『SIREN』『GRAVITY DAZE』外山圭一郎氏がゲームスタジオ設立! 新たな旅立ちと新しいゲームについて語る
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『SIREN』や『GRAVITY DAZE』シリーズを手掛けた外山圭一郎氏が、SIE JAPANスタジオを退社。自身を代表取締役としたゲームスタジオ“Bokeh Game Studio(ボーカ ゲーム スタジオ)”を設立しました。
この記事では、外山氏をはじめとしたBokeh Game Studioの中核を担う3名へのインタビューの模様をお届けします。
ゲームを作り続けたいからこその決断
――みなさんがJAPANスタジオを離れたとお聞きして驚きました。まずは退社された経緯を聞かせてください。
外山圭一郎氏(以下、敬称略):これは急に決めた話ではなく前々から考えていたことなんです。自分は今年で50歳を迎えまして、会社に属しているとそろそろ定年を意識し始めていました。一方で今の時代は、ゲームを1本作るのに時間がかかるようになってきていますよね。定年までに自分はあと何本ゲームを作れるのだろうか。いつのころからか、そういったことを考えるようになっていました。もちろん、JAPANスタジオを抜けたらゲームを作れなくなるというわけではありませんが、会社に所属したまま定年を迎えると次に新しいことをしようとしても、すぐには動きだせません。
そこに加えて、コロナ禍の影響もあり世の中のいろいろなことが激変していることを実感して、自分たちも変わっていこうという思いが強くなり、今回の決断に至ったというわけです。
佐藤一信氏(以下、敬称略):自分も大体同じ動機ですね。SIE(ソニー・インタラクティブエンタテインメント)のみならず世界的に制作されるタイトルが集中&巨大化していき、どんどん開発に時間がかかるようになっています。自分たちも携わってきたことなので、時間をかけて力の入ったタイトルが生まれることは嫌いではないのですが、年齢を考えるともう少しレスポンスよくやっていきたい。と、たまに外山とは話をしていたんですよ。
大倉純也氏(以下、敬称略):自分は外山と20年近く一緒に仕事をしていたこともあって、外山から誘いを受けた形です。そのときに外山から出た話が、これまでやってきたことをこれからもやっていける新しい環境を作ろうという話だったので、これはおもしろそうだとお話を受けました。
――具体的にはいつごろJAPANスタジオを退社したのでしょうか?
外山:9月の末ですね。ただ、退社する前から起業に向けての話し合いや準備を進めていたので、もう少し前から新しいことに向けて動き出していたというイメージです。
――長くJAPANスタジオに在籍していたわけですが、ご自身の仕事を振り返ると、どんな思いがありますか?
外山:JAPANスタジオでは、本当に好きにやらせてもらいました。とくに初代PSやPS2の時代は、旧“ゲームやろうぜ”の部署に場所を間借りするような形で仕事をしていたので、自分たちでなんでも考えて決めるみたいなところから始まって、すごく自由にやらせてもらえました。また、段々と開発規模が大きくなっていくなか、組織としてどうゲームを作っていくかも学べて非常によい経験でした。感謝しかありませんね。
佐藤:自分は外山の面接を受けて、当時のSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント:現SIE)にキャラクターデザインのアーティストとして入りました。そこからいろいろなタイトルにかかわらせてもらって、ゲームデザインやプロデューサーなどさまざまな立場でゲーム開発に携わることができて、しかも規模もワールドワイドだったりと、これ以上ないほどいろいろな経験をさせてもらえましたね。JAPANスタジオでの経験がなかったら、起業は難しかったかもしれません。
大倉:プロジェクトごとに大変なこともありましたが、楽しいことも山ほどあります。とくに開発のための取材が楽しかったですね。『SIREN』のときは野山に分け入ったりして。今思い返すと、ただただ感慨深いのひとことです。
――外山さんと佐藤さんが話をしていたり、外山さんが大倉さんをお誘いした話が出ましたが、みなさんひんぱんに連絡を取り合う間柄だったのでしょうか?
佐藤:外山と大倉はずっと仕事でも一緒でしたが、自分は『SIREN』のあとは同じチームで仕事をしてはいません。ですが同じビル内ですし、会ったときにはよく話すという間柄でしたね。
外山:3人共通で関わった最後のタイトルというと『SIREN: New Translation』ですね。佐藤とは『SIREN』の前にリリースした『夜明けのマリコ』でも一緒に仕事をしました。
大倉:自分は最初からSCEにいたわけではなく、外部から企画を持ち込んでいたんですよ。そこで当時の藤澤孝史プロデューサーと出会い、当時の私のボスと外山たちと飲み屋で話しているうちに『SIREN』に携わることに。もともと私が持ち込んだ企画もホラーだったので、『SIREN』との相性がよかったというのもありますね。その後もずっと『SIREN』シリーズに携わってきましたが、じつは私がSIEに入社したのは『GRAVITY DAZE』の直前なんです。
外山:自分がストーリーや世界観作りを得意としているのに対して、大倉はゲームのロジックとか、別のノウハウを持っていた点も相性がよかったですね。
――そして、外山さんが新会社を作るとなったときにみなさんが改めて意気投合したというわけですね。
外山:意気投合もありますが、自分は1人では何もできないタイプだと思っているので、自分にできないことを補ってくれる人が必要でした。その候補としてまず浮かんだのが、佐藤と大倉の両名ですね。社内と社外、それぞれで自分が手の回らないところを2人に手伝ってもらっています。あと2人に声をかけた理由として大きいのが、2人とも“絶対終わらせるマン”だということですね(笑)。自分1人だと取捨選択にいつまでも悩んでいるようなところを、2人なら「まず終わらせることが大事」とクオリティを担保しつつ引っ張ってくれる。そういった能力を持っていることを熟知していたので、新会社を作ると決めたときにまず声を掛けました。
――チームとして外山さんが動きやすくなるためにはお2人は必須だったということですね。
外山:そうですね。2人がいないとちょっと動かないかな。
佐藤:ただ、最初から起業を目的に掲げて動いていたわけではないんですよ。「何かおもしろいことをやりたいね」と外山と話したり、動いたりしているうちに、しだいに歯車がかみ合って起業しようということになりました。ですから、いつ起業すると決心した、というのも明確ではないんですよ。
外山:知り合いは多いので、こういうときに話を聞けそうな友人や、元SIEの先達の方に頼って相談させてもらったりしました。
好きなことをなるべく好きに、長くやるためのゲームスタジオ
――外山さんが新たに設立したゲームスタジオ“Bokeh Game Studio”の社名の由来を聞かせてください。
外山:自分はカメラで写真を撮るのが好きでして、bokehというのは写真の“ボケ”を意味する英語になります。ボケた写真というのは、元々は単なる失敗作だったんですよ。それを日本の作家がテクニックとして取り入れたことが注目を浴び、ボケがそのままbokehと英語になったという経緯があります。そういった失敗やなんでもないものに意味を見出した日本のわびさびにあやかりたいと思い、社名にしました。ただ、日本語のボケの語感的に、社名で戸惑わせてしまうことはありますね(笑)。
――いざゲームスタジオを立ち上げるとなったとき、何から始めたのですか?
外山:起業するといっても、そもそも最初からゲームスタジオを作ろうと考えていたわけではないんですよ。最初は例えばヨコオタロウ氏のような個人会社のような形でプロジェクトにかかわったり、もしくは小高和剛氏のようなコンセプトやシナリオのエキスパートに絞った数人の会社のような形をイメージしていました。ですが、いろいろな方と話をしていく過程で「意外と今までと同じ感じでいけるんじゃないか」と段々規模が大きくなっていき、結果的にゲームスタジオを立ち上げたというわけです。
佐藤:起業を考えたころは、ゲームスタジオと呼べる規模を目指せる状況ではなかったですね。
――実際、現在はどのくらいの規模になったのでしょう?
佐藤:具体的な人数は言えませんが、ゲームのプロトタイプを自社で作れるくらいの規模にはなっています。
外山:実績のある人から、一度もお仕事でかかわったことのない若手までいろいろなメンバーがそろっていますよ。
――会社を設立するにあたって大変だったことは何かありましたか?
外山:協力や支援をしてくれる方々に理解してもらうのが大変でしたね。ゲーム開発ではプロトタイプがあればいろいろな話がしやすいのですが、我々はまずプロトタイプを作るために協力を仰ぎたいというところから始まったので、理解していただくのに苦労しました。
佐藤:会社は作れるけれど、その先のイメージができない時期もありましたが、いろんな人と会うことができてうまくつながり、今はスムーズに動き出しています。
大倉:苦しくはないけれど、どう動いたらよいのかが見えてこない。どうしようかな? というときは結構ありましたね。
外山:結局、そういった人と人とのつながりの部分はこれまでやってきたことのおかげで、信頼を得られています。
――さて、こうして新しい一歩を踏み出した今の率直な気持ちを教えてください。
外山:久しぶりのワクワクする期待感と不安の両方があります。今はようやく道筋が見えてきましたが、最初は「ヨシッ」と思った翌日に「いやどうだろう……」と思ってまた振り出しに戻るということもありました。あと、正直なところずっと会社員をしていたので、まだ会社員気分が抜けないですね。給料を受け取る側ではなく、給料を含めたお金の使い方を自分で決めなければいけない。そこにアワアワしながら自由になったんだなと実感しています。
佐藤:最近になってようやく、新しくゲームを作るときに自分たちがおもしろいと思うものを追求していけるんだなと実感しています。起業する以上、自分のしたいことをするのが目的になるはずなのですが、なにぶん立ち上げるまでが大変で、二の次になっていましたね。
大倉:期待と不安の両方が入り混じっていますね。新会社の環境をいちから用意しないといけないので、今もあくせくしています。じつはBokehにはオフィスがなく、基本的に全スタッフがリモートワークで作業をしているんですよ。会社のサーバーが我が家にあったりします(笑)。そんな大変さがありつつも、サラリーマン時代の政治的なところから解放されて、すべて自分で決められるというのはうれしいですね。好き放題やってやる! と考えています。
――Bokeh Game Studioだからこその強みはどういったところであるとお考えですか?
外山:大手のコンソールタイトルは規模が大きくなってきたために、よりエンタメ志向となって変わったゲームが作りにくくなってきました。みなさんご存じのとおり、自分の作るタイトルは万人向けとは言い難い面もありますので。ですから、規模感とリスクとの兼ね合いでいうと自分が作るような変わった切り口を売りにするゲームは、SIEにいるときよりも作りやすくなったかと思います。
――Bokeh Game Studioとしての具体的な目標などありましたら、お聞かせください。
外山:目標というには少しふわふわしていますが、自分の好きなものをなるべく好きに、そしてなるべく長いこと作っていきたいとは考えています。賞が取りたい、お金を稼ぎたいも大事ですが、それ以上に望んだ形でのアウトプットをし続けたいですね。
――Bokeh Game Studioはデベロッパーオンリーなのでしょうか? それともパブリッシングも行うのでしょうか?
佐藤:デベロッパーのみです。
外山:自分たち主導で開発して、自分のIPを持ちたい、大事にしたいという思いは強くありますね。
――自分のIPということは、企画はもうできあがっているのでしょうか?
外山:初回の1本はこれでいこうというものは決まっていて、今はそれに注力しています。
―お話できる範囲でそれがどんなゲームなのか聞かせてください!
外山:具体的には言えませんが、モバイルではなくしっかりコントローラを使うゲームで、アクションが主体です。自分が長いこと温めていた企画なので、ストーリーや世界観でも勝負できるものにしていきます。
――その最初の1本ですが、いつごろ遊べるようになるのでしょう?
外山:なるべく早くお届けしたいけれども、会社を設立したばかりなのですぐにとはいきません。2~3年くらいで……完成させたいですね。
――将来的に複数のタイトルを開発していく、ということもありえるのでしょうか?
大倉:それはもちろんありえます。
外山:Bokeh Game Studioはなにも自分の発案したゲームだけを作るスタジオとは考えていません。若いクリエイターを応援する形にもしていきたいですね。
佐藤:今なら、自分たちの判断でゴーサインが出せますからね。以前でしたら、「よし、作れ!」となるまでに、いくつもの会議を通さなければいけませんでしたけれど。
――『SIREN』『GRAVITY DAZE』シリーズなどのJAPANスタジオで作り上げたIPは、引き続き作ることができるのですか?
佐藤:IPのライセンスはSIEが持っているので、もちろんこちらで勝手に作ることはできません。ですが、将来的に協力して何かに挑戦することができたらいいですね。とはいえ当面は新しいタイトルに注力します。
――ご自身で作ったゲームですし、当然、思い入れはありますよね?
外山:『SIREN』はタイトルこそ10年出ていませんが、イベントなどは開催してきました。ですから、今後もかかわれることがあればと思っています。そのあたりはSIEを退社する際に、もしも何かあればいい関係を保ちながら協力していきましょうと話しているので、何かやれたらうれしいですね。
――これからはプラットフォームにこだわらずにゲームを作れるようになったわけですが、PSにこだわりたいなどのプラットフォームへのこだわりはありますか?
外山:PSでなければならないという考えはなく、自分の作るゲームを可能な限り多くの人に遊んでほしいと考えています。
――今作っているタイトルも、企画段階でプラットフォームは決まっているのでしょうか?
大倉:今は決めていないですね。
外山:ただ、どのハードが向いてるかは考えています。PCやコンソールでのリリースを第一に考えていますが、モバイルなどの可能性についても常に考えています。
――任天堂ハードでの開発を考えたことはありますか?
大倉:長年SIEにいたので勝手がまったくわかりませんが、開発者としては興味ありますね。
佐藤:当面はPCでの開発がメインになるので、やってやれないことはないと思います。
外山:お話があれば、ぜひ挑戦してみたいですね。
――最後にゲームファンに向けてメッセージをお願いします。
外山:ここしばらくタイトルの情報を発信していなかったところでの新会社設立の発表となりました。タイトルも同時に発表とはいかないのは正直心苦しいですね。もう少しお待たせしてしまいますが、お待たせしたぶん期待に応えるものをお届けしますので、注目していただければ幸いです。
佐藤:自分たちの判断で決定できるゲームスタジオなので、今までできなかったこともやっていきたいですね。例えばSIEではなかなかできなかった、制作過程などをSNSで発信していくとか。タイトルの情報を出せるまで、まだ時間がありますが、自由になったからこそそういった展開も考えていきたいです。
大倉:『SIREN』『GRAVITY DAZE』と作ってきて、さあその次はどんなゲーム? と聞かれて、なかなか想像できないかと思いますが、みなさんの想像をいい意味で裏切り、そして納得もしてもらえるものを鋭意制作中です。あの手この手でみなさんに楽しんでいただけるように誠心誠意がんばっていきますので、よろしくお願いします。
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