん、敵の小銃や機関銃、砲弾の破片などに耐えうる装甲も必要です。第一次世界大戦での戦車の活躍を受けて、モータリゼーションが遅れていた日本でも、大戦後の軍事予算の圧縮や、独自開発派と海外調達の綱引きなど、不利な材料が山ほどあったにもかかわらず、戦車の独自開発という難事業に乗り出しました。

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 1925年には日本の独自戦車開発計画が始動し、1927年に試製一号戦車を完成させます。さらに1931年には『ガールズ&パンツァー』でもおなじみの八九式戦車の量産もスタート。そして、1931年の満州事変や、1937年の盧溝橋事件では日本戦車が大活躍! 九五式軽戦車(1935年製)や九七式中戦車(1937年製)は、ディーゼルエンジンなどの独自の技術も盛り込まれており、当時の中では世界第一線級の性能を誇っていたわけです。ちなみに、ディーゼルエンジンが採用されたのは、1回の給油で長距離を走破できるという、補給の面においてのメリットが大きかったからだそうで。

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 第二次世界大戦が始まると、ドイツが編み出した“電撃戦”の概念が世界を驚かせます。これは、ハインツ・グデーリアン将軍が考案した、すべてを戦車中心に考える編制によって、敵の頭脳に直接攻撃を加えるという戦術でした。各国はこれに対抗するため、戦車の性能と運用の方法を一気に進化させていきます。

 しかし日本では、この時期(1939~1941年)に戦車開発が停滞してしまいます。ノモンハン事件(1939年)の教訓を生かして、砲を強化した九七式中戦車改を投入するものの、戦車の性能面では大きな遅れをとったまま太平洋戦争に突入してしまったわけです。なお、大戦終了までに日本が生産した戦車はおよそ5,000両。そのうち約4,500両が、九五式軽戦車と九七式中戦車(改を含む)だったそうです。

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■日本の軽戦車

●Renaut Otsu(Tier I)

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 フランスの【Renaut FT】は、360°旋回可能な砲塔を世界で最初に備えた優秀な戦車でした。これは各国に輸出されていたのですが、日本にも研究目的のために10両程度が入ってきています。その後、発展型のRenaut NCが作られて日本にも輸出されました。これが【Renau Otsu】(ルノー乙)。FTが甲型なので、NCが乙型なわけです。

 なお、NCはNeveau Charのことで、フランス語で”新しい戦車”の意味。ところが、前年に採用された純国産戦車である八九式戦車に性能で及ばず、故障も多くて、ほとんど活躍することはありませんでした。

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●Type95 Ha-Go(Tier II)

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 日本戦車の開発ツリーはTier II以降、中戦車と軽戦車に分岐します。そして軽戦車ツリーのトップバッターとして登場するのが、【Type95 Ha-Go】(九五式軽戦車ハ号)です。日本では独自に八九式戦車を開発したものの、これが思ったよりも重くて運用に制限が掛かるため、6t級の戦車として開発されました。開発を担当したメーカーは三菱重工。設計・試作の段階から民間企業が手がけたのは、これが初めてでした。

 【Type95 Ha-Go】は対戦車戦闘を意識して作られたものの、他国では軽戦車すら10t以上あるというのに、重量6tという車体の制限は防御面で圧倒的な不利となり、搭載砲の三十七粍対戦車砲も初速が遅くて装甲貫徹力に劣っていました。反面、走行速度および信頼性は高かったようです。

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●Type98 Ke-Ni(Tier III)

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 【Type95 Ha-Go】の後継として開発されたのが、【Type98 Ke-Ni】(九八式軽戦車ケニ車)。第6回の記事でも紹介しましたが、日本軍の戦車は、車種と開発順の組み合わせで命名されています。軽戦車の“ケ”と、イロハで“ハ”の次の“ニ”でケニ。なんとも無味乾燥&外国人にはさっぱり意味不明な命名方法です。秘匿名称だからしょうがないともいえるのですが……。

 搭載砲も搭載砲も一○○式と呼ばれる新型に換装され、攻撃力が増しています。砲塔の乗員も2名となったため、偵察性能も向上しているのですが、【Type95 Ha-Go】との間で決定的な能力差が見受けられず、すでに量産に入っていた【Type95 Ha-Go】の生産が優先されたために、【Type98 Ke-Ni】は100両程度しか生産されませんでした。

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●Type5 Ke-Ho(Tier IV)

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 日本軍の軽戦車としては最後の、そして最高性能を誇ると言われる【Type5 Ke-Ho】(五式軽戦車ケホ車)。諸般の事情から開発が遅れ、完成したのが1945年と、ほぼ終戦の時期になってしまいました。そのため、完成車両も1両のみ。さらには多くの資料が焼却されてしまったため、謎の多い戦車と言われています。

 開発を担当したのは日野重工。【Type97 Chi-Ha】と同じ一式四十七粍砲を搭載し、同程度の攻撃力を有しています。反面、電気溶接になったとはいえ、装甲については砲塔も車体も前面20mmと、かなり貧弱。同Tierの軽戦車の中でも最薄の装甲は、ただでさえ生存性の低い軽戦車として、もはや致命的と言えます。テクニカルな運用で活路を見出せればよいのですが……。

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データ

▼『World of Tanks(ワールド オブ タンクス)』
■メーカー:ウォーゲーミングジャパン
■対応機種:PC
■ジャンル:ACT
■配信日:2013年9月5日
■価格:無料(アイテム課金)

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