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2011年1月13日(木)

【電撃ゲームス】松野泰己/宮部みゆき/米澤穂信が語る『オウガ』

文:電撃オンライン

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モチーフとなった現実の紛争と
“最後の敵”の理由

 小説とゲーム──形式こそ違えど、数々の世界を作り上げ、世に送り出すクリエイターである3人。その作品の中で描かれるのは、リアルとファンタジーが混在する世界で生まれ暮らす、誰かの生き様だ。そして、私たちはその誰かの生き様を通じて何かを感じ、この現実で生き、死んでいく自分の在り方を問うことができる。

 『タクティクスオウガ』の持つ魅力を語る際にキーワードとなる“重み”という言葉。なぜ『タクティクスオウガ』は、これほどまでに“重い”のか? それはファンタジーでありながら、地球上のどこかで必ず起こり、続き、私たち人類が完全に解決できていないテーマを扱っているからだ。宮部と米澤は、本作の世界観の根底にある“争い”の姿を、松野に問いかける。

宮部 これだけの登場人物や世界観、歴史を構築するのってすごく大変だと思うんですが、基本的に『オウガバトルサーガ』という物語は、松野さんお1人で作られたんですか?

松野 はい、そうです。

宮部 たとえば実際に戦乱があった地に、取材に行かれたりなさったんでしょうか?

松野 いえ、小説家の先生がなさるような取材というのは積極的にはしていません。ですが、80年代にCNNがTV放送されるようになり、日本のメディアが放送しなかった世界の情勢を知ることができるようになりました。特に89年のベルリンの壁の崩壊(※3)は、リアルタイムで観てきました。また、『ニューズウィーク(※4)』を日本語版の創刊号から読んでいて、これが僕の創作の大きな原点になっていると思います。時々とんでもない記事もありますが、基本的には海外の情勢がよくわかる記事が多い。日本ではとても考えられない悲惨なことが、世界のある地域では平気で起こっていることがわかる。特に若いころは、そういう現実をうまく作品のモチーフにできないかな、と考えながら読み込むことが多かったんです。

※3 ベルリンの壁の崩壊
 第2次世界大戦後、複数国家の占領下にあったドイツは米ソ冷戦の影響を受け、大きく東西に分断された。だが1989年、民主化を求める東ドイツの市民運動の高まりを発端に同年、ベルリンの壁が崩壊。その様子は世界中のTVで大きく報じられた。そして翌1990年、東ドイツはドイツ連邦共和国に吸収され、消滅する。

※4 ニューズウィーク
 アメリカの歴史ある週刊誌。主に世界情勢や政治問題を取り扱い、さまざまな外国語版も存在する。日本語版も刊行されており、駅の売店などでもよく見かける。

米澤 なるほど。

松野 ベルリンの壁の崩壊やユーゴスラビア紛争(※5)については、特に思うところがありました。日本人には“民族紛争”といったってピンと来ない部分もあったので、これは逆にちゃんと描いてみる価値があるんじゃないかと思ったんです。

※5 ユーゴスラビア紛争
 1991年にぼっ発。ユーゴスラビアは指導者チトーにより多数の民族がまとまった社会主義国家であったが、チトーの死去とともに各民族による争いが激化。国連等の介入を経て沈静化するまでに多数の死傷者と難民を出した。惨劇を知らない人でも、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナといった、この紛争をきっかけに独立した国名を聞いたこともある人は多いのでは?

米澤 ヴァレリア島がユーゴスラビアだとすれば、新生ゼノビアとローディスはそれぞれアメリカ、ソ連にあたるわけですね。

松野 まさしくそのとおりです。

米澤 2つの大国に挟まれて、複数民族から成る集団が国家を保てるのか、異なる民族集団が一枚岩になれるのか? それが『タクティクスオウガ』を支える大きなテーマだとした時に「ならば、どうして最後の敵が“彼”なのか?」ということを私なりに考えてみた時期があったんです。なんとなくゲームとしては、納得がいかないところもあったので。

松野 その意見はよくわかります。

米澤 ユーゴスラビアの紛争がモチーフなのであれば、乗り越えるべき最大の相手はチトー(※6)以外にありえない。だから、最後の敵は“彼”なのではないか、と考えたんですが。

※6 チトー
 ヨシップ・ブロズ・チトー。類まれな指導力とそのカリスマ性で、多民族国家たるユーゴスラビアを1つにまとめ上げ、終身大統領として君臨した。1980年没。

松野 米澤さんのおっしゃるとおりです。そこまで理解していただけて光栄です。

米澤 ああ、やっぱりそうでしたか……。長年の疑問というか、もやもやしていたものがスッキリしました。

松野 実際にはゲームなので、そこまで複雑な話を描くこともできないし、そこをちゃんと描いていないからこそ、最終的な流れがやや唐突で、ご都合主義な部分も否めないとは自覚しています。ですが、僕の中では最後の敵は“彼”しかいない。彼を失ってなお、1つにまとまることができるのか、どうなのか。それを物語として示したかったんです。

米澤 後継者の話も含めて、これほどのテーマをエンターテインメントとして見せるというストーリーテリングは、少なくともゲームでは他に類を見ないものだったと思います。

松野 とはいえ、プレイヤーの中には反発する人が多いのも、当時から自分では理解していたつもりです。共和制で起こる戦いをずっと描いてきたのに、どうして物語が進むにつれ世襲制の話になるんだ、と。

宮部 そこにはどんな意図が?

松野 「日本のプレイヤー向けのゲームだった」というのが大きな理由です。日本という国がそもそも世襲制のお国柄なので、最終的には世襲制の流れを描くほうが日本人には理解を得られる結末になるのではないか……という考えもあって、あのようにまとめました。

宮部 “権威”と“権力”が別々に存在して収まる、という形ですね。

松野 この作品のエンディングは海外のスタッフにも読んでもらっているんですが、「非常に日本的だ」と言われました。アメリカで最も理解を得られるエンディングがあるとしたら、成功した革命家が主役になり、そのまま君主に納まるパターンだろうとも。

米澤 なるほど、○○○○が君主になるのがアメリカ人にとって違和感があるのは、なんとなくわかります。

宮部 とはいえ、デニムが○になっても、最後は××ですから。

米澤 (笑)

宮部 長いこと苦労してクリアしたらアレですもの……ぽかんと開いた口から、魂が半分飛び出したみたいになりましたよ(笑)。

米澤 今回、初めてプレイする方の中にも宮部さんのようになる方がいらっしゃるかもしれませんね(笑)。

宮部 でも、それがあったからこそもう一度やり直して、違うエンディングにたどり着き、高らかなシンフォニーを聞いた時には本っ当に涙が出ました! 

米澤 いわゆるベストエンド的な結末ですよね。ですが、あれはあれで、当時の若い私は納得ができなかったんですよ。デニム、どうして……と。

松野 僕なりに、彼を幸せにしてあげたいと考えた結果のエンディングです。彼があの戦いを終えた後で平和に暮らすには、ああするしかなかったと思うんですよ。

米澤 数年経ってみたら、それが心の底から理解できたような気がしました。

宮部みゆきの究極の野望!?
それは『オウガ』あればこそ

 松野らが生み出した『タクティクスオウガ』。宮部と米澤の心に刻まれたその記憶は、ゲームファンとしてはもちろん、小説家、ひいては人としての2人の在り方にさえ、今も強く影響を与え続けている。

米澤 何かの記事に、ゲームの選択肢というのは結局本当の判断を迫られていない、といった内容の記述がありました。何を選んでも最終的な結末は変わらないし、選択の動機づけは多くの場合ステータスの強化にすぎない。つまり、選択は事実上どちらでもよくなっているというような内容だったんです。意見はよくわかるんですが、私はその時、声を大にして言いたかった。「何を言っているんだ、日本には15年も前から『タクティクスオウガ』があるじゃないか!」と(笑)。

宮部 まったくです(笑)。

米澤 選んだ選択肢の影響が最後まで物語にかかわってくる。たとえ物語が合流しても、過去の選択は最後までプレイヤーの心に染みつくんです。この痛みと重みを兼ね備えたゲームがちゃんとあるぞ、と叫びたい気持ちでした。選択肢がそのままちゃんと物語になる、それがこの作品が色あせない理由の1つじゃないかと思います。

宮部 1人のゲームファンとしても、小説家としても私はこの作品を忘れることができないんですよ。じつは『タクティクスオウガ』をプレイした後、ずっと描いている夢があります。いつか、マルチエンディングの小説を書いてみたいんです。どのルートに行っても納得がいく結末を迎えられるような、どこへいっても読者に納得してもらえる、そんな小説を書いてみたい、と。

米澤 それはもう、小説の究極の野望ですね。

宮部 そう! 究極すぎて、なかなか手が出せない(笑)。ゲームはプレイヤーが積極的に、自分からつかみ取りに行くもの。逆に小説というのはわりと受け身なものだから、「こんな主人公の話は読みたくない」と思われたら、そこで終わってしまいますから。

松野 確かに難しそうですが、でもそんな小説があるならぜひ読んでみたいです。

宮部 私がこんなにこだわるのも、頭の奥にずっと『タクティクスオウガ』があるからこそ。いつかは、民族浄化のテーマにも触れてみたいと考えています。領土拡大を目的とした戦争は表向きなくなったようですが、文化や思想のぶつかり合いで起こる紛争や戦争は絶えない。だとしたら、それは物語を綴る者が描いていくべきテーマの1つであると思っています。

米澤 『タクティクスオウガ』をプレイして、元々興味を持っていたユーゴスラビアの民族紛争について、改めて考えるようになりました。そして、これらを題材に作品を作るということはどういうことなのか、とも。ややもすると、よその国の不幸を持ってきて、自分たちがただエンターテイメントとして楽しむだけになりかねない。一方で「戦争はよくない」といったような一辺倒の説教になってしまう危険性もある。そのどちらでもなく、本当に大切なことを作品で伝える道というのはどこにあるのか? 考える時にマイルストーンとなるのは、やはり今でも『タクティクスオウガ』なんです。

宮部 (強くうなずきながら)まったく同感です。本当に強い影響を、プレイした人の多くに与えている作品だと思います。

松野 ……僕はこの数々のお言葉を、どんな顔で受け止めればいいのでしょう……。

宮部 今日は全部想いをぶつけますので、全部聞いてください(笑)。確かに『タクティクスオウガ』はRPGとしての王道的な大河ファンタジーではあるけれども、それだけじゃない。私たちの現実に深くつながる普遍的な要素がたくさん詰め込まれている。言葉やセリフでもそれらは雄弁に語られているんですが、何より主人公の“選択”と“行動”によって如実に示される。それを体感するという経験は、ゲームにしかできないんです! 小説を読むという行為では味わえない、誰かの話を聞いただけでもやはり実感しえない。

米澤 「プレイする」という能動的な意志が。

宮部 そう、自分の意志が入ることでしか体感できない感動なんです。“正しいor間違い”の選択肢ではなく、何が自分の正義かを問いながら選んでいく。この醍醐味を、PSPで携帯しながらどこででも味わえるなんて、ものすごい幸せですよ! オリジナル版のころは、私なんか正月休みに、実家へスーファミを担いで帰ってたんですから!(笑)

松野氏への愛が止まらない!?
『オウガ』の小説、書きませんか

 PSPで実現された、新たな『タクティクスオウガ』。不朽の名作とも言われたこの作品を、あえて再構築する難しさ。そして必然的に高まる、新作への期待。

宮部 今回は新システムでかなり遊びやすくなっているとうかがいました。これだけシステムやシナリオを変えるとなると、相当大変だったのではないですか?

松野 大変でした(笑)! 何をしても「違う」と言われそうな気もしていたんですが、ただベタ移植というのもやりたくなかった。僕の中で、すでに古いシステムになっているものですから。

米澤 当時のバランスのままだと時間もかかりますから、挫折してゲームを楽しめない人も増えてしまうかもしれませんしね。

松野 とはいえ、基本となるデータもシナリオも膨大で。「よく作ったなぁ、がんばったなぁ」と15年前の自分を褒めたい気持ちもあり、一方で「こんな大変なもん作りやがってッ」と恨む気持ちも半々でしたね(笑)。

宮部 『伝説のオウガバトル』も『ベイグラントストーリー』もプレイしたんですが、それぞれシステムがまるっきり違っているのに、これを同じ人が考えているなんて、信じられないぐらいすごいことです。何か頭の中のスイッチを切り替えるような作業をなさるんですか?

松野 特に意識はしないんですよ。ただ、同じモノをずっと作っていたら飽きてしまうし、進化させても行き詰ってしまうので、違う遊びやルールを考えていったほうが楽しいしおもしろいというだけなんです。僕からすれば、1年に何冊も違う話を書かれる小説家の皆さんのほうが感心してしまいます。宮部さんはファンタジーにミステリ、米澤さんは青春系から本格ミステリまで、どうやって切り替えを?

宮部 そこはあまり切り替えようっていう意識はないですね。ミステリでもファンタジーでも、書きたいテーマが決まったら、そこへ向かって……という繰り返しで。ね?

米澤 はい、あまり強く意識はしないですね。ちなみに『オウガバトルサーガ』は全8章だということですが、これは最初からゲームシステムありきで、『伝説のオウガバトル』で第5章を描いたころには、すでにすべてのエピソードが出来上がっていたのでしょうか?

松野 その時はなかったんです。おぼろげにサーガの全体像こそあれ、正直、行き当たりばったりな感じで。当時はとにかくタイトルの印象を大きく見せようと必死で、ここまでシリーズとして続くとはまったく思っていませんでした。

宮部 今回は第7章の再構築ですが、続きはお考えではないんですか?

松野 今のところはなんとも(笑)。もしやるとしても、また別のシステムのゲームになると思います。というより、僕としては続きのエピソードをぜひ宮部さんや米澤さんに書いていただきたいくらいです。

宮部 昔、ナイショでサイドストーリーのようなものをこそこそと楽しく書いたりはしてましたが(笑)、『オウガバトルサーガ』は壮大すぎて、とてもとても。

松野 それは読みたかったッ! 僕だけじゃなく、全国の『オウガ』ファン垂涎だと思います。お2人は逆に、数年前の自分の作品をよりよく修正する、バージョンアップさせるというようなことってお考えになりますか?

宮部 文庫にする際に、気になった部分を改稿したりという作業をする作家さんもいらっしゃいますが、私はほとんどしたことがないですね。ただ、過去の作品のテーマを「今の自分なら、こんな角度から切り込めるんじゃないか?」と考えることはあります。以前の私は1つのテーマをある一方から見て作品を書いた。だけど社会が変わり、自分も歳を重ね、技量も変わった今ならば、別の角度から描けるのではないか、と気がつく。

米澤 私もそれはよくあります。たとえば、1つの作品があってそこで登場人物が語った何気ない一言を「次のテーマにしよう」と思いつく。そうすることで、思いがけず作品と作品がつながることもあります。そういうストーリーテリングの技法みたいなものさえも、私は『オウガバトルサーガ』から勉強させてもらったことがあると思っているんです。

宮部 私も『タクティクスオウガ』に出会っていなかったら、ファンタジーの世界に興味を持っていなかったと思います。私が今、ファンタジー小説も書いているのは、本当に松野さんのおかげなんです。見えない財産をたくさんいただいたゲームだから、21世紀版が登場するなんてうれしくてうれしくて。

米澤 本当に! そう思います。

宮部 よくぞ出してくださいましたと拍手喝采! 新たな『タクティクスオウガ』をプレイできるのが本当に楽しみです。

米澤 なんとか、地獄の年末進行を乗り越えてプレイしたいな、と(笑)。そして、松野さん、ぜひ『オウガバトルサーガ』の続きをよろしくお願いします。

松野 戦争ものは1つ書くと物語に飲み込まれてしまって、ずいぶん疲れるンです。できれば次は明るく笑えるようなゲームを、と思っているんですが、いけませんか(笑)。

宮部 とんでもない! そのお気持ちは十分にお察しします。明るいゲームもプレイしたいですし。でも、それはそれで楽しみにして、これはこれで楽しみにするということで!

米澤  同感です(笑)。

松野 こ、心に刻んでおきます……(笑)。

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 人は自分の人生を変える“何か”に出会うことがある。それは人物であったり、動物であったり、本であったり、映画であったり、ゲームであったりさまざまだ。自分の知らないところで、自分の存在が、行為が、誰かの運命の歯車を動かす。しかし、その様を目にする瞬間というのは、人生にそう何度も訪れるものではないかもしれない。

 愛読し続けてきた2人の作家を前に「夢のようだ」と松野泰己は言った。しかし彼が『タクティクスオウガ』を手がけたことで、実際に宮部みゆきはファンタジーを書くきっかけを見出した。米澤穂信は創作における揺るがぬマイルストーンを手に入れ、新たな著作を生み出し続けている。

 あの日の『タクティクスオウガ』があったからこそ、今、この時があるのだ。

 今日も、人知れず輪は廻る。15年前と同じように、誰かがバルマムッサの嵐の夜にきっと胸を痛めている。運命を刻むいくつかの歯車の音が絡まりあい、どこかでまた新たな夢の形を奏でることだろう。


『電撃ゲームス』

さらにディープな内容に突入した鼎談の後編は『電撃ゲームス Vol.16』で掲載!


データ

▼『電撃ゲームス Vol.16』
■発行:アスキー・メディアワークス
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