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2012年10月20日(土)

床にポツンと電話が1つあるだけのフロアから始まった!? “電撃”の20年をお偉いさんたちが振り返る、高齢……恒例イベントのレポートをお届け

文:電撃オンライン

 本日10月20日~21日にかけて、千葉・幕張メッセの1~4ホールで開催されている“電撃20年祭”。そのアスキー・メディアワークスブースのステージで行われたイベント“DENGEKI 20×20 お偉いさんでポンッ!”の模様をお届けする。

『電撃20年祭』

 このステージイベントは、アスキー・メディアワークスの20年の歴史を、社に深くかかわってきたお偉いさんたちがトークで振り返るというもの。司会は元ニッポン放送アナウンサーの荘口彰久さん。荘口さんは、ラジオ大阪と文化放送で放送された“電撃20年祭”へ向けたカウントダウン番組『DENGEKI 20×20 ~電撃20年祭への道』(全20回)のパーソナリティも務めた。

『電撃20年祭』
▲司会を務めたフリーアナウンサーの荘口彰久さん。

 荘口さんは開口一番、次のステージに出演する声優さん目当てで最前列に並んでいる女性たちに向けて、「これから1時間、おっさんだけのトークで地獄の苦しみを皆さんにお届けします」と宣言。来場者の笑いを誘っていた。

 ステージに登壇したのは、角川グループホールディングスの代表取締役社長でありアスキー・メディアワークスの会長でもある佐藤辰男、アスキー・メディアワークス代表取締役社長の塚田正晃、同社常務取締役の渡部雅人、同じく常務取締役の鈴木則道。そしてゲストとして、会社設立当時から深くかかわってきた人気作家のあかほりさとる先生も参加した。

『電撃20年祭』
▲左から、作家のあかほりさとる先生、塚田社長、佐藤会長、渡部常務、鈴木常務。

 登壇してすぐに、塚田社長は最前列の若い女性たちを目にして「“お偉いさんでポンッ!”が始まって以来、初めてこんなにたくさんの女性に来ていただいて、声優さんになった気分」と興奮気味に発言。あかほり先生は、「大丈夫? 次のステージまで待てる? もうおっさんしか出てこないよ」と、しきりに来場者を心配して会場を沸かせていた。

 挨拶トークの後、まず最初に“20×20フラッグの掲示式”が行われた。これは、前述のラジオ番組『DENGEKI 20×20』のゲストの方々にサインを書いていただいたフラッグを掲示するというもの。本来ならセレモニーを行う予定だったが、すでにフラッグはステージの壁に貼られていて動かせないということで、掲示式は終了。荘口さんは「さて、これでもうマストでやらなきゃいけないことは、すべて終わりました」と、トークの始まりを宣言した。

 この後50分ほど続いたトークは、ラジオ番組で寄せられた質問や社員からの疑問に、お偉いさんたちが答えていくというもの。しかし、そのほとんどが、おっさんたちの飲み屋でのトークのような内容だったり、詳細にお伝えすると株価に影響したりする恐れがあるため、ここでは印象深い内容だけをピックアップしてお届けしよう。

 またステージ上の登壇者の横には、3つの空席のイスとマイクが置かれていた。これは、通りがかったお偉いさんも巻き込んで参加させてしまおうという趣向のようで、実際に途中からは、グループ会社であるエンターブレインの専務取締役・青柳昌行さんも参加。さらに後半では、それほどお偉いさんではないけど、という注釈つきで、電撃ホビーマガジン編集長の安蒜利明もトークに加わった。

『電撃20年祭』
▲なかば強引にエンターブレインの青柳専務も飛び入りで参加した。

■電撃20年で一番の黒歴史とは?

 渡部常務いわく「設立当初は机もイスもない床の上に、電話が1つだけポツンと置いてある状態からスタートした」という“電撃”も、おかげさまで今年で20年。塚田社長によると「あかほりさんの『爆れつハンター』がなかったら、ここまでこれなかったかもしれない」そうだが、それを受けてあかほり先生は「当時、(旧)メディアワークスは本当にお金がなかったから、『爆れつハンター』でもらった印税でみんなで飲みに行った」という心温まるエピソードも披露した。

 そんな中、“20年の歴史の中で、黒歴史となっている出来事はありますか?”という質問に対して、塚田社長は衝撃のエピソードを告白。かつて刊行していた『電撃スーパーファミコン』という雑誌の問い合わせ先に、誤って怖い人たちの事務所の電話番号を記載してしまったことがあったそうだ。

 毎日のように寄せられる「マリオのジャンプができないんですけど」といった内容の問い合わせに当該事務所の方々は激怒。塚田社長は彼らの事務所で、1週間ほど電話番をさせられたという。かかってくる電話の3本に1本は、事務所宛の怖い人たちからの電話で、その取り次ぎもしていたそうだ。今だから笑える話だが、当時はまったく笑いごとではなかっただろう。

 佐藤会長によると、別の雑誌では離島の救助ヘリのポケベル番号を掲載してしまったこともあったとのこと。このポケベルが鳴ると、有無を言わさずヘリが飛び立つ仕組みだったらしく、当時は大変なご迷惑をかけたそうだ。

■来年の頭には衝撃の発表が?

 また“今一番、個人的に売りたい作品はありますか?”という質問に対して、佐藤会長が「まだ言えないアニメの話とか、まだ言えないTVドラマとか?」と発言。それを他のメンバーが諌めるという出来事もあった。それを受けて塚田社長は「すごく言いたいけどまだ言えない、すごいことが来年の頭にある」と発表。「アスキー・メディアワークスってそんな会社だったのと思うくらいのこと」と続け、会場はどよめいた。佐藤会長はそれに対して「『爆れつハンター』の実写版です」と冗談で締めていた。

 その他、“作家を目指している人にアドバイスをするとしたら?”、“どうすれば偉くなったり出世できますか?”といったまじめな質問にも回答。また“会社がつぶれるかもしれないと思った時は?”という質問に対して、鈴木常務は「業績が悪くて社員旅行が中止になった」というエピソードも披露した。

 最後の質問は“この会社にいて一番よかったことは?”というもの。この質問に塚田社長は「こうしてたくさんのお客さんに来ていただいて、皆さんに喜んでもらっている今が一番」と回答。来場者からは大きな拍手が沸いた。

 電撃10年祭では幕張メッセの1つのホールを使って行われたイベントも、今回の電撃20年祭では4つのホールを使用するまでに拡大した。塚田社長は「今後も30年、40年と続けて“夢は幕張メッセの8ホール制覇!”」との意気込みもコメント。最後は登壇したお偉いさんたち一同による感謝の会釈と、来場者からの声援で幕を閉じ、荘口さんに「いい話でまとまってしまって、私としては失敗したな」と言わしめるほど、意外に盛り上がったイベントとなった。

『電撃20年祭』
▲最後は登壇者一同による来場者への会釈で幕を閉じた。

■“アスキー・メディアワークス創立20周年 電撃20年祭”イベント概要
【開催日時】2012年10月20日~10月21日 10:00~18:00(予定)
【会場】幕張メッセ(1~4ホール)
【入場料】無料

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