2016年11月15日(火)
デビュー50周年を迎えた、人気声優・古谷徹さんへのインタビューを掲載する。
古谷さんは、『巨人の星』の星飛雄馬や『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ、『ドラゴンボール』のヤムチャ、『聖闘士星矢』のペガサス星矢などを演じてきた。デビュー50周年を記念して、日本全国47都道府県を回るイベント“古谷が通るアニメイト47都道府県”がスタートしている。
インタビューでは、イベントが行われることになった経緯から始まり、これまで演じてきた役やミニアルバム『古谷徹 50th Anniversary 「Thanks♪ ‐感謝‐」』、ファンブック『古谷徹 50th Anniversary 「Thanks ‐感謝‐」』についても聞いている。古谷さんのファンだけでなく、演じてきたキャラクターが好きな人もぜひご覧いただきたい。
――今回、47都道府県でのイベントを実施しようと思った経由について聞かせていただけますでしょうか。
去年11月に高知県で行われたイベントで、MCの千野アナウンサーから「古谷さん、来年は50周年ですね」と言われたんです。スクリーンに映し出された僕のアニメデビューから昨年までの作品年表のようなものを見ながら、トークが進んでいったんです。
その際に初めて、「ああ、来年は50周年なのか」と思いました。そのイベントが終わった後に、「これは何かやらなければいけない」と思い始めました。
当初は、ホテルの宴会場でお世話になった人を招待してパーティするとか、ホールを借りてチケットを販売して自分の歴史を振り返ってトークショーやライブみたいなリサイタルをやるとか、“普通のイベント”を考えていたのですが……ちょっと普通とは違うことをやりたいと思ったのです。
――普通ではないことですか?
ここ10年ほど、海外のコンベンションに招待されて行くことが多いのですが、そういう海外のイベントでは必ずと言っていいほどサイン会の時間があります。ポスターや『ガンプラ』とか、ファンの方が持ってきた物にサインをします。しかも時間が決まっていて1時間で100人ぐらいにサインをするんですよ。
2年前から始めたTwitterで海外でのイベントについてレポートしたところ、日本のファンから「日本でもサイン会をしてください」とか「古谷さんのサインが欲しいです」、「日本のファンも忘れないでください」というメッセージをいただくことが多くなりました。そう言われて思い返すと、昔は日本でもサイン会をよくやっていたんです。それこそスーパーのオープンスペースでやったり、何かの販売とは関係なく、地方のデパートの集客目的のイベントなどで、お仕事としてサイン会を開催していたんです。
――そうだったんですね。
それだったら、50周年の機会に今まで自分を応援してきてくださった日本のファンに向けたサイン会を開いたら、きっと喜んでもらえるのではないかと思ったのです。
自分がこれだけ長い間、第一線でやれてこれたのはそういったファンのみんなのおかげです。僕は、そのお礼を直接伝えたいという気持ちがあって、47都道府県縦断サイン会を開くことにしました。
――少し言い方は悪いのですが、47都道府県回ろうと思うのは簡単だと思うのですが、実際にやろうとするとものすごい大変だと思うのですが、いかがでしょうか?
すごく安易に発想したなと自分自身も後から思いました(苦笑)。最初の気持ちとしては、自分の感謝を伝えたいんだから、自費で行って、自分たちでイベントをしようと考えていました。そうすれば誰にも迷惑をかけないと思っていたんですね。
愛妻と2人で日本全国を回れば、夫婦水入らずの旅行を兼ねたものになるかとも思ったんです。それこそ、おいしいもの食べたり、観光もしたりしながらサイン会をやれれば一石二鳥じゃないかと。
ただ実際にそれをやろうとすると、会場の手配や日程、参加方法などの告知、当日のスタッフの手配など、色々な問題が発生します。さらに、全国を回っている間は仕事ができないので、事務所にスケジュールを空けてもらわなければいけません。
――スケジュールを含めて調整するとなると、かなり大変そうですね。
そういったもろもろのことを考えたら、すべてを自分たちでやるのは厳しいと思いました。でも、絶対にやりたかったのでマネージャーに相談したところ、奔走してくれて、いくつかの取引先の企業に協力していただけることになりました。
アニメイトさんは今年30周年なんですね。日本全国にアニメイトはありますので、店頭をお借りできればということをお話させていただきました。すると、「ぜひコラボしましょう!」と、応援してくださることになったんですよ。全国のアニメイトでOKが出て、サイン会をできるという流れが進んでいきました。
――一歩前進したわけですね。
ただ、場所はアニメイトさんで行うのですが、サインは無料でプレゼントしたいわけです。しかし、そうするとアニメイトさんにとってのメリットはないじゃないですか……。
普通であれば、店舗で何千円以上か購入したらサインをあげますよとか、そういう風になるのが当たり前です。けれども、それではファンへの感謝にならないので、できません。
何かメリットがあるものを用意しなければと思って、これまで長いお付き合いをさせていただいている、KADOKAWAさんやエイベックスさんとかに、ご相談に行きました。結果は二つ返事で応援してくださることになり、「ファンブックを作りましょう」、「じゃあ、CDを出しましょう」と話が盛り上がってきました。両社とも、ビジネス抜きで協力してくださることになりました。
そして、それをアニメイト限定で発売すれば、アニメイトさんにも少しはビジネスになるのではないかと……そんな流れで計画が少しずつ動いていきました。
――先ほど、高知のイベントでこれまでの出演作品を振り返られたということでした。作品を振り返り、それぞれいろいろ思いがよぎったと思いますが、ご自身のターニングポイントになった作品を上げるとしたら、何がありますか?
自分の声優人生で転機となった作品はいくつかありますね。……僕は5歳の時から子役として顔出しのお仕事をやってきたんですけど、アニメよりも洋画の吹き替えが先でした。それが10歳ぐらいの時です。
12歳の時に東映アニメーションのモノクロのテレビシリーズ『海賊王子』という作品で、主人公のキッドをやらせていただいたのがアニメデビュー。それをやっていなかったら、その2年後の『巨人の星』で星飛雄馬はなかったんじゃないかと思っています。
星飛雄馬は当時14歳ですが、『海賊王子』をやっていたからこそ、萎縮せずに入れたと思います。これが1つ目の大きな転機です。『巨人の星』は3年半放送されたんですけど、あの作品があそこまで大ヒットになっていなかったら、僕はおそらく声優にならなかったと思いますね。
――声優にならなかったというのは?
大学時代はそれまで在籍していた“劇団ひまわり”をやめて、普通の学生でした。この期間に、自分の一生の仕事を考えようと思っていました。
就職活動が始まった当時は第1次オイルショックで、就職の1番人気は公務員だったんです。不景気な時期だったので、芸能界という不安定な職は周りからは、結構反対されました。
いろいろな選択肢があった中で、『巨人の星』で得た1つの大きな勲章というか芝居の難しさ、そしてそれができた達成感を忘れられなかったんです。それで自分自身の人生を賭けてみようと思って、芸能界にまた戻ったんですね。
――そうだったんですね。
あともう1つのターニングポイントは、『機動戦士ガンダム』との出会いです。
声優として復帰したのはいいけれど、熱血ヒーローの役ばかりでした。『鋼鉄ジーグ』や『グロイザーX』などで主役をやらせていただきましたが、自分の中では「飛雄馬とあまり変わらないな」と感じて、ワンパターンになってしまうという不安を抱きました。
そんな時期に出会ったのが『機動戦士ガンダム』のアムロです。アムロは“本当は戦いたくないヒーロー”で、それまでに自分がやってきた熱血ヒーローキャラとはぜんぜん違うキャラクターでした。その『ガンダム』がヒットして等身大の少年の演技が認められて、「ナイーブな少年も古谷はできる」と皆に見られようになったことで、プロとしてやっていけると思いました。
その後の作品だと、『聖闘士星矢(セイントセイヤ)』や『美少女戦士セーラームーン』とかですかね。『ドラゴンボール』ももちろんそうですが……その辺が転機になった作品です。
――今回のアルバム『古谷徹 50th Anniversary 「Thanks♪ ‐感謝‐」』に収録される3曲は古谷さんが決められたということですが、思い入れのある作品のテーマソングを歌いたいという気持ちがあったのでしょうか?
そうですね。まず、外せないと思ったのが『ガンダム』です。『聖闘士星矢』は作品だけではなく曲も好きだったので選びました。第1期の主題歌『ペガサス幻想(ファンタジー)』は当時、コロムビアレコードから自分が歌ったバージョンが出ているので、第2期の主題歌『聖闘士神話~ソルジャードリーム~』にさせていただきました。
『ドラゴンボール』の『CHA-LA HEAD-CHA-LA』も第2期の主題歌ですね。影山ヒロノブさんの歌声が好きなうえに、歌い方がカッコいいので選びました! あと、『CHA-LA HEAD-CHA-LA』は楽しい曲なので、バリエーションという意味でもいいだろうと。影山さんとは対談もさせていただきました。
――確かに、3曲とも方向性の異なる曲ですね。
『聖闘士神話~ソルジャードリーム~』は気持ちが高ぶる曲というか、エキサイトする曲で、『めぐりあい』は感動の曲。アニメにおける3つの大きなエンターテイメントの要素をすべて網羅できると考えました。
また、歌のうまさではプロの歌手には敵わないので、自分の演じたキャラクターの気持ちを入れることで、プロの歌手とは一味違うものが出せるのではないか、聴いた方が名シーンを浮かべてくれるだろうと思いました。
――ヤムチャは最初は2枚目キャラで出てきたのですが、だんだん第一戦を離れつつ、それでも食らいつくという点では、他のキャラクターとはちょっと違う印象がありますね。
確かに違いますね……最初はすごくカッコよく出てきて、このまま悟空のライバルでいくんだろうなと思っていたら、どんどんさらに強いキャラが味方になっちゃうので出番が少なくなってきて……。視聴者を含め、周りを和ませるキャラの側面が強くなっていっていきました。神龍が出てきた時に、彼女へのプレゼントを出してもらおうと発言するとかが、まさにそうですよね(笑)。
僕自身は「なんだ、これだったら早くやられてしまって、新しいキャラクターをやりたいな」と、思ったことも一時期ありました(笑)。でも、Z戦士として努力して、頑張る印象的なキャラクターなので、皆さんから親しみを持っていただいているのだと思います。いい意味でも、悪い意味でもとっても人間っぽいキャラなんですよね。
実は僕のファンの中でも、ヤムチャファンは結構たくさんいるんですよ。昔はそうでもなかったんですが、作品を見直したことがきっかけで僕の中でもいいキャラだと思うようになりました。今では他の代表キャラと同じぐらいに好きですね!
――サイバイマンにやられて倒れているフィギュア『HG ヤムチャ』が完売したのには驚きました。
あれには僕も驚きましたね。何度か再販の予約が行われたのですが、そのたびに完売となり、結局最後まで完売で終わったんですよね。大ヒットしちゃって、僕も予約できなかったんです。
どうにか手に入れたくて探したんですがどうにもならなくて、最後はバンダイの方に直接電話をして「1個でいいから何とか探してもらえませんか?」とお願いしました。そして、なんとか入手できましたね。
――最近では、『ドラゴンボール改』や『ドラゴンボール超』が放送されていますが、現場の雰囲気はどうでしょう?
現場の雰囲気はあいかわらずいいですよ。野沢雅子さんを中心にしたとても温かいスタジオです。新しいキャラクターが参加しても、ベテランの声優がほとんどなので気心が知れています。やっぱり作品の空気は、それぞれにあるんだなと思いますね。
――『聖闘士星矢』の星矢は声を張るキャラ。アフレコ当時、喉をつぶさないようにするなど、心がけていたことはありますか?
TVシリーズを収録している1986年~1989年は、喉に自信があったのでガンガン声を出していました。テストでも本番と同じように全力で叫んでいました。
僕の役作りの仕方は、役に関するデータを事前に収集して、頭の中に全部をインプットしたうえで、セリフをしゃべってみたり、動きを付けたりしてみて、自分なりにシミュレーションを行います。それでスタジオに入って、声を出します。
星矢の場合、モノローグもありますし、セリフでいきなり叫んだりもするので、音響さんに対しての配慮として、テストの段階で本番と同じようなボリュームをやっておくんですね。でも本番では、自分がイメージした音の高低やボリュームとは全然違っちゃうんですよ。
――実際にやると、より力が入ってしまうわけですね。
テストでは口パクとの尺合わせや雰囲気作りをするのですが、僕の場合は本番でそれを白紙に戻して、それまでのデータをすべて忘れるようにするんですね。本番の相手のセリフを聞いて、役として自然に反応するという演技をします。
そういうやり方をするので、星矢で多かった泣くようなシーンだと感情が込みあげすぎて声が裏返ったり、逆にテストよりボリュームが大きくなったりすることがあるんです。でも、長いお付き合いの信頼関係で、音響さんもそれを見越して、しっかり拾ってくれるんですね。
――お互いを想定しながらの仕事になるんですね。
TVシリーズに続いて、OVAの『冥王ハーデス十二宮編』で再び星矢をやりました。ただ当時、職業病の慢性扁桃炎になっていました。風邪をひくと扁桃腺がひどく腫れてしまうんですよ。
それで、以前と同じようなやり方をすると本番で声がかすれて出なくなることがありました。感情が込みあげてかすれるのではなく、物理的に厳しい状況ですね。でも、昔からの音響さんだったので、全部わかってくださったため、OVAのテストでは、叫ぶ台詞だけは声を節約させていただきました。
――気持ちが入っているからこその出来事ですね。イベントで海外に行かれると言われていましたが、『聖闘士星矢』は海外でもかなりの人気作。何か、行かれた際に印象的だったことありますか?
『星矢』は特に、南米やヨーロッパの人気がすごい!
印象的だったのは、ペルー共和国に『聖闘士星矢』25周年で行った時の出来事です。首都のリマでイベントをやったのですが、空いている観光日を使って郊外にある歴史的な砦に行ったんです。そこはペルー軍の軍隊が訓練をやっているような、重要な施設なんですね。
砦を訪れた日はたまたま小学生が社会科見学に来ていました。普段は観光客に砦を開放しているんですけど、子どもたちがたくさん来ているということで、その日はシャットアウトされていたんです。せっかく、郊外まで車で1時間半ぐらいかけて行ったんですけどそんな状況だったので、通訳の方に「残念だけどしょうがないね」と言ったんです。
――社会科見学を優先する方針だったわけですからね。
そうしたら、通訳についていた人が「古谷さん、ちょっと待ってください」と言って交渉に行ってくれたんですよ。しばらくして帰ってきたら、「OKをもらえました」と言ってきたので、「え!? なんで大丈夫になったの?」と聞き返しました。すると「日本から“あの星矢”が来ていると言ったら、即OKになりました」という返答がありました。
どうやら僕のことを知っていたみたいで、許可が出ただけではなく、軍服を着た女性兵士がずっとガイドに付いてくれました。
――それはすごいですね。
ずっと横に付いてきてくれて、砦の全部を見せてくれたんですよ。さらに「ペルーでは、アニメファンじゃない一般人でも『聖闘士星矢』を知らない人はいないよ」と言ってくれました。「案内できて光栄です」とも言ってくれて、「むしろこちらこそ、ありがとうございます」という感じでした。これにはビックリしましたね。
――作品こそ違いますが、「こんなにうれしいことはない」ということですね。
そうですね(笑)。南米では星矢は、それだけ国民的なヒーローなんですね。ぺルーだけでなく、ブラジルでも人気がすごいんですよ。
――そんな星矢について、どのような印象をお持ちですか?
5人の青銅聖闘士(ブロンズセイント)の中で1番ホットなキャラ。それが星矢の魅力だと思うんです。
感情をストレートに出すキャラクターで、少し思い込みが激しいこともあり、絶対にあきらめないじゃないですか。仲間のことを信じているうえに、守るべきアテナ、沙織さんのこともすごく思っている。だからこそそこにドラマが生まれて、みんなが感動するんだと思っています。
――セリフも印象的なキャラだと思うのですが、古谷さんの中で気にいっているセリフがあれば教えてください。
やっぱり、自分を信じて奮い立たせる「燃え上れ、俺の小宇宙(コスモ)よ」というセリフが好きです。『聖闘士星矢』とはまったく関係ない仕事で自分が緊張している時に、心の中で「燃え上れ、俺の小宇宙よ」とつぶやくんですよ。
そうすると、なんだかできそうな気がする。難しいことに挑戦する場面でも小宇宙を燃やしてから出ていくと、何とか乗り切れるんですよね(笑)。
――アムロとして、初代『ガンダム』だけでなく、『Zガンダム』や『逆襲のシャア』に出演されました。あとは、古谷さんと言っていいのかわかりませんが、『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』にもかかわられていますね。
そうですね。でも『00』は蒼月昇くんなので、僕とは違いますよ(笑)。
――古谷さんはナレーションとしてですね。その後にもいろいろな影響を与えた作品『ガンダム』ですが、収録当時はキャラや作品にどのような印象を抱いていましたか?
アムロはオーディションがあったんですね。役について「戦いたくないヒーローだ」と言われてビックリしました。当時、“根暗”という言葉が出始めたころで、“これは根暗なんだけどヒーローなんだ”と感じて、これはおもしろいと思いました。また、少年としてリアルに演じていいんだなと感じました。
――リアルというのは?
それまでの作品の熱血ヒーローだと、少しオーバーな演技というか、セリフの表現の仕方でも明らかに正義の味方だと伝わるような芝居をしなくてはいけませんでした。
ただ、『ガンダム』の場合は敵側にも正義がある設定になっているので、「普段の会話と同じように喋っていいんだ」というのが、僕の最初の印象でした。
あとは、役作りの仕方や作品の主役をやる声優が座長になることなど、いろいろなことを学ばせていただきました。『聖闘士星矢』をはじめ、その後、主人公をやる作品で役を演じるだけでなく、初めて来たゲストの人への気配りなどを考えられるようになったのがこの作品のおかげだと言えます。
――アムロは少年時代、青年期、大人と違いがあるのが特徴だと思うのですが、演じ分けについてはどのようなことを意識されていますか?
『Zガンダム』では23歳で、『逆襲のシャア』では29歳ですね。アムロは年齢が大きく変わる役をやらせてもらいました。15~16歳と23歳だと声質がだいぶ違います。23歳から29歳ではそこまで変わらないような気がするんですが、その間に少年から男になってましたね。
そのため、それらを踏まえて喋り方だけでなく、声質も変えたいと思いました。あとは、それぞれの年齢での置かれた環境や立場の違いに着目して演技を行っています。
――確かに作品によって、環境や立場が異なりますね。
最初は民間人だったアムロはしかたなく軍属になって、それでも仲間を守るために必死で戦っていたと思うんですよ。
それが『Zガンダム』になって、ニュータイプは危険分子という理由で幽閉されるようになったんですよね。そこでアムロはその生活に慣らされて、戦いたくなくなります。
あとは宇宙に上がりたくないと考えるんですね。おそらく、ララァを自分の手で死に追いやってしまったことの後悔の念がすごくあると思うんです。けれどもアムロはそれを乗り越えて、自分と同じような境遇の主人公・カミーユを助けに行きます。
そして『逆襲のシャア』では部下が付いている。明らかに迷いが吹っ切れて、“シャアの横暴を阻止する”という自分の使命のために戦っています。アムロのそういう立場の違いによって、喋り方も変わってくるだろうということや、それぞれの作品の隙間の人生を考えて役作りしました。
――ゲームの収録では、短い時間で収録することになり、収録当時とは違う苦労があると思うのですが、いかがでしょう?
もちろん大変ですが、アムロの場合はもう37年も演じ続けていますからね(笑)。自分の体に演技が染みついているんです。いいことではないかもしれませんが、例えば“『逆襲のシャア』のアムロはこういう喋り方”みたいなパターンが僕の中でできています。
そのため、収録でそれをしっかり出せればOKをいただけますね。ただ、ゲームの場合は物語に沿ったセリフではないので、プレイヤーにとって、どのような感情でセリフが伝わっているのかがわからない。そこはいまだに難しいと感じています。
――なるほど。
そのため、一般的に皆が納得するしゃべりかたにどうしてもなってしまうと考えています。あと……ゲームの場合は立て続けに数百ワードを収録するので、物理的にキツイですよね。
叫び声は後に回してもらうなど、そこは工夫してしてるんですが……。3作品のアムロを同時に収録する場合は、セリフ量も多くなるので、やはり大変ですね(苦笑)。
――『ガンダム THE ORIGIN』で再び幼少期のアムロを演じられて、いかがですか?
『THE ORIGIN』は参りましたね。第2章ではアムロが8歳なんですよ。もう、めっちゃカワイイんですよ。あどけないんですよ。
そんな純粋で無邪気なアムロを演じられるわけがないと思って、「オーディションをやってください」と言っていたんです。
――古谷さんからですか!?
はい、僕から。だって、女性の声優さんが声を作ってやったほうが絶対にカワイイ! 8歳のアムロの絵に合うと思ったんです。
でも、原作で総監督の安彦さん(安彦良和さん)から「断固として、古谷さんで!」と言われました。安彦さんに言われてしまったので、精一杯努力して、大人としての雑多な思いは捨てて、純粋な8歳の気持ちを持って演じました。
――あそこまで小さい子の役を演じる機会はあまりないですよね?
ないですよ! そもそもオファーが来ないですし、来たとしても断ります。客観的に見ても、僕がやったら作品のクオリティが下がっちゃいますから。
――でも、安彦総監督を始め、皆さんの中でアムロといえば古谷さんになるから話しが来たわけですよね。
そうですね。そのため、いろいろなことに目をつむってもらい演じましたね。第3章でアムロは13歳になるのですが、これに関しては「ここからならできるぞ」と、ある程度自信を持って収録に臨みました。それでも、やっぱり何回かリテイクさせてもらうなど、最初は探りながらになりましたね。
――13歳のアムロが動いている映像は初めてですからね。
テレビ版では15歳ですからね。13歳は15歳より微妙に幼いんですよ。そういう意味も含めて、『THE ORIGIN』ではとても新鮮な気持ちで収録させてもらっています。
――アムロにとってもシャアは外せない存在だと思うのですが、古谷さんとしては、シャアをどのようにとらえられていますか?
アムロはホットで、シャアはクールですね。どちらかというとアムロは情に流されるタイプ。シャアと目的は一緒で、世の中を正そうというか、未来の人類のために戦おうとしている。
けれどもシャアは冷静で、目的に対して手段を選ばないで簡潔に済ませるタイプだと思うんですよ。情に流されず、自分をも犠牲にして、人類はこうあるべきという理想に向けて行動するので地球にアクシズを落とすんですね。
けれど、本来は人間が人間に裁きを下すべきではないのではないでしょうか。長い宇宙の歴史のなかで、例えば天災として隕石がぶつかって生物が滅びるとか、新しい生物が生まれる中で進化が起こるのであれば納得できます。
それを強引にシャア1人の思いによってやることに対して、アムロは腹を立てているわけです。“違うやり方があるだろ”、“人類が革新すればそんなことしないでも、わかりあえてよい状態になる”と彼は考えている。これはアムロが先にニュータイプに目覚めたから、たどり着いた方法論だと思うです。そこがアムロとシャアの大きな違いだと考えています。
――アムロとシャアと言えば、『名探偵コナン』で古谷さんとアムロ・レイの名前を組み合わせたキャラ、さらに“赤い彗星”と池田秀一さんの名前を組み合わせたキャラが登場しています。
はい、安室透と赤井秀一ですよね。
――個人的にこのようなことがあることに驚いたのですが、原作者の青山剛昌さんからキャラについての打診やコンタクトはあったのでしょうか?
いや、なかったですね。
――お聞きになられた時、どういう心境でしたか?
先に赤井秀一が出てきました。名前を聞いて、池田さんが演じられるのが明らかでした(笑)。それで、「いつか僕にもお声がかかるのでは?」という思いがずっとありました。もともと、『コナン』は家族が好きで注目していたんですよ。
いよいよ安室透というキャラクターが登場します。名前を聞いた時に「ついに来た!」とガッツポーズしました。赤井秀一と確執があって対立していることなどが徐々にわかってきて、「やっぱりそうなんだ」と思いました。
――予想通りだったわけですね。
安室透は、“黒の組織”でコードネーム・バーボンとしてコナンと敵対していたのですが、別の顔があると推理していました。ただ、降谷零という本名を聞いた時は、思わず「えっ!?」となりましたね。ちょっと安易すぎるじゃないかと(苦笑)。
しかも乗っている車はRX-7で、ガンダムのRX-78から取ったような印象で、車のナンバーも7310……僕の誕生日じゃないですか! 声優である僕をここまで絡めてくれることはすごくうれしくて、青山先生に対しては大感謝です。
あと、本当に『ガンダム』が好きなんだとわかったのは、鳥取の青山剛昌ふるさと館にシャアのコスプレをしている学生時代の青山先生の写真があったからですね。
――そのような写真があるんですね。
はい。それを見た時に青山先生の『ガンダム』という作品への敬愛の念を感じました。
――写真を見て、「コスプレするのはアムロじゃないんだ」とは思わなかったんですね。
いや! ちょっと嫉妬しました。「なんで、アムロじゃないだろう」って(笑)。
――映画『名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)』は、シリーズ初の興行収入60億円を突破するほど大好評でした。
おかげさまで、多くの方に見ていただきました。アクション映画としてもすごく評価されています。『コナン』を昔見ていて、ちょっと離れていた人が今回の映画を観に行ってまたハマったという声を聞いています。あと、『ガンダム』のアムロとシャアを演じている2人が、別のアニメで対峙している話題性から観に行ってくださった方も多かったみたいですよね。
――ファンブック『古谷徹 50th Anniversary 「Thanks ‐感謝‐」』はどのようなものになっているのか、ご説明いただけますか。
まずは全ページカラーですね。撮り下ろしの写真をはじめ、現在の古谷徹のいろいろな表情が収録されています。これが、この本の1つの売りになっています。
次に、この50年間のプライベートの部分を収録していることです。趣味の写真や、仕事仲間と旅行に行った時の写真など、他にも過去のイベントや音楽活動の写真など未公開写真をたくさん掲載しています。しかも、写真にはコメントが入っています。
あとは……仕事関係のプロデューサーやディレクター、原作者の方々に加えて、仕事仲間の先輩、後輩からの“僕の印象”や“思い出”など語っていただきました。
そしてもう1つの目玉は、影山ヒロノブさんとの初対談、そしてTwitterでファンの方から直接募集した50の質問に答えるQ&Aですね。
――では、これまで応援してくださったファンの方、読者の方にメッセージをいただけますか?
50年という長い間、僕が演じた数々のキャラクターを愛し、見守って下さった皆さん、本当にありがとうございます。心から感謝しています。
今回の47都道府県縦断サイン会は、順調に進んでいますし、毎回皆さんの笑顔を見るのが本当に楽しみです。皆さんの笑顔と応援のメッセージが、僕がいい仕事をするためのエネルギー源です。ぜひ今後の会場にも会いに来てほしいです。CDとファンブックを購入してくださった方には、サイン会とは別に2ショット撮影会に参加していだだけますので、よろしくお願いします!
11月13日にアニメイト広島にて、古谷徹による声優デビュー50周年記念47都道府県イベントが開催された。多くのファンが駆けつけた広島店では、47都道府県イベント各店舗でのファンとの交流の様子の紹介や、ミニアルバム収録曲である『めぐりあい』や『ソルジャー・ドリーム』の披露が行われた。
大型店舗として、年内では最後となるトークイベントも実施された広島店で、イベントの1/4が終了となった。
(C)avex pictures inc.
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