2013年2月19日(火)
“燃え”と“萌え”が熱いサイエンス魔法学園異能バトル『塔京ソウルウィザーズ』で第19回電撃小説大賞<銀賞>を獲得した愛染猫太郎先生を直撃
小説『塔京ソウルウィザーズ』で第19回電撃小説大賞<銀賞>を受賞した、愛染猫太郎先生のインタビューを掲載する。
▲小幡怜央先生(スクウェア・エニックス)が描く本作の表紙イラスト。 |
本作は、魔術系のロジックとハイテクを融合させた、サイエンス魔法学園異能バトル。黄道十二宮を冠した時計塔学園の魔術師たちが“神の頂”を目指す街《塔京(とうきょう)》を舞台に、《ソウルウィザード》と呼ばれる魔術師たちの戦いを描き、第19回電撃大賞小説部門の<銀賞>に輝いた。
練り込まれた世界観と魅力的なキャラクターが審査員に評価された本作は、どのように誕生したのか? 気になる制作秘話やバックボーンを暴くべく、作者の愛染猫太郎氏に直撃インタビュー!! また、担当編集が“抜き身の刀”と評した愛染先生に“創作スタイルの秘密”も教えてもらった。
■同級生&先生&両親をア然とさせた小学生時代!!■
――小説を書き始めたきっかけを教えてください。
小学校のころ、江戸川乱歩の小説に出会って読書に目覚めました。それでミステリやオカルト、魔術にも興味を覚えて、そういう本も集め始め……今は200冊以上ありますね。数えたことがないので、もっとありそうですが。最初に小説を書いたのは、小学校の課題です。「自由に小説を書いて、本を作りましょう」という課題で、僕は1カ月くらいかけて原稿用紙300枚ぐらい書きました。あまりの膨大な枚数に先生とクラスメイトと家族がぼう然としていたのを覚えています。内容は子どもたちが不思議な島に探検に出かけていくという冒険活劇でした。
――当時はどんな子どもだったのですか? 愛染さんが小学生時代を送った1980年代はファミコンが発売され、科学万博が開催されたり、サイバーパンクが流行ったり、今ではちょっと考えられないほど“科学押し”の時代でしたよね。
そうですね。あのころは、これからどんどんゲーム機や次世代機器が発達していくという過程を肌で感じられた時代だったので、わくわくしながらいろんなものに触れていました。僕らの世代ってTVゲームの進化と少年時代が合致していたので、その影響は素直に受けていると思います。
また、海外のSFやファンタジーは昔から好きでした。タイトルは秘密ですが、『塔京ソウルウィザーズ』にもオマージュとして、柱に入れている小説があります。科学万博にも行きましたね。ファミコンでも遊びました。当時はおこづかいが月500円くらいしかなかったので、お年玉を貯めてソフトを買っていました。『ファイナルファンタジー』や『ドラクエ』シリーズはほとんどプレイしています。中学生になると、友だちとTRPGで遊びました。その影響は今も創作に反映されています。高校時代は……天気の日は学校をサボって、図書館で借りた本を公園で読んでいました(注・真似をしては駄目です)。でも、学校の行事にはちゃんと参加して……(笑)。
――かなり文学少年ですね(笑)。それで大学も文学部に入ったと。そんな愛染さんが作家になろうと思ったのはいつだったのでしょうか。
作家になろうと思ったのは、高校時代の友人の影響です。高校3年生で受験勉強をしていたら、休み時間にソイツが「俺は芥川賞作家になる!!!!」って突然宣言して。「コイツ、馬鹿だな!」と思ったんですけど、一度きりの人生だし、僕も小説が好きだし、勉強してみようかな、と。それが本格的に小説に取り組もうとしたきっかけです。芸大の文芸部を選んだのは、国語と論文だけは得意だったからです。最初は国語の成績も悪かったんですけど、『魔界水滸伝』をフルセットで買って、全部読み終えたら……なぜか国語のテストの解き方がわかるようになっていました。偏差値が70くらいまで上がったから、本当に驚いて。『魔界水滸伝』の栗本薫先生には、今でも感謝しています。
(C)愛染猫太郎/AMW
イラスト:小幡怜央(スクウェア・エニックス)
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