『ドラゴンスレイヤー』元祖死にゲー説。剣を入手する前に死ねる鬼畜難易度が常識だった昭和の思い出【ファルコム40周年特集】
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- KNOT
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2021年3月9日に日本ファルコムは創立40周年を迎えました。これを記念して、電撃オンラインでは日本ファルコムに関する企画記事を展開していきます。
今回は、1984年に発売された後、日本ファルコムの看板タイトルとしてシリーズ化された原点『ドラゴンスレイヤー』を紹介します。
古き良き”マイコン”時代の名作RPG!
1984年(昭和59年)当時、私は10歳。まだ”マイコン”と呼ばれていた、家庭用コンピューターが黎明期の時代。学校の図書館で『こんにちはマイコン』を読んで以来、順当に”マイコン少年”になった私は、近所の電器屋(九州の方ならわかる”ベスト電器”)で展示品をいじくったり、親にマイコン購入を必死におねだりした幼少期を過ごした。
『月刊アスキー』や『LOGiN(ログイン)』、『マイコンBASICマガジン』、『ポプコム』など、マイコン雑誌を読みまくっていた私は、マイコンが欲しくて欲しくてたまらなかった。
はじめてのマイコンはコモドール社の『MAX MACHINE(マックスマシーン)』。父の同級生が営んでいるおもちゃ屋で、花火大会のときに9,800円で叩き売りされていたこのマイコンを買ってもらったときの喜びは、それは大層なものだった。
コンピューターが一般的なものではなかった時代で良く買ってもらえたものだなと思うが、私には必殺の口説き文句があった。
これからコンピューターの時代が来る、”BASIC”という言語を学べば何でも作ることができる、将来コンピューターを使った職種につきたいのだと。”遊び”ではなく、”勉強”に使うんだと猛烈に訴えたのだ。
抱き合わせされていたゲームソフト『クラウンズ』を遊びつつ、いざマイコン購入の目的だった”BASIC”を起動しようと思ったら......できない。どうしてもプログラム画面に移行できない。
説明書をよく読むと、BASICはROMカートリッジ別売で、マックスマシーンを買ったおもちゃ屋に探しに行くと、1万円だか2万円だかのプライスタグがついており、断念したのは苦い思い出。
マルチCPU搭載の”FM-NEW7”で遊んだカセットテープ版
『ドラゴンスレイヤー』を遊んだのは、マイコン3台目となる『FM-NEW7』で、小学生時代の長らく愛機だったマシン。
もちろん、プログラム言語を学ぶためという名目で買ってもらえたのだが、ファミコンとは違ったマイコンゲームを家庭で遊びたいという欲求に抗えなかったというのが本当の理由。
”マイコン御三家”と呼ばれていたNECの『PC-8801(ハチハチ)』、シャープの『X1』、富士通『FM-7』の中で、なぜ”FM-NEW7”を選んだのか。
まずは他の機種よりも安価だったこと。そして、メインCPUとグラフィック処理用のサブCPUを2基搭載した”マルチCPU”の独自仕様だったことが、最大の決め手となった。
昔も今も、こういったギミックに弱い私は、富士通一択なのであった。しかし、後に”特異な仕様”が判明し、後悔することにもなるのだが。
マイコンで遊んだRPGとしては『カレイジアスペルセウス』に次いで2本目。正直、『カレイジアスペルセウス』については何をして良いのかもわからず、クリア出来なかった(小学校3~4年生の頭ではゲームシステムを理解できなかったのも大きい)。
マイコン雑誌を貪るように読んでいた私は、日本ファルコム『ドラゴンスレイヤー』の紹介記事や掲載されていた広告が気になって、『カレイジアスペルセウス』を放り出し、当時少なかったお小遣いを工面して買い求めたのだった。
購入したのはカセットテープ版。当時のマイコン記憶媒体はフロッピーディスクとカセットテープが主流で、”データレコーダー”と呼ばれていた周辺機器をマイコンにつないで、読み込んだ上でプレイしていた。
長いものだと20分~30分かかり、挙句の果てに”エラー”が表示されてゲームが起動しないこともあり、泣くに泣けない状況になることがザラにあった。
令和になった現代でもやべえ! おもしれえ!
さて、前置きが長くなったが、1984年に発売されたゲームを、令和のいまにプレイしてみるということは自分にどのような印象を与えるのか。興味深いところもあり、プロジェクトEGGで購入した『ドラゴンスレイヤー』をプレイしてみた。実に、30数年ぶりである。
プロジェクトEGGでの購入方法などは別記事で詳しく紹介しているので、気になった方はチェックしてみてほしい。
日本ファルコム製のゲームと言えば、起承転結がはっきりとしたシナリオ、重厚なストーリーなどが真っ先に思い浮かぶ美点のひとつだが、本作はタイトルで示した”ドラゴン退治”という大目的以外は一切の説明もなく、ゲームスタート時に摩訶不思議な音楽が流れて(以降、音楽は流れないが、移動すると効果音が鳴り、連続して歩くと独特の音階が奏でられる)、プレイヤーはいきなりフィールドに放り出されてしまう。
この辺のユーザーの突き放し方は、当時のマイコンゲームでは当たり前で、メモリの制約などもあり、スペックが違うさまざまなマイコンに移植するということを鑑みても、昨今のゲームと違うのは致し方ないところ。
限られたスペック内でゲームをいかに表現するか、当時の開発者はあらゆる苦悩を抱えつつ、工夫と知恵で乗り切ったのは想像に難くない。
操作方法などをマニュアルで確認しつつ、手探り状態でゲームをスタートする。なんとなくうろ覚えだけど(なにせ、30年以上前のことだから)、プレイヤーキャラクターは丸腰なので、”剣”を探すところから移動を開始することになる。
また、本作は”RPG”と銘打っているものの、パズル要素がたぶんに含まれている。たとえば、壁を押して進んだり、同時に所持できないアイテムがあるなど、局面によっていま取る最適の行動を熟慮しつつ、計画的にゲームを進めなければならない。
さらに、その間もモンスターは待ってはくれず行動してくることも、このゲームの難易度を高めている。単純にモンスターを倒し、強くなり、ドラゴンをぶっ殺すということは不可能なのだ。
小1時間ほどプレイしてみたが、当時と変わらず”難解”だった。しかし、死んでは試し、死んでは覚え、死ぬたびに一歩前進する感覚は絶妙であり、死にながら探索していく元祖”死にゲー”とも言えなくもない。
『ローグ』や『不思議のダンジョンシリーズ』にあるように、プレイヤーの”経験”はゲームオーバーになっても”生きる”ものであり、活かすことができる。何度死んでもやめられない麻薬中毒的な感覚は、現代でも十分に通用する出色の出来だと思わずにはいられない。
発売当時の広告には「前代未聞麻薬的爽快遊技」というキャッチコピーが付けられており、昔はあまり意味がわからなかったのだが、大人になった今ならわかる。
令和になっても『ドラゴンスレイヤー』は唯一無二の存在であり、楽しいゲームだった。これを確認できただけでもめっけもん。興味がある方は、ドラスレシリーズの原点である本作をぜひプレイしてみてほしい。なお、インターネット上には軽い攻略が書いてあるサイトもあるので、参考にしても良いと思います(笑)。
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