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「蒼天死すべし! 蒼天亡くなるべし!」曹植の悲痛な叫びがこだまする【三国志 英傑群像出張版#18-2】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 前回に続き、今回も【曹操】の息子たちにスポットを当てて民間伝承をご紹介します。

 今回の最初は曹操の長男「曹昂(そうこう)」。前回のおさらいをすると、長男であり曹操vs張繍で曹操を守って戦死したとされる人物です。

 横山光輝三国志ではカットされているので知らない人も多いかもしれません。その曹昂の民間伝承です。

曹昂、曹操に馬を譲る

 曹昂は幼い頃から弓と馬の訓練を積んだ武に優れた人物であった。

 建安二年春、曹操は軍を率いて南陽の張繍を征伐した。出発前、曹昂は弟・曹丕と一緒に戦争に参加することを強く希望した。

 曹操は彼を思いとどまらせようと「お前の母はお前を真珠のように愛しているのに、どうして連れていけようか?」と言った。

 曹昂は「人生とは野心であり、野心は若者のものであります。それは戦場で戦ってこそ達成できるもので、部屋に閉じこもっていては英雄になることはできません。」と返事をした。

 曹操は息子の言葉を聞いて、曹丕と従兄弟の曹安民を連れて出発した。

 戦いは南陽の川のほとりで行われ、張繍の軍師・賈詡の策略で曹操軍は包囲されて大きな犠牲を出した。

 曹丕は将兵の守りを受けて脱出し一命を取り留めた。曹操を曹昂と曹安民が護衛し逃げた。

 曹操は曹昂に「愛馬の絶影に乗っていけば危険から逃れることができる」と譲ろうとした。

 しかし曹昂は「危機に直面し恐れないことが英雄の本分であり、戦場で戦うことが将軍の魂です」と言い、敵を殺すために前に飛び出した。

 戦いの最中、曹操の馬に矢が当たり、地面に倒れ込んだ。敵が近づくと、曹昂は自らの馬を曹操に譲った。

 曹操は馬に乗り換え生き残った兵士を率いて敵の包囲網を突破して危機を脱した。しかし、曹昂と曹安民はその場に残ったため共に命を落としたのだった。

 曹昂が曹操に馬を譲る話は三国志演義では一言だけ登場し、その後、戦死した話も記述されますが細かい描写はありませんでした。正史では更にあっさりしていて張繍との戦で戦死したとしか出てきません。

特に目新しい話はありませんが、それらの間を補完してくれる民間伝承でした。三国志演義の元ネタはこれなのかもしれません。

 【英雄になりたかった曹昂】志半ばでの戦死してしまいました。この話を聞くともう少し活躍が見たかった気になります。

 さて次は「曹植(そうしょく)」。文章の天才でしたが、曹丕との後継者争いに負けてしまいました。

 曹操、曹丕、曹植の父子三人は、詩人として優れていたので、文学史上“三曹”と呼ばれています。そのうち最も才能をしめしたが曹植です。

 三国志演義でも曹丕と曹植の兄弟バトル“七歩の詩”の逸話が有名です。更なる兄弟の対立のお話を紹介します。

「蒼天死すべし! 蒼天亡くなるべし!」

 黄初4年(223年)夏。その頃、皇帝・曹丕は3人の弟、曹彰、曹植、曹彪(そうひょう)を一緒に殺すため、都に呼び戻し宮中会議を開いた。

 曹丕の考えを知らない曹彰、曹植、曹彪は、勅命を受けたとそれぞれ喜び、曹植は「素晴らしいことだ、兄は一切の疑惑を捨てて兄弟を呼び寄せ、国事に協力させるのだから、曹氏の世は必ずや高みに昇るだろう」と考えた。

 曹彰、曹植、曹彪の3人は、次々と都である洛陽に到着した。衣食住の手配を済ませると、侍従を宮殿に送り曹丕に報告した。すると曹丕はすぐに毒入りの酒を用意し、帝が酒を与えたと言って使者をそれぞれのところに送り込んだ。

 曹植と曹彪は、それぞれの領地から都まで旅をして疲れ果てていたので酒を飲まず自分の部屋で横になって寝ていた。ただ曹彰だけは兄が贈った酒の話を聞いて感激し、寝床から起きて3、4杯のお酒を飲んだ。

 曹彰は酒を飲むと腹に痛みを感じ、寝台から転げ落ち大声で人を呼んだが、時すでに遅く死んでしまった。それを聞いた二人は怖くなった。我々も殺されると。

 曹彪は曹植に決して物を食べてはいけないと忠告し、曹植もそれに従った。

 そうしていると、なぜかすぐに曹彰が毒殺されたことが都で噂になった。曹丕は民の心を失うのを恐れ二人を殺すことは今はやめることにし、二人は任地へ帰ることになった。

 その帰り道、二人の兄弟は離れず惨めな気持ちで進んだが、それを知った曹丕は彼らが王位奪取のための謀反を話し合っているのではないかと心配し、人を遣わして一緒に行くことを禁じた。

 曹植は激怒し曹彪へ【贈白馬王彪】という詩を書いた。その詩は、都に向かった兄弟の不幸と、帰路の強制的な別離、そして曹丕に対する肉親の愛と怒りが描かれ、心情はおおらかで哀しい詩であった。

 曹植は詩を書いて曹彪に渡すと、馬を降りてひざまずき泣き叫んだ。「父上!こんなに早くお亡くなりになったのですか? 私たち兄弟が皆、死んでしまうことをお望みですか?」

 曹彪は両手で兄を抱き上げた。兄弟が涙ではなく血の涙を流しているのを見ると、悲しみを抑えることができず、叫んだ。「天よ! どうして善悪の区別がつかないのだ! 忠誠と裏切りの区別がつかないのだ!」

 曹植は手で顔を拭った。自分の顔と手が血で覆われているのを見て彼はまた叫んだ。「蒼天死すべし! 蒼天亡くなるべし!」

 いかがだったでしょうか? かなりショッキングな話。

 三人が都に呼ばれて曹彰が急死し、二人は帰されるも一緒に帰ることは禁止されて、曹植が怒り【贈白馬王彪】という詩を書いたというのは正史の注にあります。

 その時、曹彪は白馬王ではなかったので矛盾があるようですが限りなく史実に近い民間伝承なのかもしれません。

 曹彰暗殺については『世説新語』という書物にも別の話が載っていますが、本当のところはどうなんでしょうか? “ケネディ暗殺”ぐらい謎が多い事件です。

 黄巾のスローガン「蒼天既に死す!」ではなく、「蒼天死すべし! 蒼天亡くなるべし!」が広がるといいなとおもいます。

 次回もお楽しみに!


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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