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2013年7月16日(火)

【ほぼ毎日特集】よく自動ドアが開かない男が攻略法を聞いてきた。意外と知らない自動ドアの歴史や仕組みをインタビュー(第18回)

文:そみん

■日本における自動ドアの歴史を紐解く

――アメリカでは1950年代に一般化していたとのことですが、日本における自動ドアの歴史はいかがでしょうか。

 日本で最初の自動ドアは、1925年(大正14年)に国鉄のモハ31系列車の乗降口に採用されたものと言われています。このころの電車のドアは手動式で、駅員が戸締りの見回りをしてから発車していました。これを自動ドアにすることで、安全な輸送や定時運行を実現できたということです。

 このころの自動ドアは空気圧式で、コンプレッサーで動かす形です。普通にコンプレッサーを用意しようとすると大掛かりになりますが、電車自体にコンプレッサー的な機能もあったため、採用しやすかったんじゃないかと思います。

――なるほど。自動ドアといえば建築物に使われているイメージがありますが、最初は乗り物だったんですね。

 建築用としては、1930年代に銀座日劇前の東芝(マツダランプ)ショールームに、光電スイッチ起動による自動ドアが展示されていたようですが、詳しい記録は残っておりません。

――日本で本格的に自動ドアが開発され始めたのは、いつごろからでしょうか。

 基本的には第二次世界大戦後です。ナブテスコの記録として、1951~52年(昭和26~27年)に自社開発の鉄道車両用自動ドアを国鉄に納入したという記録が残っています。

 また、1953年(昭和28年)にはナブテスコがアメリカのナショナルニューマティック社との技術援助契約を結び、建築用自動ドアの国産化に着手しています。

 国産初の建築用自動ドアが設置されたのは1956年(昭和31年)7月で、当時のナブテスコ本社玄関(神戸市中央区)でした。この国産第1号機は1976年まで20年間稼働して、撤去後の現在はナブテスコ甲南工場に展示されています。空気圧式なので、かなり大きなものですね。

――当時、その他にはどのような建物に自動ドアが設置されていたのでしょうか。

 銀行や病院です。ナブテスコ製での社外設置第1号は、第一銀行(現:みずほ銀行)神戸支店の玄関だったそうですが、空気圧式だったので設置が大変だったそうです。既存の建物への設置だったため、コンプレッサーは建物の奥に置き、玄関から空気配管をずっと引き回して設置したとの苦労話が残っています。

 ちなみにこの第一銀行の自動ドアは、今の主流である横に動くスライド式ではなく、洋風の二枚戸を押し開く、開き戸式でした。

――開き戸の自動ドアですか? ……自分は見たことがないような気がします。

 たしかに今の日本ではスライド式が主流ですが、当時の自動ドアは欧米から伝わってきたものでして、そもそも欧米のドアは開き戸が主流です。スライド式の引き戸というのは、日本独特の障子の文化と合ってますからね。

 ちなみに先ほど、アメリカの自動ドア生産台数が約15万台と話しましたが、スライド式のものは25%、つまり約37,500台くらいで、残りはスイング式の開き戸になっています。

――なるほど、たしかに海外は開き戸が多いです! それにしても、なぜ銀行や病院が最初だったのですか?

 病院については、衛生面でのメリットがあります。汚れた手でドアを開閉するのはよくないということで、初期は手術室を中心に設置されていました。自動ドアが設置される前は、手術室のドアを開閉する専門の看護師を用意していたほどでしたから。

 衛生面で言うと、最近では給食センターの自動ドア化も進んでいます。医療や飲食は、衛生が大事ですからね。

 その一方、銀行での利用は広告・宣伝的な意味合いが強かったようです。当時は自動ドアに高級なイメージがあり、また物珍しさもあったので、わざわざ自動ドアを見物に来る人も多かったようです。

 これはちょっとした裏話なんですが、当時の銀行は大蔵省からの指導で広告宣伝費に限度が設けられていて、広告を打ちたくても自粛しなければなりませんでした。自動ドアの設置は表向きには店舗の回収費用となるので、堂々とお金を使うことができたという説もありますね(笑)。

 こういった流れを受けて、帝国ホテルや大阪グランドホテルなど、ホテルでの自動ドア設置も増えていった経緯があります。ナブテスコの販売数記録によると、1956年は17台、1957年は113台、1958年は153台、1959年は457台とされています。

――先ほど“高級イメージ”という話が出ましたが、どのくらいの価格だったのですか?

 1950年代当時、同じ価格で“土地付き県営住宅が買えた”とも言われています。やはり、相当なステータスであったことは間違いありませんね。

――一戸建てと同じ値段ですか!? せいぜい車1台分くらいかと想像していましたが、とんでもない値段ですね。

 ベンツやスーパーカーを超えるくらいの値段ですね(笑)。

■日本で自動ドアが普及したのはエアコンと関係があった!?

――初期の自動ドアは洋風の開き戸だったとのことですが、これがスライド式になっていったのはいつごろですか。

 1960年ごろから、日本式の引き戸に近いスライド式の自動ドアが増えていきました。普及の理由として、日本人が使い慣れていることもありましたが、安全性の部分も大きかったと言われています。というのも、開き戸を開ける場合は、向こう側に人がいるかどうかをちゃんと確認しないと、開けたドアが人にぶつかってしまいます。また、そもそもドアを開閉するために充分なスペースを用意しないといけません。

 昔の開き戸は、左の扉は押すと開き、右の扉は引くと開くなど、左右それぞれで入口専用と出口専用になっている場合もありました。そのくらいしないと、開き戸はぶつかりやすいんですよね。

 ちなみに引き戸式が増えてきた最初のころは、自動ドアを使う人が戸惑ってしまうこともあったようです。でも、ちょうど同時期に強化ガラスで向こうが見えるスライド式の自動ドアが実用化されたこともあり、しだいに浸透していったようです。

――スライド式の登場で、自動ドアが一気に普及した流れでしょうか?

 それも理由だと思いますが、爆発的に自動ドアが普及するきっかけになったのは、やっぱり1964年(昭和39年)の東京オリンピックですね。この時の爆発的な建築ブームと自動ドアの設置が結びつき、一気に普及していきました。

 この時代は、ちょうどエアコンも一般に普及し始めた時代でした。それまでのお店は入口を開きっぱなしにしているのが当たり前でしたが、エアコンの普及によって、入口を閉める必要性が出てきたんです。この部分も自動ドアとの相性がよく、エアコンをつけたお店は自動ドアも設置する流れとなり、さらに普及が進んでいったんです。

 こうして1970年代にもなると自動ドアは一般店舗でも広く使われるようになり、先ほどもお話ししたように日本の自動ドアの普及率が世界一に達することになったんです。

――スライド式が登場したころは、もう現代の自動ドアとほぼ同じ仕組みだったのでしょうか。

 見た目は似てきていますが、仕組みは違いますね。そもそもの自動ドアは空気圧式か油圧式で、これが現在の電気式に移行したのは1980年代です。

 電気式に移行した際、設置機器がとてもコンパクトになったことも、普及の一因だったと思います。それまではコンプレッサーーなどの大規模な機器の設置が必要で、かなり大掛かりでしたから。

 また、ドアを開くためのセンサーについても、先ほどお話しした国産初の建築用自動ドアが設置された1956年のころは足踏みマット式が主流でしたが、現在は光線センサーが一般的です。これらの移行も、1980年代以降になりますね。

自動ドア取材
▲協会発行のパンフレットより。1980年代ごろ、現在の自動ドアの仕組みがほぼ完成した。

――足踏みマット式の自動ドアは、すごくなつかしい感じがします。

 ドアの前のマットに人や物が乗ると、その重さでマット内部のスイッチが切り替わり、ドアを開く信号を出すタイプですね。初期の自動ドアを代表するものなので、未だに“自動ドアはマットを踏めば開く”と思っている方はいらっしゃいますね。

 ただ、足踏みマット式はここ20~30年、ほとんど使われていないので、マットで検知されているように見えても、実際は光線センサー式を使っているという場合が多いと思います。

――自分が子どものころには、まだまだ足踏みマット式があった気がしますが、もしかしたら錯覚だったんですかね?

 その可能性はありますね。ごく少数の足踏みマット式は今でも使われているので、可能性がゼロとは言えませんが、床を飾るためのドアマットをマット型のセンサーと勘違いしているケースは多いと思います。

――なるほど(そう言われてみると、昔見たマットはかなり雑に扱われていたし、センサーじゃなかったのかも……)。現代においては、電気式の光線センサー型がほとんどということですね。

 一部の工場などでは、空気圧式や油圧式を使っている場合が少なくないですね。工場なら、大型のコンプレッサーを備えている場合が多いので、空気配管の引き回しさえ対応すれば、問題なく自動ドアを利用できますし。また、電気式と比べて耐久性が高いというメリットもあります。

→今も昔も子どもの事故は危険!
最近は大人が●マ●を見ながらの事故が急増中!(3ページ目へ)

(C) Japan Automatic Door Association

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