劉備が関羽・張飛より力持ち!? 三兄弟の順番は木登りで決めた!?【三国志 英傑群像出張版#1-1】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 三国志をテーマにコラムを書くことになりました。三国志の施設“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長の岡本と申します。

 漫画家・横山光輝先生の故郷神戸市にて氏の『三国志』・『鉄人28号』を使わせ頂き、街おこし活動をしております。

 “英傑群像”というエンタメサイトおよびショップも運営しております。おかげさまで施設はこのほど13周年となりました。私の三国志をテーマにした活動自体は20数年に及びます。

 三国志はキャラが立っているのでゲームの題材にされやすいですね。ゲーム、映画、漫画、アニメなどで武将名ぐらいは軽く知って居られる方もいれば、かなり詳しい方も多数いるかと思います。

 物語の「三国志演義(以後、演義)」や歴史書の「正史三国志(以後、正史)」以外で私が好きなのが「三国志の民間伝承」です。

 研究する方からしたら来源がはっきりせず、歴史書などとも時に矛盾するので取るに足らないモノと見られる事でしょう。しかし、現地に行ってみると民間伝承に基づく遺跡なども多数あり、またその民間伝承を元に我々の三国志のイメージが作られていたりする事があったりします。三国志演義の一部も民間伝承から来ているものもあると思います。

 あまり誰にも言ってませんが、現地に行くと私は時間があれば古書店をまわり、「三国志の民間伝承」の本を集めて回るのが趣味の1つとなっています。

 三国志の民間伝承は日本でも一部紹介されていたりしていて知られている方もいるとは思いますが、知らない方のほうが多いと思いますので、こちらで三国志のコラムをさせて頂くことになり、私が集めたものを含め「三国志の民間伝承」をご紹介できればと思います。(ネット情報は一切つかいませんので、初だしネタも今後あるはず。)

 それでは、早速始めていこうと思います。

①劉備が関羽・張飛より力持ち!?

 中国で90年代の大河ドラマ『三国演義』というドラマがありました。最近は三国志ドラマの定番といえば2010年に作られた『三国志 Three Kingdoms』ですが、それ以前は日本でもこれが定番ドラマでした。(今見てもCGを使わないこの映像力には驚かせされます。)

 その古い方のドラマ『三国演義』の中で、劉備、関羽、張飛の出会いは一般的な”劉備と張飛が義勇軍募集の立て札の前で出会いすぐに意気投合して酒を飲んでいた所に関羽がたまたまやってきて酒盛りして「桃園の誓い」になる”ではありません。

 まずは肉屋の張飛が肉を井戸につるし大きな石で封をし、持ち上げれたものに肉を進呈すると言いました。それを豆売りの関羽が見事持ち上げた事で肉を貰います。

 その後、ふとしたことで関羽と張飛の言い争いが始まってしまいます。それを見ていた劉備が登場して、凄い力で2人の動きを制止しました。ただものでないと悟った2人は争いをやめ、ようやく3人で酒場へと移動し、その後3人は意気投合して義兄弟になります。

 この劉備が2人を押さえつけるぐらい力であるというのは、演義や正史では見られないお話です。実は三国志の民間伝承にあるものを取り入れたものです。

 英雄たちの外伝的な部分が楽しめるのが「三国志民間伝承」の世界です。今後、数回に分けて紹介していきたいと思います。今回は劉備・関羽・張飛の「桃園の誓い」までの物語を紹介しましょう。

②皇帝の血を引くと霊的現象も起きる!?

 劉備が生まれたのは涿州楼桑村(たくしゅうろうそうそん)というのは有名ですね。

 私も以前、行ったことがあります。今も開発が進んでおらず当時のままかと思えるぐらいの田舎具合に感動したものです。

  • ▲こちらが実際の涿州楼桑村。

 そこには、こんな伝承も伝えられています。

桑の葉が劉備を守った!?

 劉備の両親は各地をさまよい、ここにたどり着き藁小屋を借りた。劉備が生まれた夜、赤い光がたちのぼり皆驚いた。夫婦はこの村で歓迎されこの地に腰を据えた。

 真夏、赤ちゃんの劉備を桑の大木の下に置いて野良仕事を手伝ったが完全に劉備の事を忘れてしまっていた。日が暮れかけてようやくそのことに気づいて駆け寄ると桑の大木の葉が劉備の上をかぶさり日陰を作っていたのだ。その霊験から、この村の名前はそれに由来する。「大樹楼桑村」。

劉備、井戸に落ちる!?

 劉備、関羽、張飛は「大樹楼桑村」で酒を飲んで語り合った。劉備はわらじ売り、関羽は豆と豆腐売り、張飛は肉屋だ。

 関羽と張飛は「我らは豆腐や肉をもってくるが、劉備はなにも持ってこない。少しからかってやろう。」と言って、井戸の上に筵(むしろ)を引いて椅子にし劉備を迎えて座らせた。

 しかしなぜか劉備は井戸に落ちない。驚いた二人は井戸の中を見てさらに驚く。中には白い龍が劉備を頭で支えていたのだ。

③兄弟の順番はどうやって決めたの!?

 張飛の家の桃園で義兄弟になった3人。劉備が兄、関羽が次兄、張飛が弟というのが演義でのお話です。おそらく年齢順だろうと思われます。

 民間伝承では、その順番についてもひと悶着あったようです。

 年齢順、生まれた時間順など話し合うがどうも決まらない。張飛が木登りで決めようと言い出す。張飛は一番高く上り、関羽は中間で我慢した。

 劉備は一番下を抱えた。張飛が兄に成れると喜んだが、劉備がいう「木はどこから生えてきたのだ?」と。こうして根に近い劉備が兄、真ん中の関羽が次兄、一番登った張飛が弟と決定した。

 次回は、関羽の出生についての伝承をご紹介したいと思います。


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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