曹操もやはり卞夫人には頭があがらなかった?【三国志 英傑群像出張版#6-3】

電撃オンライン
公開日時

 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 今回も「曹操」の民間伝承を紹介していきます。

 今回は曹操と卞夫人(べんふじん)のお話を紹介しましょう。

 三国志演義でも曹操と夫人たちとの話はいくつか登場します。

 とくに印象深いのは曹操が臨終の際に側室たちに、「針仕事をして靴を作って生活せよ」と言う所。そんなところまで気が利く曹操凄いなあと、印象に残るお話です。

曹操VS卞夫人

 曹操は許都にいるとき、よく兵士を率いて許田に狩りに行った。

 あるとき、兵士たちが鹿の群れを川岸に追いやったとき、曹操は馬上から弓を引いて鹿に矢を放った。2頭の鹿が地面に倒れた。兵士たちは拍手を送り、曹操は一本の矢で二頭の鹿を仕留めたことが嬉しくて思わず大笑いした。

 曹操の笑い声の最後に、茨の茂みから男が出てきて敬礼した。「閣下、私が鹿を撃ちました。どうかお返しください」と言う。

 曹操は不愉快になり、屈強そうなこの男に無表情で「どこに証拠があるというのだ?」と言った。男は、「鹿の首に私の矢が刺さっているはずです」と言う。

 曹操は部下に命じて鹿を連れてきて、矢を調べさせた。しかし部下たちは曹操を喜ばせるためにすでに矢を処分していた。曹操は鹿の首に矢がないのを見て顔を曇らせた。

 男は「閣下、矢はどこ隠されました。あなたはそういう方だったのですか。」と冷たく言い放ち去っていった。

 曹操は許都に戻ると、「一本の矢で二頭の鹿を射たことを祝う宴」を開いた。宴会は賛辞に包まれた。

 その後、曹操の息子、曹植(そうしょく)は、鹿をめぐる父と男との戦いのことを母に話した。曹操の性格をよく知っている妻の卞夫人(べんふじん)は、それを聞いて茶や食べ物も取らず日に日に体重が減っていき病んでしまった。

 曹操は妻が病気であることを知ると、有名な医者を呼んで治療をさせたが体は病気ではないという。曹植は父に、母親が心の病にかかっていること、”心の病は心の薬で治さなければならない”と告げた。

 曹操は何度も何度も妻に懇願しその心中を問いただした。卞夫人は、無言で一言も発しない。絶望した曹操は地面にひざまずき懇願した。

 卞夫人は、ようやく心の扉を開いて「一本の矢で二頭の鹿を射ることができますか? 一本の矢が鹿の首をもう一本の矢が鹿の背中を貫いたのを見ましたか?」と問う。「私も信じられないが、部下がそう言うので困っているのだ」と曹操は返す。

 卞夫人は、「世間に正しく扱われたければ、まず自分が世間を正しく扱わなければならない事は分かっているはずです。世間を騙して、どうして民衆の心をつかむことができるのですか。」と諭した。

 曹操はその妻の言葉に納得反省した。彼は部下を率いて、鹿を射止めた男に償いをした。しかし、男は曹操の振る舞いを不服とし身を隠して隠遁生活を送った。

 曹操は自分の過ちを正すために、鹿狩りの跡に土壇を築き“戒めの壇”と名付けた。それ以来、曹操は聞き役に徹し、常に控えめに部下と話し合い、民主的で平等な雰囲気の中で自由に発言できるように促した。

 最初は部下が言うことを聞かないこともあったが、一度納得すると快く受け入れてくれるようになった。

 曹操は時に頑固に自分の意見を主張することもあったが、後に自分の間違いに気付くと、率先して自分を批判し、謝罪し、修正できるところは修正するようになった。

曹操のお香の行方

  • ▲2009年に発見が公表された曹操高陵とも称される曹操のお墓の入り口。

 頭痛持ちの曹操は香りが好きだった。香りを嗅ぐと頭痛が和らいだ。彼は各地へ行くたびに、お香など、良い香りのものを探した。時が経つにつれ、蔵の中はこれらの香材でいっぱいになっていった。

 曹操には13人の妻、9人の娘、25人の息子がおり、宮廷には何百人もの宮女や侍女がいた。全員の衣服のために、毎年大量の絹や錦を作らなければならなかったのだ。

 曹操はもともと質素で派手なことを好まなかったので、息子たち、姫や歌姫も質素で、刺繍の入った服や色とりどりの靴を履いていない。こうして毎年、何千枚もの錦が魏王の宮廷に余って保存されるようになっていった。

 曹操が老いたとき、卞夫人とこの物質についてやり取りがあった。

 卞夫人「魏王、このたくさんの貴重な香辛料や錦をどうしたらいいのでしょうか?」

 曹操「あなたはどう思う?」

 卞夫人「売ってあなたのお墓を建てたらいいと思います」

 曹操「私は以前から、国の統一のために将軍になり賊を倒して名を残すことだけを願ってきた。100年も経てば、葬儀も簡素になるはずだ。私の墓は、封印もせず、樹木も立てず、洞窟を掘って、金をかける必要はない。」

 卞夫人「では、この宝物を子たちと王女たちに分けてください」

 曹操「ダメだ。彼らは衣食住を気にする必要はないはずだ。」

 卞夫人「では、王はどうしたいのですか?」

 曹操「私の死後、すべての歌姫や宮女は結婚させてあげるべきだ。みんな平民になり衣食住がなくなるから、持参金としてこれらのものを配ってあげようではないか。」

 こういったやり取りがあり、曹操の死後、卞夫人はその意向を受けてすべての歌姫や宮女を嫁がせ、名香、錦、金銀をすべて彼らに分配し、“香錦の分配”の物語を残した。

 いかがだったでしょうか?

 三国志演義第20回では「許田の巻狩り」という話が登場します。

 曹操が献帝と鹿狩りに出かけて、献帝の弓矢を借りて鹿をいるというもの。曹操の不遜なところが表現されたシーンです。

 今回、同じ許田の地ながらもまた別の話でした。曹操はヒール役として扱われがちですが、反省して改善するところは素敵です。

 質素倹約の曹操は日本の武士みたいですね。実際、近年発見された曹操の墓は凄く質素な作りでした。

 葬儀が簡素になるって予言。すごい先見性。今の我々も一昔前にくらべ家族葬が増えていますからすごく納得がいきます。

 さらに曹操も素敵ですが、卞夫人も良妻ですね。今回でとりあえず「曹操」は終わりです。

 そうそう、「KOBE鉄人三国志ギャラリー」では曹操の民間伝承を活用した謎解きを用意しておりますよ! ここでは紹介しなかった内容なのでいつか遊んでみてくださいね。

 それでは、次回も三国志民間伝承を続けますので、お楽しみに!


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



関連する記事一覧はこちら