『三國志14』プレイレポート。袁術陛下は中原の覇者となれるのか? 曹操は速攻で……劉備は趙雲の……!?
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いよいよ1月16日の発売を間近に迎えた『三國志14』! 今回はその楽しさを伝えるために、製品版同等のマスターROMでのプレイレポートをお届けします。シナリオは190年“反董卓連合”の上級難易度。プレイヤー君主はみんな大好き袁術陛下だ!
ちなみに筆者のプレイ時間、トータルで160時間くらいで袁術編は20時間くらい? さくさく進めてるように見えますが、案外あちこちでギリギリの戦いをしております……。
190年:さらば曹操! 反董卓連合、いきなりの大ピンチ
オッス! わしじゃ! 四代続いて三公を輩出した名門中の名門、3時のおやつはハニードリンク、袁術さまじゃ。
さてさっそくだが、都で悪逆を続ける董卓に対し、わしや曹操、袁紹らが反董卓連合を結成、大同盟を組んで董卓との決戦に向かうというのが190年シナリオのあらすじである。君主選択時には「董卓とは戦わずに南方に進出したい」などと弱気なアドバイスがあったようだが、董卓のような男の何を恐れることがあろうか。むしろ積極的に洛陽&長安に乗り込み、この手で董卓を誅するのを今回の目標とする!
いや、都に登れば玉璽を手に入れられるかもしれぬ→皇帝僭称イベントを起こしたいなどとはこれっぽっちも思っていないぞよ?
ところでシステム的な説明もしなければならないのでちょっと紹介すると、『三國志14』のイベントには手動発生型と自動発生型があるのだ。例えばわしが皇帝に即位する“偽帝僭称”は玉璽の所有など条件を満たした上で“実行”を選択する必要がある。え、ちょっと待って。偽帝? 僭称? と、まあそれはさておき、一方で“反董卓連合崩壊”は一定時間経過で自動的に発生するというもの。前者は好きなイベントだけを(条件さえ満たせば)任意に発生させることができるが、後者はタイムリミットなりなんなりが設定されとるわけじゃ。
というわけでわしの当面の目標は虎牢関を落として“長安遷都”イベントを発生させる→イベント結果で洛陽を空白地にする→洛陽で玉璽を見つけて“偽帝僭称”イベントを起こす、とする! 完璧な計画すぎてわしの才能が恐ろしい……。
さて、スタート時の状況はというと、わしは宛に17000の兵を擁しておる。対して董卓軍は、パッと近場を見ただけでも洛陽50000、虎牢関30000、函谷関10000、潼関6000、長安28000。洛陽長安付近だけでも12万以上という大兵力を有する超大国。一見勝ち目はないが、付近には同じ反董卓連合の曹操が陳留に滞在しておる。奴めの勢力はなかなかの勇将知将ぞろい。ともに戦いイベントを待てば、活路も見いだせようというものよ!
ちなみに連合軍には袁紹、劉備、陶謙、孫堅らも参戦しておるが、距離が遠すぎて戦力外通告。まあわしの邪魔をしなければそれでよしとしよう……って南の劉表めは反董卓連合に参加しとらんのかーい!
さて改めて我が精鋭袁術軍のメンバーを紹介すると、まず軍師は知力76の楊弘。軍事面では統率78武力86の紀霊が統武のトップを務めておる。楊弘の助言はもう眉に唾塗りながら聞いておくしかないとして、とにかく戦争の多い『三國志14』で主力が紀霊のみというのも危ういところじゃろう。
だが安心してほしい! 本作では仲のいい武将が近くに出陣すると連携効果で能力が上昇するのだ。多少能力が低くても、仲のよいグループで出陣すればけっこう戦えるというもの。我が軍で言うと、陳紀、李豊、梁興、楽就の4人が相互連携可能かつ、陣形もバランス型の魚鱗2人、防御型の方円1人、遠距離型の雁行1人といい塩梅。まるで4人セットで使ってくれと言わんばかりではないか! 勝ったな! 第一部完!
あ、ちなみにわしと連携できるのは……紀霊将軍1人ですかそうですか。190年だと嫁(馮氏)もおらんし、わしが(一方的に)親愛しとる袁渙もおらんし、ま、まあ仕方ないか。しかし、紀霊将軍が出陣する際にはわしも雁行陣で随伴して固有戦法“袁家栄光”を炸裂させるぞ!
さて、ちょっと長くなったが以上がスタート時の我が軍の状況というわけよ。初期領地は宛だけだが、許昌を確保できれば人材面でも戦力面でも勢力拡大を十分期待できるというもの。まずは虎牢関攻略を目指してさっそく富国強兵、好機と見ればハイエナ……いや、豹のごとくしなやかに進撃したいものだなガハハハ!
と、思ったのも最初の数ターン。洛陽から35000もの大軍勢がいきなり曹操めを強襲。曹操はなすすべなく陳留に籠城するしかなく、さらに我が軍が領有する武関にも長安から30000の董卓軍が出撃したのだ!
しかし武関は堅牢な関所。長安側からは1部隊しか隣接できないこともあり、武関を壁にわしが自ら雁行陣を組んでこれを迎撃。幸い、董卓軍に攻城兵器や雁行陣がいなかったこともあり、これを撃退に成功したのじゃ。まさに袁家の栄光これに極まれり! わし天才かも!
なお曹操めは開始3カ月であっさり滅亡。卑しい宦官の孫に迎撃を期待したのが間違いか。
曹操めがあっさり脱落したことで、反董卓連合軍は事実上崩壊。曹操が君主であることも条件の“長安遷都”も不可能となった。何より、陳留が陥落したことで、曹操軍が丸っと董卓軍の手に落ちたのである。
正直、(上級プレイでは)曹操以外の勢力での虎牢関攻略は、位置的にも国勢的にも非常に難易度は高かった……あるいは、相当に計画的に動いて曹操を助けるなりなんなり必要だったということだろう。
しかし我が袁術軍にも大きな幸運があった。陳留陥落後、捕縛されたはずの曹操が脱獄に成功したのか許昌で我が軍に仕官を望んだのである。また、陳留陥落タイミングで出撃中であった夏侯淵も同じく仕官(勢力滅亡時、出撃中武将は在野に降るということだ!)。さらに許昌から荀彧、許チョ、宛から黄忠、李厳がそれぞれ在野武将として発見される。
191~92年:袁術軍の飛躍
急激に人材が集まった我が袁術軍。曹操の滅亡によりイベント進行が難しくなった以上、ここは腰を落ち着けて陳留、虎牢関、そして洛陽の攻略を目指すべきだろう。
そこでまず侵攻したのが漢中の張魯軍である。張魯は戦力乏しく、容易く我が軍の戦力拡大に繋がるはず。上陽から険しい山道を進むのはなかなかの苦労ではあったが、たいした抵抗もなくこれを撃破。我が袁術軍は、宛、許昌、上庸、漢中の4都市を抑えるなかなかの勢力になったと言ってもよいだろう。ぬふふ。
こうして4都市を有する大勢力になったわしじゃが、身分は初期状態の州刺史のままだった。じつは采配武将(戦法を手動発動可能になる)を選べるようになるのは州牧から。
州牧条件は3都市以上の領有、土地占領率が5%以上、州の支配などがあるのだが、じつはわし、州を完全支配しておらんかった……。例えば豫洲は許昌と汝南。京兆は宛、上庸に加えて長安。各州の重要都市を抑えつつも、州征覇にはいたっていないのじゃ!
采配武将を選べるようになれば劇的に戦力が向上するのだが……。余談だが、劉備めは207年シナリオで都市1個のくせに州牧身分だとか。憎い。あの筵(むしろ)織りが憎い。
まあわしはいずれ洛陽で玉璽を入手して皇帝になる身。皇帝になれば采配武将を一気に5人も選べるようになるので、もう天下取ったようなものだろう!
さて、徐々に国力を蓄えたわしは、董卓軍が濮陽の劉岱軍を狙って出撃したのを見計らい、いよいよ陳留攻略の軍をあげたのである。出撃するのは李豊ら生え抜きの四将軍を兵站確保の先遣部隊として、曹操黄忠ら精鋭を主力に30000。そして荀彧、皇甫嵩(軍師・郭嘉の的確な助言のおかげで董卓めから引き抜いてやったわ!)の10000の攻城兵器部隊である。
余談だが、前項でさんざん自慢した李豊ら四将軍は、許昌防衛の小競り合いで張遼相手に4対1で瞬殺されてスタメン落ちぎみ。いやさ、連携で部隊戦闘力を少しは高められたものの、固有戦法“遼来遼来(効果はダメージ+攻軍ダウン付与)”と一騎討ち発生に泣かされたのよ……。部隊の強さだけでは補えない、武将そのものの強さの壁を実感したわい!
そんなこんなで陳留は激戦の末に陥落。ついに都市は5つとなり、これで晴れて州牧就任……がこない! えええい、これだけ董卓と激闘を繰り広げておるのに、帝はどこを見ておるのか! あ、州支配してないからですよねそうですよね。うーむ、采配武将ほしさ
に州制覇を優先するのもありじゃったか。
193~195年:さらば董卓! 貂蝉の連環の計と本当の乱世の始まり
虎牢関を攻略した我が袁術軍は、勢いに乗って洛陽に……はいかない。“反董卓連合崩壊”と“長安遷都”イベントの達成に失敗したので、次の“連環の計”を待とうと進軍を控えたのである。というのも、“連環の計”の時期条件は192年1月~193年12月。すでに193年となっており、残り時間は短め。
本作でのイベント達成を目指すにあたって、ときどき鬼門になるのが“武将がイベントに参加可能である”ことだ。都市から出撃中、あるいは計略や登用任務で不在、もしくは関への配置なども参加不可扱いとなる。戦いが長引き、董卓や呂布の動向が不安定だとなかなかイベントを見られないというわけ。
なのでいったん進軍を止めた我が軍であり、その甲斐あって連環の計は無事発生。美女・貂蝉に翻弄された呂布は董卓を殺害し、ここに歴史は再び紡がれたのである。美女に騙されるとは実にこっけいな最期で、今夜も蜂蜜が美味いわガハハ。ところでわしの嫁ちゃん(馮氏)がまだいないんだけど在野登場どこよ?
さて、進軍を止めていたわしだが、すでに反董卓連合は期限切れで消滅し、大陸各地では戦乱が巻き起こっておった。
とくに激戦となったのが、公孫瓚、劉虞、韓馥、袁紹、劉備の5勢力が割拠する河北。劉備はあっさり袁紹に滅ぼされたが、各勢力は連合期間中に兵士を蓄えたこともあって大軍化。また、土塁や弓櫓での防衛も厚く、何度も各地で戦いが繰り広げられるも互いに決定打を与えられない泥沼状態になったのである。
そのうちに韓馥が病没。後継者はまさかの趙雲(出身地の常山は韓馥領)となった上に、劉備関羽張飛が揃って袁紹軍から趙雲軍に移籍(おそらくは相性的な引き抜きか)。劉関張そろった趙雲軍という、河北の超新星が誕生したのだ……!
しかし趙雲はここで慢心したのか、地形険しい晋陽の張楊への遠征を開始。奥深くまで入り込んでしまったころ、防備の甘くなった本拠地を袁紹に落とされ勢力滅亡に至る。
結局、河北を半ば制したのは、我が不出来な従兄である袁紹。どうやら歴史の神とやらは、最終的には袁家による対決を望んでおるようだな……。
196~197年:後漢の滅亡と反袁術連合の成立
董卓が死んだのち、洛陽に独立した呂布軍はわずか1都市。呂布、張遼、高順らを揃えた新進気鋭の新勢力とはいえ、我が軍の敵ではなく容易く滅亡に追いやることに成功した。
そして洛陽で帝を迎えたわしだが、もはや後漢の帝など不要! わし、どうせ洛陽で玉璽見つけて皇帝名乗るつもりだし! ガハハ、漢に代わるはこの袁術よ!
帝追放後、念願の州牧を自任したわしはその後数年で大いに躍進した。長安から西の董卓残党軍(新たな君主はリカク)をたちどころに滅ぼし、ついでに馬騰も瞬殺。洛陽、長安の二大都市に宛、許昌を抑える押しも押されぬ大国を築き上げたのである。
また、地味に大きかったのが、探索で知力+5の名品“荘子”を見つけたことだろう。これを我が軍師・郭嘉に与えたことで彼の知力は103。もはや助言に間違いはなく、適格な人材登用、あるいは計略がバシバシと決まってウッハウハというわけよ。
袁紹との決戦前に劉璋(劉焉から代替わり)、劉表を吸収しようかと考えていたのだが、彼奴らはなかなかの勢力を誇る相手。しかし郭嘉の正確な助言のもと、孟達、張松、魏延、蔡瑁といった各太守たちに離間を仕掛け、駆虎呑狼で独立化。刃を交える前に、彼らを内紛で弱体化させることに成功したのである。
順調に進む我が軍の勢力拡大だが、残念ながら不首尾に終わったこともあった。いや、今時点では不首尾が続いているというべきか。
洛陽にあると思われた玉璽が、何度探索しても見つからないのだ。
名品の現存リストに玉璽はなく、何より郭嘉は「洛陽圏内に逸品ありとの噂を聞きました」と毎ターンのように助言してくる。しかし何人もの高政治武将を、何カ月にもわたって探索させても何も発見できないのである。えええい、光ってる井戸を探さぬか!
単純によほど低確率での発見なのか、それとも何かほかに条件があるのか。わしは毎ターンの命令書すべてを玉璽の探索に当てるも成果は上がらぬまま時間だけが過ぎていく。なんたることだ、これでは帝を名乗れぬではないか!
玉璽の探索は継続するとして、“駆虎呑狼”でボロボロになった劉璋、劉表攻めを始めた我が袁術軍。しかし、ここで再び歴史が大きく動く。
河北3都市を有した袁紹を盟主に、わしに対する連合軍が結成されたのである。すなわち、反袁術連合の誕生……! 参加勢力は、袁紹、張楊、劉虞、公孫瓚、孔融、劉璋、劉表、ほかもろもろ……というか、同盟を結んでいた孫堅以外の全勢力ではないか!!!
あわてて主力を北方に戻すと同時に、全包囲の戦に備えねばならぬ。ここでわしは施政を調整して、強力な防御施設の投石台を完成させる。手数で危ういぶん、全方面に投石台と土塁を設置して、敵を迎え撃とうというわけだ。
こうして始まった連合軍との戦い。袁紹めはすぐさま河北の兵を率い、黄河を越えての濮陽攻略を始めた。
趙雲軍を滅ぼしたのち、袁紹は再び劉関張の三兄弟を配下に迎え、趙雲、顔良、文醜ほか武将は精鋭揃い。我が軍は董卓、曹操、呂布、馬騰系を吸収して人材の数では勝るものの、トップ層の質は互角といったところ。
しかし我が軍には地の利があった。黄河である。小さな川であれば部隊でそのまま通過できるが、黄河と長江という2つの大河は別物。部隊は自動的に水軍扱いとなる。
水軍に代わると部隊の強さは艦船に大きく依存されるのだが、これは施政の水軍育成レベルによるところが大きい。例えば甘寧が水軍初期状態の走舸を使って攻防が482/422のとき……レベル5で解放される艨衝だと602/543。レベル10の楼船だと843/724。水軍レベルによって大河での戦闘力はまったく異なり、これが呉の長江防衛を万全ならしめているというわけだ。
しかし河北から南下する袁紹軍は当然ながら水軍の層は薄い。もちろん我が軍も薄いのだが、それであれば水と陸の戦いに持ち込めばよいというわけだ。
反袁術連合の盟主、袁紹との決戦は存外に容易いものとなった。
関羽、張飛といった陸の猛将も、黄河の上では凡将。強烈な戦法や、恐るべき一騎討ちの腕も水上戦では発動させることができず、対岸で待ち構えた我が軍に容易く撃破されていく。まあ我が軍の側も馬超が個性“猪突”で敵接近を無視できず、自ら進んで黄河に飛び込んでフルボッコにされたこともあるのだが!
多少の計算違いはあったものの、袁紹軍の濮陽侵攻軍は壊滅。関羽、劉備は捕虜となり、袁紹もまた捕縛。愚かな従兄を助ける理由はなく斬首し、盟主を失った連合軍はあっさりと瓦解を迎えたのであった。
袁紹死後と連合の崩壊後、もはやわしに敵う相手は北方には存在しない。いずれ南方で大勢力を築きつつある孫堅とは雌雄を決することになるだろうが、それはまたの話であろう。
もはやこのわし、袁術こそが中原の覇者!
まあ問題は何年探索を続けても玉璽が見つからず、皇帝を自称するのはまだまだ先になりそうだということか。ええい、だから光る井戸を探せと言っておろうが! ~完~
以上、1月16日にコーエーテクモゲームスより発売の『三國志14』のプレイレポートでした。今作でも予想だにできないさまざまな奇想天外ドラマが生まれるので、プレイしてみるのもおもしろいでしょう。
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三國志14
- メーカー: コーエーテクモゲームス
- 対応機種: PS4
- ジャンル: SLG
- 発売日: 2020年1月16日
- 希望小売価格: 8,800円+税