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2014年1月23日(木)

『バーチャファイター』20年周年記念特集・プレイヤー編。インタビューや座談会で有名プレイヤーが語る『VF』の過去と現在

文:ゴロー

●『VF5FS』CPUの個性は羽田さんの独自色。そして『VF』の未来は?

『バーチャファイター』20年周年記念特集

――現在はセガの社員としてご活躍されていますが、どういった経緯で入社されたのでしょうか?

 2003年頃だと思いますが、夜中に徹夜で仕事をしている時に突然ファミ通を辞めることを思い立ったんです。

――今後の人生のプランは立てていなかったのでしょうか?

 先々の人生を考える時間がほしかっただけなので、次にどうするかはまったく決めていませんでしたね。辞めた後にいろいろな仲間と話しをする機会も増えてきて、そこでセガに務めていた○○さんに会った時にさりげなくアプローチをしまして……(笑)。そしたら、ちょうど『VF5』のプロジェクトが立ち上がるくらいの時期で、運よく採用されました。以前に外部委託という形で『シェンムー』(※)のお仕事をさせてもらった経験もあったので、それが生きたのかもしれません。

※1999年にセガから発売されたドリームキャスト用ソフト。正式タイトルは『シェンムー 一章 横須賀』。

――不安はありませんでしたか?

 今までいかに楽しく遊ぶかを伝える側として仕事をしていたので、通用するかどうかも全然見えず、戸惑いはありました。遊ぶ人の気持ちは分かるのですが、それを作る人の気持ちはいまだに理解できないんですよ。ただ凄いな、と。

――『VF5』ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

 “VF.TV”のライブモニターに関係した仕事を担当していました。実写の映像を流すことも企画段階で決まっていて、そこでのコンテンツ制作がメインでしたね。ゲームシステムや対戦バランスについては、横目で見ていただけで直接的にかかわっていません。

『バーチャファイター』20年周年記念特集 『バーチャファイター』20年周年記念特集

――『VF5FS』で、CPUのリングネームと自己PRを羽田さんが考えたという噂を耳にしましたが。

 全部ではなく、2人で手分けしてやっています。この技を多く使う、ガードが堅い、といったロジックがそれぞれのCPUに組まれていて、特徴に適したリングネームや自己PRを設定したつもりです。ちょっとした変化球も盛り込んだりしたので、ユーザーから「ふざけんな!」といった怒りの声がくるかヒヤヒヤでしたけどね。

――開発側でお仕事をするようになってから、バーチャ関係の仲間の反応はどう変わりましたか?

 あまり変わっていませんね。皆さん大人なので、またいでいいところといけないところが分かるじゃないですか。唯一、池サラさんだけに「なんでサラのサマーが弱いの?」と、一時期は会うたびに言われましたけど(笑)。彼は足が長いこともあって、こちらの柵をゆうに越えてきましたね。

――では、最後の質問です。『VF』シリーズに次回作はありますか?

 個人的にも「あってほしいな」と思います。今出せる情報としては、“祝20周年 バーチャファイター祭り”の時に片桐さんが言った「新しい格闘表現をテストしています」「勝ち負けだけではないところで楽しめる要素を入れられないかと研究しています」「それをアーケードで出したいと思っています」の3つがすべてですね。

→続いては池袋サラ、ブンブン丸、キャサ夫の座談会を掲載(5ページ目)

(C)SEGA

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