さらなる50年への第一歩!ナムコ創立50周年記念イベントではギネス認定式も
ナムコは本日6月1日、横浜アリーナにて同社創立50周年記念イベント「50周年だよ!全員集合 ~CHALLENGE THE NEXT STAGE!~」を開催した。
ナムコの前身である「株式会社 中村製作所」は、アミューズメント事業の第一歩として1955年に百貨店屋上に2台の電動木馬を設置。その後、1977年に社名をナムコに変更し、アーケード用・家庭用ゲームソフトの開発や「ナムコ・ナンジャタウン」をはじめとするテーマパークの運営など、幅広い分野のエンターテインメント事業を通じて多くのファンを獲得してきた。
本日のイベントにはナムコ本社はもちろんのこと、全国各地のアミューズメント・飲食施設などに勤めている2,533人の社員が集まった。開会の挨拶を担当したのは、今年4月に代表取締役社長に就任した石村繁一氏。石村氏は「私が今日この場で話すことについて、中村会長から申し渡されたキーワードは“変化”という言葉です。まず、会長御自身がバンダイさんとの経営統合という変化を英断しました。私自身もナムコの可能性を開拓するような挑戦を続けていくつもりです。そして私は、皆さん1人1人が起こしてくれる変化にも大いに期待しています」と全社員へのメッセージを語った。
また、記念式典の中では、今年で生誕25周年を迎えるゲーム機『パックマン』のギネスブック認定証授与式も行われた。『パックマン』は、全世界で293,822台を販売(ロイヤリティー含む)したという記録が正式に認められ、2006年度版のギネスブックより「最も成功した業務用ゲーム機」として掲載される。会場には、イギリスのギネス・ワールドレコード社からプレゼンターのディビット・ホークセット氏が来日。アメリカで“Father of Pacman”と呼ばれているナムコ代表取締役会長の中村雅哉氏に認定証が授与されると、会場は大きな拍手に包まれた。
そして式典の最後は、中村会長自らが50年の歴史を振り返りつつ、ナムコのこれからについてのスピーチを行った。先にも書いたナムコの前身「株式会社 中村製作所」は、中村会長を含む3人の社員、資本金30万円からスタート。中村氏はこのスピーチの中で、出張費を節約して会社の増資に当てた話や、藤子不二雄両氏(漫画家)の所にキャラクター木馬のライセンス交渉に行った時のエピソードなどを語ってくれた。
中村会長が「これからも受け継いでいってほしい」と語ったのは、ユーモア溢れる人材を募集すること。ナムコは、1970年代後半に「Cが多くてもいいじゃないか」、「焼肉定食か? 弱肉強食か?」といったユニークなコピーを用いて、発想力の豊かな社員を幅広く募集していた。中村氏が本日のみならず、バンダイとの経営統合発表会においてもキーワードとして挙げていた言葉は“変化への対応”。変化の激しい時代に対応するための、柔軟な発想力の重要性を集まった社員たちに強く訴えかけていた。
「今日ここにナムコ50周年を迎え、私にとっては非常に格好のいい男の花道だと考え、全国の社員の方々に感謝しています」とスピーチを締めくくった中村会長。同氏が創業時から抱き続けていた理念を受け継ぎ、新たな時代への変化を遂げつつあるナムコのより一層の発展に期待したいところだ。
横浜アリーナという大会場で行われた創立50周年記念イベント。場内のスクリーンでは往年の名タイトルから最新ソフトまで、さまざまなナムコ作品のTV-CMが上映されていた。
元アナウンサーの中村江里子さんが、イベントの司会進行を担当。
石村社長は挨拶の中で、バンダイとの経営統合についてもコメント。「現場レベルでの統合効果に期待しています」と語った。
創業50周年を祝して、中村会長と代表取締役副会長の高木九四郎氏の2人には記念品が贈られた。記念品の内容は、両氏が社長に就任した年に生産されたワイン。
ギネス認定証授与式には、当時の開発者を代表して岩谷徹氏も登場。壇上では“パックマン”を交えての記念撮影が行われた。
随所にユーモアを織り込んだ中村氏のスピーチ。“いかに人を楽しませるか”というナムコならではの遊び心と、これまで築き上げてきた50年という歴史を感じさせる内容となっていた。
スピーチ後に花束を贈られ、感極まった表情を見せた中村会長。会場を埋め尽くす社員からの温かな拍手が記念式典のフィナーレとなった。
■関連サイト
・ナムコ創立50周年ページ
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