趙雲、生涯怪我をしなかったってホント!?【三国志 英傑群像出張版#4-1】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 三国志の民間伝承はやはり主役どころの「劉備、関羽、張飛、諸葛亮、曹操」あたりは多くありますが(内容はかぶって少し違うというのもよくあります)、それ以外の人物となるとぐっと数が減ってきます。

 今回、私が各地を廻って集めてきたものの中から、【劉備配下の武将】にスポットを当てて三国志民間伝承をご紹介します。

 たぶんあまり知らないお話が出て来ると思います!

趙雲(ちょううん)伝説

 趙雲といえば三国志演義(以降、演義)や裴松之の注の記述で三国志一二を争う英雄として日本でも大人気の武将です。

 しかし趙雲の墓に行ってみると荒れ果ててまともに見ることもかないませんでした。今の地元の扱いとギャップに残念な気持ちになった事を思い出しました。

趙雲殺人事件

 趙雲は生涯一度も傷を負ったことがなく年をとっても元気だった。

 ある日、彼は妻に言った。「私はこれまで何度戦いに出たかわからないが、どんな武器にも傷つけられることはなく傷一つない」と。

 妻は納得できず、夜に彼が寝た後、ランプを灯して体中を見たが、たしかに傷跡は一つもない。彼女は「傷跡がないなら、私がつけてあげよう」と思い、刺繍針を持って趙雲の体を刺した。

 翌朝、趙雲が起きてこないのを見た妻が部屋に入ると、針が刺さったところに大きな血だまりができて趙雲が亡くなっていた。趙雲は気球のようなものだったのだろうか?! 一つのほころびが死を招いてしまった。

 しかし趙雲の奥さんのショックは大きかったでしょうね。針を刺したのが晩年である意味ほんとよかった。蜀は人材不足ですからね。

 次は上記にあった“傷を一切負わなかった”趙雲に共通するお話。

戒指(指輪)と趙雲

 指輪は富を誇示し、美しさをアピールするために指にはめるものですが、中国で趙雲が最初?(真偽のほどは定かではない)ともいわれた指輪は少し目的が違っています。

 趙雲は、阿斗を救うために曹操の兵士と戦ったとき、薬指に槍傷を負います。回復した後、かなり目を引く傷跡が残りました。

 趙雲はこれまで多くの戦場に出ましたが一度も傷を負ったことがありません。そこに指傷が出来たので、職人に金の指輪を作ってもらい、それを見えないようにします。

 趙雲の死後、閻魔大王が彼に尋ねます。「お前は地上では偉大な英雄で、百戦錬磨だったと聞いたが本当なのか?」と。趙雲は「私は百戦錬磨であるばかりか、無傷です」と答えます。

 閻魔大王はそれを信じず、部下に彼を裸にさせ調べさせますが、体に傷ひとつないのを見て本当だと理解します。(実際は指輪で隠れていて無傷は嘘でした)

 皇帝劉禅は彼の死後、命を懸けて自分を助けた趙雲に感謝し金の指輪をはめた銅像を作ります。文官や武官がこの像を見て、その指輪がとても美しいと思ったので、みんな真似をして身につけ、“戒指”と名づけます。

 やがて、この“戒指”は人々に広まり、現在でも身につけられています。

 指輪の話は荊州版と益州版の2つがあるようで、今回は益州版を紹介しました。ちなみに、荊州版は傷をつけた武将は張郃と出てきます。

 また劉禅は出てこずに、荊州の関帝廟の話になっています。そして閻魔大王も出てきません。伝わるうちに変化していったのかもしれませんね。

 しかし、こういう話が複数あるという事は趙雲はほんと指以外に傷をほとんど受けてないのかもしれませんね。もしそれがほんとなら趙雲凄い!

 ゲームで趙雲を使っても、下手すぎてバンバンやられる自分はご本人に怒られるだろうなあと思う次第です。

黒い犬と趙雲

 劉備は孫夫人と別れて四川へ向かった後、趙雲を孫夫人の守りにつけた。ある日、趙雲が孫夫人のお供をしていると、大きな黒い犬が孫夫人の馬に向かって走ってくるのが見えた。

 趙雲は黒い犬を数メートル先まで蹴飛ばした。趙雲の蹴りに、黒い犬が耐えられるわけがない。空中から落下して着地し、2回ワンワンと鳴いて逃げた。黒い犬は丘の上に登り、孫夫人のいる街に向かって吠え、街の人々を夜も眠れなくさせた。

 翌日、日が暮れてから、その犬は再び丘で鳴く。これを見た趙雲は、兵士に命じて犬を追い払わせた。しかし兵士たちは、「くまなく探したが、犬の鳴き声が聞こえただけで、その気配はなかった」という。これを聞いた趙雲は非常に驚き、「妖怪がいるのか」と思った。

 3日目の夜、犬はまた吠えた。趙雲は音もさせず静かに弓矢を持って犬の吠えている所を射た。趙雲は丘に行くと黒い犬が地面に倒れていた。趙雲は犬を丘に埋めるよう兵士に命じた。

 しかし、4日目の夜、黒い犬は、前夜よりもさらに大きな声で、ひどく鳴き続けた。これを聞いた趙雲は怒って、兵を率いて犬を土から掘り起こすと犬は生きており立ち上がった。

 黒い犬の目が緑色に光り、まだ叫んでいるのを見ると、趙雲はまた蹴りを入れた。そして彼は、兵士に指示して数十キロ先の川まで黒い犬を連れて行き川に投げこませた。

 途端、川が氾濫し孫夫人の街に溢れた。この大きな黒い犬は「神犬」であったのだ。犬は孫夫人が劉備の元を離れ呉に戻ろうとしているのを邪魔するために道を塞ぎに来ていたのだ。

 趙雲は「黒い犬」の善意がわからず、蹴って殺してしまったので、夜も昼も不義理に泣いたのだった。

 この話、なんだか救いようがない話ですね。どう理解したらいいだろう、と考えさせられる不思議な話でした。

 個人的な推測として、黒+犬=黙。“黙るべきものが鳴き叫ぶ”のは警告ということなんでしょうか?

 当事者の趙雲はそう簡単にはわかりませんでした。孔明がいたらまたちがっていたのかも!?

 今回はここまで。次回は龐統の伝承をお伝えしようと思っています。お楽しみに!

春の三国志会 第9回 神戸3/27(日)に実施しました!

 コロナ禍で延期続きでしたが、ようやく3年ぶりの春の三国志イベントを開催できました。

 講座、講談、朗読、紙芝居、演劇、謎解き、テスト、占い、造形会などなど行いました。

 たくさんご来館頂きありがとうございました! 県外からも来ていただき感謝します。

 当日、私は孔明の格好してたのでお声がけ頂いて嬉しかったです! 次は11月の三国志祭を乞うご期待!


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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