【ウマ娘が1.8倍楽しくなるお話 33】モンジュー以外も見てみたい! 海外馬のお話

柿ヶ瀬
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 皆さんこんにちは、柿ヶ瀬です。

 ジャパンカップは『ウマ娘』でもお馴染みエイシンフラッシュの産駒、ヴェラアズールが勝利。GI初挑戦にして初勝利、エイシンフラッシュ産駒としても初めてのGI勝ち。4歳までは脚元の不安からダートを走らせ、今年になってようやく芝を使い出し、2勝クラスから一気にのし上がってGIの頂に立ちました。

 外国馬はフランスのグランドグローリーが最先着の6着。やはり日本と欧州の馬場の差は大きかったかもしれませんが、今年は久しぶりに外国馬がたくさん来てくれて嬉しくもなりました。ジャパンカップを外国馬が勝ったのは2005年のアルカセットが最後ですが、再び日本でも強い外国馬というのも見てみたいものです。

 さて、以前も何度か触れていますが、メインストーリー第1部最終章では、凱旋門賞でエルコンドルパサーを破り、ジャパンカップでスペシャルウィークが下したモンジューが実名で登場しました。外国馬を実名で出すんだ! と驚いた方は多かったでしょう。そして「それならば他の外国馬にもチャンスがあるのでは……?」と思った競馬好きも多かったのではないかと思います。というわけで今回は、ジャパンカップもあった、香港国際競走もあった。ついでにW杯なんかもあったということで、ウマ娘となった姿を見てみたい外国馬について話をしていきたいと思います。

ホーリックス

 モンジュー実装で、次に来るのはどの馬か? という話で一番最初に挙がったであろう馬、それがホーリックスです。ニュージーランド生まれの牝馬、来日したのは1989年のジャパンカップ。そう、オグリキャップとの壮絶な叩き合いを制し、当時の2400mの日本レコードをなんと2秒7も縮めた2分22秒2という、競馬好きが一生忘れないタイムを東京競馬場に刻んだ伝説の外国馬です。

 オグリキャップとの因縁はレースだけでなく、ジャパンカップの数日前、何があっても飼い葉桶から顔を上げなかったオグリが顔を上げて馬房を横切っていくホーリックスを見つめていた、という話があります。ホントかウソかはわかりませんが、これにより、ホーリックスに恋をしたとか、ライバルを意識したとか、そういう逸話が生まれたりもしました。

 なぜモンジューの後に次なる実名外国馬候補として一番に名前が挙がったか。もちろんそれは漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』でこのジャパンカップがまもなく描かれるであろうからです。88年ジャパンカップではペイザバトラーもトニービンも実名ではありませんでしたが、果たして89年ではどう描かれるのか。そしてオグリが食事中に手を止めてホーリックスを見つめるシーンはあるのか。期待しすぎない程度に期待したいと思います。

ファンタスティックライト

 ファンタスティックライトはアメリカ産馬ですが、最初はイギリスでデビュー。3歳時にモンジューとエルコンドルパサーとともに凱旋門賞に出走(11着)しています。4歳からは世界中を飛び回り、ドバイ、日本、香港、アメリカ、そしてもちろんヨーロッパと転戦してきた名馬です。日本に来たのは2000年のジャパンカップ。テイエムオペラオーとメイショウドトウのライバルコンビに屈して3着。しかしその後は当時のヨーロッパ最強馬にして後の大種牡馬ガリレオに土を付けるなどした名馬です。

 実は、ファンタスティックライトらしきウマ娘は何度か登場しています。1度目は昨年11月に公開されたCM、Rivalsシリーズ、テイエムオペラオー編。手を振るオペラオー、そして右側のドトウとともに映る左側の青い勝負服のウマ娘――。世界的馬主ゴドルフィンの青い勝負服を思わせるそのウマ娘は、恐らく、ジャパンカップ3着のファンタスティックライトだったのではないでしょうか。

 2度目は今年2月に登場したSSRアグネスデジタル。サイン会を開いているウマ娘、写真集には読みづらいですが、WriteとかLiteとか書いてあるように見えます。流星もよく似ているし、世代的にも1つ違い。そしてアグネスデジタルの半弟に京成杯を勝ったジャリスコライトという馬がいますが、この父は実はファンタスティックライトという繋がりもあります。

 はたしてこれらのウマ娘はファンタスティックライトだったのか、いつかどこかでファンタスティックライトの名前が出ることはあるのか。出ることはなかったとしても、名前のないウマ娘にファンタスティックライトを意識させた、という事実を競馬好きたちが楽しんでいたのは間違いないことだと思います。

テイクオーバーターゲット

 エピソードのおもしろさとして挙げるならこの一頭。テイクオーバーターゲットはオーストラリアのスプリンターです。

 日本ではあり得ないことですが、テイクオーバーターゲットの馬主のジャニアック氏は、調教師でもあります。しかも馬主・調教師でありながら生活が厳しく、兼業でパン屋やタクシードライバーをしていました。そんなジャニアック氏の人生を変えたのがテイクオーバーターゲットだったのです。

 テイクオーバーターゲットは仔馬の頃買い手がつかず、廃用寸前だったところをジャニアック氏に購入されました。取引額は1,250豪ドル(当時の日本円で約11万円)だったと言われています。そんな馬がオーストラリアで勝ちまくり、イギリス、シンガポールでも活躍。そして日本ではセントウルSを2着した後、スプリンターズSを1番人気で堂々逃げ切り勝利し、現役中400万豪ドル近くを稼いだのです。当時の競馬メディアでもタクシードライバー兼任の調教師と格安馬による壮大なサクセスストーリーとして紹介され、競馬好きの記憶に深く刻まれています。

 惜しむらくはウマ娘になったことのないセン馬(去勢した牡馬)であることと、日本で一緒に走った馬にウマ娘になっている馬がいないことですが、キャラクターの強さ、物語の組みやすさは他の競走馬と比較しても負けないでしょう。オーストラリアに偵察に行った時に乗ったタクシーの運転手が実はテイクオーバーターゲットのトレーナーだった……。そんなストーリーが勝手に頭の中で紡がれている競馬好きは、多分筆者だけではないでしょう。

カラジ

 競馬好きから「カラジは反則だろ!」と言う声が聞こえてくるような気がします。何が反則かというと、カラジはいわゆる障害競走馬なのです。オジュウチョウサンというスーパースターがまもなくターフに別れを告げることで注目も浴びる障害競走ですが、カラジもまた、かつて日本の障害競走を席巻した外国馬でした。

 カラジの生まれはアイルランドですが、主戦場はオーストラリア。若き頃はステイヤーとして活躍、GIのアデレードカップ2着、ブリズベーンカップ3着、メルボルンカップ4着などなかなかの好走をしています。その後成績を落とし、7歳で障害転向。最初に来日したのはなんと10歳の時。ペガサスジャンプSを叩きにして、ジャンプのGI中山グランドジャンプに出走すると、見事優勝。

 しかしカラジがすごいのはこれだけではありません。翌年の中山グランドジャンプで連覇すると、さらに次の年の中山グランドジャンプも制し3連覇。斤量が重すぎてオーストラリアでは途中から障害レースを走らなくなり、日本に来た時だけ優勝をかっさらっていくというカラジ。その高齢で頑張り続け、勝ち続ける姿、さらには鞍上のブレット・スコット騎手の風車ムチなど、年々カラジ人気は高まっていきました。

 4連覇が懸かった2008年の春、カラジは四たび来日しますが、調教中に屈腱炎を発症。無念の引退となってしまいました。しかしそんなカラジにJRAは粋な計らいをします。カラジへのメッセージをファンから募集し、中山競馬場でカラジと関係者への贈呈式を行ったという、記録にも記憶にも残る1頭となったのです。もちろんウマ娘において障害競走のカテゴリは現在ありませんが、来日した外国馬の話をするときに、どうしてもカラジは外せない。そんな思いで今回紹介させてもらいました。

  • ▲ちなみにメジロパーマーは障害競走に出たことがあり、勝利しています。

 といったわけで、今回は空想に妄想を重ねて、海外の競走馬のお話をしてきました。

 『ウマ娘』から入った方でも、競馬を知っていくうちに、日本以外にもたくさん競馬の世界があるということに気付くことかと思います。

 そして日本の競走馬と同じように、世界の競走馬にもいろんなドラマがあるということを知っていただければ。

 『ウマ娘』では現在海外レースは実装されていませんが、ウマ娘になっているモデルの競走馬の多くが海外へ挑戦しています。また海外からの挑戦者を迎え撃った競走馬も多いです。そんな海外の強い馬たちも日本の馬と同じように魅力的です。世界のさまざまな国で、今日も競走馬はターフを、砂を駆け抜けています。そのことに目を向けてもらえるようになれば、ずいぶんと沼にハマったなと競馬好きとしてもニッコリです。

 また次回もこういった“楽しみ方”を提示していければと思いますのでお時間ありましたらぜひご一読いただきたければ幸いです!

 それではまた!

“まとめページ”でこのコラムをチェック!

 連載コラム“ウマ娘が1.8倍楽しくなるお話”のまとめページはこちらです。過去に掲載してきたコラムをここで一気に読むことができます。いろいろな驚きや発見があると思いますので、ぜひチェックしてくださいね!!


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