2014年7月4日(金)
電撃PlayStationの20周年を記念し、バックナンバーを振り返りながら当時のPSタイトルやPSの歴史をひも解く特別連載企画『電撃プレイステーション バックナンバークロニクル』。
連載第4回は、1996年4月から1996年9月にかけて発売されたVol.21~Vol.30を振り返る。Vol.3(1995年4月22日発売)で月刊化を果たし、本誌+ジャンル増刊(『電撃PlayStation G』『F』など)の形で月2回刊行を続けてきた電撃PSだが、Vol.24で隔週刊化を達成。記念号は、100ページの攻略冊子『電撃PlayQuestion Vol.3』が付録だった。
Vol.21 | Vol.22 | |
●電撃PlayStation Vol.21(G2) 発売日:1996年4月11日(表紙:ウェディングピーチ ドキドキお色直し) | ●電撃PlayStation Vol.22 発売日:1996年4月30日(表紙:ときめきメモリアル プライベートコレクション) |
Vol.23 | Vol.24 | |
●電撃PlayStation Vol.23 発売日:1996年5月30日(表紙:ザ・キング・オブ・ファイターズ’95) | ●電撃PlayStation Vol.24 発売日:1996年6月14日(表紙:NOeL NOT DiGITAL) |
Vol.25 | Vol.26 | |
●電撃PlayStation Vol.25 発売日:1996年6月28日(表紙:マクロス デジタルミッション VF-X) | ●電撃PlayStation Vol.26 発売日:1996年7月12日(表紙:サムライスピリッツ 斬紅郎無双剣) |
Vol.27 | Vol.28 | |
●電撃PlayStation Vol.27 発売日:1996年7月26日(表紙:女神異聞録ペルソナ) | ●電撃PlayStation Vol.28 発売日:1996年8月9日(表紙:アイドル雀士スーチーパイII) |
Vol.29 | Vol.30 | |
●電撃PlayStation Vol.29 発売日:1996年8月30日(表紙:NOeL NOT DiGITAL) | ●電撃PlayStation Vol.30 発売日:1996年9月13日(表紙:天地無用! 登校無用) |
この頃の電撃PSの表紙は、“表紙タイトル=その号での特集タイトル”という考え方が薄く、新情報の量にかかわらず、人気があるタイトル(キャラクター)を積極的に起用していた。記事ボリュームは4ページ程度が最も多く、Vol.23表紙の『ザ・キング・オブ・ファイターズ’95』は、2ページの掲載ということも。
◆1996年4月19日:『DOOM』(ソフトバンク)
ファーストパーソンシューティングの人気を決定づけた名作。パソコン版の『DOOM』と『DOOM II』を収録。当時発売されていた周辺機器・通信ケーブルにも対応していた。
◆1996年4月26日:『太陽のしっぽ』(アートディンク)
原始人の生活を疑似体験する、個性的なゲーム。『アクアノートの休日』を手がけた飯田和敏氏がディレクターを務めた作品で、既存のゲームジャンルに捉われないユニークなゲームデザインが話題になった。
◆1996年5月24日:『デザエモン+(プラス)』(アテナ)
プレイヤーオリジナルの縦スクロールシューティングが作れる作成ツール。スーパーファミコンから移植された作品で、先に行なわれたメーカー主催のコンテストで入選した10作品もPS版に収録されていた。
◆1996年7月12日:“プレイステーション・ザ・ベスト”販売開始
発売済みの名作をチョイスして、廉価版として再販するシリーズが初リリース。第1弾では以下の4タイトルが発売された。
・『リッジレーサー』(バンダイナムコゲームス)
・『雷電プロジェクト』(セイブ開発)
・『KING'S FIELD II』(フロム・ソフトウェア)
・『アーク ザ ラッド』(ソニー・コンピュータエンタテインメント)
◆1996年7月12日:『ポポロクロイス物語』(ソニー・コンピュータエンタテインメント)
幼き王子ピエトロの冒険を描いた人気RPGシリーズの第1弾。まるで絵本の世界のような、温かみを感じさせるグラフィックや物語が特徴的だった。
◆1996年7月26日:『刻命館』(コーエーテクモゲームス)
自分の館内にワナを設置し、そこを訪れる人間を仕留めるというトラップ設計シミュレーション。本作でこの系統のゲームの人気に火がつき、後年のさまざまな作品に影響を与えた。
◆1996年7月26日:『NOeL NOT DiGITAL(ノエル・ノット・デジタル)』(パイオニアLDC)
近未来の都市を舞台に、ビジュアルホン(テレビ電話)を使って3人の女子高生と会話を楽しむという個性的な作品。会話ボール(返答)を選んで女の子に投げ返すことで“会話”を見事に表現していた。
◆1996年8月2日:『TOBAL No.1』(スクウェア・エニックス)
投げ技を決めるときに、一度相手をつかんでからコマンド入力するシステムなどが盛り込まれた、個性派の対戦格闘。60fps(秒間60フレーム)で描かれていたグラフィックが、当時鮮烈だった。また、翌年(1997年)1月に発売を控えた『ファイナルファンタジーVII』の体験版が同梱されていたことでも話題になった。
ここからはVol.21~Vol.30のなかから、注目の記事をピックアップしていこう。
■城イドム:ベテランライター。Vol.1から電撃PSの仕事に携わっており、本誌の裏話やゲーム史にも精通。レビューなどでもおなじみ。
■リカ:編集部の新人スタッフ。最新のトレンドには敏感だが、ゲームや昔のことにはあんまり興味がない。セリフが棒読みちっくなのはご愛嬌。
リカ:イドムさん、イドムさん。“キャラ募集で採用されたあの少女がついに画面に登場!”って書かれた紹介記事を見つけたんですけど。これってどういう意味なんですか?
イドム:『BELTLOGGER9(ベルトロガー9)』の紹介記事だね。このゲームは、3Dのマップを探索しながら戦闘を繰り広げるファーストパーソンシューティングだ。ロボットのデザインとか、SF系の世界観とか、見ごたえがあったなぁ。ゲームアーカイブスでも配信されているけど、全体的にていねいに作られた作品だから、今でも十分に楽しめると思う。それでね、このゲームで当時、電撃PSと連動した企画があったんだよ。
リカ:どんな企画だったんですか?
イドム:Vol.15の『BELTLOGGER9』の紹介ページで、主人公・サルー軍曹の相棒キャラのデザイン(+設定)を読者からハガキで公募したんだ。この企画はけっこう反響があって、美系とかイロモノ系の怪人物とかいろいろな案が編集部に寄せられたんだよ。Vol.20の結果発表で、メアリー・キルシュ(※原案の名前はザイン・キルシュ)という女性キャラの採用が発表されて、晴れてVol.22でゲーム中に再現された彼女がお披露目されたってワケだ。
▲元気より1996年11月15日に発売された『BELTLOGGER9(ベルトロガー9)』。Vol.15(左)で読者に公募企画を告知し、Vol.20で採用者を発表。そして、冒頭のVol.22で、ついに採用キャラのCGが初公開された。 |
リカ:あ、メアリーのCVもVol.22で発表されているじゃないですか。岡村明美さんって『ONE PIECE』でナミを演じている声優さんですよね。スゴ~い! メーカーさんの本気度を感じますね。
イドム:1980年代から1990年代中頃まではゲーム業界が今より未成熟で、“プロもいいけど、シロウトらしさも味のうちだよね”という風潮がどこか残っていたように思う。極端な例だと、「CVは社内のスタッフが吹き込みました」とか「社内でちょっと絵が描ける人にビジュアルシーンを描かせました」とか、そういうことも珍しくなかったんだ。『BELTLOGGER9』を作ったメーカー・元気は当時まだ若い会社で、チャレンジ精神に満ちていたから、こういう企画も通ったんだと思う。
リカ:この企画で採用された読者さんがうらやましいです。自分でデザインしたキャラがゲームで動いたり、しゃべったりしているのを見たら、私だったら感動しちゃいますもん。こういう企画、もうないかなー。
イドム:コスチュームのデザイン公募ぐらいならともかく、主要キャラの原案公募というのは難しいかもね。今にして思えば、『BELTLOGGER9』の企画は当時だからこそできた、本当に野心的な企画だった。
■■■■Vol.21『卒業R Graduation Real』■■■■
■■■■Vol.25『あいどるプロモーション ~すずきゆみえ~』■■■■
リカ:Vol.21は美少女ゲームを特集した増刊号(G2)だったんですよね。こうしてパラパラと紹介記事を見ていると、美少女ゲームって今も昔も雰囲気が変わらないですね。
イドム:いやいや、よく読めば1990年代ならではの傾向が発見できるよ。例えば、この『卒業R Graduation Real』なんかは、この時代だからこそ生まれた作品だと思う。
リカ:実写の女性が登場するゲームですか。アイドル系のゲーム……ですよね?
▲Vol.21に掲載された『卒業R Graduation Real』(バンダイビジュアル・1996年3月8日発売)の攻略記事。教育しだいで生徒たちの未来が“一流大学合格”や“就職してOL”とか千差万別に変わるのが特徴で、“先生(プレイヤー)と結婚”というエンディングもあった。 |
イドム:そうじゃないんだよ。『卒業』はもともと1992年にリリースされたPCゲームだったんだ。美少女育成シミュレーションのブームを起こした作品の1つで、プレイヤーは女子高の先生になって、5人の女子生徒を指導していくんだ。ちなみに、女の子のグラフィックはすべて、竹井正樹氏原画のイラストで描かれていたんだよ。
リカ:PC版ではイラストだったんですか。じゃあ、PS版はなんで実写化したんですか?
イドム:『卒業』は人気があっていろいろな機種に移植されたんだけど、PS版としてリリースするにあたって、付加価値をつけたかったんだと思う。それが実写化だったんだろうな。
リカ:出演しているのは、当時人気のあった女優さんなんですよね?
イドム:いや……決して有名な女優さん、というわけではなかった。つまり、“ゲームの好きな人はもちろん、この女優さんのファンにも買ってもらおう”という狙いがあったわけではなく、“純粋に実写化したくて、女優さんを使った”と分析できる。
リカ:そう聞くと不思議に思えちゃうんですけど、そもそもメーカーさんはどうして実写を使いたいって思ったんですか?
イドム:当時、実写至上主義とまではいかないまでも、実写が新しい表現とみなす流れがたしかにあったんだよ。開発環境の進歩によって、“今までは実現できなかったけど、新たに使える表現”というのがいくつか生まれて、その1つが実写だったんだ。PSが登場してグラフィックも格段にキレイになって、“絵でも実写でもゲームを作れるなら、どうせなら実写がいいよね!”といった傾向が一部で強まっていったんだ。
リカ:へー、最近のゲームでも実写を使った作品はありますけど、昔はそんな時代背景があったんですね。
イドム:こんな例もあるよ。『あいどるプロモーション ~すずきゆみえ~』という隠れた名作だ。プレイヤーは売り出し中のアイドルのマネージャーになって、レッスンをさせたり、仕事のスケジュールを組んだりして、彼女を一流のアイドルに育てていくゲームだ。演出面で特徴的だったのが、グラフィックに実写を使っている点と、作中のアイドル・ゆみえが実在する同名の新人アイドル(当時)だったことだ。
▲『あいどるプロモーション ~すずきゆみえ~』(アルュメ、1996年5月31日発売)は、見た目に反して硬派な作りが評価され、Vol.23のレビューで高得点を獲得。攻略要素も多く、Vol.25の攻略記事はテキストとリストで埋め尽くされた。 |
リカ:プロモーションの一環ということで、実写にする必然性があったんですね。
イドム:いやいや、私は「必然性はない」と分析しているんだ。なぜなら、このゲームはシステムの完成度がメチャクチャ高かったんだよ。レッスンと仕事をバランスよくこなす必要があって奥が深いし、ゲームバランスも絶妙。最初は頭を下げて仕事を回してもらっていたのに、売れ出すとこっちの都合で仕事を選べるといった“有名になっていく快感”も見事に表現されていた。最近の作品に比べるとシンプルだけど、このおもしろさは現在でも通用する。ゲームアーカイブスで遊べないのが残念なぐらいだ。
リカ:なるほどー、納得しました。でも、当時実写が実用可能になったってだけで、その表現法がそんなにたくさん使われるものなんですか?
イドム: クリエイティブな仕事をする人は、新しい技術に出会うと、「とにかくそれを使ってみたい!」と思うものなんだよ。しばらくするとその技術に慣れて、今度はアイデアが先行してから、それを表現するための技術を考えるようになる。この傾向は近年にも見受けられるし、ゲームの歴史のなかでずっと繰り返されてきた永遠のテーマでもあるんだ。1990年代、とにもかくにも実写というゲームが目立ったのも、その時代のクリエイターたちの情熱と息吹の足跡といえるかもしれないね。
イドム:この記事は“隔週化記念大プレゼント”の企画か! こんなのもあったなー。電撃PSはVol.24から隔週で発売されることになって、それを祝して2号連続で豪華な読者プレゼントを用意したんだよ。
▲記念号やキャンペーンの際に行われるプレゼント企画。電撃PSが現在の隔週刊の形に変更された18年前の記事では、ブラウン管のテレビやネジコンなどがラインナップに並んだ。 |
リカ:あれ? 賞品のなかに、すっごい厚みのある4:3画面のテレビが入ってますけど……。
イドム:そりゃ、今見たらインパクトがないかもしれないけど、この号が発売されたのは1996年の6月だぞ。この頃は、14型のブラウン管タイプのテレビも読者にとってはうれしい贈り物だったんだ。
リカ:(『ぶらうんかん』ってなんだっけ?)。なるほどー。それ以外にも、PSの周辺機器がいっぱいプレゼントに入っていますね。メモリーカードは以前に教えてもらった、PSの外部記憶メモリーですよね。それじゃ、この『ネジコン』っていうのはなんですか?
イドム:ネジコンは、バンダイナムコゲームスから当時発売されていた特殊なパッドコントローラのことさ。パッドコントローラの中央部に円形状のスジが入っているのがわかるかな? この部分を“ネジ”みたいに回転させることで、対応したレースゲームのハンドル操作をアナログ入力で楽しめたってわけさ。
リカ:あれ? ハンドル操作だったら、左スティックで十分じゃないですか?
イドム:アナログスティックの付いたデュアルショックが発売されるのは、1999年6月だぞ。その約3年前のパッドコントローラでは、ハンドルは方向キーで操作するしかなかったんだよ。
リカ:そうなんですね。うーん、でも“アナログ入力が可能なコントローラが周辺機器として必要”ということはわかりましたけど、このコントローラは設計がユニークすぎて、遊びにくそうに見えますね。
イドム:そんなことないよ。ネジコンなら編集部の備品として保管されているから、実際に試してみよう。まずは手に取って、中央部分のジョイントをネジって回転させてみてよ。
リカ:実際に試すと、回転させる感覚がおもしろいですね。意外と操作しやすいし、左右にハンドルを切っているのが直感的にわかりやすくてビックリ。昔のパッドコントーラなのに、雑巾をしぼっているみたいな操作感覚が逆に新鮮ですね。
イドム:たしかにそんな感覚かもね。そういえば、ちょうど同じ頃『スタジオP』(アジェンダ・1996年6月23日発売)というミニゲーム集が発売されているんだけど、そのゲームにはネジコンに対応した『雑巾しぼり』っていうミニゲームが入っていたっけなぁ。その開発者もリカと同じ操作感覚を感じ取って、そんなアイデアがひらめいたのかもしれないね。
リカ:あれあれ? バックナンバーのプレゼント企画にもう1つ、見慣れない周辺機器があるんですけど。『通信ケーブル』っていうのは、なんですか?
イドム:これはPSで通信対戦をするときに使った周辺機器なんだ。この時代にはインターネットを使った対戦なんて不可能だったから、PSのレースゲームで対戦を楽しむには、1つのディスプレイで画面を分割する方法が一般的だった。でも、この通信ケーブルで2台のPSを接続すれば、それぞれのPSにつないだディスプレイ(フル画面表示)で対応ソフトの2P対戦を楽しむことができたんだよ。
リカ:なるほどー。でも、その通信対戦には通信ケーブル1本、PS本体が2台、それとディスプレイが2台必要なんですよね。機材の準備がちょっとたいへんそう。ゲームソフトは1本でいいんですか?
イドム:いやいや、ゲームソフトも2枚必要なんだ。でも『モータートゥーン・グランプリ2』(SCE・1996年5月24日発売)では、製品版のROM(DISC1)にオマケで対戦専用のROM(DISC2)を付けていた。Vol.24のプレゼント企画のページで紹介されている、黒いROMがそれだな。このレースゲームは、『グランツーリスモ』シリーズの生みの親・山内一典氏が最初に手がけたシリーズで、見た目はポップなんだけどゲームの中身は本格派だった。そんな持ち味をレースゲームファンに存分に味わってほしくて、太っ腹に2枚組でリリースしたんだと思う。
リカ:なるほどー。このプレゼント企画の賞品の意味がその説明でわかりました。レースゲームファンには、すごくうれしいラインナップだったんですね。
イドム:現在はインターネットが普及しているし、アナログスティックも標準化されて、これらの周辺機器も役割を終えて引退しちゃったけどね。当時、レースゲームは人気があったし、読者はこの賞品を見て「あこがれのプレイ環境が整うぞ!」ってウキウキしていたのさ。当時の環境で、より質の高いおもしろさを追い求めていたメーカーの努力が、このページには刻み込まれているんだよ。
以上、Vol.21からVol.30のプレイバックをお届けした。次回はVol.31~Vol.40を紹介予定。どうぞお楽しみに。
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