鄧芝、老師からひみつの道具をもらう!?【三国志 英傑群像出張版#23-2】
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三国志に造詣の深い“KOBE鉄人三国志ギャラリー”館長・岡本伸也氏による、三国志コラム。数多くの書籍が存在するなか、“民間伝承”にスポットを当てて紹介しています。
英傑群像出張版では、わたしが中国各地で集めた三国志武将の民間伝承の古書から、日本で知られていないものを厳選して文章をまとめて紹介しています。
今回は【蜀の武将たちの“能力”についての民間伝承】を集めて紹介しております。2週目になりますので、気になった方は前回も読んでみてくださいね。
今回は【鄧芝(とうし)】を取り上げます。少しマニアックな人物なので、鄧芝について軽く紹介しましょう。
●鄧芝(とうし)プロフィール
蜀の官僚。新野の出身。
正史三国志では、劉備が益州を平定したあと見出され仕えます。そして広漢太守、尚書などを歴任。
劉備の死後、呉との同盟の使者として呉に赴き蜀呉同盟を成立させました。魏への北伐では、趙雲と共に曹真の大軍相手に奮戦したとされています。
三国志演義もほぼ正史と同じながら、呉との同盟の話では孫権が大鼎に油を煮えたぎらせて脅す事に動揺しませんでした。また北伐では最初から趙雲の副将として堅実に仕事をします。
外交の使者もやって将軍職も上手くこなすというのは、どの国にもなかなかいないタイプの名将といえるでしょう。そんな彼の文武両道の理由がわかる民間伝承があったのでご紹介します!
鄧芝の武術能力の秘密
鄧芝は劉備に従い、懸命に働いた。さらに、彼は話したり議論したりすることが好きで喜んで書も読んだ。後に広漢太守に昇進し優れた統治戦略を持ち、民を思いやる心で民心も掴んだ。
劉備は彼を尚書として朝廷に移し、国の政策や計画に直接参加した。その後、関羽の仇を討つため劉備は全軍を率いて呉を攻撃したが敗北し白帝城で病死した。
蜀は厳しい状況下に置かれた。この危機を回避するために、建興元年(223年)鄧芝は使者として呉に赴き、孫権に魏と手切りして呉蜀同盟を回復するよう働きかけた。これが成功し、彼と諸葛亮は蜀漢王朝を再興することに成功する。
そして建興三年(225年)のこと、南中の孟獲が反乱を起こし、諸葛亮は南の孟獲を征伐へ向かう。しかし、諸葛亮は北の国境にある漢中のことを心配し鄧芝を漢中視察に派遣した。
鄧芝は部下を連れて漢中に急行し梓潼の国境に到着した。鄧芝一行は石牛道を通って峠を登り、油坪霸の大佛寺まで至った。
残念ながら梓潼江が増水し波が打ち寄せており渡し守もいない。しかたなく、鄧芝とその一行は大佛寺を頼り僧侶たちに暖かく迎えられた。
挨拶を交わした後、僧侶は彼が呉の同盟の使者であることを知り、国に多大な貢献をした鄧芝を尊敬し、食事の支度にお茶を出してくれた。(当時は高級)
鄧芝は高官でありながらとても気さくな性格で、食事をしたあと、正殿に座って船頭たちが到着するのを待った。席に座るとすぐに旅の疲れを感じそこで昼寝をしてしまう。
鄧芝は目を閉じると誰かに引っ張られるような気がして、思わず立ち上がったところ、緑色の服を着て筆を持った少年が見えた。
すると彼は鄧芝について来るようにいう。鄧芝は衣服を正し、緑の服を着た少年の後を追って後堂まで行った。少年が扇子を撫でると、後堂の石壁が開いて、雲と霧が立ち込めた。
長い廊下を抜けると、突如として世界が広がり、生い茂る花や植物、新鮮な果物、そしてしなる枝が生い茂る。鳥や猿は飛び回り彼らが足を踏み入れるとすぐに癒やされて幸せな気分になった。
鄧芝は突然、旅の疲労と苦痛が完全に消え去ったのを感じた。「ここはまさに神の世界だ」と叫び、少年を追って菩提樹のある蓮池まで来た。縁起の良い雲に囲まれ、平地の上に高い壇が垂れ下がっているのが見える。
そこには“金剛台”という文字があった。頂上に座っているのは、銀の髭で白髪を生やした少年のような顔をした老師で、手には翡翠の如意を持っている。
緑の服を着た少年は「こちらは了空長者さまです。」と紹介する。鄧芝は頭を下げたが、了空長者は礼儀を欠いたまま鄧芝にこう言った。
「文才は国を安定させ、武は国を統治する事ができる。お前には文才が十分すぎるほどあるが、武が足りない。緑の鞭と白い棒をあげよう。将来とても役に立つだろう。早く行きなさい。」
了空長者が如意を振ると一陣の風がふき、鄧芝は突然目が覚めた。部下が「船頭が到着しました。梓潼江を渡りましょう。」と言う。
あれは夢だったのかと? と鄧芝は思ったが、夢の割に鮮明だったと考えていると、彼の手には、一寸にも満たない“青龍の頭が付いた鞭”と“白虎の頭が付いた棒”を持っている事に気付き驚いた。彼はそれを身につけて、急いで立ち去った。
蜀の建興 6 年 (西暦 228 年)、諸葛亮は第一次北伐のために祁山を出発し、鄧芝が中監軍・楊武将軍に任命され趙雲の副官として部隊を率いた。先鋒として魏と最初に交戦した。
鄧芝は危機において【青龍の鞭】を使ってみた。それは特殊な武器に変わり魏の兵士たちもびっくりして逃げだした。また【白虎の杖】を振ると杖が白虎に変化し戦場に高速移動できる乗り物となった。数千里も離れたところに一気に到着する事ができた。
その後、鄧芝は亡くなる直前に【白虎の杖】をつかい梓潼へ帰ってきたと伝えられている。梓潼太守楊戯(ようぎ)は鄧芝を城の西に埋葬した。
白虎は西河のほとりで青龍は東城の川のほとりで墓を守っていたが後に山になったという。長卿山(ちょうけいさん)だ。いま山頂は白虎口と呼ばれる場所があり、東の山には寺院が建てられ青龍寺と呼ばれている。
いかがだったでしょうか? 神秘的要素が強かった今回のお話ですが、鄧芝の民間伝承が残っていて私は嬉しかったです。
ただ、個人的には某有能ロボットが使うような特殊装置ではなく、武力がアップするような薬の方がよかったじゃない?! 了空長者、と思いました。
さて、前回の話を覚えている方はいるでしょうか? 張飛が張苞を派遣して書物を取り寄せた際、白虎の声に驚いた青龍が飛び出て、驚いた張苞たちが書物を落とすというものです。
今回も白虎と青龍が登場します。地域も同じ「梓潼(しとう)県」。偶然にしてはすごい一致。
なにか白虎と青龍の伝説が色濃く残る地なんだなあと思わされました。しかし、四神獣の残り朱雀と玄武はどこにいったんだろう? 風水的に良い土地なのかも。なんて妄想を掻き立てられます。
梓潼には行ったことがありますが、この伝説を知らなかったので、いつか調査に出かけたいと思いました。
次回もお楽しみに!
ドラマ「パリピ孔明」とコラボが決定!
フジテレビの人気ドラマ「パリピ孔明」(毎週水曜10時放送)とのコラボ決定しました!
KOBE鉄人三国志ギャラリ-で「パリピ孔明 三国志パネル展」を10月20日~12月28日の期間開催いたします!
劉備(ディーン・フジオカさん)の衣装や番組内で登場したカードも展示! ドラマは漫画やアニメより三国志要素が増えていて、三国志ファンにはうれしいドラマとなっています。今後の展開も楽しみですね。
明日より開催されますので、ぜひ遊びにいらしてください。
観覧無料※ただし施設入場料1人100円必要
岡本伸也:英傑群像代表。「KOBE鉄人三国志ギャラリー」館長。元「KOBE三国志ガーデン」館長。三国志や古代中華系のお仕事で20年以上活動中。三国志雑誌・コラム等執筆。三国志エンタメサイトや三国志グッズを取り扱うサイトを運営。「三国志祭」などイベント企画。漫画家「横山光輝」氏の故郷&関帝廟(関羽を祀る)のある神戸で町おこし活動中!
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