陸遜~知勇兼備の呉の名将~【三国RANSE武将列伝】

Ak
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 ゲームに登場する『三国志』武将について紹介していく企画記事“三国志武将列伝”。

 今回は、インゲームが運営する戦略ストラテジーゲームアプリ『三国RANSE』より、若くして才覚を見せた知勇兼備の呉の名将“陸遜”について解説していきます。

陸遜(『三国RANSE』より)

 陸遜は、孫策の死後に孫権に仕えた呉の武将。

 “呉の四姓”とも呼ばれる有力豪族である陸氏の傍系として生まれ、21歳のときに孫権に仕えた。

 最初は文官の任に就いていたが、異民族討伐や荊州攻略でその才を発揮。『三国志演義』では、関羽にへりくだった書状を送り、油断させることで呂蒙の荊州攻略を助けた。

 夷陵の戦いでは、大都督として呉軍を指揮。大群を率いる劉備に火攻めで大損害を負わせる。

 呉の丞相にまでなった陸遜だったが、晩年は政治闘争で孫権と対立。それが原因で憤死したと伝わる。

神君の号

 字は伯言。21歳のとき、孫策の弟の孫権に仕えた。最初に、文官として仕事に就いた。

 それからは海昌県の屯田都尉となり、海昌の統治も同時に行った。

 旱魃となったため民は困窮したが、陸遜は施しを行って民の窮地を救う一方で、農業と養桑を推奨し、民の生活を支えた。号は「神君」。

夷陵の戦い

 黄武元年、蜀を興し自ら皇帝となった劉備は関羽の復讐と荊州の奪還のために呉との国境地帯に侵攻してきた。陸遜は孫権により大都督に任じられ、朱然・潘璋・宋謙・韓当・徐盛・鮮于丹・孫桓ら5万の軍の指揮を執って劉備軍と対峙した。

 諸将は古い軍歴を誇る宿将であったり、宗室に連なる身分であったりしたため、陸遜を侮るような態度をとり、陸遜を臆病者と揶揄したという。しかし、陸遜は剣に手をかけて軍令を遵守させた。軍がそのような状況であってもなお、発生した騒動のことを報告してこなかった。

 劉備は盛んに呉軍を挑発したが、陸遜は伏兵を見破りそれに応じなかった。劉備軍の疲弊を見て取った陸遜は反撃に転じ、火攻めなどで攻撃し、退路を断って蜀軍を壊滅させ、劉備を白帝城に敗走させた。

忠臣の死

 孫権が帝位に即くと、呉と蜀の国交は完全に回復するようになった。孫権は諸葛亮に手紙を送るときは、常に陸遜を通じて行い、また、自身の印璽を陸遜に預け、呉の蜀との外交文書は陸遜が添削した上で発行されるようにした。歴代で特別な待遇を受けた。

 孫和と孫覇の太子廃立争いで、陸遜は上奏して嫡子と庶子の区別をつけるように述べた。さらに首都の建業に出向いて孫権を直接説得しようとした。しかしそれは許されなかった。

 また、陸遜の甥である顧譚・顧承・姚信は太子側についたということから流罪となった。また太子太傅の吾粲は陸遜に幾度も手紙を送っていたため獄に下されて死んだ。孫権は陸遜に譴責の書状を何度も送り、憤慨の中で陸遜は死去した。彼が亡くなった時には家に余財は無かったという。

ゲーム内性能(『三国RANSE』)

 火計で知られる陸遜だけあって、敵を燃焼状態にさせる戦法が豊富。

 後列を攻撃する戦法が多いため、強力な計略を持つ敵武将を狙い撃ちしやすいのも強みです。

戦法

 敵後列2名にダメージを与える怒気戦法。確率で燃焼効果を付与する。

 通常攻撃で敵後列に燃焼状態を付与する確率戦法。

 6ターンごとに自信の攻撃力を上昇させる経時戦法。


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