魏の謎解き達人・楊修とんちで曹操を救う!【三国志 英傑群像出張版#19-2】

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 三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。



 今回も引き続き、魏の謎解きの達人、楊修(ようしゅう)についてのお話を紹介していきます。

三百一の穴のある橋づくり

 献帝(けんてい)の側近である董承(とうしょう)は、曹操を公の場で失敗させることで罪に落とし失脚を狙います。

 そして皇帝からの命令と偽って、朝晩に役人が通る橋を「三日以内に[三百一の穴がある橋]に作り変えるように! それができなければ罰する」と命を下します。

 曹操は配下三千人を集めて「三日で橋を作る予定だ!」と言いました。すると楊修は笑って、「五百人を用いて私が1日で作りましょう。できなければ罪に服します。」といいます。

 曹操はそれを許すと楊修は兵を連れて、元からあった橋を軽く補修し木を3本植樹したのみで終了としました。

 そして近くには、「3つの柏(の木)と1つの穴の橋」と書いた看板を掛けたのです。

 それを見た曹操は喜びました。というのも、楊修は「三百一孔橋(三〇一の穴の話)」を「三柏一孔橋(3つの柏と1つの穴の橋)」と読みかえたのでした。
(中国語では「三百」の発音が「三柏」と同じなので、納得の答えだったわけです)

 これには董承もいいがかりをつけることができず、曹操は罰せられずにすみました。

楊脩からの贈り物

 許昌に【官必正(かんひつじょう)】という人がいて、若いころ曹操と親交があり、官吏になってからは賄賂を取る汚職官僚として金を集めた。皆彼を<官不正>とあだなするようになった。

 そんな彼が40歳の時に息子を授かると、嬉しくて黙っていられなくなり、お祝いと金儲けの機会を狙って、あちこちに招待状を送った。

 招待状を受け取った楊修は、返礼を書いた。「皇帝が喜び、文官武官も飽きない。官民も気に入り。友人親族は珍しがるでしょう」と書いてあった。

 楊修から渡された返礼品表を読んだ<官必正>は、大喜ばずにはいられなかった。彼は妻に「気前のいい贈り物だ」と叫んだ!

 妻は「どうして気前のいい贈り物だとわかるのですか?」と問うと、<官必正>は「私はそこに込められた意味が自然にわかる。これは誰もが喜ぶものだ、これが金でなくて何だと言うのだ?」と返した。

 宴の当日、多くの人が贈り物やお祝い金を持参して、会場は立ち並ぶ人々で埋め尽くされた。その時、立派な服に着に身を包んだ楊修が歩いてきた。

 彼が持参した贈答箱を机の上に置くと、たちまち観衆の視線が集まった。<官必正>は胸を熱くしながら楊修の一挙手一投足を見ていた。楊修は箱の外側に巻かれた紐を解くと、中には表紙に大きく3文字で“訓子経”と書かれた本が入っていた。

 <官必正>と客人が信じられないという顔をしているのを見て、楊修は冷静に「昔、漢の文帝が『訓子経』を国書として子供を教育するようにと定めたのです。自分の子供が龍のごとく育ってほしいと思わない親がいるでしょうか。自分の子供が腐敗した官吏や盗賊に育つことを望む親がいるでしょうか? この本は金銀よりも価値があるのです。」と言った。

 楊修の言葉を聞きながら、<官必正>は顔を真っ赤に染めながらも大喜びの素振りでこの“贈り物”を受け取った。

 10年が経ち、<官必正>の50歳の誕生日となった。今度は「楊修が手ぶらで来るわけにはいかないだろう」と<官必正>は考えた。そこで、彼は再び楊修に招待状を送った。

 この日、楊修はまたも着飾った姿で現れた。<官必正>とその招待客は笑顔で彼を見つめ、贈り物をするのを待った。

 楊修は群衆の真ん中に立ち、「親愛なる友人の官公へ、東海の流れのように長く祝福を、南山の松のように長寿を祈ります。」と音読した。読み終わると、もう一度、3回続けて唱えた。

 使用人の一人が思わず、「この挨拶は何ですか?」と尋ねた。楊修は「これは千の金塊では買えない贈り物です。もし官吏が財産と命を失ったら、金銀財宝を持つことに何の意味があるのでしょうか? 失われることのない贈り物です。長寿に恵まれるなら、それは千金では買えない贈り物なのです。」と笑って言った。

 <官必正>は曹操の参謀の一人である楊修が怖くて怒ることができなかった。彼は二度もからかわれたことに腹を立て、その後すぐに死んでしまいました。

 いかがだったでしょうか?

 最初の話は、まるで諸葛亮が赤壁の戦いで【10万本の矢】を集める話みたいですね。

 一休さんのお話で、「このはしわたるべからず」と書かれた橋をみて、橋の端を歩かず真ん中を歩いたという話に似ていませんか?

 二つ目の話も【三国志版一休さん・楊脩】というべき、とんち話でした。

 こういったストーリーにあまり関係ない人物の逸話も、『三国志』の楽しみのひとつです。

 楊修のお墓は、彼が生まれた西安の東に位置する華陰市と、漢中のあった勉県市にあるそうです。後者へは、以前探しに行ったことがありますが、見つけることができず断念。

 いつかまたリベンジしてお墓参りにいきたいなあと思っています。

中国ドラマ『風起隴西(ふうきろうせい)-SPY of Three Kingdoms-』パネル展開催◆チャンネル銀河 presents◆

 CS放送 チャンネル銀河で8/10(木)スタートの三国志ドラマ『風起隴西(ふうきろうせい)-SPY of Three Kingdoms-』のパネル展を開催します!

 蜀による魏への北伐を背景に名もなき英雄たちが繰り広げる諜報戦を描く物語となっています。放送は、月~金の13:00~14:00。『スカパー!』では1、2話無料放送中です。

日程:2023年7月22日(土)~9月17日(日)
場所KOBE鉄人三国志ギャラリー
料金:観覧無料(ただし施設入館料100円は必要)
営業時間:12:30~17:00(水曜休み)


岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!



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