武者小路実篤氏の孫・武者小路知行氏と『文アル』プロデューサー・谷口氏の対談を、ガルスタ独占でお届け!
DMM GASMESで配信中の、文豪を転生させてバトルするシュミレーションゲーム『文豪とアルケミスト(文アル)』。そこに登場する文豪、武者小路実篤とゆかりのある“武者小路実篤記念館”と、『文アル』のコラボレーション企画が、8月27日まで開催されています。
▲館内にはパネル展示されていたり、クイズ企画が実施されたりしている。 |
それを記念した特別企画として、武者小路実篤先生のお孫さんである武者小路知行氏(武者小路実篤記念館・理事長)と、『文アル』のプロデューサー・谷口晃平氏の対談が実現! インタビュアーの質問を交えながら、ここでしか聞けない、武者小路実篤先生にまつわるエピソードをたっぷりとお届けします。
――武者小路実篤先生は、どのようなお祖父さまでしたか?
武者小路知行氏(以下、武者小路氏):孫にとてもあまいおじいちゃんでした。みなさんは実篤だから、ちょっと変わっているところもあったかなと、イメージされているとは思いますが、ふつうにとても優しい人でした。見た目は、ゲームの可愛らしいイラストとちがって、ごつい感じですが(笑)。「おじいちゃんは昔、相撲取りだったんだぞ!」とか冗談も言っていました。あまり怒るということもしませんでした。逆に祖母は、優しくも威厳がある人でしたね。
谷口晃平氏(以下、谷口氏):実篤さんは、娘さんたちに対しても優しかったのですか?
武者小路氏:母(三女・辰子さん)が当時を書いた本が残っていますが、特に長女は仲がよかったですね。当時から娘たちには「パパ、ママ」と呼ばせていました。よく父娘で一緒に腕を組んでお出かけしていたようです。
谷口氏:なるほど。長女の新子さんのことですね。絵を描くきっかけが、新子さんだったというお話を聞きました。
武者小路氏:そうですね。祖母が元々日本画を習っていたことも影響していたのではないでしょうか。
谷口氏:晩年はかなり絵を描かれていたのですか?
武者小路氏:多作でしたね。ただ、祖母の方が絵は上手だったという印象です。祖父はよく小学校のころ、作文や図画が苦手だったと教えてくれました。逆に算術は得意だったようで、「そっちの道に進んでいれば、俺は博士になっていたかもしれない」と語っていました。
――ご一緒に過ごされた時期はありますか?
武者小路氏:私が小学校3年生のときに、祖父母は仙川(東京都調布市)に越しましたが、それまでは三鷹(東京都三鷹市)で、一緒に住んでいました。ただ、私たち実篤の三女の家族だけは、離れに住んでいましたので、日常生活が一緒というわけではなかったですね。ときどきお昼ごはんを一緒に食べることはありました。なので、一緒に住んでいたといっても、隣の家に住んでいる感覚に近かったと思います。
――実篤先生との思い出で、いちばん楽しかった思い出を教えてください。
武者小路氏:お金に関してはまったく頓着しない人だったと記憶しています。小学校低学年のときに、「ちょっと、お小遣いちょうだい」と、おねだりしてみたことがあるのですが、その時に祖父は「いくらほしい?」と聞かれたのです。今の時代とちがって当時は10円もあれば、かなりの物が買えた時代です。正直、答えに困ってしまいました(笑)。
たしかその時、思い切って「100円」くらいの大きな金額を口にしたと思います。相当な金額だったと思うのですが、祖父は「100円でいいのか」と言って、財布からポンとお金を出してくれました。そういう意味では普通ではなく、どこか変わった人だったのだと思いますね。その一方で、お金がない時は本当に持ち合わせがなかったようで、新聞屋さんが集金に来た時に「おい、いくらか持っているか?」と孫にたずねたりすることもありました。
――お孫さんだからこそ知る、実篤先生の意外なエピソードをお聞かせください。
武者小路氏:実篤とその同志が開いた村“新しき村”(埼玉県入間郡)のお祭りの記憶が強く残っています。孫7人と、1台の車にぎゅうぎゅう詰めになって、遊びに行っていました。今だと、定員オーバーで止められてしまいますけどね(笑)。
谷口氏:当時はバスがなかったのですね。車で“新しき村”に行ったというのは、実篤さんが運転していたのですか?
武者小路氏:いいえ。実篤はまったく運転はしなかったです。信頼のおける運転手さんにお願いしていました。
谷口氏:けっこう時間もかかったのでは?
武者小路氏:そうですね。今のように道ができていませんでしたから、かなり時間はかかりましたね。
谷口氏:実篤さんと、お孫さんだけで行ったのですか?
武者小路氏:写真が残っていたので、恐らく祖母も行ったことがあると思います。ただ、あまり回数は行っていないとは思うのですが。だいたいが、祖父と私たち孫5~6人で行っていました。
谷口氏:お祭りの話は、初めて聞きました。お祭りって、収穫祭みたいなものだったのでしょうか?
武者小路氏:そうですね。創立記念祭が毎年9月に行われていました。村のお祭りでは、演劇をやったり、音楽の演奏を鑑賞したり、バレエ団の公演があったりする文化的な催しでした。テレビもない時代ですから、当時の新しき村や近隣の村の人にとっては、珍しい機会だったことでしょう。
谷口氏:さすが実篤さんというか……実篤さんらしいですね(笑)。
武者小路氏:実篤自身、戯曲も書いていますから。演劇をすることは村の人にとって恒例だったようです。来年100周年を迎えるので、人が集まるようなことができればいいなと思っています。
――ほかにはどのようなエピソードがありますか?
武者小路氏:祖父本人は大学を途中で辞めているのですが、私の従弟が大学を辞めると言い出した時には心配していたようです。自分では大学を辞めるとき、辞めることを家長である兄が快諾してくれたことを喜んで、志賀直哉さんにも手紙で書いていたようです。
谷口氏:たしかに、自分の子どものことになると心配になっちゃうと思います。
武者小路氏:自分のやりたいことをやっていけばいいという考え方だったんでしょうね。
谷口氏:そうでなければ、村を作ろうとはならないかもしれません。そのようなところは、ゲーム内のキャラクター像と繋がるところがありますね。
――『文豪とアルケミスト』は食事もファンの注目ポイントです。実篤先生とのお食事で思い出に残っているエピソードを教えてください。
武者小路氏:実篤の兄は美食家でしたが、実篤自身は食に頓着がない人間でした。いつだったか、私の父の知り合いに伊勢(三重県)の方がいて、祖父へ松坂牛の味噌漬を送ってくれたのですが、どういうわけか、祖父の兄のもとへ届いてしまったんです。その後、実篤に「盗人を捕らえてみれば兄貴なり。おいしかった!」と手紙が届いたエピソードがありました(笑)。それでも実篤は怒りませんでした。
谷口氏:文豪というと、食通の方が多いイメージですが、実篤さんは違ったと。
武者小路氏:そうですね。あんまり上等なものを食べるとお腹を壊す人でした(笑)。ですので、うなぎなどは食べませんでした。
谷口氏:(笑)。食に関しては庶民的な方だったんですね。
武者小路氏:そうですね。別のエピソードもあります。とある編集者の方がいらして、店屋物を注文しようという時に「なんでも好きなものを注文してください」と、母が言ったんです。真っ先に祖父が「俺はたぬきそば!」と注文しました。
それを聞いた編集者の方が「私もそれで」と続いて言ったら、実篤は「そうか、君もたぬきそば好きか!」と言ったんですよ。普通に考えたら、編集者の方は遠慮したのだと思いますが、実篤は純粋に好きなものを注文したと考えていたのでしょう。
それから、どういう経緯かは覚えていませんが、祖父と他の孫たちと、新宿の中村屋でカレーを食べたことがあります。また、深大寺の前にあるお蕎麦屋さんにも何度か足を運びました。恐らく、お蕎麦は好きだったと思います。
――“文豪”と聞くと神経質な方が多いイメージですが、実篤先生はいかがでしょうか。
武者小路氏:志賀直哉さんは服装や性格からも、とてもきっちりした方だったと記憶しています。ときどき遊びにいらしていて、お見かけしましたが、本当に祖父と違いました。だけど、すごく仲が良かったです。志賀さんが書かれた文献にも残っていますが、「武者が挨拶もせずに絵を持ってきた」と言うように、性格が違うからこそ仲が良かったんだと思います。ケンカしても、すぐ仲直りしていました。
かつて新聞社の人間を名乗る人から、「志賀直哉さんが亡くなったから一筆書いてくれ」と、いたずらの電話がかかってきたことがありました。その時には、とてもショックだったようで、何を書いたらいいのかわからないと言っていました。家族みんなで心配するぐらいの様子でした。
谷口氏:お2人は本当に仲がよかったんですね。
――今回、ゲームとのコラボイベントということですが、ゲームの印象などをお聞かせください。
谷口氏:ゲームの中では転生して、ある年齢の記憶まではあるという設定です。
武者小路氏:祖父は70歳を過ぎても「俺はまだまだやれるんだ」と言っていた人です。やりたいことをやって生きたように思うので、転生させなくても本人は満足していると思うんですけどね(笑)。
谷口氏:(笑)。
武者小路氏:実篤のことを知ってもらえるなら、ゲームという形もいいなと思いました。話を聞くと、これで実篤を知っていただいて、白樺派を知ったという方もおられるようですから、今回のコラボレーションを歓迎しています。
谷口氏:ありがとうございます。
武者小路氏:実篤を直接知っている人間は、どんどん減ってきていますから、ここから実篤の作品を手に取っていただいたり、記念館に遊びに来ていただいたりするのはうれしいことですね。
――本日の対談のご感想をお願いします。
谷口氏:とてもリアルなお話でした。もちろん作品は読んでいますが、実篤さんを1人の人間としては、あまり知らなかったので、こうして、実篤さんのお近くにいた方からお話を伺えてよかったです。
武者小路氏:私は逆に実篤作品には、みなさんより疎いかもしれませんね(笑)。自伝は本人からもらいましたので読んでいます。子どもの頃には、祖父の作品で『桃源にて』という紙芝居が家にあったので読んだことが記憶に残っていますが。
谷口氏:僕は学生のころ、実篤さんの本を読みました。今でも「進め、進め」を読むと、がんばろうという気持ちになります。“個性は人と違うことをすることではなく、全部が個性なんだ”という考え方が好きです。今でも、実篤さんの言葉を胸に生きています。
武者小路氏:「君は君 我は我也 されど仲よき」というのが実篤でした。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という孔子の言葉をアレンジしたのでしょう。これは現代でも通じる考え方だと思いますよ。
谷口氏:そうですね。今回このような機会を得られて、大変光栄でした。本当にありがとうございました。
武者小路氏:いえいえ、とりとめのないお話になってしまいましたね(笑)。こちらこそ、ありがとうございました。
『文豪とアルケミスト』×武者小路実篤記念館コラボイベント開催情報
■開催期間:開催中~8月27日(日)
■イベント詳細ページ:http://www.mushakoji.org/info/info_064.html
(C)DMM GAMES