天才軍師・荀彧の人材発掘術とは!? 【三国志 英傑群像出張版#10-1】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。


 三国志のあまり知られていない逸話を紹介しております。

 今回はまた元に戻って【魏の人物】にスポットをあてて紹介していこうと思います。

 まずは曹操の軍師・荀彧(じゅんいく)のお話から。

壁を越える賢者

 荀彧(じゅんいく)は20代で曹操の軍師となり、軍事計画や政治運営で曹操を補佐し、曹魏の北方統一に貢献した人物。

 彼がたくさんの人材を曹操の元に連れてきたことは有名な話である。その逸話がある。

 京兆杜陵の出身で、杜畿(とき)という20歳の青年が、かつて県令をしていた。建安初年、杜畿は許都にやってきて、友人の耿紀(こうき)のもとに滞在した。

 耿紀は当時、宮廷の役人であった。二人は夜な夜な、世の中の動きや時事問題について熱く語り合った。

 隣人である荀彧は、夜、その隣で語り合う杜畿の大きな声を聞いて、彼が学問と見識に優れた人物であることを知った。

 翌日、荀彧は耿紀の家を訪ねて、「昨夜は良い夢を見ることができました。あなたの家に賢者が来ましたね」と言った。耿紀は笑いながら、「荀彧様は本当に『壁を越える賢者』ですね!」と言う。

 荀彧は、「朝廷の役人として、国を治める人材がいることを知りながら推薦しなければ、無駄に給料をもらっている事にはなりませんか?」と言う。頷く耿紀は杜畿の存在をあかした。それにより荀彧は曹操に杜畿を会わせた。

 曹操は杜畿に会うと非常に喜び、「あなたは遠大な視野と優れた頭脳を持っており、稀に見る才能の持ち主である」と言った。その後、西平太守に就任した。その後、彼は高幹の反乱を鎮るなどの活躍をしていく。

荀彧が金を得る

 ちょっと変な話ですがまずはご覧ください。

 三国志の時代、許昌城の北道近くにある大きな柳の木の下で、荀彧という人が茶店を開き、お茶を売って生活していた。家は貧しく、30歳を過ぎていたが、妻はいなかった。

 ある日、太陽の日差しが暑い日。北から来た早馬が茶店の前に止まり、将が馬から飛び降りた。将は馬を柳の木につなぎ、袋を取り外して腰掛けに乗せ、「喉が渇いた」と叫んだ。

 荀彧はあわててお茶を持っていったあと、話の途中でこの男が曹操に亡命した将であることに気がついた。

 彼は大きな茶碗を4、5杯飲み干し茶代を払うと、急いで馬に乗り込み、先を急いだ。ずっと進んでいると、茶店に荷物の袋を忘れてきたことを思い出し引き返そうと思ったが、茶店の主人が盗んで知らないというだろうと思い、戻らずにその道を進んだ。

 3年後、曹操軍の幹部となったその将は、軍の様子を見に行く途中、茶店の前を通ると馬を降り、「あの宝で一儲けしたと思ったが、なぜまだこんなに貧しいのだ?」と言った。

 荀彧は不思議に思い言った。「閣下、貧しい私がどうして金持ちになれるのでしょうか?」曹操は「私がわかるか? 3年前、大きな宝物が4つ入った袋を忘れていったものだ。」と返す。

 荀彧はそれを受け「あ、そうでしたか! あなたが出て行った後、半日待っても戻ってこなかったので、柳の枝の下の穴に袋を入れそれ以来触っていません。」と言う。

 探してみると袋は宝物とともに残っていたが、布は汚れていた。男は荀彧の人柄を賞賛し宝を渡して、侍女の一人を荀彧の妻にすることを約束した。

 その後、荀彧は4つの宝物を金に変えて貧しい人々らに与えたが、自分では一切使わず、お茶を売り続けた。その徳は広く称えられることになった。

 数年後、荀彧の妻は8人の男の子を出産した。成長すると全員が重要な役人になった。その墓には8本の檜が植えられた。これは彼の徳の高さと8人の息子たちの非凡さを象徴している。

 この塚は後世“八龍塚”と呼ばれるようになった。

 1つ目、荀彧が人を推薦した話は有名で、いくつもありますがその中の一つの逸話が紹介されています。

 杜畿を推薦した話は歴史書にありますが、隣の家の声を聴いて推薦したというのは歴史書にもたぶんない話。荀彧が人材を見抜く力が凄いだのなぁと改めて思い知らされる話でした。

 さて2つ目の話、ツッコミどころ満載です(笑)。

 名門の荀彧が貧しいという話は聞いたことがないです。しかもいつになっても曹操の軍師にならずお茶屋さんのまま(^^;)

 “八龍塚”という場所、実は今もあって私は行ったことがあります。

 今は“漢荀氏八龍塚”と呼ばれています。ですが、その墓は荀彧の祖父・荀淑(じゅんそう)とその息子たち(荀彧の父と叔父たち)の墓と言われています。

 となると、この話は荀彧ではなく荀淑の話なのか?

 しかし曹操の名前が出てきますしいろいろ伝わるうちにごっちゃになったのかもしれません。荀淑は官位を捨ててひっそり生活し、財産も人にゆずったといわれているので、そういうところから出たものが荀彧と一緒になって伝わったのかもしれません。

 どちらにせよ。荀彧、荀淑ともに良い人だというのは伝わってくる逸話でした。

 次回も魏の武将の逸話を紹介したいと思います。

三国志祭 当夜祭開催!

 今年の三国志祭の当夜祭は造形&プチ講座イベントです。

 簡単な三国志的造形を5つほど作り、それに関するプチ講座などを含めて実施します! 小学生から参加可能。三国志気分で楽しみましょう!

人数:限定20名、要事前予約(三国志ギャラリーまで)
料金:2,000円(材料費含、コスプレ参加OK)
※造形を作らない付き添いの方:500円、1名まで
日時:11月6日(日)17時~20時

★ゲスト予定 (一部オンライン参加)
龍谷大学 竹内真彦教授
ナレーター 樹リューリさん
俳優 鎌倉太郎さん
研究家 一条さん
協力:暗唱空域
進行:KOBE鉄人三国志ギャラリー館長岡本
主な内容(予定)
・三国志的冠作り&プチ講座
・竹簡メモ帳で詩作りゲーム
・プラモデルで三国志風
・プチ木牛流馬つくり&プチ講座
・1人1枚三国志紙芝居作り


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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