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2015年7月30日(木)

【電撃PS】SCE・山本正美氏の連載コラム『ナナメ上の雲』第64回。テーマ“バルーントリップよ永遠に”

文:電撃PlayStation

 電撃PlayStationで連載中の、山本正美氏によるコラム『ナナメ上の雲』。ゲームプロデューサーならではの視点で綴られる日常を毎号掲載しています。

『ナナメ上の雲』

 この記事では、電撃PS Vol.595(7月23日発売号)に掲載されているコラムを全文掲載。山本氏が7月11日に逝去された任天堂の岩田聡氏への想いを綴っています。

  電撃PS Vol.595掲載 『バルーントリップよ永遠に』

 僕がゲーム業界で働き始めたのは1989年の初夏、この業界で働くことしか考えていなかった20歳のころでした。たまたまバイト情報誌で、アスキーという会社が、応募要項の横にファミコン版『ウィザードリィII』のパッケージをそっと掲載していて、「おお!」と思い履歴書を送り、何とかバイトとして潜り込むことができたのが始まりです。

 1989年は、確か初代ゲームボーイが発売された年。今思い出しましたが、そういえば僕の一番最初の仕事は、ゲームボーイのハード仕様書をプログラマーの人数分コピーするというものでした。今でこそPDFを共有フォルダに置いておけば済む話ですが、26年前にはそんなのなかったですからね。他の部署の人にブーブー言われながら、一日中コピー機の前で陣取った記憶が蘇ります。

 当時、メインの家庭用ゲーム機といえばもちろんファミコンでした。セガが『SEGA Mark III』というゲーム機を展開していましたが、アスキーという会社は、マイクロソフトと共同で提唱した独自規格のコンピュータ、『MSX』というフォーマットを推していることもあって、当時は、PC、MSX、ファミコン向けにゲーム開発を行っていたのです。

 僕が入ったときは、MSX2で『フリートコマンダーII 黄昏の海域』、ファミコンで『忍者らホイ! 痛快うんがちょこ忍法伝!!』、そして僕がコピーした(だけの)ゲームボーイの仕様書が活用され、『フリートコマンダー VS.』『ぺんぎんくんWARS VS.』といったゲームが開発されていました。

 その後、部署が色々と統廃合されるなかで、『ベストプレープロ野球』シリーズや、『ダービースタリオン』シリーズなどが発売されるのですが、その過程で僕は、1995年にアスキーを退社します。思えば、それが任天堂フォーマットのゲームコンテンツ制作に関わった、最後でした。

 実はこの回の原稿は、最近観た映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』と『バケモノの子』について書こうと思っていました。書こうと思いPCに向かった瞬間、“任天堂の岩田社長が亡くなった”とのニュースが飛び込んできました。にわかには信じられず、サイトのニュースを色々と調べているうちに、任天堂さんから公式にリリースが出されたので、信じるしかありませんでした。

 前述の経歴に繋げると、僕はアスキーを辞めたあと、1996年にソニー・ミュージックエ ンタテインメントに入り、『立体忍者活劇 天誅』というゲームなどをプロデュースし、 2000年にソニー・コンピュータエンタテインメントに入社、今に至ります。

 つまり、ここ20年、PlayStation陣営で仕事をしてるわけで、任天堂ハード向けのゲームを作ってはいません。作ってはいませんが、今なおたくさん遊んでいます。ファンとして遊んでいるし、開発者としても勉強させてもらっています。DSやWiiの爆発的なヒットには歯噛みをし、しかし一方で「おもしれえ……」と脱帽しながら遊んできたのです。

 ネット界隈ではときおり、ゲームハード間の論争というものを目にします。しかし思うのですが、少なくとも僕の知っているゲーム開発者は、そんなことこれっぽっちも気にしていません。どんなハードであろうが、面白いゲームは面白い。面白いことを考えた人を尊敬し、もっともっと面白いアイデアを自分でも考えたい。そして組織上任されている自分のフィールドで、成就させたい。考えていることはただそれだけです。

 だからこそ、ゲーム開発者の会議では、フォーマットなど関係なく世界中から人が集まり、積んだ研鑽をお披露目し合うのです。間違いなくそのマインドの中心に、岩田さんはいらっしゃったと思います。

 岩田さんとは直接お会いしたことはありません。GDCやE3の会場でお見かけしたことがあるくらい。一番近くでお見かけしたのは、何年か前のE3で、たまたまディナーに行った和食屋さんの、ガラスで仕切られた個室に関係者の方といらっしゃったとき。思わずFacebookに、「すげー近くに岩田さんがいる! 緊張する!」と書いたら、ビッグボスである吉田プレジデントから、「どしっと構えろ!」とメッセージがきたことを思い出します。少なくとも気概で負けぬよう切磋せよ、という激励でした。

 岩田さんは、42歳で任天堂の社長になられました。ビジネスマンとしての偉業もさることながら、ファミコンの『ゴルフ』や『ピンボール』、岩田さんがプログラマとして開発状況の窮地を救ったとされる『MOTHER2 ギーグの逆襲』など、クリエイターとしての岩田さんの作品で踊ってきた身として、うまくいえませんが、お話ししたこともないのに、今回の訃報に大きな喪失感を感じています。ものすごく大事なものが、突然ぽっかりなくなってしまった。多くのゲーム開発者が、今同じ気持ちだと思います。

 岩田さんが手掛けられたゲームの中でも、僕は『バルーンファイト』が大好きです。あのゲームには、障害物を避けながら、風船を背負ったキャラクターをふわふわと操作し、左へ左へとひたすら旅して行く、“バルーントリップ”というモードがあります。

 バルーントリップには、クリアという概念がありません。自分を律し、鼓舞し、障害物を避けながら、飄々と、あるかどうかも分からないゴールを目指すあのゲームモードは、まさに岩田さんそのものだったのではないか。そう思います。僕達は大きなものを失ってしまいましたが、しかし大きなものも数多く遺していただきました。岩田さんとそのご功績に、感謝いたします。

データ

▼『電撃PlayStation Vol.595』
■プロデュース:アスキー・メディアワークス
■発行:株式会社KADOKAWA
■発売日:2015年7月23日
■定価:657円+税
 
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