孔明はなぜ羽扇を持つのか!?【三国志 英傑群像出張版#2-2】
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三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。
前回は関羽・張飛の武器の逸話などを紹介しました。今回もその他武器やアイテムに関する伝承を紹介していきます。
ちなみに私は毎月1回(第三日曜日)に「横山光輝の三国志の研究会」なるものを、KOBE鉄人三国志ギャラリーで開催しております。
毎月コミック版1巻ずつ行い、今4年目で51巻を過ぎたところです。5年かかるライフワークで、長すぎてずっと付き合ってくれる参加者はおりませんが、参加者を随時かえながら、コロナ禍を挟みながらもなんとか続けてきております。
手法としては基本みんなで漫画を読むので小学生からでも参加できます。歴史書『正史三国志(以後、正史)』、物語『三国志演義(以後、演義)』と『三国志平話(前回紹介)』『吉川英治三国志』『通俗三国志(江戸の三国志本)』『中国の絵本「三国志連環画」(横山光輝氏が参考にした)』などと比較したり漫画的に面白い部分を見たりしています。
結果、横山先生の気持ちに触れる部分があったりします。よかったら残り10回もありませんが御参加ください!
そして今年でようやく終わります。また終わったら何かしらにまとめたいなと思っています。
一つ武器という点において横山三国志の事も紹介しておきましょう。
実は『横山三国志』の劉備、関羽、張飛は、最初、典型的な双剣、青龍偃月刀や蛇矛を使っていません。(アニメは最初から使っています。)その他に下記の特徴が見られます。
●劉備の双剣が登場するのは5巻で一瞬登場し何故かすぐに消えます。(呂布と劉備・関羽・張飛が共同して戦う所)
●関羽は最初「青龍刀(中国風の刀)」をもっており、16巻でいきなり青龍偃月刀を持って出てきます。
●張飛はずっと長槍でしたが、19巻でようやく蛇状の蛇矛を持って出てきます。
(岡本調べ)
さて脱線しましたが、武器やアイテムに関する民間伝承をいくつかご紹介していきます。
劉備、名剣を落とす
劉備は軍隊を率いて雒城を攻撃中、軍隊は建山郷の5階建ての寺院の山に陣取った。軍隊を訓練するために、彼らは山の下に5つの堰を掘り、劉備は山頂に立つことで全てを見ることができました。
井戸の横には大きくてぶ厚い岩場があり、諸葛亮が囲碁テーブルを作り、訓練を見ながら劉備と囲碁をすることがよくありました。
ある日、軍事状況を計画した後、彼らは一緒に囲碁をするためにこの岩にやって来ました。劉備は井戸のそばに座り、囲碁で諸葛亮に勝利して喜びで飛び上がると腰の刀が井戸に落ちました。
この剣は、張飛が戦いの中で敵から奪ったもので、非常に切れ味がよいものでした。劉備は非常に悲しみ、探させるも見つけることができませんでした。
この時、張飛は軍の野営地から戻ってきて、それを知ると怒りのやり場がなく、力持ちの彼は囲碁につかっていた石を持ち上げて井戸に投げ込みました。それから軍隊は出発したので、劉備は軍隊を率いるしかなく剣はまだ拾えていません。
しかし彼らは二度とここに来る事はありませんでした。今も拳ほどの大きさの穴があり時間によっては穴から見下ろすと、刀が見えるそうです。
趙雲、竹から剣を手に入れる!?
中国の春秋戦国時代、呉越が争い越王が敗北し逃げるとき、雌雄一対の剣を隠します。探すものもいたが見つけることができませんでした。 百年後、そこは竹林となります。
劉備は袁術に追われ竹林に逃げたとき、軍は兵糧が尽き袁術の追っ手が迫っていました。竹林で薪を集めていた趙雲は、劉備が危機に瀕しており命が危険にさらされているのを見て、急いで救おうとするものの武器を持っていなかったので、竹を伐って武器にしようとします。
すると伐った竹の中に「越王雄剣」と刻まれた光る剣が隠されているのを発見しました。強力な刀を持った趙雲は、羽のある虎のように袁術軍を撃退することができました。
関羽、周倉の青龍偃月刀を奪う!?
かつて世界には2つの青龍偃月刀がありました。1つは関羽用で、もう1つは周倉用です。曹操の元を去るとき(関羽千里行)関羽は刀が折れてしまい自分で似たような鋼鉄の刀を作ります。
しかし、鋼の刀は青龍偃月刀ほど使いやすいものでなく、周倉の刀をなんとか奪えないかと考えます。雪の日、関羽は周倉が毎朝刀を洗うために川の深い淵に行くのを思い出し計画を立てます。
周倉と剣術の訓練後、関羽は「宿に戻ろう」と言います。周倉は躊躇して「将軍、あなたは先に戻ってください。私は刀を風呂にいれなければなりません。」と返します。
関羽は驚いたふりをして、「刀がなぜお風呂に入るのだ?」と尋ねます。周倉「将軍は知らないかもしれませんが、 この刀は青龍でできていて毎日お風呂に入れないとダメなんです」と言う。
それを聞いた関羽は「ああ、そういうことか。私の刀も青龍に変身できるからこれも一緒に風呂に入れてくれ」と言い、その刀を周倉に渡し関羽は一人帰っていきました。
周倉は川にやって来て、2本の刀を川の深淵に投げ入れます。自分の刀がいつものように龍になり水あびしているのに、関羽の刀は何故か深淵に落ちていきました。
彼は慌てて探しますが見つかりません。周倉は戻って関羽に謝ります。関羽は怒らず、困惑し「大将が武器を持たず戦場で敵を倒せるのか 」と嘆くと、周倉は仕方なく「自分の青龍偃月刀を献上いたします」と言います。
まさに関羽の狙い通りでした。そして彼は再び青龍偃月刀が使えるようになりました。
孔明はなぜ羽扇を持つのか!?
諸葛亮は少年時代、茶屋で働いていた。一人の老道士は雨の日も風の日も茶館にお茶を飲みに来ていた。
毎日朝から晩まで天文、地理、政治、軍事について話すので、諸葛亮は彼を心の底から尊敬していた。 老道士に弟子入りしようと思ったが若すぎて相手にされないので一計を案じる。
老道士が話している間にこっそり竹の杖に細工をして石灰が落ちるようにしたのだ。老道士が帰宅すると、諸葛亮は茶館を出て、石灰の跡をたどり、老道士の住む場所を探した。
しかし、ある場所までくると石灰は消えており、大きな松林のみで、村も店も家もない。突然、いびきのような音がして、諸葛亮が松の上を見上げると、目の前の古松に大きな鳥の巣が作られ、巨大な老鶴が眠っている。 その後、なんと眠る鶴の口が開き真っ赤な真珠が口から落下してきて孔明は飲み込んでしまう。
鶴はハッと目を覚まし、真珠が失われたことに気づき、巣から降りてくると、老道士に変わってゆっくりとこう言った。「お前は幸運だ。これは私が何千年も修行してきた不老不死の霊薬である。我は地上の千変万化を認識し、世の中の出来事を知ることが得意になった。お前がそれを飲み込んだ今、私の人生は終わった.....。」
諸葛亮が泣くとそれを抱き上げ、「泣くな、私は何千年もここに住んでいるが、誰も私を見つけられなかったが、お前が見つけてくれた。私の死後、私の翼の両側から7枚の羽をむしり取って扇に結べば、将来、困ったときに羽を揺らせば、腹の中の霊薬が転がり考えが出てくるだろう。また、私の道着をお前に授けよう。 国のために尽くすことを忘れてはならないぞ!」
話し終えると、道衣を脱いだ直後に老道士(鶴)は息を引き取り、地面には鶴の死骸が転がっていた。深く悲しんだ諸葛亮は、鶴を埋葬し、指示通りに摘んだ羽根で【羽扇】を作り【鶴の道衣】を持ち帰った。
その後の活躍は皆の知る通りである。
劉備は鈍くさい。関羽は珍しく嫌な感じ。趙雲はいつもピンチになると輝きますね。越王の雌雄一対の剣というのが、劉備の双剣となにかしらつながっているのかもと思わせる内容でした。
孔明の話は少し違うバージョンもあります。基本一緒ですが鶴ではなく鷹です。それにしても孔明、不老不死になったのに何故五丈原で亡くなるの? って思うのは無粋でしょうか。
もしかして誰かに霊薬を奪われてしまったのか?!
次回、諸葛孔明の逸話について深堀していきたいと思います。
岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!
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