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2012年2月23日(木)

インタビューでも熱き怒羅漫(ドラマ)が展開! 『アスラズ ラース』開発スタッフの熱量を感じろ!! “出会い~誕生編”

文:電撃オンライン

 『.hack//』シリーズや『NARUTO -ナルト- ナルティメット』シリーズなどでおなじみのサイバーコネクトツーが、カプコンと共同開発したことでも話題になったタイトル『アスラズ ラース』。構想段階から数えて、およそ4年の開発期間を経て、いよいよ本日、2月23日に発売された。

 今回はその発売を記念して、サイバーコネクトツーの松山洋社長、カプコンの土屋和弘プロデューサー、そして本作の脚本を手掛けたシナリオ工房月光の重馬敬氏の3人に集まっていただき、本作の開発の経緯やその魅力を余すことなく語っていただいた。“怒り”をテーマに独特の世界観を構築している本作は、はたしてどのようにして形になっていったのだろうか。貴重な初期設定などの話も聞くことができたので、ゲームをプレイしてからでも、ぜひ一読してみてほしい。

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▲『アスラズ ラース』は、主人公であるアスラの“怒”がさまざまな形でゲーム中のアクションとして表現されており、その“突き抜けた演出”が魅力的な作品となっている。簡単な操作で爽快なアクションを体験できるのも嬉しい。
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▲今回インタビューに答えていただいた『アスラズ ラース』開発スタッフから、カプコンの土屋和弘プロデューサー(写真左)、サイバーコネクトツーの松山洋氏(写真中央)、脚本を担当したシナリオ工房月光の重馬敬氏(写真右)による怒りの形相。これくらいのテンションの高さで終始インタビューは行われたので、その熱量を感じていただきたいのである。

■“怒”を体現するゲーム『アスラズ ラース』はこうして生まれた!

――いよいよ発売を来週に控えて(このインタビューは発売前週の2月17日に行われました)、胸の高まりが抑えられません! 早朝からのインタビューですが、テンション高めでスイマセン(笑)。でも『アスラズ ラース』ならそれもいいですよね! ということで、本日はサイバーコネクトツーの松山さん、カプコンの土屋プロデューサーに加えて、脚本をご担当されたシナリオ工房月光の重馬敬さんという、素晴らしい方々にお集まりいただきました。

松山洋氏(以下、松山) 重馬さんが取材を受けるのは初めてかもしれませんね。貴重な話がいろいろと聞けると思いますよ。

重馬敬氏(以下、重馬) 楽しみにしてきました。本日はよろしくお願いします。

土屋和弘氏(以下、土屋) この3人がそろうのは確かにレアですね。よろしくお願いします。

――さて、早朝から「怒」とか「復讐(ふくしゅう)」をコンセプトにしたゲームのお話を聞くというのも、なんだかおもしろいです(笑)。ますは『アスラズ ラース』はどのようにして企画されたのか、その経緯からお聞きしたいと思います。さかのぼると、どのくらい前にこの企画は始まったのでしょうか。

松山 2008年までさかのぼりますね。当時、欧米先行発売の『NARUTO -ナルト- ナルティメットストーム』を開発していたころで、その時くらいからカプコンの竹内潤氏や小林裕幸氏というカプコンを代表するプロデューサーの方々から「行くよ」って連絡がくるようになって(笑)。もちろん、昔から知っている間柄なので、なんだろうなーと思って会うわけですよ。でも本当に会いに来て話して、ちょっとご飯を食べたりして、それで帰って行って(笑)。

 そうしたら今度は福岡で“モンスターハンターフェスタ”が開催されるということで、辻本良三プロデューサーを筆頭に『モンスターハンター』の開発の方々とも交流させていただいて。そんなこんなで、定期的にカプコンのプロデューサー陣が福岡の弊社に来ることが多くなったのですけど……なんなの、これ? って(笑)。カプコンの謎の表敬(?)訪問が続いていたわけですが、その後、竹内さんの口から「ぶっちゃけ、一緒に仕事がしたい」というお言葉をいただきました。

 僕らとしては、おかげさまでいろいろなメーカーさんからの引き合いも多く、ありがたいお話もたくさんいただけるようになりました。ただ、ほとんどのメーカーさんからは「何かやりましょう」とか「『ナルティメット』シリーズみたいなものを作ってください」とか、具体的な企画が何もないようなお話ばかりだったんです。そういったお話だと、こちらとしては飲むことはできませんよね。おもしろい作品や企画は、まずお客さんのことを第一に考えて生みだすべきであって、同じ論法で簡単に作られるものではないですから。我々はゲームを作るプロですから、もちろん制作は真剣勝負です。そんな弊社の強さをちゃんと理解していただいたうえで……お互いのことをもっと理解していただいたうえで、仕事がしたい。その理解する時間が必要だということは、カプコンもまったく同じ考えでした。だからガチで話し合いをして、ガチで作ろうと。

 さぁ、そこから実際に作り始めるまでに1年かかりましたよ(笑)。

――1年も話し合いをしていたんですか(笑)。

松山 そうですね、具体的に仕事を始めていない時期……お互いの自己紹介などに1年かけましたね(笑)。その間に、本当にいろいろなことを話して、どんな漫画やアニメを見ていたかとか、どんなものが好きかとか。あとはカプコンの大阪の開発室も拝見させていただいたりもしました。

 今だから言えますけど、『デビルメイクライ4』や『モンスターハンターポータブル3rd』などの、発表前のタイトルの開発も拝見させていただいて、ウチと似ているなと感じて。ウチの開発は机と机の間にパーテーション(仕切り)がなくて、誰がどんなことをやっているのかがわかるようになっていますし、コミュニケーションが取れる環境にしているのですけど、まったく一緒でした。そして私が伺っても挨拶をしっかりとしてくれますし。

 ここまで行き届いているゲーム開発のチームはなかなかないですよ。ちょっと体育会系なノリですけど、これができるのってウチの開発チームだけだと思っていたので、これだったら一緒に作っていけるし、ちゃんと喧嘩できるなと思いました。

――お互いのことを理解し合うまでに1年をかける……でも確かに、それで気持ちよくお仕事ができますよね。この段階で、今の『アスラズ ラース』チームがだいたい出来上がった感じだったのでしょうか。

松山 この物語を完成させるには、実は僕らの他に、もう1人重要な人物が必要なのです(笑)。2008年に『NARUTO -ナルトー ナルティメットストーム』を開発していたチームの中に下田星児という男がおりまして。彼は大阪の専門学校を卒業してすぐにPS2の『.hack//G.U.』の開発を担当して、その後『NARUTO -ナルト- ナルティメットストーム』を担当するわけですが、この男がとにかく細かいことをやりたがるといいますか、言うことを聞かない生意気な男でして(笑)。

 土日に私が出社しても開発室にいて、プレイヤーの1000人に1人しか見ないようなシーンを作っていたりするんですよ。私のジャッジ的には、他に優先すべきことや開発のスケジュールもありますから、「そこ、いらないって言ったよね」と注意するんですけど、彼は「社長の考えはそうですけどね、僕はその1000人に1人のために応えたいので」とか言っちゃうんですよ(笑)。半分はいい意味で、半分は悪い意味で言うことを聞かないんですよね。「僕がやるからいいでしょ」って(笑)。

 あぁ、その時に私が思ったのは、こいつはきっと、これから先もこういう生き方をするなと。それはそれでおもしろい。というわけで、この『アスラズ ラース』のプロジェクトが始まる時に、チームを編成するマネージャーたちを呼びまして、「下田はどこのチームにも入れるな」と言いました。その後、下田を呼び出して、「お前をディレクターとして1本作りたい」と打ち明けたんです。もちろん相当の覚悟が必要だし、絶対に大変なことになるけど、やるだけの価値は絶対にあるだろう、と。「どうする?」という私からのクエスチョンに下田が言い放った一言が「待ってました」ですからね。生意気。よし、やろう(笑)と。

 そして竹内さんたちにも下田を紹介して、2009年の途中まではそんな感じで、スタッフを考えたり、さまざまな検証をしていましたね。そうこうしているうちに、カプコンの色もなんとなく見え始めてきて。僕らとしては下準備の下準備をしていた感じですね。そんなことをしながら1年が過ぎていき、竹内さんから「そろそろ仕事しようか(笑)」 と言われました(笑)。

――あれ? でもプロデューサーは竹内さんじゃなくて土屋さんですよね?

松山 そうなんです。ぼんやりとゲームのコンセプトイメージを企画書にまとめて、ミーティングをしたいとお願いした時に、「そういえば誰がプロデューサーやるの?」という話になりまして。ちなみに竹内さんと小林さんには無理って言われました(笑)。あなたたち、今まで何しに来てたのと(笑)。

 じゃあ誰がやるのかという話になりまして、竹内さんから「次回連れてきます!」という言葉が出てきて、いろいろ順番がおかしいと思いました(笑)。そして次のミーティングで一緒に来たのが土屋さんだったというわけですが……当然、彼のことは知っていますよ、ガンダムのゲームを作っていましたし(笑)。だから私らと一緒の仕事をやるというイメージが全然なかったんです。土屋さんだけは絶対にないなと思っていましたから。

土屋 よく松山さんのことは、バンダイナムコゲームスの中でお見かけしていました(笑)。

松山 でしょ(笑)。だから絶対ないよ、と思ったんですけど、竹内さんいわく「松山さんにピッタリの人間を連れてきた」ですからね(笑)。「松山さんって、なんでもアニメや漫画に例えるじゃないですか。だからピッタリですよ」と言われたんですけどね、確かにそうですけど、ガンダム作るわけじゃないですからね(笑)。ところがですね、話をしてみると、私と見てきているアニメや漫画がほとんど一緒でして。自分たちが栄養としてきたものが、一緒ということがわかったんですね。

土屋 世代的にもほぼ一緒なので、見てきているものが変わらなかったですよね。

松山 初めて福岡にいらっしゃった時に企画の話をざっくりとして、ご飯を食べながらアニメや漫画の話になりますよね。コミックコンプがすべてだった時代の話とか、それで僕ら大きくなったよねとか(笑)。見てきているものが同じなので、意気投合するのは早かったです。

 そこから土屋さんが正式にプロデューサーとしてチームに加わりまして、本格的にスタートするわけです。ただ、当時の企画書は3ページしかないもので、まだ『アスラズ ラース』とも書いてなかったですからね。“プロジェクト バラクーダ”という、下田が考えたチーム名だけが決まっていました。企画としてはいくつかコンセプトが決まっていまして、“怒りを原動力とする主人公”、“やられっぷりと逆転ぶりがすごい破天荒なアクション”、“深く美しきアジア”、“SF仏教アジア世界”の以上でした。もちろん、この時点でゲームシステムはゼロ。何もなかったです。

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――本当に漠然としたコンセプトしかなかったんですね。ゲームシステムは最初に決めないものなんですか?

土屋 僕らからしたら、最初にゲームシステムをカチッと決めてしまうのは危ないことだと考えちゃいますね。つまりはこのゲームでは何を楽しんでもらいたいのか、ということのほうが先なので。いきなり連続攻撃とか武器がレベルアップするとか、そういうのを先に決めることはあまり意味がないんです。だから最初に企画書を拝見したときも、そういったゲームシステム的なことが一切書かれていなかったので、逆によかったですね。

 ただ、カプコンとサイバーコネクトツーが共同で制作するゲームですから、作るならやっぱりアクションゲームかなというのはありました。そういった意味も込めて、サイバーコネクトツーとのお互いを知る1年というのは無駄ではなかったなと。彼らの物作りの考え方はブレがないなと感じました。

松山 ウチがまず企画を考える時によく言うのが「これは何味で勝負しようとしているの?」という“美味しいものの定義”の話というのがあります。世の中には和食、洋食、中華、フレンチなどの料理があって、例えばラーメン1つをとっても、醤油や味噌など人それぞれ好みが違うわけです。なので、お客さんにまずどういう気持ちになって欲しいのか、何味を求めてもらいたいのかを考えるほうが先だ、という話をしますね。

 今回の場合、普通のアクションゲームではなく、かつ日本人にだけ理解できるものを作るんじゃないというところからスタートしました。世界中の人に楽しんでもらうためにはどうしたらいいか。それを前提にコンセプトを考えたところ、万国共通の感情について意見が出まして。その感情の中でも“怒り”というのを根幹に添えて考えてみようということになりました。

――コンセプトの1つ“怒”がここで出てきたわけですね。

松山 その“怒”を軸に、やられっぷりと逆転ぶりの派手さを際立たせたら、それはきっと誰でも好きな痛快な作品になるなと。それにウチのぶっ飛んだ演出が加われば、言葉がわからなくても決して無視できない、熱量を持った作品が生まれるだろうねと、そう考えながらコンセプトを思案していった感じです。主人公のアスラにしても、最初は神様じゃなくてサイボーグ忍者でしたからね(笑)。体中の全部の関節がギミックになっていて、伸びたり掴んだり、相手を貫いたりすることができる、からくりギミックアクションというのを考えていましたから。

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▲初期設定の頃のアスライメージ。サイボーグ忍者というイメージから細身を想像していたが、思ったよりもゴツい。

――まさかの忍者! 今のイメージとはだいぶ違いますね。

松山 ウチがオリジナルのゲームを作ろうと考えると、必ず忍者のゲームになっちゃうんですよね(笑)。『NARUTO -ナルト-』にしても忍者らしい忍者ではないですから。今までにない忍者を表現したくなるんですよ。だから忍者が主人公となると、みんな設定からすごい細かいところまで考えて、例えばピストルで撃つと薬きょうが飛び出ますが、あれが巻物の形になっていたり、弾丸が展開して手裏剣の形になったりするなどのアイデアをたくさん出していました。ウチの場合、アイデアを積み上げることが多いですね。

 そもそも今回の発想の、忍者にサイボーグいうアイデアも積み上げのアイデアですから。そして、本来は感情を押し殺した忍者が怒りを爆発させることにカタルシスを感じるという話になり、まずはその方向でコンセプトを固めてみることになりました。

――この段階では、まだ現状のアスラ像はまったく出ていませんね。

松山 ここからカプコンとの殴り合いが始まるのですが(笑)。決定的な一撃は「忍者と怒りの食い合わせが悪い」というものでした。どちらかを切れと。下田の意見としては、「そこはどっちもあって成立するから、どちらかを落とすということはありえない」という話になり、悩みましたね。でも、その時カプコンから食らったもう一撃が「大嘘は1個でいいんですよ」という決定的なもので。

 そもそもですね、“SF仏教アジア世界”なんてものはないわけですよ。その時点で大嘘をもうすでに1個ついてしまっている。その中に怒りの忍者ソルジャーがいるとか、もう1個ありえない大嘘が混在してしまっているので、それはお客様が食べづらくなりますよ、と。そうですね、大嘘は1個で十分なんです。なるほどと理解しまして、下田に最終決断を迫りました。彼いわく「そういうことなら判断は1つです。残すのは怒りしかありません」と、ここで完全に本作から忍者が消えて、コンセプトの根幹は“怒”であることが決定しました。

土屋 そこからさらに、この主人公はどういう人間で、何を動機として戦うことになったのかなど、設定を考えていきました。そこに違和感があるうちは、変に固めないほうがいいですからね。結構長い時間をかけて、そのコンセプトを作っていきましたよね。

松山 そうそう。2009年は、もうずっとコンセプトを練っていたような気がしますね。それと並行して、現場ではアンリアルの作業や検証を行っていました。現場としては、とにかく早く動かしたくて仕方ないわけですよ。でもずっとコンセプトをやっていましたから、やきもきしていたと思います。

 2009年の最後のほうで、だいたいアスラ像が固まってきまして、神様が8人いて、それが高度な文明技術を持った宇宙人のようで……という完成予想図を作り始めました。これを2010年の3月にカプコンにジャッジしていただいて、晴れて開発OKのゴーサインをいただき、本格的にスタートしたことになります。

――長い道のりでしたが、おめでとうございました(笑)。

松山 まぁ、そこからまた大変になってくるわけですけどね(笑)。2011年度の発売に向けて頑張りましょうと言っていた矢先、2010年の春くらいに「9月くらいにカプコンのプライベートイベントがあるから、そこで『アスラ』出すからね」と、サラッと言われまして(笑)。いやいやいや、カプコンにプレゼンした映像しかないよ、と。で、それをベースにちゃんと作り直したものを間に合わせて、世の中に初めて出したのが2010年の9月でしたね。

 完全にティザー的な内容でしかなく、この段階で世界観の設定とプロットはありましたが、肝心の脚本ができていませんでした。ここで、ようやく重馬さんに話が繋がるのですが、極論を言うと、現場の人間はほかの作業で手いっぱいで、誰も脚本にまで手が回らなかったということもあり、脚本のプロにお願いして、ストーリーを食べやすくまとめてもらうのが一番いいんじゃないかという話になりました。だったら、今まで一度も仕事は一緒にしたことがないけど、とても仲がいい人物がいたので、その人にお願いしたいとカプコンにも紹介しまして。それが重馬さんでした。

重馬 結構昔からサイバーコネクトツーには出入りはしていました。当時、私は同じ九州にあるゲーム開発会社のガンバリオンさんともお仕事をしていましたので、そのこともあり、九州に行く時には、松山さんともお食事したりお話したりする機会が多かったですね。

松山 2人とも特撮が大好きなので、その話をしたりね。で、本題の『アスラ』の脚本をお願いしたいということで、この物語の設定や思いのたけを半日かけて重馬さんに伝えました。このタイトルで僕らがやりたいことというのを精一杯説明しましたね。そうしたら重馬さんの口から、「ようするに松山さん、ウルトラマンがやりたいんですよね?」って、誰からも言い当てられていないことを、ズバッと言われて(笑)。

 そうなんですよ、ようするにウルトラ8兄弟がいて、その7人が裏切るってお話で、謎の敵のゴーマというのは、あれは宇宙怪獣なんだと。そして同時に地球の悲鳴でもある。だから人間はちゃんと考えなくてはいけないというようなものが根底にはあるんです。そこをズバリ言い当てられたので、もう完全にお任せしました。ただし、脚本を仕上げてもらう期間は2カ月しかない、と(笑)。

――え!? 2カ月しかなかったんですか? また無茶苦茶な……それは大変だったでしょう?

重馬 みなさんのやりたいことがハッキリしていたので、脚本をまとめること自体はそこまで大変ではなかったです。問題は、この作品が持つ熱量をどう上げていくかのほうが難しかったです。そもそもが熱い話なので、その要素がてんこ盛りにあるわけですよ。でも余分なところは省いていく必要がありますから、省くのに温度を上げるにはどうしたらいいのかと悩みましたね。ウチのシナリオディレクターにも相談したりしまして、彼ともある意味殴り合いを何度もしました(笑)。出来上がっているPVを見たりして、そこから熱量を感じたりして、仕上げていきましたね。

松山 元々特撮が大好きな人だから、僕が表現したい内容とかをすぐに理解してくれる。脱線してしばしば『ウルトラマンメビウス』の話になっちゃったりしましたけどね(笑)。

重馬 そうですね、特撮話は大好きなので。私は元々アニメ制作会社のガイナックス出身なので、ロボットアニメなどもいろいろ見ていますし、松山さんとは話が尽きることがない。

松山 重馬さんには定期的にウチの作品を見てもらっていたので、ウチの温度はもうある程度はわかってくれているなと。そうやって2010年の12月に脚本が出来上がりまして、ようやく他の開発が一気に進むことになります。ここまでがチーム誕生秘話と開発の経緯ですかね(笑)。

――長いよ!(笑)。なんかもう開発そのものがドラマ過ぎて……。ようやく脚本もできて、主要人物もそろって、本格的に『アスラ』が動き始めるわけですね!

松山 そうです、ようやくですね。ようやくなんですけど、2011年の1月、ここでまた『アスラ』は新たな局面を迎えることになるのですが……以下、次回に続く!

――つづく!?

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