【ウマ娘が1.8倍楽しくなるお話 3】今と昔の競馬が違うのはそりゃそうだよねっていうお話

柿ヶ瀬
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 今年の馬券回収率は現在100%越え! 穴ワイド派の柿ヶ瀬です。

 『ウマ娘』を1.8倍楽しくする当コラム、第3回は、ウマ娘で描かれているストーリーは競馬の歴史をもう一歩知るとまた別のおもしろさが見えてくる――ということについてお話します。

 ウマ娘それぞれのストーリーは、当然実在の競走馬の軌跡にある程度沿っているので、どのレースに出たか、そして勝った或いは負けたかを知ればさらに楽しめる……というのは改めて言うまでもないところ。

 ですが、ここではもう一歩踏み込んで、“そのウマ娘のベースとなった競走馬が現役時代の競馬界”がどういう状況であったのか。それを踏まえて現在の競馬界をベースに作られている『ウマ娘』においてはどういう形で描写されているのか。というお話をしようと思います。

あの日、出られなかった者たち

 まず最初にお話するのはエルコンドルパサーです。

 『ウマ娘』でのエルコンドルパサーはアニメ1期において、日本ダービーに出走し、スペシャルウィークと1位同着になりました。ゲームにおいてもNHKマイルカップ出走のあと、日本ダービーが目標になります。

 しかし、これはどちらも史実通りではありません。なぜならばエルコンドルパサーは“外国産馬”だったからです。

 外国産馬というのは読んで字の如く、外国生まれの馬で、大多数が外国の種牡馬と繁殖牝馬の配合、そして日本に輸入され、日本の厩舎に所属した馬のことになります。マル外などとも呼ばれます。

 2001年まで、日本ダービーは外国産馬が出走できないレースでした。なので、98年クラシック世代であるエルコンドルパサー(そして同じ外国産馬のグラスワンダーも)は、ダービーに勝利どころか、出走することもできなかったわけです。

 なぜそういうことになっていたかというと、当時の日本競馬は競馬の発展途上国だったからです。

 なので外国産の強い馬がたくさんやってきて日本のレースで無双されると、国内の馬産(生産牧場など)を守れなくなる、という懸念から出走できるレースを制限していた時代があったのです。

 しかし時代は巡り、日本競馬の国際化も進み、現在では競馬先進国の格付けであるパート1国にもなりました。

 様々なことが変わった結果、現在ダービー(だけでなく、すべての平地GIレース)は国際競走に指定され、外国産馬もほぼ問題なく出走可能となっており、今の競馬のルールを基に作られているウマ娘においては、エルコンドルパサーがダービーに出走することに問題がなくなり、ifストーリーを作りやすくなったのでしょう。

 また、この手の話の元祖と言えばマルゼンスキーです。

 マルゼンスキーは外国で産まれた外国産馬ではなく、外国で種付けし、受胎している繁殖牝馬を日本に輸入して日本で産まれた馬で、“持ち込み馬”と言われる種類の馬です。

 この持ち込み馬も外国産馬と同じようにかつて制限されていたのですが、実は制限されていた期間は1971年から1984年までのわずか13年間のこと。その間にマルゼンスキーという歴代最強馬候補の馬が産まれてしまったのは不運と言わざるを得ません。

 先の通り、『ウマ娘』においてはもちろんマルゼンスキーにダービーを勝たせることが可能です。しかし、ここで史実を元にした演出がなされています。『ウマ娘』でマルゼンスキーが出走するダービーは、必ず大外、18番枠からのスタートになるのです。

 これは当時、ダービー出走が叶わなかった主戦騎手、中野渡清一氏が「ダービーに出してほしい。枠順は大外でいい、他の馬の邪魔はしない。賞金もいらない」と話したというエピソードがあり、そこから生まれた演出だと思われます。オールドファンがニヤリとしたのは言うまでもありません。

 とは言えすべてがすべて現在の設定に置き換えられているわけではなく、漫画の『シンデレラグレイ』でのオグリキャップは、“クラシック登録をしていなかったため皐月賞やダービーに出走できなかった。”という史実をそのまま取り入れています(ゲームにおいては目標レースにはなっていないものの出走は可)。

 叶わなかったifを『ウマ娘』において叶えるというのは、サイレンススズカやライスシャワーのような非業の死を遂げた馬や、ハルウララやキングヘイローたち勝てなかった馬だけではなく、そもそも当時ルールとして出走すらできなかった馬なども含まれるのだなとおわかりいただけると思います。

ルールだけではなく、空気や価値観もレースも違っていたあの頃の競馬界

 エルコンドルパサーやマルゼンスキーの例は、そもそも出走できなかった、という事実もあってわかりやすい部分もあります。

 ここからはさらにもう一歩進んでみたいと思います。

 ミホノブルボンはストーリーにおいて他のトレーナーたちから「スプリンターとしての才能があるので短距離レースに出なさい」と言われます。

 現実世界での調教師であった戸山為夫氏もまた“ミホノブルボンは天性のスプリンター”だとわかっていました。しかし、戸山氏はブルボンを坂路で鍛え、距離の限界を克服し、皐月賞、ダービーの二冠、そして菊花賞の2着という成績を残したのはアニメ2期などでご存知の通りだと思います。

 では、なぜそうまでしてスプリンターであったミホノブルボンを、クラシック路線に乗せたのでしょうか? それは当時、クラシックを含めた中長距離路線と短距離路線にはとてつもなく大きな格差の壁があったからです。

 現在の短距離路線は、高松宮記念などGⅠレースも増え、それに伴ってGⅡやGⅢのレースも新設されるなど、実力馬が多く出て盛り上がる路線になりました。3歳時のクラシック路線とはさすがに比べるべくもありませんが、古馬における天皇賞(春)などの長距離路線と比較すると、今では短距離路線のほうが人気も実力も高いのではと感じることも多いです。

 ともあれ、当時のレース番組の編成的にも、価値観的にも、やはり能力がある馬をクラシックで走らせないという選択肢はほとんどありません。短距離へ行くのは、距離や実力の壁にぶつかってクラシック路線で敗れた馬が諦めて向かうところ。そういう認識だったでしょう(現在でもそういう見方はあると思います)。

 ゆえに、ミホノブルボンはスプリンターの資質を持ちながらも、クラシック路線を選び、勝ち進んでいったのです。無論同じ選択肢を取った競走馬はミホノブルボンだけではないでしょう。数々の馬が適性外のクラシックを夢見て、そして敗れ去っていったでしょう。短距離路線に舵を取らぬまま、ひっそりと消えていった馬もたくさんいたことでしょう。

 だからこそ、スプリンターでありながら、あわや無敗の三冠馬寸前まで行ったミホノブルボンの凄さは際立ち、未だに伝説として語り継がれる馬となったのです。

 実はそんなミホノブルボンと同い年で、同じくスプリンターの資質を持って、ミホノブルボンとは逆に(一度中距離は試しましたが)短距離路線の道を進んだ馬がいます。

 皆様もおわかりでしょう。そう、サクラバクシンオーです。

 『ウマ娘』のストーリーにおいてサクラバクシンオーは中長距離をも走りたいと願望を持ちますが、トレーナーはなだめすかし、時にはだますような形でスプリント路線を走らせ続けます。なぜそのようなシナリオになったか? 先ほどミホノブルボンの時に説明した通り、当時の価値観をシナリオに落とし込んでいるからでしょう。

 実はシナリオ目標で、実際走ったことがあるのは新馬戦、スプリングS、スプリンターズSが2回とマイルCSだけです。他にも色々な短距離からマイルのレースに走っていますが、あえて目標はこうなっています。スプリンターズSの開催時期が当時の12月から現在の9月になっており、当時には当然存在しなかったサマースプリントシリーズのレースがいくつも目標に設定されるなど、現代のスプリント路線を強く意識した目標になっているのだと想像しています。

 サクラバクシンオーは初めての(と言っても新設されて数年でしたが)スプリンターズS連覇を成し遂げ、短距離の星として燦然と輝きました。最強の純正スプリンターとして注目され、また国際化の流れなどもあり、サクラバクシンオーの引退後、少しずつ短距離路線は整備されていきました。

 もしかしたらサクラバクシンオーは、日本競馬のスプリント路線を変えた馬だったかもしれません。自分が変えて来たかもしれない道を、『ウマ娘』で姿を変えて自ら走る。そう空想すると、なんとなく彼女に申し訳なさを感じていたトレーナーの罪悪感も少しは晴れるかもしれません。

こんな影響もあったりする

 さてこのように、当時とは競馬の価値観やそもそも競馬の番組自体も違っていたという話をしてきましたが、オマケの小話をひとつ。

 ナイスネイチャの目標レースに中日新聞杯があります。しかし現実のナイスネイチャはこのレースには出走していません。ではなぜ中日新聞杯が目標レースになっているのか?

 サクラバクシンオーがスプリント路線を変えた(過言)結果、春のスプリント王座決定戦とされる高松宮記念が創設されました。しかしナイスネイチャが現役の当時、このレースは高松宮杯と言って夏に行われる2000mのGⅡレースでした。

 このレースはナイスネイチャにとって実に2年半ぶりとなる久しぶりの(そして最後の)勝利という、大変重要なレースだったのです。

 高松宮杯は現在のウマ娘にはもはや存在しないが、なかったことにするわけにもいかない。結果、同じ中京2000mのレースである中日新聞杯を代わりに走らせることにしたんだろうな……という想像が容易につくわけです。

 この2000m時代の高松宮杯、実は他にも勝っているウマ娘が結構います。特に筆者の愛したマチカネタンホイザはナイスネイチャと同じくアニメ2期のOPで再現されたほど重要な勝鞍です。いつか育成ウマ娘として実装される際にはナイスネイチャと同じように中日新聞杯、もしくは同じ中京2000mの金鯱賞あたりが目標レースに設定されるのではないかと予想しています。

 ということで、今回も、知っていると『ウマ娘』がより楽しくなるお話をしてきました。

 現在の競馬をベースにした『ウマ娘』の世界でのレースと、ウマ娘たちが現実世界で走ったレースの違い。そして価値観も時を経ていれば当然変わっている、ということを認識した上でストーリーを味わうと、より深みが増すのではないか。そう思います。

 これから先、実装されるウマ娘たちは、当時の競馬と今の競馬でどのような擦り合せをして彼女たちの物語になっていくのか。それを見極めた時、さらにさらに『ウマ娘』を楽しんでいけるのではないかと筆者は考えています。

 また次回もこういった“楽しみ方”を提示していければと思いますのでお時間ありましたらぜひご一読いただきたければと思っています!

 それではまた!

【コラム】ウマ娘が1.8倍楽しくなるお話

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