【コロナを生き抜く】戦隊レジェンド“オーレッド”役の宍戸マサルさんに聞く“これまでとこれからの活動”

電撃オンライン 終末のバンギア
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 二面性がコンセプトの新機軸音楽ユニット“終末のバンギア”(以下バンギア)がお届けしている、特撮の関係者にお伺いしているインタビューレポート。

 新型コロナウィルスの影響により、生活様式や活動形態などの変更を余儀なくされている特撮関係者に「どのように過ごし、どのように生き抜いているのか」そして「どんな活動をしているのか」をテーマにお届けしています。

 今回の取材は、スーパー戦隊シリーズでは19作目となる『超力戦隊オーレンジャー』のオーレッド役を演じ、その後、ムード歌謡歌手として華麗なる転身を遂げた宍戸マサル(以下、宍戸さん)さんにお話しをお伺いしました。

 新型コロナウィルスの影響のなか、宍戸さんがどのように考え、どのように進んでいらっしゃるのか、ご自身のいままでの活動を振り返っていただきながらお話をお伺いしてきました。

  • ▲とっても興味深いお話を伺いすることができました!

“宍戸マサル”さんとは……

 宍戸さんはスーパー戦隊シリーズでは『超力戦隊オーレンジャー』のオーレッド/星野吾郎役を演じられています。このほか子役時代では、『ウルトラマン80』の32話に、また、『オーレンジャー』出演後は、『ウルトラマンダイナ』や『忍風戦隊ハリケンジャー』、『海賊戦隊ゴーカイジャー』などの特撮作品に客演されています。

 2006年には、ムード歌謡グループ“敏いとうとハッピー&ブルー”のリードボーカルとして活動し、ムード歌謡歌手として現在も活動を続けていらっしゃいます。

 ムード歌謡と聞いて、どんな音楽のことを指すのか分からない方もいらっしゃると思いますが、いまではすっかり有名になった、ムード歌謡グループ“純烈”が歌っているようなジャンルと思っていただければ、なんとなくイメージがつくかもしれません。

 宍戸さんは、その“純烈”のデビュー当時に、ムード歌謡の歌唱指導などもされたそうです。女性心を男性ボーカルが甘く歌い上げることにその真髄があると言われるムード歌謡。

 平成になり令和になった現在、若者には馴染みが薄くなっているジャンルかもしれませんが、日本の音楽界では未だ業界を支えるジャンルのひとつです。

 そんな、ムード歌謡に掛ける宍戸さんの思いなども今回お伺いすることができました。

“オーレッド”を演じた宍戸マサルさんに聞く“いままでの活動とこれからはどうなる?”

 ここからは、新型コロナウィルスの影響を受けながらも、ご自身で経営される飲食店や音楽活動のこと、また現在にいたるまでの経緯などを宍戸さんにお聞きしました。とても面白い経歴も聞くことができましたので、その模様をお伝えいたします。

 今回は、その前編としてお届けいたします。

  • ▲大先輩の歌手にお話しをお伺いするのでバンギアのボーカルバンビも少し緊張気味?

――まず、芸能活動をはじめたきっかけを教えていただけますでしょうか。

宍戸さん:小学5年生で、子役からはじめました。父親がもともと俳優をやっていた影響もあって、物心つくまえからなんとなく芸能界に興味をもっていて……母親が劇団東俳に応募して、それが芸能界に入るきっかけになりました。

――デビュー作はどんな役だったのでしょうか?

宍戸さん:デビュー作は『42時間の恐怖』というテレビドラマで、鶴田浩二さんの息子役です。お母さん役が市原悦子さん、お姉さん役が名取裕子さんでした。

 あ! デビュー作の1年まえに、『ウルトラマン80』の32話に出演していて……どんな演技ができるのか見られるようなお試しだったのですが、アキラ少年という役で出演しました。ガッツ石松さんのこども役でね。

 オーディションのときに、「ガッツ石松さんのこども役に決まったよ」と言われて……ガッツ石松さんの顔に似ているのかな……って、ガッツ石松さんの写真と、鏡に写した自分の顔と並べて見比べてみた記憶があります。

――それは親子役として選ばれたら気になるところですね(笑)。『超力戦隊オーレンジャー』への出演はどういった経緯があったのでしょうか?

宍戸さん:子役をはじめてから中学2年までは劇団にいて……でも友達と遊んだりすることができないのが嫌になって一度辞めたのですが、高校を卒業してからまた芸能の世界に戻ってきました。高校卒業後すぐには芸能に戻らず、トヨタ自動車のセールスマンとして2年働きました。

 学生のころはちょっとやんちゃしていた時期もあって、リハビリも兼ねてといいますか……当時の先輩に、「おまえもちゃんと社会人としての経験をしてから、また自分の目指す道へと戻って行きなさい」と言われて……トヨタのジュニアセールスマンとして2年間車を売りまくって、ちゃんと好成績を納めて退社をして、芸能界に戻ってきました。

  • ▲やんちゃも終わり、頑張って七三分けに挑戦して就職活動中のお写真。

 子役のころはとても仕事に恵まれていたので、芸能界に戻ればまたうまくやっていけるだろうと思っていたのですが……。大人になってからは、オーディションをとにかく受けまくって……アルバイトをしながらやっていく生活が5~6年続きました。

 26歳でそろそろ自分の人生をまた改めてしっかり考えていかないといけないなと思いはじめたころに受けたのが『超力戦隊オーレンジャー』のオーディションでした。

“ナゾレンジャー(仮名)”のレッド役に決まった経緯

――特撮ヒーローのオーディションを受けたときのお気持ちは……?

宍戸さん:学生のころから外に遊びに出ることのほうが多かったから、テレビをあまり観ていなくて……特撮ヒーローというものがよくわからないけど、行ってみるかって感じでした。それで、実際に行ったら、「ナゾレンジャーのオーディション会場」って書いてあったんです。

 当初、オーレンジャーではなくて、ナゾレンジャーって仮名だったんですよ。おもわずマネージャーに、「ナゾレンジャーって……すごくダサくない?……」って言ってしまいました(笑)。

――ナゾレンジャーですか(笑)。オーディションでは、どんなことをされたのでしょうか?

宍戸さん:過去の戦隊ヒーロー作品の台本を渡されて、お芝居を見てもらうというような流れでした。5次審査くらいまであったのかな……結果が決まって、あとからプロデューサーに聞いたことだけど、僕は途中からオーディションに参加していて、そのときから、既に、レッドだねってほぼ決まっていたらしくて……決まっているなら早く言ってほしかった(笑)。

――確かに(笑)。ここまでで、歌をされているようなお話は出てきていませんが、歌手として活動されるようになったきっかけはなんだったのでしょうか?

宍戸さん:それまで、歌手の活動はしていませんでした。でも、こどものころから野口五郎さんや西城秀樹さんが大好きで、まだ5、6歳のころ、近所の友だちを集めて、自分の家の庭で箱の上に乗って、無理矢理コンサート開いて無理矢理歌を聴かせて、かけ声もさせて……リアルジャイアンでした(笑)。

――リアルジャイアン(笑)。

宍戸さん:僕、こどものころからムード歌謡が大好きだったんですよ。友達がウルトラマンやガッチャマンの歌をうたっているなかで、『コモエスタ赤坂』とか『ラブユー東京』とか……ムード歌謡や演歌ばかり聴いていました。そのころからずっと歌手っていいなという想いはあって……。

 オーレンジャーが終わって、二時間ドラマや時代劇とか……俳優のお仕事をいろいろやらせていただくなかで、俳優も続けていきたいけど、なんだか無性に歌がうたいたくなって……オーディションとかそういうことも考えたのだけど、とても面倒くさがり屋な性格なもので、遠回りするより直接いってしまおうと、自分の好きな歌手のグループに直接手紙を書いちゃえって思い立ったんです。

 そこで“敏いとうとハッピー&ブルー”に、「僕は、ムード歌謡がどうしようもなく大好きでどうしても歌いたいです。僕がムード歌謡のコーラスグループに入るとしたら、“敏いとうとハッピー&ブルー”しか考えられません! ボーカルに入れてください。」って、デモテープを添えて手紙を送りました。

――直接送ったのですね! 返事は……?

ムード歌謡歌手に華々しく転身!

宍戸さん:何日か後に、リーダーの敏いとうさんから連絡があって……「手紙見ました。歌も聴きましたよ。ぜひうちのボーカルとしてやってほしい……つぎの週にレコーディングあるから、明後日くらいまでには写真撮っておいてね」って。

――えぇ?!! すごい急展開!!

宍戸さん:そうやって決まりました。でもじつは当時ね、“東京ロスプリモス”ってムード歌謡のコーラスグループにも、手紙を送っていて……そっちには、「僕は、ムード歌謡が好きでたまりません……僕がムード歌謡のコーラスグループに入るとしたら、“東京ロスプリモス”以外に考えられません!……」って。

――えぇ?!!(笑)

宍戸さん:のちにね、“敏いとうとハッピー&ブルー”のリーダーの敏いとうさんと、“東京ロスプリモス”の当時のリーダー森聖二さんが、話しをする機会があって、お互いに、宍戸マサルからそういう内容の手紙をもらったぞという話しになったらしくて……敏いとうさんから、「マサル! おまえロスプリモスにも同じ手紙書いたのか!」って……バレちゃいました(笑)。

  • ▲“敏いとうとハッピー&ブルー”リードボーカル時代。

――バレちゃったんですね!(笑)最近の活動について教えていただけますか?

宍戸さん:“敏いとうとハッピー&ブルー”を卒業して、そのあとは宍戸マサル個人としてしばらく活動していたのですが……歌手の小金沢昇司さんから、一緒に夢を追いかけていこうよと、お声掛けをいただいて……“北島音楽事務所”からのれん分けをしていただく形で、“ジャパンドリームエンターテイメント株式会社”を一緒に立ち上げて、そちらで活動をさせていただいています。

――現在、活動をされているなかで新型コロナウィルスの影響は受けましたか?

宍戸さん:コロナ禍の影響で、歌手だけにかぎらず、みんな停止状態になっていますよね。僕自身も何もできない状態の中で篭るしかなかった時期が何ヶ月か続きました。

――篭っている間はどうされていましたでしょうか?

宍戸さん:お店のことでやることが多くてね……助成金や給付金のことで税理士さんと相談をして準備しなきゃいけないこともいろいろとあったりして……。

 でも、この状況って、悔しくて大変な問題ではあるんだけども、ただ打ちひしがれているだけではもったいないと思って……これを活動の活力に変えていけたらいいなと思って、いろいろ考えを巡らせています。

――続きは後半へ……。

宍戸さんのお店“星降る街角”を直撃!

 今回の取材では、宍戸さんが経営してらっしゃるカラオケ和風バー“星降る街角”にお伺いさせていただきました。“星降る街角”とは、宍戸さんが所属してらっしゃったムード歌謡グループ“敏いとうとハッピー&ブルー”の代表曲のタイトルでもあります。

  • ▲新型コロナウィルス対策もしっかり施された店内。

 お店は、東京都立川市にあり、JR立川駅から歩いて行ける距離にあります。店内はこじんまりとしたステキな空間で、特撮ファンにはたまらない“オーレッド”のマスクなどもさりげなく飾ってありました。

  • ▲カウンター越しにマスクが置いてあります。

 気になるメニューには、宍戸さんご自身でレシピを調合したオリジナルカクテル“星降る街角”や“射手座の女”などをはじめ、お酒の好きな方にも満足できる豊富なメニューが用意されています。

 宍戸さんご自身がプロデュースされた焼酎“千鳥の風”(麦)、と“地湧の舞”(芋)は、豊潤な香りと、スルっと入っていく口当たりで、麦と芋それぞれの良さが伝わり、宍戸さんのステキなセンスを味わうことができます。

  • ▲宍戸さんプロデュースの焼酎。ラベルもご自身で書いてデザインしたそうだ。

 宍戸さんは毎日いらっしゃるわけではないですが、気になる方は、ぜひ一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか? お店の席数は少なめですので、来店前には一度連絡をして入れるかどうか確認されたほうがいいです。

<店舗情報>
カラオケ和風バー“星降る街角”
最寄り駅 JR立川駅
※現在の営業時間などはお店にお問い合わせください

バンギアからのお知らせ

 10月31日に発売した2nd Mini Album CD『祀りのウタ』より、第2弾のシングルカットとなる『ありがとう!キミのバースデイ【誕生】』が各デジタルストアでリリースされました。

 “終末のバンギア”がお届けする心温まるバースデイソングとして、生まれて来たお子さんや、お孫さんに……はたまた、産んでくれてありがとうの気持ちを親御さんたちに伝えるためのプレゼントソングとして、好評発売中です。

“終末のバンギア”プロフィール

ボーカル:bamvi(バンビ)
ギター:LUGIA(市野ルギア)

 二面性音楽をコンセプトにした新機軸の男女音楽ユニット。ラジオ・司会・ボイスCMなどの仕事を中心に、舞台や地上波テレビ、映画などの俳優としても活躍していたバンビと、『ファミ通』などのゲーム系編集記者として活躍しながら、数々のゲームタイトルとミュージックコラボを果たした、市野ルギアが2019年2月に結成。

 そのサウンドは「白か?黒か?」。電撃オンラインのネット番組「電撃四天王(3人)の対決Showdown」の主題歌を担当。また電撃オンラインの特撮系突撃リポーターも務める。

 また、八王子FMのラジオ番組のエンディング主題歌も手掛けた。そのほか、市民発の横浜市18区キャラクター”Yocco18“とコラボした歌や、Youtubeで人気の鹿児島弁をしゃべる”犬おやじ“の動画を企画する”鹿児島弁ラボ“が歌詞の監修をした歌なども発表。

▼人気YouTubeチャンネル”鹿児島弁ラボ“が監修した鹿児島弁の歌『てげてげな歌』が、同じ日本語なのに何を歌っているのか分からない!? と評判です。

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