2013年10月24日(木)
プラスチックの槌を放り捨て、笑顔満面で幼女が走り、ほとんどぶつかるような勢いでまりねと抱き合い、その場でぐるりと一回転する。
「やったのかね、まりねお姉ちゃんよ!」
と、何に影響されているのか、芝居がかったへんてこな口調で幼女が訊いた。
「やりましたぞ、愛しき妹よ!」
まりねも似たような言い方で返す。そしてケロールキッドをうやうやしく差し出して、
「ご所望の品、ここに献上たてまつるっ」
「うむー。苦しゅうない苦しゅうない」
偉ぶったふうにそう言ってぬいぐるみを受け取ると、幼女は威厳に満ちた(と本人は思っていたのであろう)表情をぱっと消して、「ありがとーっ」と素直に喜びを弾けさせた。
その一連の光景に仁が面食らっていると、まりねが思い出したように振り返った。
「あっ、ちょうどいいから仁くんにも紹介するよー。この子はアタシがバイトしてる児童擁護施設の子で、こちらの女性は院長さん。実は今日は三人で遊びにきていたのだ!」
初老の女性は淑やかに頭をさげた。
「こちらは緋神仁くん。関係は……えーっと」
まりねが言いよどむ。その理由にぴんときた仁はすぐさま助け舟をだすことにした。カウボーイハットに手を置いて、さらりと言う。
「先輩と後輩みたいなもんです」
これは嘘だった。ASTに入ったのはほぼ同時で、むしろまりねのほうが若干先輩だ。しかし電脳空間ARCANAやASTの存在、エージェントとしての活動は一般人には伏せられている。素直にASTのエージェント仲間ですと明かすわけにはいかなかった。
「先輩、ですか。失礼かもしれませんが、高校生にしてはずいぶんと大人びていますね」
頬に手をあてて、初老の女性がわずかに首をかしげる。
まりねはあわてて手を振った。
「違うんだよ院長さん! ほら、高校で部活に入部したって話したでしょ? その活動には仁くんみたいにOBの先輩方も来るんだよーっ」
(エージェント活動にあててる時間は、学校の部活動だってごまかしてるのか。行き当たりばったりな奴かと思ったが、一応、頭も働かせてるんだな)
と仁は感心していたのだが、
「部活って……ああ、例の電脳探検部、でしたっけ?」
「そうそれ!」
(……いやネーミングはもうちょっとひねれよ)
心の中でひそかに前言を撤回した。
その後、一言二言を交わして、まりねは仁と話があるからと言って初老の女性と女の子を先に帰した。後ろ髪をひかれるように何度もこちらを振り返りつつ、店を出て行く女の子を見送ると、まりねは丸い目をすっと細めて、小さく息を吐く。
「もー。しょうがないなー、まだまだ甘えん坊なんだから」
そんなまりねの横顔を見つめながら仁はつぶやいた。
「意外だな」
「なにがー?」
「ふつうに“大人のお姉さん”してたところ、かな。児童擁護施設のバイトってのも珍しいし、小さい子が好きなのか?」
訊ねると、まりねはゆっくりと首を振った。
「アタシ、その児童擁護施設の出身なんだよー。中学卒業したらもう一人立ちなんだけど、大好きなあの場所のために働きたくってねー。もうちょっとだけ、みんなのまりねお姉ちゃんでいたいなーって」
そう言ったまりねの顔にほんのすこし影がさした。口元に寂しげな笑みを見せる。
「仁くんは、昏睡病って知ってる?」
「流行り病、だったな」
仁は相槌をうつ。昏睡病とは数十年前から急激に増え始めた、眠りから覚めない病のことだ。毎年、年末には一年間の患者数がメディアを通じて発表されている。この国で知らない人間はほとんどいない。
「うちの児童擁護施設でも、たくさんの子が昏睡病にかかっちゃったんだ」
「……そうだったのか」
「さっきの女の子ね、同年代のお友達がみんな眠ったままになっちゃって、見た目には元気そうなんだけど、やっぱりひとりぼっちは寂しいと思うんだー」
まりねの視線がクレーンゲームの筐体へと注がれる。
「だから、せめて寂しくないように、ってね」
「優しいんだな」
「本当は、本物のお友達が帰ってきてくれるのが一番なんだけど……でも、もう神様にお祈りしてただけのまりねちゃんじゃないからね」
両の拳を強く握って、力強く宣言するまりね。
「綾花ちゃんが言うには、昏睡病の原因も電脳空間にあるらしいんだ。だから、景品も、児童擁護施設のみんなの無事も、この手で……!」
そんな彼女を見つめていた仁は細く長い息を吐き出すと、自らの銀色の髪をくしゃりとかきまぜる。
「あんたもただの子どもじゃないってことか」
「そうだよーっ。だから子ども扱いはNO! なんだからねっ」
「ああ。そうだな。あんたは、ちょっと頑張り屋な子どもだ」
からかうように言うと仁は自分のPDAを筐体のパネルにあてた。ケロールキッドのぬいぐるみをもう一個、あっさりと落とすと、ぽかんとしているまりねの胸に押しつける。
「俺から見ればまだ子どもなんだ。頑張りすぎんな」
「仁くん……」
「俺でも綾花でもいい。クレーンゲームみたいに、うまくいかないことがあったら誰かを頼れ。甘えるのも、大切だ」
仁が淡々と言うと、まりねは本当に無邪気な子どものように強く、強く抱きしめて、
「うんっ」
と、陽気にうなずいた。
Illustration:Production I.G
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