2013年10月1日(火)
――“強制的社会入り”ですね。
土屋:辞めてから、「何かしなければヤバイ!」という焦燥感との戦いでした。とにかく自分を振り返って、「一番長くふれているものは、自分に向いているもののはずだ」と信じ込んだんです。それが音楽でした。あと、僕はゲームが大好きだったので、「音楽とゲーム……、ここにかけてみるか」と。
確か、高校の卒業進路を決める時に、「なれるならゲームのサウンドクリエイターになりたい」と言っているはずなんですよ。その時は口から出まかせで、本気でなりたいとは思っていなかったんですけれど(笑)、それと同じロジックだったと思うんです。
――ゲーム好きとは! どんなゲームをされてきたんですか?
土屋:幼稚園の時から、数えきれないくらいゲームはプレイしてきましたね。父も母もよくゲームを遊ぶ人だったので、理解があったんですよ。両親は『ドラゴンクエスト』シリーズが好きで、還暦を超えた今でも、『ドラゴンクエストX』を2人で楽しんでますよ。
――普通、親は「ゲームばっかりして!」って怒るものなんですれどね(笑)。それはいいですね!
土屋:逆に親が寝る前にずっとゲームをしていて、音がうるさくて僕が寝れないとか(笑)。だから、家にゲーム機があったんですよ。親がやりたいから(笑)。
(笑い)
土屋:僕は、ゲームを1人で楽しみたいのでコンシューマゲーマーでした。ファミコンソフトだけで、最終的に300本くらい持っていて、スーパーファミコンソフトも200本くらい持っています。ハードも、プレイディアやPC-FX、バーチャルボーイも持っているし……。一生懸命アルバイトをして買いましたねぇ。誕生日プレゼントに、ディスクシステムを買ってもらったりもしましたが(笑)。
プレイディアやスーパー32Xは、今でもうちにありますよ。ゲームに関しては幅広くプレイしていました。
――“なりたい”から実際に“なる”までに、どのような行動をされたのですか?
土屋:ゲームサウンドの学部があるところに行きたいと思ったので、バンタン電脳情報学院(現・バンタンデザイン研究所)に入学して、1年だけ学びました。1年経つか経たないかのうちに、どんどん勝手に企業に応募して、フロム・ソフトウェアへ入社が決まりました。
専門学校に応募する時に、デモテープを作って送ったら“特待生”として入学させてくれたんです。
――デモテープはオリジナル楽曲だったのですか?
土屋:耳コピー曲だったのか、オリジナルだったのか覚えてはいないのですが、もしかしたらそれが初オリジナル曲だったのかもしれません。
――もしそれが初オリジナル曲だったとしたら、いきなり特待生に選出されるってすごいですね……。
土屋:ラッキーだったんですね(笑)。
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