関羽の顔は何故赤いのか?【三国志 英傑群像出張版#1-2】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 前回は劉備・関羽・張飛の「桃園の誓い」までの物語を紹介しました。

 今回のテーマは「関羽」になります。主に出生に関しての伝承を紹介していきます。

④関羽の顔は何故赤いのか!?

 「解池(かいち)」という塩湖がある河東郡解県出身の関羽。三国時代でいえば司隷(しれい)または司州(ししゅう)。人を殺してしまい幽州(ゆうしゅう)に逃げて劉備らと出会います。

 その距離、直線距離でも1千キロ。出だしから彼は「関羽千里行(かんうせんりこう)」をしていたわけです。彼は棗(なつめ)色という”赤い顔”で知られています。

 彼の顔が何故赤いのか? おそらく生まれ持っての肌の色か、日焼けし過ぎた結果だとは思いますが、出生と顔の謎についてなんと4つの民間伝承があるのでご紹介します。

その1 火の神の贈物

 豆腐屋が道端で拾った赤ちゃんを養子とします。姓は菅、名を羽【菅羽(かんう)】と名付けた。(誤字ではありません)

 色白で立派に成長した「菅羽」。あるとき占い師が「街で大火がおきる。菅羽に頼んで明日の牛の刻に南大門を真っ赤な馬に乗った真っ赤な顔の豪傑が通るので食い止めさせればよい。」という。

 菅羽はそれを承諾し門で待つと男がやって来た。その進行を見事に防いだ菅羽。彼は「私は火の神。天帝の命令できた。この城を燃やさなければ私が処分されてしまう。助けてくれ。」という。菅羽は少し考えて、城の皆に一斉に灯篭に明かりをつけて、お香をたくようにさせた。天からみると大火事になったようになった。火の神も、お城も守ったのだ。

 英雄になった菅羽。しかしそれを嫉妬するものが菅羽が謀反をおこそうとしているとデマを流した。菅羽は出奔を決意し関門を通る際、人相書があり困惑する。

 その時、火の神の贈物なのか緊張からなのか、普段、白い顔がみるみる間に赤くなり関門を通過できた。通過する際、赤い関門をみて、姓は「関門の関だ」といった事から、以後改名し「関羽」となった。

その2 南海の竜王の子

 塩湖は南海と通じているといわれる。その近くの寺に将棋がめっぽう強い和尚がいた。それを聞いたのか真っ赤な顔をした男が対戦を挑んできた。

 それを受けた和尚であったが差し手が急に乱れ出した。男が訪ねると「村に1滴も雨が降らず悩んでいたのです。」と答える。それを聞いた男は「自分は南海の竜王で天界から雨を降らしてはいけないといわれているのだ。」と白状した。

 それを聞いた和尚は雨を降らせるように懇願した。それ折れた竜王は雨を降らせることに同意する。しかし、それは天に逆らう行為で自らが処分されることを意味した。

 竜王は「雨がやんだあと、湖面に赤い水が噴き出すので大切に桶にしまうように」とお願いした。あくる日、雨が降り噴き出した赤い水を和尚は桶に汲んだ。

 100日後、赤ちゃんが桶より生まれ出してきた。それがのちの「関羽」だった。

その3 青龍の剣

 鍛冶屋の息子で姓は常、名を生 【常生(じょうせい)】という男性がいた。毎夜、灯篭の油がなくなるという事件が起きる。

 常生は隠れてその犯人をまった。そこに現れれたのはなんと「青龍」だった。角をつかんだ常生に逃げようとする青龍。ついに青龍は自らの角を折ってまで逃げ出した。その後、その角は雌雄一対の剣に変わった。

 またある日、常生の親友の婚約者が連れ去られるという事件が起きる。常生は相手をその龍の剣で殺し、親友の婚約者を助けた。しかし、そのことで彼はお尋ねものとなってしまう。

 兵士に追われる中、逃げる途中で川で洗濯をする老婆に出会って助けを求めた。老婆は彼に服を着せ、突然顔を殴った。顔面から鼻血が出て真っ赤になった。さらに彼の髪の毛をむしり取り、唾であごに引っ付けた。赤い顔の髭面の男をみた追手の兵士らは彼が常生とはわからずにその場を立ち去った。

 常生は川に映る自分の顔をみて驚いた。容姿がかわっていたのだ。老婆にお礼を言おうとするが既に姿がない。(神の化身か!?)

 関門で名前を聞かれ、関門をみて姓は「関門の関だ」細長い雲をみて「名を雲長だ」といった。「名が2文字はおかしいだろう?」といわれ、空を雁が飛んでいるのを見て「名は羽だ。字(あざな)が雲長だ」といい関門を通過できた。それが「関羽(雲長)」が誕生した瞬間だ。

その4 天空の火竜

 豆腐屋の関老人が道端で拾った赤ちゃんを養子とします。関羽と名付けます。「淡く赤い色」の顔をしており美しく、そして非常に賢く育ちます。

 関羽が学校に行くとき、小さな川を渡らなければならず、橋も渡し舟もなかったのですが、不思議なことに、関羽が川にたどり着くたびに、白髭白髪の老人がいました。彼が毎日関羽を担いで川を運んでくれたのです。関羽は10歳になり、ある日思わず「おじいさん、どうして毎日、私を担いで川を渡ってくれるのですか?」と聞きました。

 老人は「心配はいらない。 あなたは「天空の火竜」であり国の政務を担当する人なのです」と。その後、老人は関羽の元から去りますが、関羽はさらに努力し文武に長けた人物になりました。

まとめ

 いかがだったでしょうか?

 関羽の顔の話は4つの話どれも関羽の特徴的な部分が登場しますね。前回のコラムで紹介したエピソードでは、劉備は皇帝の血を引いており神の加護が感じらるものもありました。共通する部分がありますね。

 関羽は神の子なのか? 関羽を育てた家は豆腐屋が多いですね。豆腐を作る”にがり”は、海水を煮詰めて作ります。塩湖がある地の出身の関羽にぴったりの実家の職業といえます。

 1つ目の赤い馬は赤兎馬の暗示なのでしょうか?

 3つ目の服はおそらく緑抱で、青龍剣も青龍偃月刀に変化していったのでしょうか?

 三国志演義や正史にない話は夢がいろいろ膨らみますね。

 次回はまた彼らの持つ特徴的な武器についての逸話などをご紹介したいと思います。


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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