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2004年2月23日(月)

宮本茂氏が金沢市で「名人賞」を受賞!表彰式&特別講演レポート

 2月20日、石川県金沢市で伝統芸術・文化を育んできた金沢市が主催するデジタルアートの祭典「eAT KANAZAWA2004」が開催された。このイベントに、マリオの生みの親である任天堂専務取締役情報開発本部長の宮本茂氏が出席。表彰を受け特別講演を行ったので、その模様をお伝えしよう。

 今回で8回目を迎えるこのイベントには、総合プロデューサーにCMディレクターである中島信也氏(「日清カップヌードル」や「サントリー燃焼系アミノ式」のCMを手がけたことで有名)を起用。この度のイベントには多くのクリエーター、とくにデジタルアートの分野で第1線の実力派が招かれ、講演やコンテスト、セミナーなどが行われた。なお、過去には樋口真嗣氏(映画監督)、押井守氏(映画監督)、富野由悠季氏(アニメーション監督)など、著名なクリエーターがゲストとして出演している。

 今回宮本氏が受賞したのは、「eAT’04 KANAZAWA名人賞」と呼ばれるもの。この賞は、エレクトロニックアートのプロを表彰するもので、過去5人が受賞している。過去の受賞者も、今回の総合プロデューサー・中島氏(2000年)や『MOTHER』シリーズの生みの親として知られる糸井重里氏(2001年)など、偉大なクリエーターばかりだ。

 なお、宮本氏は大学時代を金沢市の「金沢美術工芸大学」で過ごした過去がある。そのため親しみもあるのか、会場となった金沢市観光会館には子供から大人まで多くの観客が詰めかけていた。宮本氏は、他のコンテストなどの期間中も常に客席にいたため、休憩時間中は、子供たちによるサイン攻めや記念写真攻めにあっていた。

 宮本氏が壇上に登場したのは、表彰式とその後にあった特別講演。「名人賞」の表彰では、プレゼンテーターを前回(2003年)の名人賞受賞者である漫画家の井上雄彦氏(代表作「バガボンド」など)が務め、人気漫画家と人気ゲームクリエーターの思わぬ2ショットに。特別講演は1時間程度の内容で、子供の頃の思い出と、ゲーム制作者としての自身の歴史が語られた。とても多くのことを語ったのだが、ここではその中でも特に印象に残ったエピソードをお届けしよう。

■小学校~中学時代の思い出
「小学校では“ひょっこりひょうたん島”などの人形劇にあこがれ、自分で人形を作ったりしました。ついたてで舞台を作って、人に見せたりもしましたよ。中学では物語を作りたくなり、マンガを描いたりしましたね。その頃に描いた4コママンガなどは、今に役立っていると思います」

■金沢での学生時代
「金沢美術工芸大学に通ってた頃、自分はコンピュータが嫌いだったんですよ。アナログな人間だったんです。また“企業にはできないもの”、“人をおどろかすもの”を作りたかった。そして“それを多くの人に配りたい”と思ったのが、任天堂に就職したきっかけでもあります」

■ファミリーコンピューター以前~そして『ドンキーコング』へ
「任天堂に就職した当時は、自分はトランプのデザインや、麻雀牌の封印ラベルなどを作ってました。ところがすぐに、TVゲームが登場した。この時が最初のチャンスだったんです。そのころのゲーム制作は、プログラマーがゲームの絵を描いている時代だったんです。そこで私は、「画面を見ていて楽しい、ほかの人が画面を見ても何をやっているかわかるゲーム」を作りたいと思いました。技術者に何度も話を聞き、「これはできる」「それはできない」など、さまざまなことを話し合いました。そしてゲームの制作に携わるようになったんです。ある時、アメリカに輸出したシューティングゲームの筐体が売れ残る、という出来事があった。そこでプログラムだけ組み替えようという話になり、考えたのが『ドンキーコング』だったんですよ。これはアメリカで大ヒットしました。6~7万台売れましたね。これが2つ目のチャンスだったわけです。じつはその後、映画作品に似ているということで、『ドンキーコング』がアメリカの映画会社に訴えられるという事件が起きました。訴訟には勝ちましたが、この時いろいろと調べられまして、「このゲームは誰が作った?」という話にもなり、私の名前が社内で知られることにもつながりました」

■『スーパーマリオ』の頃の思い出
「その後ファミリーコンピュータが発売され、『スーパーマリオブラザース』を作りました。ちょうどファミコンが300万台を出荷し、そこで集大成のつもりで“マリオ”のキャラが大活躍するゲームを作りました。そうしたら、ますますファミコンは売れ続け、最終的には国内2,000万台、海外で4,000万台を出荷するハードになった。実は『スーパーマリオ』を作った時、当時の社長である山内溥に見せたのですが、「陸海空の大冒険は売れるぞ!」など言われた思い出があります(笑)。これだけハードが売れたのは、とても幸運だった、と自分は思っているんですよ。そしてさらに自分にとって幸運なことは、このとき一緒にゲームを作った10人ほどのスタッフは、今もまだ自分と一緒に仕事をしてくれている。彼らと仕事ができるのは、とても幸せなことです」

■さまざまなハードを経て
「スーパーファミコンの頃には、表現が豊かになったきたのでユーザーの手応えが画面に返ってくる、“プレイヤーの操作感”を大事にし始めましたね。実は、『マリオ』シリーズでは、マリオが着地するとほんの一瞬だけ止まるんですよ。目で見えないくらいの時間です。これによって重量感を出したんですね。そんな細かいところに、こだわりを持ってゲーム制作をしていました。ところでゲーム制作では、開発の終わりの方で難易度などが変わることが多いんですよ。たとえばジャンプする高さを少し低くしただけで、かなり難しいゲームになったりする。そこで調整して、楽しいゲームにするんです。最近はムービーなどの進歩もあり、この「ちょっと変える」ことが難しくなってきた。私はねんど細工のように、「ちょっと変えられる」ゲーム制作が好きですね」

■プロデューサーとして思うこと
「ゲームは技術によって支えられてきました。そして大きく進化した。これは「遊び」が「技術」を使いこなして来た結果です。今はもっと大きく技術が進化し、おもしろいものを作るのが難しくなってきているのではないかと感じます。技術で作るのではなく、人が作るのが大事だと思います。「人の作ったにおいがある作品」を作りたいですね。そして「人がおもしろいと思うもの」は何なのか、それを考えるのがプロデューサーとして大切なことなのだと思います」

 自身のゲーム観まで語った講演の最後には、プレゼント抽選会などもあり、一般参加者にも大満足のイベントとなった。この講演を聞いた子供たちの中には、将来デジタルアートの道に進む子もいるだろう。ゲームクリエーターになる子もいるかも知れない。この講演は、そんな彼らに対する技術信仰への警鐘なんだろうか…と考えるのは考えすぎであろうか(あろうな)。ともかく、ビッグクリエーターの講演で、やる気を触発された人も多いはず。ここ金沢で、未来のクリエーターが誕生することに期待したい。なお、この「eAT KANAZAWA」は今後も開催される予定。もちろん石川県民・金沢市民でなくとも参加できるイベントは多いので、興味のある人は下記のサイトをマメにチェックしておくといいだろう。

数々の有名CMを手がけた中島信也氏。今回のイベントすべてをプロデュースした。

会場ではこんな派手な審査委員(右)も。この方の正体は…

…アートユニット「明和電気」の土佐信道社長。自身で手がけた「製品」を携え、ライブなどを行うアーティストだ。なお、写真の製品は「サバオ」。

こちらは「CMコンテスト」の審査委員の面々。アニメーション演出家の細田守氏(代表作「劇場版 デジモンアドベンチャー」)の姿(中央)も見える。

イベントは4時間にも及ぶ長いものだったが、多くの観客が最後まで見守った。子供の姿が目立つイベントでもあった。

漫画家・井上雄彦氏が盾を授与! このために金沢にやってきたのだ。

子供にもわかるように、優しい言葉で講演をする宮本氏。

巨大スクリーンにゲームのショートフィルムを写すシーンも。宮本氏のゲーム制作の歴史が短時間でわかる内容のものだった。

プレゼント抽選会では、『ファミコンミニ』や『GBASP』などが当たった。抽選も宮本茂氏が行ったのだ。

おまけ。任天堂から提供されたマリオ像に、金沢の名物「金箔」を施した逸品。もちろん非売品です。


■関連サイト
「eAT KANAZAWA」
任天堂