ネタバレあり感想:映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の魅力を直撃世代が語る。ファンが待望したエンタメと、キラとラクスのドラマの決着を奇跡のバランスで成り立たせた傑作

米澤崇史
公開日時

 現在、話題沸騰中の映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』。『ガンダムSEED』シリーズ大好きなライターの視点から、その感想を語らせていただきます。

【注意】キービジュアルより先のテキストでは、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の物語に関する記述が多々あります。そのため本編をご覧になってから読むことを強くオススメします。

20年越しに実感する『ガンダムSEED』シリーズのすごさ

 絶賛公開中の映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』。先日には、ガンダムシリーズの歴代最高興行収入を達成したニュースも記憶に新しく、SNSでも連日大きな話題を呼んでいる作品です。

 公開から一カ月近く経ったこともあり、多くの方がすでに映画をご覧になられたかと思います。最初のTVシリーズのリアルタイム放送を学生時代に見ていた『SEED』直撃世代である自分も公開初日に劇場に足を運びましたが、もう一言ではとても言い表せないくらい、いろんな想いが込み上げてきましたね。

 ただ、内容以上に驚いたのが、その後の周囲の反響の大きさでした。

 何しろ、今回の映画は2004年放送の『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』の続編にあたる作品。アクションとして見応えがあり、ストーリーラインも非常に明快なので、ロボットアニメに抵抗がなければ初見で観に行っても楽しめる内容にはなっているとはいえ、『SEED』と合わせると約100話にもなるTVアニメシリーズの続きというのは、かなりハードルが高いだろうと思っていたんです。

 自分と同世代のアニメファンにとっての『SEED』は唯一無二の作品なので、そのコミュニティの中で盛り上がるのは間違いないとは思ってはいました。しかし公開後は、その想像を遥かに超える広がりを続けていて、「これをきっかけに初めて『SEED』を見た」という声も多く見かけるんですよね。

 やっぱり『SEED』って、どんな時代でもすごい作品なんだなと改めて実感させられました。

自分が感じた感動ポイントを語り合いたくなる映画

 放送当時の『ガンダムSEED』シリーズは、絶大な人気がありつつも視聴者からはいろいろな意見が出た作品でもありました。ところが今回の『SEED FREEDOM』については当時『SEED』に対して複雑な想いを抱いていた層も含めて、絶賛の嵐が沸き起こっています。

 この理由を考えてみた時、とにかくサービス的な要素が満載で、ファンがそれぞれ自分なりの感動ポイントを見つけられているのが大きいのかなと。

 自分の場合だと、『SEED DESTINY』の主人公の一人であるシン・アスカとデスティニーガンダムが好きだったので、映画後半からの展開はまさに20年越しの念願がかなった瞬間でもありました。

 『SEED DESTINY』の時のデスティニーガンダムは、主役メカでありながら最後は負けてしまうし、活躍シーンに関してもどこかおどろおどろしい雰囲気があったんですが(それが好きになった要因でもあるんですが)、『SEED FREEDOM』のデスティニーガンダムSpec2の出撃シーンはすごくヒロイックに描かれています。

 そのシーンで流れる、とあるBGMがまた最高なんですよね。あの曲が掛かった瞬間、「ああ、シンとデスティニーがヒーローサイドに戻ってきたんだな」という感慨深さで、思わず涙が溢れてきました。

 劇伴や楽曲は自分にとって感動のツボになっていた要素でして、他にもマイティーストライクフリーダムが登場する時に流れるあの曲とか、フリーダムやデスティニーの大活躍の場面で流れるあの曲とか、これまでの『ガンダムSEED』シリーズで耳にしてきた曲やメロディがアレンジされて惜しみなく流れてくるのはたまらなかったです。

 感動だけではなく、ところでどころで笑いを堪えきれない面白シーンが入ってくるのもまた良くて、おそらく誰もがいろいろな意味で吹き出したであろうズゴックが登場するシーンは、元ネタとなる『機動戦士ガンダム』のシーンを知っていればいるほど、数倍の威力になって腹筋を破壊してきます。あの残像エフェクトは明らかに反則でしょう……!

 その面白さの一方で、キラやシンすら圧倒したブラックナイトスコードと互角以上に戦っていたのがズゴックとアスランのヤバすぎるところ。

 劇場版のアスランは、面白さとかっこよさが絶妙なバランスで融合していて、シン推しの自分でも「やはり最強はアスラン・ザラか……」と呟いてしまうほど、いろんな意味で存在感を発揮しまくっていて、かなりアスランが好きになりました。

 今挙げたシーンはほんの一例で、映画を見終わった後、ファン同士で「あのシーンがよかった、いや、あのシーンも良かった」「実はあそこにあのキャラが出ていたよね」とか無限に語り合えるんですよね。

 情報量が多い作品でもあるので、ファン同士で話すと結構自分では気づかなかったシーンの意図に気付かされることもあって、それを確かめに映画館にまた行きたくなることも多いです。

 これは冒頭6分の映像が公開された時に話題になった部分ですが、冒頭のブルーコスモスとの戦闘で、シンの乗るイモータルジャスティスがシールドを地面に刺して市民を守っている描写があると聞き、すぐに映像を見返して興奮したことがあったんですが、こうした細かい描写のこだわりもすごいです。

 これに気付いた時、「デスティニーは良かったけど、イモータルジャスティスはなんかぱっとしなかったなぁ」とか思っていたことを謝りたくなりました。

 ファン同士がそれぞれ気付いた感動したポイントを熱く語ってりあい、そこで新しい発見を得てもう一度映画館に行く……そんな循環ができているからこそ、これだけ大きなムーブメントを起こしているのかなと考えています。

根底にあるのはキラとラクスを中心とした“愛”のドラマ

 上でも述べた通り、自分は『ガンダムSEED』の熱心なファンで、映画の内容にも大満足だったのですが、それでも自分以外のファンが、本作をどう受け入れるのかは正直分からない部分がありました。

 というのも、シリアスな空気の強い前半は、今までの『ガンダムSEED』シリーズらしい重苦しい展開が展開されて、「そうそう、これこれ!」みたいな感覚を思い出すんですが、後半からは空気感がガラッと変わり、興奮と驚きと困惑が入り混じったような、今までの『ガンダムSEED』シリーズでは味わったことのない感情が次々と押し寄せてきます。

 この後半の展開について、「『SEED』らしくない」と感じる人も少なくはないかもしれないという不安はあったのですが……いざ蓋を開けてみれば、これは完全な杞憂だったなと。

 本作は、ファンが見たかったシーンが満載のエンタメ性に溢れた、お祭り作品的な側面があり、最初はとにかくそっちのインパクトに引っ張られがちです。

 けどよくよく読み解いていくと、『ガンダムSEED』シリーズの最大の魅力の一つであるキャラクターのドラマが、本当に真摯に作られているんだと気付けるようにもなっています。

 とくに今回の主役であるキラ・ヤマトとラクス・クラインについては、本当に素晴らしいドラマを描いてくれたなと。

 二人は『SEED DESTINY』でギルバート・デュランダルの示したデスティニープランを否定し、“自由”な世界を選択したのですが、その責任を負う形で自分の能力に縛られた、“自由”とは程遠い生き方をしてしまっているんですよね。

 劇場版では、このデュランダルとデスティニープランがキラたちに残した一種の“呪い”に対し、二人がいかに立ち向かっていくかも大きなテーマにもなっています。

 それと並んで“愛”というのもすごく重要なテーマで、こちらはキラとラクスだけではなく、アスランとカガリ、シンとルナマリアといったペアはもちろん、新キャラクターのアグネス、オルフェ、イングリッド、シュラといった面々まで、ありとあらゆるキャラクターが“愛”に関連した要素を内包しています。

 キラとラクスだけではなく、「このキャラクターにとっての“愛”って何なんだろう」という点を考えながら見てみると、本作が決してエンタメ性だけを重視して作られた作品ではないことが分かるようになってきます。

 劇場版の脚本は、これまでシリーズ構成を務められてきた両澤千晶さんが直接手掛けられたものではないため、「ちょっと違う」という感覚はそれはそれで間違いではないと思っています。

 一方で、かなり多くの割合が生前に両澤さんが書かれたプロットに沿って作られていることが福田己津央監督の口からも明かされており、本質的な部分はしっかりと『ガンダムSEED』であることも間違いないのかなと。

 自分の場合、ロボットアクションの方で興奮させらっぱなしだったのもあって、そこに気づくのが遅れたことには反省させられたのですが、お祭り的な展開の根底には、真摯にキャクターのドラマに向き合って作られていることを多くのファンが見抜いていたからこそ、これだけ高い評価を得ているのだと思います。

 いっぽうで、「マイティーストライクフリーダム超カッケー」「アスランが面白すぎる」くらいのカジュアルな感覚でも楽しめるのも本作のすごいところでもあります。“キャラやメカ総出演のお祭り映画”と“キラ・ヤマトとラクス・クラインの物語の完結編”という2つの要素を、たった2時間と少しの尺でまとめるという奇跡的なことをやってのけているんですよね。

 本記事を読まれているのは、すでに映画をご覧になられている方が多いかと思うのですが、本作は1回見ただけで終わらせるは本当に勿体ない、何度もリピートする価値のある映画だと思います。

 あの当時の盛り上がりを体験した世代の一人として、「ずっと『ガンダムSEED』が好きで良かった」と胸を張って言える日が来たことが、何よりも嬉しいですね。


米澤崇史:ロボットアニメとRPG、ギャルゲーを愛するゲームライター。幼少期の勇者シリーズとSDガンダムとの出会いをきっかけに、ロボットアニメにのめり込む。今もっとも欲しいものは、プラモデルとフィギュアを飾るための専用のスペース。


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