孔明、囲碁の碁石だけで関羽を救う!? 【三国志 英傑群像出張版#14-2】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 今回も蜀の三国人物にスポットを当てて民間伝承を紹介していきたいと思います。主に「関羽(かんう)」と「諸葛亮【孔明】(しょかつりょう【こうめい】)」のお話。

孔明、囲碁の策略

 劉備と龐統(ほうとう)が益州(えきしゅう)攻略に出撃し、無念にも龐統が落鳳破(らくほうは)で戦死した。荊州にいた諸葛亮(しょかつりょう)は劉備の援軍として参加するために益州へ向かうことになった。

 荊州(けいしゅう)を関羽に任せ、出発前に孔明は関羽に“錦の袋”を渡し、「この計略は戦いの直前で、かつ布陣後にしか使ってはいけません」と言った。

 その後、関羽は兵を率いて襄陽を攻め、襄陽から70里にある青泥湾に到着した。襄陽の城壁は強固で簡単には攻められない。

 曹操軍の出方を待って戦わなければならないと、参謀たちと意見が一致した。敵兵を待ち伏せし道を断つ手配をした後、関羽は曹操軍を誘い出す方法を考えた。

 そこで戦いの前に諸葛亮が与えてくれた作戦を思い出した。“錦の袋”を開けて、その計を確認しようとした。しかし中にあるのは、【囲碁の碁石】だけだったのだ!

 関羽は「軍師は私が囲碁をするのが好きなのを知って、囲碁の碁石をくれたのか? 軍師(孔明)はいつも賢明で、機知に富み、以前、将棋の指し方を教えてくれた。」など考えたが真意は分からない。

 この指示が分からないまま、関羽は囲碁を参謀の馬良を呼んで、兵舎の外で碁石を並べ囲碁を始めた。

 襄陽を守っていた曹仁(そうじん)は、関羽が攻めてきたことを聞いた。また、ある間者が関羽の軍隊が到着したばかりで、関羽が囲碁を打っていると報告してきた。

 曹仁はこれを聞き大笑いし、「関羽はきっと戦う勇気がないから、囲碁を打っているのだろう。今日、不意打ちで殺してやる!」と彼は、戦い方を議論することなく兵士全員に青泥湾に向かって進軍するよう命じた。

 曹仁が、関羽の陣の前に着くと何事もなかったかのように囲碁をする関羽の姿があった。曹仁はこの機会を逃すまいと、命令を下し、兵士と将兵が群れをなして突進した。

 曹仁軍が到着すると、関羽が手に持っていた碁を落とし、青龍偃月刀を抜き赤兎馬に飛び乗った。咆哮とともに第一陣を飛び出した。

 その後突然、四方八方から数千の兵馬が湧いて出て曹兵を攻撃する。思わぬ伏兵の登場に、曹兵は混乱に陥り、反撃することができず瞬く間に半数が殺された。曹仁は身を翻して襄陽に逃げ込もうとしたが、途中でさらなる伏兵が現れて驚いた。

 関羽は馬で飛びかかり、曹仁の将二人を二刀で斬り捨て、あっさりと襄陽を占領した。曹仁は仕方なく、樊城(はんじょう)に退却した。

 関羽は襄陽を奪うと「あぁ、この戦いは軍師の碁のおかげだ!」と腰を下ろした。

 いま古代王家の墓に行くと土塁がある。そこは関羽が馬に飛び乗ったときに碁が転がったところといわれる場所「棋盤墳」がある。

 曹仁の無謀な攻撃と兵と襄陽の喪失を聞いた司馬懿は、諸葛亮の策だと一人気付いていた。

 いかがだったでしょうか?

 この襄陽攻めの民間伝承はぜひ三国志演義に入れて欲しかったなと思うお話でした。

 孔明得意の“錦の袋”を使って策を用意する点も萌えポイントです。詳細は書かれていませんでしたが、途中で関羽もこの策の意味に気付いたのでしょうね。さすが名将!

 更に萌えポイントがこのお話にはありまして、三国志演義で関羽はこのあと“樊城攻め”を行います。その戦いで毒矢で撃たれ怪我をした関羽が華佗の手術を受けます。

 その際、馬良と囲碁をうちながら麻酔なしで手術する名シーンが登場。今回ご紹介した伝承を知っていると“あの囲碁、実は孔明の贈り物だったのか!”
となるわけです。

 なぜか司馬懿の話まで入っていて、孔明vs司馬懿の知将対決を思わせてくれる演出も憎いですね。

 今回はここまでとなります。次回もお楽しみに!


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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