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陸遜、天書を老師から得る。愛され都督にまつわる逸話3選【三国志 英傑群像出張版#8-2】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 今回のテーマも[呉]の人物から、呉の四大都督(よんだいととく)4番手・陸遜(りくそん)を紹介していきたいとおもいます。

 呉の軍事的指導者で周瑜、魯粛、呂蒙につぐ4代目の大都督です。

 物語の三国志演義でも史実でも関羽を倒す一役を担い、そして劉備を“夷陵の戦い”で直接倒し、演義ではいわば敵役ではありますが、あまり悪く描かれない不思議な人物でもあります。

 そんな名将陸遜の民間伝承をご紹介したいと思います。

陸遜、天書を老師から得る

 陸遜湖のすぐ南には美しい黄山がある。三国志の時代、この山には道教の老師が住む寺があった。

 この老師は“推算図”という特殊な書物を身につけていた。伝承ではこの本を読んだ人は、自分の知識が増えるだけでなく、今から前後五千年の過去と未来の出来事を知ることができる。

 だから、まさに“宝の本”である。誰がそれを買いに行こうとも老師は購入を拒否した。

 当時、陸遜は公安(こうあん)という場所で水軍を養成しており、このことを知った陸遜は、老師に助言を求めるため会いに向かった。

 小雨の中、陸遜は一人で寺にやってきた。廟の中に入ると、老師が足を組んで地面に座り、手を合わせて目を閉じているのが見えた。

 「60年以上もここで修行されているとか、古今東西でも珍しいですね」と、丁寧に声をかけた。

 老師は客のその言葉を聞くと、目を見開いて微笑み、「私は腰に二点のある道士、下に衝撃のある僧侶です!」と答えた。それを聞いた陸遜は、自分が試されていることを感じた。

 彼はしばらく考えた後、謎を解いた。「“道士の腰に二点”というのは“平(士+八)”という字で、“和尚の下に衝撃”というのは“常(尚+巾)”の字【平常】ということですね? しかし、あなたは平常ではない、修行し、説教し、宝の書を隠しているという。どうして普通と言えるのでしょうか?」

 その言葉を聞いた老師は、陸遜を奥の部屋へ案内し言った。「嗚呼、私は、上でもなく下でもなく、上になく下にない。人はその大きさに負けず、天は大ほどではない」と。

 陸遜は考え込んで、もう一度謎を解いた。「答えは“一人”という字であることがわかりました。」(漢字のなぞなぞです)

 それを聞いて、老師は一言も発しなかった。そして秘蔵の本“推算図”を取り出して陸遜に渡そうとする。

 それを見た陸遜は、何度も弁解して言った。「私はあなたの助言を求めに来たのです。本はいりません!」

 老師は応じず、「あなたのような才能のある人は、将来、必ず世界を支配することになるでしょう。この本をあなたのような人に渡せば、私は安心です。」

 陸遜はそれを受け入れるしかなかった。その後、陸遜はこの書物から多くの知恵を得て多くの戦いに勝利した。

陸遜、機転で皆を救う

 三国時代、東呉の陸遜は公安の青布湖で水練を行っていた。

 ある時、陸遜が船の舳先に立ち、緑色の戦衣を着て黄色の旗を持ち、湖上を行き来する百隻の船を指揮していた。

 すると突然、空が暗雲に覆われ激しい風が起こり、湖水に白波でたち沸騰する鍋のように荒れ狂った。船の底までもが持ち上げられ、船は波に翻弄されて転覆の危機を迎えていた。

 兵士達は呆然自失となり、陸遜にこの災難から救う手立てはないかと助けを求めた。陸遜は彼はとても落ち着いており山のように揺るがない。

 彼は黃色の旗を振って、「直ちに船底を破れ!」と命令した。

 「このような悪天候では、船は風と波に飲み込まれる危険性があります。さらに船底を人為的に突き破れば、火に油を注ぐようなもので、自ら死を招くようなものではありませんか?」と兵士達はいう。

 しかし、誰もその命令に逆らう勇気はなく、剣や槍ですべての船底を突きやぶった。

 兵士達はこの状況の中で、船のバランスを保ちながらゆっくりと岸まで船を漕いでいった。船が接岸すると、陸遜は命令して船と人数を数えさせたが、一艘もひっくり返らず、一人の死者も出さなかった。

 将も兵士もみんな陸遜のところにやってきて、「危機の最中に、船底に穴があけて、さらに危険な状態になりました。どうしてでしょうか?」と問う。

 陸遜は微笑んで言った「風が強すぎた。水に浮かぶ船は転覆し、兵は湖に落ちて死ぬだろう。しかし船が水に沈みながらだと、どんなに激しい風も波も、私たちを止めることはできない。」(船艇に水を入れることで底部の重みを増やし転覆を一時的に回避し兵が死ぬのを防いだのだった)

 それを受けて改めて、兵士たちは彼を心の底から尊敬した。

陸遜の詩が地名を作る

 三国時代、水月湖という大きな湖があった。水は深く緑色で、波は緑の碧玉翡翠のように澄んでいた。

 湖の東側には、謝家台、麗家台、張家台という三つの【台の文字】がつく村があった。

 呉が荊州を奪還した後、孫権はこの風水的にも良いこの地を気に入り、兵士をここに駐屯させ、毎日湖で訓練と練習をさせていた。

 ある夜、将軍の陸遜がこの湖を訪ね馬に乗り、湖畔をゆっくり歩いていると、湖に白い波が立っているのが見えた。

 月がきれいな日で、風もなく、雨も降らない、波はどこから起きるのだろうと思った。よく見ると、兵士たちは湖で水浴びをしており、皆、生き生きとした表情をしていた。

 陸遜もそれを真似して、馬を繋ぐと離れた場所を見つけ、湖に飛び込んで泳いで、水浴びをしてからあがった。

 月明かりに照らされた湖は穏やかで、謝家台、麗家台、張家台の各家が水面に映っている。この光景を見て、陸遜は詩を詠んだ。

 “三台は水月の中にあり、水月は三台の上にある”

 この詩は人々の耳に届き、地元で好評を博した。それ以来、人々は湖の北部を“水月”、南部を“三台”という地名で呼ばれるようになった。

 いかがだったでしょうか?

 1つ目、陸遜が過去と未来を知る本を手に入れる話でした。謙虚で利口な彼だからこそ得ることができたのかもしれませんね。

 2つ目、陸遜の指揮力の高さと機転の凄さが伺われるお話でした。潰すことで新たなものを得るという発想力は勉強になります。

 3つ目、陸遜が詩をつくるというのが面白くて選定しました。なんだか、日本の“天橋立”を思い出しました。景色が上下反転してもやはりキレイという点に共通点を感じます。

 今回は違いますが、地元では陸遜ゆかりで“陸”とつく場名がいかに多いことか。彼の仁徳と地元人気にびっくりします。名将の条件ってこういう所なのかもしれません。

 次回も三国志の民間伝承などを紹介してまいります!


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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