戦争で使う銃にエイムをつけない理由とは? 芝村裕吏氏の新作ラノベ『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』のウンチクがすごい!
- 文
- まさん
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『マージナル・オペレーション』で華麗に小説家デビューを果たし、マルチな才能を世に知らしめたゲームクリエイター・芝村裕吏氏。同氏が、初の少年ライトノベルレーベル向けとして手掛けたヒロイック・ファンタジー小説『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』が、9月25日にMF文庫Jから発売となる。
その発売を記念して行ったクリエイターインタビューの中編をお届けしよう。
中編では芝村氏が小説家としてデビューした経緯から本作の見どころまで、小説家としての芝村氏の活動を中心にたっぷりと語ってもらった。
『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』が気になっている人も、上編を読んで芝村氏に興味が湧いた人も、芝村氏自身のコアなファンも、引き続き最後まで読んで欲しい。
バンダイでの経験から『マージナル・オペレーション』が生まれた
──ここからは小説家としての芝村さんについて、いろいろとお話をうかがいたいと思います。まずは、小説家として活動を始めたターニングポイントから教えてください。
芝村:くだらない経緯なので、読者の方には申し訳ないのですが……(笑)。ある日、桝田省治さんが書いた小説を読んで「おお、桝田さんが面白い小説を書いてる。俺もやってみようかな」とTwitterでつぶやいたんですよ。
そうしたら、すぐに星海社の編集から「やりましょう! ボクが編集です!!」という話が来たんです。当時は、星海社の会社名も知らなかったので「なんじゃ、こいつは!?」と思ったのですが、バンダイに入社していた(インタビュー上編を参照)おかげで、自分はこの速度感の良さを知っていたんですね。だから「こいつは、できる!」と思って、仕事を受けました。
逆に言えば、もし自分がバンダイに入社していなかったら、この速度感を知らないままだったんですよ。もし、そうだったら「なんじゃ、こいつは!?」のままで話が終わってしまったと思います。
“電撃的な速さこそが、いい仕事をするための1つのテクニック”ということが分かっていたので受けたんです。
──バンダイに入社して得た経験が、結果的に芝村さんの新たなお仕事に繋がったんですね。
芝村:仕事を受けたあと、そこでは企画書を8案くらい作りました。と言っても、私は打率3%の男を目指しているので、ゲームの場合だともっと企画書を書いています。これは、打率3割が“大先生病”を発症する閾値(しきいち)なのが理由です。
大先生病は、打率1割でも発生してしまう病気なんですよ。ちなみに“大先生病とは何か”ということを読者のために説明しますが、これは“周囲にイエスマンが多くなりすぎてしまったせいで、時流と合わないものや、面白くない作品を量産する”という病気です。
とくに、ネームバリューが上がった先生がよく発症する病気なので、大先生病と言われています。この病気が発生しないようにする唯一の解決方法がボツなんですよ。
ボツが大量にあると、大先生病が発症しません。だからボツを作りましょうという話なのですが、ここまでラジカルなことを言いつつボツを量産しているのは、現役作家だと私だけかもしれませんね。
自分は、いろいろな人が大先生病にかかって干された現場を見続けてきたので悟ったんです。ナウシカのセリフじゃないですけど「作家(人間)は、ボツと切り離しては生きていけないのよ」と(笑)。
話を戻しますが……じつは、この時に8案出した企画書のうち、1番駄目だと思っていたものが『マージナル・オペレーション』でした。ところが、それが通ったんです。
確か、当時は星海社レーベルを分析したレポートを提出して「本の値段が高く、普通の読者よりも年齢層が上なので主人公の年齢もあげましょう。漫画で言えば青年誌ですから、読者の方は雑学が欲しいはず。雑学がある青年誌のお仕事みたいな感じで『マージナル・オペレーション』という作品はどうですか?」という提案をしました。
8案の中では1番ダメだと思っていた案だったのですが、売り込んでみたら編集長のお眼鏡に叶って、作品自体も当たったんですよ。まあ、このあと一緒に組んでいたイラストのしずまよしのりさんが『艦隊これくしょん-艦これ-』で大ヒットしちゃったという真の事情もありますが……(笑)。
ある日、隣で一緒に管を巻いていた友人が、急に雲の上へ突きあがっていくのを見てビックリしましたわ~(笑)。
──確かに、当時のブラウザゲーでも『艦これ』は異例の大ヒットでしたね。
芝村:『艦これ』は面白かったですよ。私も、あの頃はかなり遊んでました。時間を取るシステムなのですが、ゲーマーはあまり時間を気にしませんからね。もちろん、私も『ウィザードリィ』でレベル999とかまで上げていた人間なので、時間の無駄遣いなら負けてません(笑)。
私は仕事時間の効率化を図っているのですが、それはゲームを遊ぶ時間をどうしても確保したからなんですよ。何があっても1日4時間はゲームを遊びたい。これだけは時間を確保したいけど、睡眠時間も長く取りたい。だから、仕事を効率化しているんです。
──効率化を図られているとのことですが、具体的に仕事とゲームの時間をどのように配分されているのですか?
芝村:仕事は1日6時間。遊ぶ時間は4時間。寝る時間はなるべく長く、最低でも8時間は寝ています。小説の執筆速度は早いほうだと思っていますが、仕事の時間配分はこれくらいですね。
──睡眠時間もきちんと取られていて、健康的ですね。ところで、先ほどあえてボツを出すとおっしゃっていたのが気になっているのですが、最新作の『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい(以下、大軍師)』に関してはどうだったのでしょうか?
芝村:もちろん、企画は複数出しました。ですが、今回は逆提案の形で「最初から戦記物にしましょう」ということが決まっていたんですよ。
ちなみに、私は仕事を受ける時に“3つのドア”を用意しているんです。まず、1つ目が正攻法のドア。これは、会社のメールなどで作家にオファーをかけるやり方ですね。
次がバックドア。バックドアと言うと聞こえが悪いので、言い方を変えるとVIPドアです。角川で言えば、『新世紀エヴァンゲリオン2』で散々お世話になった井上さんやコンプティークの編集長など、具体名が出せるような恩がある人から仕事が来ると「急に予定が空きました!」と返事をして仕事が決まります。
そして、第3のドアがお試しのドア。これは私なりの野望があって「こういうのがやりたいな~」と思っている時に、ピッタリはまると開きます。当たり前の話なのですが、利害が一致したパターンですね。
──今回は、どのドアから仕事を受けたのでしょうか?
芝村:じつは、今回は難関率が一番高い正攻法のドアだったんですよ。カクヨムで「俺が好きなものを書くぜ!」と小説を書いていたら、MF文庫Jからメールが届いたんです。それで「あ、このルートは斬新だな」と。正攻法で仕事が来たこと自体が、初めてかもしれないですね。
電撃の読者様ならご存知の通り、私は夜の世界と密接なので「俺と繋がりたかったら、夜の扉を開けよ!」という言葉があるくらいなんですよ。普通なら「新宿の飲み屋をパトロールしているところを捕まえました」みたいな裏道のほうが正攻法なんです(笑)。
ところが、まさかカクヨムという真正面の正攻法からくるとは思いませんでした。これがあまりに面白かったのでやってみた部分もありますし、チャレンジ枠の第3のドアに近いところもありますね。
この年になると正攻法でくることがないんですよ。業界歴が長ければ長くなるほど、絆という名の鎖がつながって身動きが取れなくなります。だから、ここで新たな戦士がエントリーしてくるとは思いませんでしたね。
最新の知見から盛り込まれた芝村氏のウンチク
──実際に『大軍師』の仕事を受けてから、どのようなやり取りがあったのか教えていただけますか?
芝村:いろいろありますが「どうせ芝村さんに頼むのなら、芝村さんらしいものをやりましょう!」と言われました。ミリタリーや軍事的な物を入れましょう。戦記をやりましょう。ファンタジーをやりましょう。ゲームチックな要素も入れましょう。自分が得意な物をワンセットにして提供したらファンが喜ぶんじゃないかな、という経緯で始まっています。
それから、忘れてはいけない重大なことがあるのですが、今回は「ウンチクをいっぱい入れてください」とも言われました。そういうわけで、本作は“ザ・ウンチク小説”みたいな読んでいて面白いものになっています。
ターゲットの年齢層は高くないのですが、逆に言うと知識を仕入れて背伸びしたくなる時期ってあるじゃないですか。もし、私が中学生だったら「こんなウンチク話を仕入れて浅い知識で吠えたい!」と思える物をちゃんと入れてあげようと思いました。
読みやすさを最重視してウンチクを入れずにスカッと読めるものもいいのですが、今回は「こんな小説をまともに書けるのは俺しかいないだろう!」という内容がいっぱい入っています。
──たとえば、どんなウンチクが入っているのですか?
芝村:距離ですね。昔は、距離をキロメートルじゃなくて時刻で書いていました。道でいえば、一刻や二刻の距離というような言い方をしていたんです。これは、“人間が歩いたときに一刻でたどり着ける距離”のことで、当時の案内板にもそう書いてあったんです。
古代史でも距離を時刻以外で書いていたのはマイルストーンくらいなんですよ。ローマ共和国やローマ帝国は距離で書いていましたが、ほかは時刻表記でした。
だから、日本地図でたとえると「ここから、ここまでが四刻です」という案内板があったとしても、その距離自体は場所によって全然違うんですよ。たとえば、箱根の関が四刻だとしても、山道なので実際の距離自体は短いんです。昔の人は生活時間として歩いていたので、時刻表記のほうが良かったんでしょうね。
勾配を無視して何キロという距離を書かれるよりも、時刻で四時間ですと書かれていたほうが当時の人たちにとっては便利でした。逆に地図で物を考える現代人には不便極まりないのですが、現代の小説ではそういったところが一切書かれません。
ゲームでもわかりにくい単位を入れてしまうと、ただただ煩雑になるのでやらないですね。だから、知識として持っていても、こういうウンチクは小説でしか表現できないんですよ。
あとは、最新の知見が大量に入るようになったので、それも反映しています。たとえば、一時期は存在が怪しいと言われていた輪番射撃。これも、今では「やっぱり、やっていたのではないか?」という話になっています。
90年代くらいに「輪番射撃の具体的な証拠がない」という時期があり、長篠の戦いの“三段撃ち”は嘘だったのではないかという説が出ていたのですが、今は朝鮮戦役時の朝鮮側の資料や中国側の資料が出てきたことで、その説が覆されたんですよ。「日本軍が輪番射撃をして酷い目にあった」という資料が大量に出始めたので、ああ、やっぱり輪番射撃をやっていたんだと。
ほかの証拠としては、薩摩のお祭りで輪番射撃に近い弓の射撃をしていた記録があります。三列になって順番に弓を撃ちながら前進していくというお祭りなのですが、この祭りの存在から「輪番射撃もやっていたのではないか?」と言われていました。
ただ、直接的な証拠にはなっていなかったんですよ。今では研究が進み、文書や捕虜の発言などといった直接的な証拠が大量に出たので、じゃあもう気持ちよく、ファンタジーでも輪番射撃をしていたという設定を入れましょうと。そんなわけで、本作の冒頭では銃撃によって騎士団が蹂躙される場面から始まります。ファンタジーがズタボロ、みたいなところからやりましょうという感じですね(笑)。
──輪番射撃1つをとっても、しっかりとした裏付けと理屈から描写されているのですね。
芝村:これは“銃の良いところ”の話だったのですが、弓と銃の違いを具体的に説明して、逆に“弓の良いところ”もちゃんと書いています。そもそも、弓が旧式という考え方は正確ではないんですよ。銃が弓に取って代わるまでは、何百年も時間がかかっています。なぜかと言えば、当然ながら弓もそれなりに強かったからです。材料などの問題ではなく、銃と比較して弓にも弓なりの強さと意味があった。という部分をちゃんと書いてあげようと思いました。
じつは、弓って19世紀近くになってようやく消えるんですよね。消えた主な理由は、人件費の高騰。弓兵の技術を育てるのには、とにかくお金がかかるんです。何よりも重要なのは、ゲーム的に言うと弓にはエイムがない! 銃だとエイムが出るじゃないですか。これが大きいんです。弓を感覚で撃てるようになる技術が失伝してしまうので、弓兵を育てるまでに時間がかかっちゃうんですね。
逆に、弓兵が一番最後まで残っていたのはイギリスなんですよ。イギリスのロングボウ兵は長く生き残っていてフランスと激しく争うのですが、この時にクロスボウvsロングボウという戦いが発生し、クロスボウをボッコボコにしました。
クロスボウは力が必要なのですが、弓の威力が強くなって鉄板も撃ち抜けるようになるのでフランス軍が大量に導入したんです。けれども、ロングボウに撃ち負けてしまう。これは、ロングボウのほうが射程が長かったからですね。クロスボウは真っすぐ打つことしかできないのですが、ロングボウだと斜めに撃てるので射程が長い。しかも、山なりに撃てるので弓兵の前に歩兵や騎兵を置くことができました。
つまり、移動弾幕射撃ができたんです。歩兵の前進に合わせて弓をバンバン撃ちまくることが、弓兵ならできた。クロスボウ兵はできなかったので、クロスボウ兵自体が最前列に出てボッコボコにされました。
──お話を聞いてるだけで面白いですよ! そうした知見が大量に盛り込まれている小説なんですね。
芝村:ちなみに、銃でもこれと同じことが起きました。最初期の銃は、パウダー(火薬)を入れます。弾を入れてカルカで叩いて詰めます。そして、銃を構えれば撃てます……というわけではなくて、その前に火縄に火がついていないといけません。さらに、火皿には玉薬というまた別の火薬を入れなくちゃいけません。それでやっとカチッと撃てるという……超めんどくさい!
だから、その面倒くささを解決する戦術が三段撃ちや輪番射撃だったんです。こういったものが発明されることによって、だんだんと使い方が良くなって弓を駆逐していくのですが、今回はそこをちゃんと小説で書こうと思いました。
なぜ、エルフのロングボウ兵たちはいきなり姿を消したのか。なぜ、銃兵の世界になって人間が圧倒的な戦術的地位を取れたのか。そこから再逆転するにはどうすればよかったのかを真面目に書いています。
また、先ほどエイムの話をしましたが、最初期の歩兵銃にはエイムがないんですよ。照星がないから狙いがつけられない。アメリカ独立戦争でも銃にエイムがついていないのですが、猟銃のほうにはついているんです。これは、猟をしようと思ったら動物を狙わなくちゃいけないからなのですが、なぜか戦争の道具にはついていないんです。
──それは不思議ですね。戦争で使う銃にエイムをつけないのは、当たればいいという考えだからでしょうか?
芝村:これはですね。撃つ方も人間だから、人を狙って撃つのが嫌なんですよ。人が人を撃つときは、相手を殺すという強い殺意がないとできません。でも、軍隊には強い殺意があるわけじゃないですよね。
当たり前の話なのですが、軍に連れてこられて「撃て!」と命令されているだけなので、狙いがないほうが撃ちやすいんです。たとえば、「誰かを殺してこい!」と言われてもみんなビビるのですが、「当たるかもしれない銃を撃て!」だったら撃てるんですよ。
そういうことを真面目に書こうとしても、ゲームだと命中率が低い銃は使われないだけで終わってしまいます。命中率が低い銃にもドラマがあって採用された経緯があるのですが、そこは小説で書かないと面白くなりません。
もちろん、漫画でも描けることは描けるのですが漫画だと大変なんですよ。月刊誌でやると、銃の説明だけで1カ月使ってしまうので何の盛り上がりもないまま終わってしまいます。
その点、小説だと1冊ノンストップで読み切ることができるので、良い媒体ですね。
誰にも気づかれないほどのこだわりこそが人の心を動かす
──自分は先に本作のサンプルを読ませていただいたのですが、そこで1つ疑問に思ったことがあるんですよ。あとがきを読むと、本作は「明治時代に翻訳された海外のファンタジー作品を、さらに現代日本語でリライトしたという形で書かれています」とあったのですが、なぜこのような形式をとったのでしょうか?
芝村:これもアホな話ではあるのですが、私が何でも形から入る人だからです。まず、「小説を書くなら浴衣を着るか!」というところから入るので……(笑)。
ファンタジー小説は、もともとおとぎ話や神話がルーツなんですよ。今はおとぎ話から独立したストーリーになっていますが、元をたどるとご先祖様の昔話や神官が話してくれた話がルーツになります。ファンタジーはおとぎ話から派生したもなので、本当は“昔の話”じゃないと駄目なんですよ。
それも、地続きで繋がっていないとファンタジーじゃない。「昔、こういう歴史がありました」という体に繋がらないと、ファンタジーの定義を満たさなくなってしまうんです。
これは今のファンタジーが悪いという話ではないんですよ。今のファンタジーも、それはそれで楽しいものです。だけど、形から入ろうと思うなら「昔々、こういう話がありました」という体じゃないと成立しないんですよ。それを再現するために、今回はまず昔から語られている話を翻訳してみた、という形になっています。
最初に翻訳されたのが明治時代だったので、江戸時代の知己が入っているんです。用語がやたらと時代劇っぽいのも、明治時代に訳されているからなんです。明治時代の翻訳なので、小納戸役などの用語がいっぱい入っています。
センスとして日本風にしたのではなくて、日本語翻訳したときに古い用語が入ったという流れなんですよ。だから、鎧の部品を表す単語も草摺(くさずり)という名前で、日本の鎧の表現になっています。
もちろん、校正した人からは「この用語だと西洋の鎧ではないですが、いいのですか?」と言われました。「いや、コレはそういう意図で書いているので許してください」とやり取りした経緯があります。
──和風の世界観ではなく、明治時代の翻訳小説だから用語が和風! いや~、とても芝村さんらしい描き方で好きです。
芝村:昔からあった翻訳小説を、現代になってリライトしたらイラストが日本風になってしまったんですよ。そういった経緯で「日本のテイストがどこかに出ているというおもしろさがあるといいな」という書き方をしました。
もし、人間を感動させたい、面白がらせたいと思うならば、その話の裏に誰も気づかないようなネタや知識。コダワリを大量に入れないと人の心は動きません。私は「こいつは頭がおかしい!」と言われるくらいになって、はじめて人の心を動かせるレベルに到達しうると考えています。それはゲームでもそうですし、漫画もそうですし、もちろん小説もそうです。その前提で書いています。
──それは、すごく気になりますね。ほかにも、小説に直接書かれていないコダワリがたくさんあると思いますが、いくつか教えていただいてもよろしいでしょうか?
芝村:そうですね。たとえば、本作にはクォーターオークという設定の人物が出てきます。この世界は人間社会が中心なのですが、比較的亜人や人間以外の種族にも寛容な国が舞台なんですよ。
そこである程度出世して、貴族や武家の偉い人まで上り詰めたハーフオークがいて、その娘が4分の1のクォーターオークなのですが、その血筋に関してもちゃんと設定してあります。話のなかではあっさり流されているのですが、じつは母方のほうがオークなんですよ。
「なんで母方がオークなんだよ」と笑って見逃してしまうところなのですが、これは人間社会が中心で、かつ男社会なので父方が人間ではないとその地位につけないからです。
父方がどんなに強いオークでも一兵卒からは出世できませんが、逆に人間側からオークの嫁さんをめとる場合ならその地位を守れる。笑い話のシーンなのですが、そういった背景があります。
出てくる登場人物の血筋には、10代前くらいまでの設定をちゃんと入れて作りました。一番力を入れたギミックと言われても思いつかないくらい、さまざまなギミックがたくさん入っているので、ぜひみなさん読んで楽しんでください。
──それが、人を感動させるための芝村さんらしいコダワリ方なのですね。
芝村:キャラクターがいたとして、彼らが突然何かを話すわけではなく、話すだけの背景があるはずなんですよ。
よく悪い意味でも使われるのですが、「大人は立場で話す生き物だ」という言葉があります。人は常にポジショントークをしていて、編集者という立場で話をしていたり、ゲームクリエイターの立場で話をしていたりといった立場を使い分けながら、その立場に沿った発言をしている。という物の見方や考え方なのですが、それは作中の登場人物も同じなんですよ。
彼らにも当然ながらポジションがありますし、そのポジションらしい発言をすればするほど、おもしろくなるんですよ。あとで気づいたときに、「そうか、この人がこんなことを発言していたのは、こういう背景があるからなんだ!」という部分は、やっぱり大事にしたいと思っています。
ちなみに、先ほど話したクォーターオークの女の子はメチャクチャ可愛いので担当編集のイチオシなんですよ。彼女は14歳なのですが、行き遅れていると言われているんですよ。
「14歳で行き遅れはないでしょう」と言われるかもしれないのですが、江戸時代の資料をみると、そのころは1世代30年なんです。早ければ30歳で隠居願いを出して受理されています。遅くても35歳くらいで楽隠居しちゃってるんです。
もっと上のほうの役職になると隠居できなくて、「毎回、江戸城を登るのが辛い」という記録が散見されるのですが……。真剣は2キロくらいの重さがあるので、刀を腰に下げていくのが辛かったんでしょう。刀がずり落ちないように帯をキュっと締めるうえに、裾が長くて歩くのが辛かったそうです。
私のご先祖なんて、途中で刀を竹光に変えていたそうですからね。そして、急にシャキッと立ち上がったので「お前、竹光に変えただろ!」と怒られたとか(笑)。
今の30歳は若造と言われる年齢ですが、江戸時代初期の30歳は年寄りで孫もいます。30歳で孫がいるということは、その半ばくらいで子どももいるわけです。この小説でも、15歳で子供ができて30歳で孫ができるという当時の習いをちゃんとやりたかったのですが、それが当然のように世界観として書かれていると、たぶん読者は「なんじゃこりゃ?」という話になっちゃうと思うんですよ。
なので、読んでいくうちにその世界へ馴染んでいけるように、現代人と近い年齢感覚を持ったエルフに合わせた記述をするようにしました。だから、主人公はエルフの養い子という設定なんです。
母親のエルフも60歳なのに見た目が12歳くらいなのですが、これにも事情があるんですよ。もちろん、最初に書いたときは周囲から「なぜ、幼女のお母さんという特殊性癖の扉をこじ開けるようなことをするのですか?」と言われて、物議を醸すかなと。
「いや、そんなことを言われても事情があるんです!」と設定を開示したんですけど、どう見ても私の言い訳にしか聞こえない。長文で言い訳を書いているように見えちゃうんですけど、お許しをいただきました(笑)。
片桐さんの読解力で、想定以上にいい物となったイラスト
──本作のイラストについてもおうかがいしたいのですが、最初にイラストを見たときの印象はいかがでしたか?
芝村:もっとファンタジー、ファンタジーした物が出てくると思っていたら、想定よりもおもしろい方向に行きました。イラストを担当された片桐雛太さんが、ちゃんと文章を読まれてからイラストを描かれているので、矢筒に模様がビッシリと描かれているといった和風のテイストが入っています。
明治時代に翻訳された小説を現代にリライトして、今の絵師がイラストをつけたから若干和風が入った、という世界になっていますね。
──狙い通りになっていますが、芝村さんからのリクエストがあったわけではないんですね?
芝村:ないです。片桐さんは突然文章を渡されて見たまま描いているのだと思います。主人公のガーディも美少年として描いてくれればいいかな、くらいに思っていたのですが、ちゃんと黒髪になっているんですよ。文章では書いていない部分も拾ってくれていて、読解力が高いですね。
だからイラストのチェックはしていたのですが、ダメだしはまったくなかったので早かったです。一部、イメージ以上のイラストが出てきたときに「これは、おもしろいね」という話をしていました。
あとはオッサンですね。グランドラ王というとんでもないタヌキジジイが出てくるのですが、このキャラクターもしっかりデザインされていて、すごいなと思いました。本当にタヌキジジイっぽく描いているんですよ。
後編では、芝村氏の仕事術やゲーム制作時のこぼれ話などを掲載!
芝村氏らしいコダワリとウンチクがたっぷり詰まった『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』は、9月25日にMF文庫Jから発売予定となっている。中学生や高校生などの学生はもちろん、ゲーマーや芝村氏のファンでも楽しめる小説となっているので、書店で見かけたらぜひ手に取って欲しい。
ラストとなる次回のインタビューでは、芝村氏の仕事術やゲーム制作時のこぼれ話などを掲載。こちらも非常に興味深いものとなっているのでお見逃しなく!
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『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』
- 発行:KADOKAWA
- 発売日:2019年9月25日
- 価格:620円+税