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2011年10月21日(金)

【通好みゲームメーカー 会社案内 Vol.2】株式会社エクスペリエンスができるまで ~激動のゲーム開発人生~

文:megane

激動の某M社時代

 協力して仕事を終えた彼らだが、千頭氏はそのままフリーでゲーム制作を続け、安宅氏はその時の開発会社である某M社の前身の会社に移籍する。実は『ウィザードリィ』を作っていたチーム全員に、その会社からの誘いがあったのだが、前述したように安宅氏以外は外注としてほかの仕事も請けていたため、結果的に安宅氏のみが移籍する形になったという。

安宅 当時は僕もよく状況を知らなかったですからね。

千頭 安宅さんは本当に大変な目にあっていましたね。

安宅 その会社は起業したばかりでスタッフが新人のみでした。ゲーム開発を1から教えていきながらの進行でしたのでタイトなスケジュールをスムーズに回せずに苦労していました。

千頭 安宅さんからのヘルプが来て、そこでまた同じく仕事をすることになりました。このときも『ウィザードリィ』ですね。

▲写真下のPSソフトが、色々あって制作した『ウィザードリィ』。

 その後、いくつかのゲーム開発を下請けとしてこなしたあと、M社はパブリッシャーとして『ウィザードリィ エクス』シリーズを開発することになる。これには極端に低い予算での開発による会社としての疲弊、クリエイターとしての葛藤などがあった。

千頭 少ない予算であってもやり方しだいである程度のものは作れると思っていましたので、疲弊しきる前に横槍の少ない状態で自分たちが一から作れるものをつくろうということで会社に提案し、方向転換したわけです。

安宅 『ウィザードリィ』の開発に携わって得た感触として3DダンジョンRPGの魅力に可能性を感じていたので『ウィザードリィ エクス』を作りました。本作を作るにあたって、投資ファンドに企画書を持ってプレゼンしに行ったりしましたね。

千頭 ただ、やはり一筋縄では行きませんでしたね。まず、プラットフォームメーカーにサードパーティとして承認してもらう必要がありましたし、資金も集める必要があった。あとは開発の苦労ももちろんありました。

安宅 どの開発も同じかとは思いますが、経営者が目指すプロジェクトの成功とユーザーに満足してもらえるゲームの制作の2つをすり合わせるのに特に苦労しました。

千頭 会社の方針が“超低予算で利益率を高く”でした。しかし、当時ですら『ウィザードリィ』というコンテンツは全盛期に比べると右肩下がりの上に宣伝費がゼロでしたので、ユーザーにささるフックのない作品を作ってもダメだろうということは思っていたんです。

安宅 それで何がキャッチーで売れるだろうか、ということを千頭さんと2人で相談をして、決めたのが学園モノの『ウィザードリィ』でした。まずは方向性をここで固めてから、低予算でもおもしろい内容を考えて会社にプレゼンしに行きました。

千頭 “チーム ムラマサ”として名前を出したのは、ここが初めてになります。自分たちが大事にしたい事を実現するための一歩目として、起業を視野に入れてチームを作りました。


『ウィザードリィ エクス』発売。そして……

 『ウィザードリィ エクス』が発売され、販売実績も好調だったことで『ウィザードリィ エクス2』の開発がスタートする。

千頭 前回以上の低予算に高利益という方針で始まりました(笑)。会社事情で数ヵ月に及ぶプロジェクト凍結があったり、予算を出稼ぎで稼いだり……。全体を通してかなり難しいプロジェクトでしたが、メディアの方やユーザーの方の応援に助けられてなんとか作りきれましたね。おかげで日本一のやりくり上手になれたかも……。

安宅 プロジェクトが動いていない期間があるのに、発売日の前倒しによりスケジュールが3ヵ月巻きになったのは辛かった。でもチームの結束はかなり高まったので結果としてはよかったのかもしれません(笑)。

千頭 何度か病院送りにもなりました。ゲーム会社としてのあり方を考えさせられるプロジェクトでしたね。ただ、この時にユーザーの方たちの応援がとてもうれしく励みになりました。かなり遅いですが、ユーザーとの対話がゲーム作りをよりおもしろくすることに気がつきました。今後のゲーム開発に対する姿勢が固まったときだと思います。

 その後、千頭氏と安宅氏に加えて、『ウィザードリィ エクス』開発に携わったメンバーが中心となってチーム ムラマサは独立を果たす。2006年の出来事である。

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(C)2011 Experience Inc. Published by KADOKAWA GAMES

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