貂蝉、月夜に美女連環を誓う! 【三国志 英傑群像出張版#12-1】
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三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。
今回の人物は三国志の物語(三国志演義)で紅一点ともいうべき貂蝉(ちょうせん)です。
実在しないと言われますが、歴史書では「呂布が董卓の侍女と密通していた」とありモデルになる人物がいたりします。
また、呂布の将である秦宜禄(しんぎろく)の前妻で、関羽が妻にしたいと言い、のちに曹操の側室となった杜氏(杜秀娘)が貂蝉のモデルだと考える人もいるようです。
日本で知られる貂蝉の民間伝承では、名医・華佗(かだ)が古代の美女・西施(せいし)の首をつけかえた女性を貂蝉として王允(おういう)が利用したという話があります。「サイボーグ貂蝉」とでもいうべきお話。
それ以外で知られていない話がいくつかあるのでご紹介したいと思います。
貂蝉との出会いと名前の由来
ある日、王允が出かけた先で、目の前に風に揺れる柳のように歩く女性(美女の定型句)がいて、その後ろから紫煙を巻き上げまるで天女が降りてきたかのようだった。
王允は唖然として、輿を降ろして部下に言った、「目の前にいるとても優雅な女性を早く呼んできてくれ!」と。
役人が駆け寄ると、そこには美女がいない!? 王允は幻覚を見たのか。ただ、道端に浮浪者の女の子が丸まって寝ているだけだった。
王允は「私は彼女をはっきりと見た。いないわけはない」とその話を信じない。しかたなく役人に少女に話を聞いてみてもらった。
少女は汚れて破れた袖で、汚れた黒い顔であったが、よく見ると本当に美しかった。そこで役人は一緒に来るように少女を連れて王允の元に歩いてきた。
王允はこの身寄りのない少女をかわいそうに思い養女として引き取ろうとした。少女は「このまま生きていくのがいい」と言ったが最後は養女になるのを承知した。田舎に生まれ親もいない少女を、王允は宝物のように可愛がった。
王允は彼女の名前として【貂(てん)は山の貴重な獣で、蝉(せみ)は露を飲み少女に成長するという伝説】があることから、「貂蝉」という名前をつけた。
貂蝉 月を拝む
貂蝉は王府に入ってからは歌舞の稽古をし、琴や弦楽器を弾き、王允から実の娘のように可愛がられてた。
16歳のある夜、家の裏庭にある「牡丹亭」に行き、香を焚いて月を拝んだ。その頃、王允は董卓が権力を握り王朝を乱していることに悩み眠れずここにやってきたところ、貂蝉と偶然に会いこんな会話がなされた。
貂蝉「お父様に私は自分の子のように扱われているのに、どうして私に悩みを告げてくれないのですか?」
王允「お前は、なぜ香を焚いて月を拝み、長いため息をつくのだ?」
貂蝉「一日中、お父様のお顔を見ていると、きっと何か大事な国事があるに違いないと思い、香を焚いて月に拝み、この難局を乗り切れますようにと神にお願いしてました。」
王允(驚きながら)「このような心を持ってくれているとは思わなかった。漢王朝にとって大きな恵みである。」
貂蝉「お父様には骨になっても返せないほど親切にされました。少しでも役に立てるのなら、死を恐れません!」
王允「裏切り者の董卓は、国と人民にとって害悪である。彼には千人の勇敢で優れた戦士がおり、さらに呂布という右腕がいる。私は「連環の計」でお前を呂布と董卓に同時に婚約させ、二人を引き離し、呂布の手で董卓を殺させ、さらに呂布を倒して王朝を正し人々を落ち着かせたいと考えついた。どうだろうか?」
貂蝉「私は以前から董卓の謀反を憎んでいましたが、ろくな策もなく香を焚いて月を拝み、神に助けを求めています。今この時、お父様の言葉は私の心の言葉であり、私は言われたとおりに裏切り者を殺すつもりです。もし成功しなければ、私は剣で死ぬ覚悟です!」
その後、呂布の手によって董卓は殺された有名な【美女連環の計】はなった。
貂蝉、鹿を救う
建安3年、曹操は呂布を下邳城の白門楼で殺害し、妻の貂蝉を捕らえた。その後、曹操は彼女と幼い息子を許都に連れ帰った。
許都に滞在していた時、曹操に連れられて許田林苑での狩りを見に行ったことがあった。曹操が狩りに夢中になっていると、突然森から雌鹿が飛び出してきて、その後に小鹿が続いた。曹操は後ろから矢を放ち、それが雌鹿に命中した。
曹操が小鹿を撃とうとしたとき、貂蝉は曹操の前で「雌鹿は傷つき、小鹿は哀れなので、慈悲を与えては頂けませんか?」と土下座して泣きながら懇願した。
曹操は矢を回収し、貂蝉親子が徐州の寒い場所にいたことを思い出し、「誰でも子への愛情はある」と感慨深げにいった。
これを聞いた貂蝉は涙を流し、急いで外套(マント)を解いて雌鹿を拾い上げ許都に送り返したところ、名医・華佗に救われた。
その後、雌鹿は森に戻され、親子で再会することができた。それ以来、この鹿の救出劇は各方面で語り継がれている。
今でも許昌の東には「鹿射台」があり、曹操が献帝に同行して鹿を狩った場所と言われている。壇上の横には井戸があり、貂蝉の涙から水が湧き出したと言われている場所もある。
いかがだったでしょうか?
最初の話、貂蝉とは「漢代の高位高官者がかぶる冠の飾り(テンの尾とセミの羽)」から来ているとよく通説でいわれますが、民間伝承のこの説もいいですね。
2つ目の話、私は三国志グッズを扱って20数年になりますが、中国の伝統的なグッズから三国志を知ることがよくありました。
日本ではあまり知られていませんが中国で貂蝉といったら【線香を持っている姿(月を拝んでいる)】が基本です。
中国四大美女の絵があるとき、貂蝉の区別はこれでしてください。このシーンは三国志演義にも出てきません。実は上記の民間伝承が由来です。「貂蝉拝月」といいます。
「ほぼ三国志演義と一緒」と思いますが、演義ではこの部分が「泣いている」だけに変わっています。演義の原点【三国志平話】ではちゃんと【お香】をたいていますし、貂蝉と呂布は元夫婦で離ればなれだったりと色々と改変があったりします。
次回も貂蝉のお話を続けたいと思います。
横山光輝三国志の交流会開催
毎回、横山三国志の決めた登場人物にテーマをおいてシーンを見ながら交流します! その武将について語り合いましょう!
三国志の話題を皆と話したいけど周りにいない人などはお薦め! あまり難しいすぎる話はしないがモットー! 5年かけてやった横山三国志研究成果も入れていきます。
開催:毎月第3日曜日、要予約
第2回:12月18日(日)、曹操
時間:17時~18時頃
※内容により時間多少変化します
場所利用料:1000円(ペットボトルのお茶付、マスク必須、食事禁止)
予約締切:前日まで。こちらの予約フォームよりお送りいただくか、直接お電話で(TEL:078-641-3594)
場所:KOBE鉄人三国志ギャラリー
※検温実施:37.5度以上は参加お断りいたします。
※お一人から参加いただけます。小学生もご参加頂けます。
※お子さんの付き添いの場青、別室で待機いただけます(入館料は必要)
※Google meetでオンライン参加可能です(有料クレジット先払い)
第三回「桃園の智会」三国志の交流会開催
小テーマを決めて一言ずつ話していくシステムで、無口な人、恥ずかしがり屋さんも平等に話せて全員ほぼ初対面ながら過去二回も非常に盛り上がりました!
自分の好きな三国志を話すだけなので知識の有無は求めません。前回は演義(物語)派と正史派が混ざっていましたが楽しめました。これは画期的なこと!
ぜひお気軽に三国志気分を楽しみましょう。
日時:2023年1月14日17-19時
要予約:こちらの予約フォームよりお送りいただくか、直接お電話で(TEL:078-641-3594)
場所:KOBE鉄人三国志ギャラリー
参加費:500円 人数限定先着順
※Google meetで遠隔参加可能(クレジット先払い)
岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!
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