徐庶~諸葛亮と劉備を結んだ義侠の士~【三国RANSE武将列伝】
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ゲームに登場する『三国志』武将について紹介していく企画記事“三国志武将列伝”。
今回は、インゲームが運営する戦略ストラテジーゲームアプリ『三国RANSE』より、劉備に諸葛亮を引き合わせた人物として知られる“徐庶”について解説していきます。
徐庶(『三国RANSE』より)
徐庶は、劉備の新野駐屯時代の幕僚。
元は山東の潁川郡(許昌)出身で、荊州に移住してからは司馬徽(水鏡先生)門下となり、龐統、そして諸葛亮の学友となります。
荊州新野に駐屯した時代の劉備に重用され、彼に諸葛亮を推薦。劉備にいわゆる“三顧の礼”で諸葛亮を迎えるように提言したというのが、最も有名なエピソードですね。
長坂の戦いで劉備が敗れた折、曹操に母が捕縛されたことをきっかけに、以後は曹操陣営に仕えることに。曹操死後も曹丕・曹叡に仕え、魏の官職に就きました。
文武兼備
字は元直。元の名は福であり、寒門の出身である。昔は撃剣の使い手で、義侠心に厚く、人の敵討ちを引き受けるが役人に捕らわれ、後日仲間に助け出された。
これに感激して以降は剣を捨て、学問に励むようになり、出身地を同じくする石韜と親しく交際するようになった。
中平年間に中原が乱れると、石韜と共に荊州へ移住し、司馬徽の門下生となった。諸葛亮・孟建と特に親しくなり、韓嵩・向朗とも親交した。
諸葛亮の推薦
徐庶・孟建・石韜は学問を精密に理解しようと努力したが、諸葛亮は大要を掴むことに努めた。
諸葛亮は「徐庶・孟建・石韜は仕官すれば、州刺史か郡太守くらいにはなれるだろう」と言った。
その頃、劉備は荊州新野に駐屯していた。徐庶は劉備と会見し、劉備は彼を評価した。
徐庶は諸葛亮を推薦し、劉備が徐庶に呼びに行かせようとすると、徐庶は「彼は、こちらから行けば会えますが、無理に連れて来る事はできません」と言った。こうして、劉備は三顧の礼で諸葛亮を迎え入れることになった。
劉備と離別
劉備に軍師として迎えられ、曹仁との新野城の攻防戦では先遣隊の呂曠、呂翔率いる魏軍5000を2000で迎撃し、見事に打ち破り二人を屠る。
報復と称して曹仁、李典が25000で南下するが、曹仁の八門金鎖の陣を見破り完膚無きまでに叩き伏せ、曹仁の本拠地の樊城を奪った。
程昱の策による徐庶の母親の筆跡を真似た手紙を受け取り、止むなく曹操に下ることになるが、去り際に劉備に諸葛亮を推薦し劉備の下を去った。この事を知った母親は自殺し、徐庶はこの事で曹操のために献策はしないという誓いを立てた。
赤壁の戦いにも従軍したが、龐統が仕掛けた連環の計の真意に気づきながらもこれを見逃し、龐統の助言により「涼州の侵攻に対する備え」という名目で陣を離れ、被害を免じた。
ゲーム内性能(『三国RANSE』)
敵の速度を減少させることに特化した性能が特徴的。
戦法“八陣破敵”や“破陣強襲”で、一定確率で敵の速度を減少させられるので妨害役として優秀です。また、戦法“三軍の勢”で味方の怒気を上げることでサポート役として活躍することもできます。
絆対象武将
■龐統(水鏡門下:攻撃+23)
■司馬懿(裏切り者:防御+18)
戦法
木属性の敵にダメージを与える怒気戦法。確率で敵の速度を減少させる。
通常攻撃を当てると一定確率で敵の速度を下げることができる確率戦法。
6ターンごとにランダムで自軍武将2人の怒気を上昇させる継時戦法。
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