曹操、赤兎馬に鍛錬の極意を教わる!?【三国志 英傑群像出張版#6-1】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 今回のテーマは「曹操(そうそう)」です。

 曹操の民間伝承はたくさん日本でも知られているのでそれ以外を、となるとなかなか少ないのですが、出来るだけ変わったものをご紹介していきたいと思います。

 ここでちょっと雑談。

 前にもちょっと書きましたが物語である「三国志演義」の魅力の一つに龍や鳳凰、仙人が登場し、幽霊がでたり、風を吹かせたり、延命儀式をしたりなどファンタジー要素があります。

 1800年も前の人物たちが生きた時代から、物語が出来ていった時代は今のように科学が進んでおらず、占いなどでも物事を決めていた時代です。

 歴史書「正史三国志」ですら龍が出たとか書かれていますし、怪異ばかり書かれた書物からの引用もありますのでしかたない面もあります。

 吉川英治三国志や横山光輝三国志では、現実的にしたかったのか怪異部分は極力省き、違う表現を用いたりしています。

 たとえば基本、幽霊は登場させず、本人の精神異常とか、夢にでてくるなどに替えられています。しかし共に「仙人」だけは何故か省かれずに残しているという不思議があったりもします。面白いので省かないでおこうと二人が思ったのかもしれません。

 そんな三国時代にあって、<曹操は超現実主義者>です。きっとオカルト的な事は信じてなかったことでしょう。

 さて正史三国志の注にも記載されているものと共通するこういう話があります。

曹操、土着信仰を禁止する

 曹操は青州(せいしゅう)・済南(さいなん)の相に昇進した。前漢の劉章(りゅうしょう・蜀の劉璋ではないよ)の死後、祠堂を建てることが許された。

 特に済南では、神の祠や廟だけでも600社以上あったという。かつては町にも村にも、いたるところに祠があった。

 大きな祭りの日には、太鼓やお囃子が遠くから聞こえてくるほどの大音量で行われた。地主や豪商、大物たちも、主宰者という立場で、家々への配分を強要し、その多くが彼らの私腹を肥やした。

 当時、済南の人々は、戦争や天災の傷に苦しみ、さらに神々の祭祀が激化し、人々はさらに苦しんでいた。

 この日の夕方、ある大きな寺で朱県令という人が役人や豪商を率いて本堂に入りお参りをした。

 お参りの後、お供え物を奥の間に移し、豪華な宴会が始まった。朱県令が乾杯しようとしたとき、空が崩れたような大きな音がして、酒盃が地面に落ちた。

 「本堂の神殿の壁が崩れました!」兵士が報告する。「どうして急に壁が崩れたんだ?」と問われると、「兵士の一団がやってきて、彼らが押し倒しました!」兵士たちは恐る恐る答えた。

 朱は怒って本堂に行くと、兵士たちが壁を壊しているのが見えた。「お前たちは反乱分子か!白昼堂々、祠を破壊するとは何事だ!?」と言うと「どうか怒らないでください」と兵士の一人が言った。

 続けて兵士は「やれと言ったのは済南の相さまです」と答える。「どこのだれだ、よくもまあこんなことを。」と朱は言い、兵士は「新任の済南の相【曹操】さまです。かつて洛陽北部尉だった方です!」と返した。曹操だと聞いて、朱は体が半分冷たくなったように感じた。

 飲食していた官吏や豪商たちも、曹操が済南の相になったと聞いて驚き、皆そっと裏庭を抜け出した。その後、立派な祠があっという間に廃墟と化してしまった。

 曹操が済南に到着すると、いたるところに祠や廟があり、迷信が横行し、民衆から不満の声が上がっていた。

 民心を安定させるためには、曹操はまず宗教儀式を禁止することから始めなければならないと考えた。そこで、朝廷が認めた一部の廟を除いて、すべて取り壊すというお触れを出したのである。

 <儀式は禁止! 違反した者は厳しく罰す>

 誰であろうと厳しい処分を受けた。1ヵ月足らずで済南の民間の祠や廟をすべて壊され、民衆に拍手喝采を浴びた。同時に曹操は、済南の10余りの役所のほとんどが賄賂を受け取っていることを突き止めた。

 ほとんどの役人が賄賂を受け取り、金持ちや権力者に服従していた。役所の後ろ盾を当てにして、平気で法律を破り、歴代の長官は誰一人として、あえて報告しなかった。

 しかし、曹操は恐れることなく、綿密な調査の結果、儀式を指揮した朱県令を含む8人の汚職奉行を罷免した。その結果、済南の社会的雰囲気は大きく改善されたという。

曹操と赤兎馬

 “曹操の馬酔木(あしび)の溝”と言われる場所がある。

 ある夜遅く、曹操は兵舎を点検するために起き上がり、知らず知らずのうちに再び訓練台にやってきていた。

 その時、突然、馬のひづめの音が聞こえた。曹操がよく見ると、馬が野原を飛び回り、時には空中で飛んでいるのが見えた。それは呂布が使っていた赤兎馬であった。

 曹操は喜び、「この馬は一日に千里を走るのも不思議ではない、夜も自ら訓練しているのだ!」と言った。

 曹操は壇上から降りてきて馬に近づき、汗ばんだ体を撫でて、「なんという神馬だ」と感慨深げに言った。

 「我が将兵が皆、君のように勤勉であれば、戦に負ける心配はない」そう言って、馬を台南の水場に連れて行き、水を飲ませた。

 そして、諸将を緊急招集し、汗だくの赤兎馬の周りに集まって夜間訓練について話し合うようにと言った。みんな一言ずつ話して、ようやく“技能は練習してこそ身につくものだ”ということに気がついた。

 これを聞いた曹操は大喜びで、兵士たちに夜の赤兎馬の様子を伝えて、鍛錬を促すようにといった。

 いかがだったでしょうか?

 1つ目の土着信仰禁止の話。史実にない部分としては、宗教の弊害というより、“それを利用した人間が私腹をこやしていた”ということですね。結局、いつの時代も“怖いのは幽霊とかより人間”ということかもしれません。

 曹操は、ほんと若い時はバンバン取り締まりを行った人物です。法律を厳しく実行するところは孔明とも通じますね。カッコイイ!

 「鬼平犯科帳」とかみたいな取り締まりだけするみたいな曹操主役のドラマが見てみたいなとふと思いました。「孟徳取締り帳」みたいな。

 2つ目は赤兎馬の話。三国志演義で呂布が倒れた後、赤兎馬の次の持ち主が曹操、その後、関羽へと渡っていきます。

 曹操と赤兎馬の直接的な話は三国志演義にないので補ってくれるこの話はうれしい補間ですね。赤兎馬が努力していたなんていうのも素敵!

 次回も曹操の民間伝承を続けます。

三国志イベント報告

 今月もKOBE鉄人三国志ギャラリーでは、三国志ゲーム会イベント「三国志ゲームラボ」を5/21に実施しました!

 ウォーゲームなどは時間が掛かりすぎて難しいので、初参加の人にも入りやすいようにほぼやりません。

 今回も簡単でお手軽ながら【三国志気分をたくさん楽しめる】アナログゲームを遊びました! といっても、そんなゲームは世にあまりないのでほとんどはオリジナルで考えたもので遊んでいます!

今回遊んだゲームを紹介

三国志ワードゲーム【五虎将軍】
 新作。漢字カードから三国的言葉をつくるもの。評判良かったです!

三国志人材登用ゲーム【三国志】
 武将をスカウトするドラフト会議モード、その後その武将から5名を選び戦うバトルモード。完全度も上がりはやく商品化したい!

曹丕の遊んだゲームを再現
 三国志版おはじき。コントロールがすごく難しい。

三国志ポーカー
 10年以上やってる定番。三国志のストーリー、見た目など何でもありで人物を集めて皆にプレゼンして出来具合で勝者を決めます!

 次回は6/18(土)16時半から開催します。気楽に三国志を楽しむ会です。三国志気分を楽しむのが目的なので、初心者や初参加大歓迎です! 神戸三国志観光と共にぜひご参加ください! 詳細は下記参照!

開催日時:6/18(土)16時半~
要予約:ご予約はこちらから
場所:KOBE鉄人三国志ギャラリー
料金:1,000円(お茶付)


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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