2015年8月1日(土)

『人喰いの大鷲トリコ』には敵キャラクターが登場する。上田文人氏が語るゲームへの思いは遊ぶ側、作る側も必見

文:サガコ

 世界中のゲームファンが待ち焦がれているタイトルの1つが、ついに発売へ向けて具体的な一歩を刻んだ。“E3 2015”で2016年発売と発表された『人喰いの大鷲トリコ』である。

『人喰いの大鷲トリコ』

 開発発表から7年の時が過ぎた。それはまるで生まれてきたにもかかわらず、巣の中に取り残された小さな卵を見るような日々だった。私たちは巣の外から時折卵を見守る観察者だ。卵は胎動こそあれ、いつ生まれるのかもわからなかった。期待も不安も抱えて時は流れ、なかには卵の観察を諦めた人、存在そのものを忘れる人もいたことだろう。

 しかし、今年のE3のSCEカンファレンスで不意打ちのようにやってきた『トリコ』の発表に、じつに多くの人たちが歓喜の声をあげた。日本のユーザーだけではなく、世界中のユーザーが『トリコ』に期待を寄せ、その誕生を待ち焦がれていたことが証明された瞬間だった。

 卵に小さなヒビが入り、わずかではあるがその内容がかいま見えるトレーラームービーに、人々が釘づけになった。

●『人喰いの大鷲トリコ』E3 2015トレーラー

 まだたった数分間の映像が公開されたに過ぎない。しかしディレクターである上田文人によるデザインの魅力やゲームそのもののおもしろさ、ワクワク感が十二分に伝わってくる内容だった。

 ここ数年で、ゲーム業界はとてもめまぐるしく変化してきた。コンシューマゲーム(据え置きタイプのPS4や、ゲーム専用のハードを必要とする家庭用ビデオゲーム)よりもスマホゲームが主流と言われる昨今だ。

 それでもビデオゲームのクリエイターとして注目され、期待を集め続ける『トリコ』の生みの親・上田文人さんは、一体どんなことを考えながら『トリコ』の開発を進めてきたのだろう。

 『トリコ』がどんなゲームなのかということを知るために、上田さんの過ごしてきた時間と、どんなことを考えながらお仕事をされているのかについて、ゆったりと語っていただいた。すると意外なほどに“ゆったり”ではない上田さんの本質が見えてきた。

『人喰いの大鷲トリコ』
▲『人喰いの大鷲トリコ』の生みの親・上田文人さん。

E3 2015のSCEカンファレンス会場で歓声に包まれて

――E3 2015直前のSCEカンファレンスでの発表には驚かされました。会場にいた多くの方たちが歓声をあげる様子を会場で体感されて、どう感じられましたか?

上田文人さん:ずいぶん時間が経っていたので、『トリコ』のゲーム内容やタイトルそのものを覚えていてくれているのか気になっていました。情報が出ていなかった期間が長かったので、リアクションが大きかったことは素直にうれしかったですね。

――失礼を承知で言うと、『トリコ』の情報が出てくることに期待はしていても、発売時期が明確にされるほどの具体的な情報が出てくるとは思っていませんでした。情報が中々出なかった理由というのは、開発の進捗が思わしくなかったからなのでしょうか?

 一概に開発の状況だけが理由というわけではありません。『トリコ』はSCEのタイトルなので、いつリリースするのかという点についてはSCEの販売戦略も大きくかかわってきます。

 開発途中でPS3からPS4へとハードが変わったこともあり、PS3用に開発していた部分の移植に想定以上に現場が混乱し、時間が掛かってしまった側面もあるのですが、単純にテクニカルな問題だけで、これ程の時間がかかる訳はありませんよね。

――では、開発の進捗は何%くらいでしょう?

 パーセンテージでお答えするのは難しいですね。これを言うとプラスに受け取ってもらえるかマイナスに受け取られてしまうのかわからないんですが、E3のトレーラーでお見せしたステージはもともとPS3で作っていたもので、2010年の7月には既に完成していました。それをPS4に移植して、ブラッシュアップして公開したんです。

『人喰いの大鷲トリコ』

――そんなに早く作られていたんですね。ですが、少しホッとしました。あの部分だけ急いで作って発表に間に合わせた、ということだったらどうしようかと(笑)。

 とはいえ、中々技術的にクリアできていない部分もまだ残っています。PS3では表現できていたことが、単にPS4に移植しただけでは表現できないというようなことなどもあります。その辺りの課題がまだいくつかありますね。

――ハードがハイスペックになったからなんでもできるようになるというわけではないのですね。PS4になって、従来の予定から追加されたエッセンスなどはありますか?

 あることにはありますが、今のところそれほど多くはないです。ゲームデザインも変わっていませんね。PS4になる事で解像度が上がっていたりはありますが、目指している画作りは描画性能やCPUパワーにあまりよらない普遍的なものを目指してます。

 とはいえ、今後まだまだよくなっていきますので、ユニークなゲームデザインとあわせてご期待いただければと思っています。

『人喰いの大鷲トリコ』

少年とトリコは空を目指す?

――『トリコ』では、少年と奇妙な鳥のような生き物“トリコ”がメインとなるようですが、操作キャラは少年だけでしょうか?

 そうなりますね。

――トレーラーでは、少年が動かす台車に奇妙な紫色の記号がついていて気になりました。あれをトリコが嫌がっているのでしょうか?

 そうです。トリコが苦手なモノに遭遇すれば、少年が活躍して状況を変化させて、進んでいく。まだ今回は出てきてはいませんが、敵キャラクターも存在します。これらと遭遇した時は、少年だけでは太刀打ちできない。

 そこはトリコの出番になります。それぞれで補い合いながら進んでいくことが基本となります。

――“人喰い”という言葉にインパクトを感じるのですが、残酷な描写なども?

 まだ言えない部分が多いので、そのあたりはご想像にお任せします。

――ちなみに、この大きなトリコがどこか幼いようにも見受けられるのですが、成長したりするのでしょうか?

 成長にもいろいろと意味合いがありますが、ゲームを進めていく中でどんな変化があるのかは、プレイしていただいて確かめてもらえたらと思います。

『人喰いの大鷲トリコ』

――取材をしていてこう言うのもおかしな話なのですが、ゲームの中身について事前にお話を聞くのがもったいないという気持ちがふつふつと湧いてきています。上田さんのゲームはやはり自分でプレイして得られる体験がすべてだと強く感じるので。

 何も知らずに体験するのが一番楽しいかもしれませんね。なので、今の段階ではまだ少なめに絞っておきたいかなと。

――E3でのトレーラーはちょうどよい情報量だったと思います。先が気になるし、どんなゲームなのかも一目瞭然でした。

 実はあのトレーラーとは別に、E3会場ではもう少し静かな場面をセレクトしたプレイ映像も上映していたんです。それを見ていただければ、またもう少し『トリコ』の雰囲気を深く知っていただけると思います。よいタイミングがあれば、皆さんにお披露目したいです。

――今回は全体的に、縦長なステージがメインになるのでしょうか?

 基本的には上を目指して進んで行くことになると思います。ですが、もちろんそればかりでもなくて、広いステージでトリコが暴れたりするような場面もあります。

 これまでの『ICO』や『ワンダ』では高いところが苦手な人が嫌がるようなシーンが結構多くて(笑)、今回のトレーラーもそういう側面が強かったのですが、そういうステージばかりではありません。

『人喰いの大鷲トリコ』

――トレーラーではトリコに向かって大きくジャンプするシーンで、スローモーションになる演出がとてもドキドキさせられました。

 今回のプレイ映像では2回の大ジャンプがあります。1回目と2回目で状況が違うわけですが、それに応じてトリコの対応も変化する。そして、どんな状況下でもトリコが必ずキャッチしてくれるというわけではありません。

 そこで2回目の不安定なジャンプの伏線として、1回目のジャンプをお見せしています。スローになる表現は、まだ演出として確定しているものではないです。

 ああいう危機的な状況の時は、現実でも周囲の状況がスローモーションに見えるとよく言いますよね。そんなリアリティとしてスロー表現を入れてみましたが、それを常に使うかどうか、演出のバランスなどについてはまだこれから調整を重ねることになります。

えっ!? 上田さんって、急いでたんですか!?

――それにしても発表から7年、前作から10年になりますが、これだけ時間を要した理由をぜひ知りたいのですがよろしいでしょうか。例えば作っているうちにプランがどんどん膨らんでしまったのか、それとも当初から想定していたものを作り上げるのにこれだけかかったということなのか。

 うーん……後者ですね。過去を振り返ってみると『ICO』は完成まで4年かかっています。自分は初めてのディレクションということで経験も少なく、試行錯誤をしながらの部分もあったり、途中でプラットフォームが変わったりもしたので時間がかかりました。

――次がPS2で発売された『ワンダと巨像』ですね。

 『ワンダ』は、ある程度開発チームのスキルも上がってきていて、みんなでやりたいことを出して、新しいこと、難しいことを実現しようと作ったタイトルだったんですね。

 それも結果として時間が掛かりました。1つ目は広大なフィールドを表現し、行き来できるプログラム、2つ目は、賢く動かさなければならないAIキャラが2体もいたことです。

――2体?

 ワンダが乗る馬のアグロと巨像ですね。プレイヤーの動きに応じて、AIが自然かつ、的確に動かなければならないキャラです。

――なるほど。AIキャラが2体もいるということは、単純に考えても作業が2つ存在するということだから……。

 そうなんです、時間がかかった(笑)。その反省を踏まえて、次こそはと思ったんですよね。

『人喰いの大鷲トリコ』

――ん? 次こそは?

 そう、次こそは短い開発期間で作るぞってことでゲームデザインを考えたのが『トリコ』だったんですよ(笑)。

――えっ、そうだったんですか!?(笑)

 『ワンダ』のように広大なフィールドを行き来しないリニアタイプ(プレイヤーが自由にフィールドを移動するのではなく、ある程度の想定された物語を流れに沿ってプレイするタイプのゲームを指す。リニア=直線的)のゲームにすれば、それほどフィールドを作り上げるのに時間はかからないだろうと思いました。

 そして、プレイヤー以外のAIキャラクターを“トリコ”という1体に集約することで、『ワンダ』の時よりも手間が少なく作れるだろうし、品質もより上げられるだろうと。『トリコ』のゲームデザインは、開発期間を短くして作ろうという意識から生まれたんですよ。

――ところがどっこい(笑)。

 ……時間がかかっていますね。

――とても不躾なんですけれども、上田さんが「早く作ろう」という意識でお仕事をされてたこと自体に、今、とても驚いています。てっきり、納得がいくまでゴリゴリと作り込んでこだわるからこうなっているんじゃないかって、勝手に思っていました。

 そう思われていることもわかってるんですけど、実はそういうわけではないんです。僕たちは早く作ろうとしていますし、早く皆さんに届けたいといつも思っています。

――じゃあ、上田さんにとっても、この7年は長かった?

 長いですね。『ICO』や『ワンダ』の時も長いと思っていたんです。一応、僕や僕の周りのスタッフたちはスキルとしてはそれなりだと自負しているので、もっと早く作れるよね、作らないとねって常々話しているんですが。

――とはいえ、今後に上田作品がポンポンとテンポよく発売されるというのも想像がつかない。

 もちろん、納得できる作品を1つずつ大切に作っていきたいですし、大事に感じてほしいと思っています。それにしても今回は時間がかかりすぎて、完全に想定外でした。

――これだけ長く1本のゲームに携わることで、途中で別のゲームを作りたいと思うことはありませんでしたか?

 それはありましたよ。実際に形にしようと進めていた時期もありました。7年間、ノンストップでクリエイティブな作業をしていたわけではなく、PS3からPS4への移植作業に時間がかかってクリエイティブな作業が完全に止まってる期間も長くありましたから。

――『トリコ』に対するモチベーションを保っていくことは難しくなかったですか? 飽きるというか、へこたれる場面もあったのではと思うのですが。

 ありましたよ、もちろん。そのたびにとにかく優れた創作物に触れるしかないですね。優れた映画、優れたゲーム、とにかく質のいいものに触れる。

 そのたびに“自分たちが作ろうとしているものはこれに匹敵するかどうか”、“これと同じような感動を与えられるものかどうか”ということを考えることで、モチベーションを保っていました。そして感動しているお客さんの姿を観察することで、励まされるんですよね。

――お客さんを観察?

 例えば映画作品などを見て、楽しんだり感動しているお客さんの姿を見ると、自分と同じように感動している人がいるんだと確認ができる。今度は生産者側の人間として、作品を待ってくれているお客さんがいるわけだから、自分も頑張らなくちゃ、と思えるんです。

 ボクはあまり詳しくはないですが、『スター・ウォーズ』シリーズなんて特にすごいなぁと思って見ています。予告編を見るだけでワクワクしてしまうファンが大勢いるというのもわかるし、“これを観るまで生きていなくちゃ”という気持ちにさせられる人も多くいるでしょう。自分の作品もそんな風に人に思ってもらえるものになっているかどうか。

――そういった時間の中で、上田さんの中にまた新たにたくさんのアイデアが生まれ、いろいろと蓄積されていったうえでの、今なんですね。

 そうですね。ただ、『トリコ』はすでにゲームデザインが完成していたので、そこに時間経過で得た新たなモチーフをあまり盛り込むつもりはありませんでした。ですがそれとは別に、いろいろなアイデア自体はこの数年で蓄積されているので、今後に生かしていけたらなとは思っています。

――上田さんの考えたアイデアがあって、それをよりよく実現するためにスタジオ(ジェン・デザイン)を立ちあげられたように見えるのですが、今後はビデオゲームを以外のものを作ろうとお考えですか?

 以前からいろんなところで発言しているんですが、世界観や物語ありきでゲームを作っているのではなくて、ビデオゲームとしてのゲームデザインがまずあって、そこにふさわしいお話を考えて作るタイプなので、世界やお話だけを作るというのには苦手意識があります。

――上田作品というと物語や世界観がフィーチャーされがちですが、こうしてお話をうかがうと、物語から作られているわけではないことがよくわかるような気がします。開発の作業量などの視点からゲームデザインをするという作り方がまずあって、物語はそのあとに肉付けされるもの。卵の黄身と白身が逆だったような気持ちになっている人も多いのではないかと。

 世界観や物語についてよく言及されるんですが、僕はやっぱりゲームデザインから作ることしかできないなと自分では思っています。

『人喰いの大鷲トリコ』

デザインからすべては生まれる

――そもそも、上田さんがゲームデザイナーを目指したきっかけというのは?

 難しい質問ですね。自分がゲームデザイナーであると自覚したのもここ数年なんですよ。

――えっ?

 『ワンダ』のころも、ゲームデザイナーと名乗っていいのかと思ってました。最初は3Dのアニメーターとしてキャリアをスタートさせたんです。

 だけど、あるキャラクターをこんな風に動かしたいと思ったら、そのキャラクターが存在する世界が必要で、そこからデザインして作っていくよりほかない。

 そのためにゲームデザインをしているというだけで、ゲームデザイナーという自覚はなかったし、そもそもゲームデザイナーを名乗ってよいものだろうかとずっと思っていました。

 最初に就職したワープ(飯野賢治氏が設立したゲーム制作会社。代表作に『Dの食卓』『エネミーゼロ』など)でいきなり3DCGムービーを作り、そこからSCEへ移ってすぐに『ICO』のディレクションに携わったんです。

 だから、誰かにゲーム作りのいろはを教わったという経験がないんです。それで、ゲームデザイナーとしての自覚がどうも薄いのかもしれません。

――とはいえ、上田さんがゲームデザイナーとしてゆずれないものや、こだわっている点というのもあるかと思うのですが。そのこだわりについておうかがいしたいです。

 うーん、難しいな……。とにかく大規模なゲームは作るのにお金もかかるし、時間もかかるものですよね。だから“誰の目にもとまらずに終わる”ようなことにならないものを作るので精一杯ですね。

――あ、意外とそこは商業的な視点なんですね。

 売らなければいけないものなので、とにかく“引っかかってほしい”、“引っかかるものにしよう”と思って作っていますね。それがないと、ひっそりと発売されてひっそり消費されて終わる。

 そうなってしまうのをなんとか避けようとしています。だからなんとか引っかかりがあって、突出したものがあるゲームをという思いは強くて、それを限られたリソースの中でやりくりして作っているイメージです。

――目にとめてもらうための引っかかり……『トリコ』でいうと、どの辺りがそれになるのでしょう?

 たとえばファンタジーを作るとして、ただ単にありきたりなモンスターを出したりしても、“ありきたりなファンタジーだ”と流されてしまう可能性が高いと思っています。

 だから、あえて何かしら引っかかりのあるデザインにして“これはなんだ?”という違和感を持たせることで、触れた人の興味を惹きたい、といった考えで、トリコのデザインは作られています。

『人喰いの大鷲トリコ』

――なるほど。このかわいいのか怖いのか、凶暴なのかやさしいのか、猫なのか鳥なのか……というような奇妙さは、確かに“引っかかり”ます。

 現実世界の猫や鳥をイメージしているのは、ビデオゲームにまったく興味のない人にも引っかかりを感じてほしいと思っているからです。

 とはいえ、単にかわいいだけ、奇をてらっただけのキャラクターだと、もともとビデオゲームに興味がある人には受け入れてもらえないと思いますので、ゲームが好きな人にもちゃんと引っかかってもらえるような要素も入れ込んで作ったつもりです。

――長い尻尾の動きで少年を救うシーンでは、確かにゲーム性を拡張するデザインの妙を感じました。しかしまさか、上田さんがそういったことを細かく細かく積み重ねて作っていらっしゃるとは。

 ゲーム内容だけに限らず、それこそタイトル名や、パッケージデザインも、常にデザイン、つまり意匠や形状の必要性を意識して作っていますよ。

――ものすごく勝手なイメージで、上田さんが自分の頭の中にあることをそのままアウトプットして“俺の好きなものはこれだ。俺のクリエイティブを見ろ!”ってやってらっしゃるのかとばかり思ってました。まさかこんなに細かく“売れるゲームを作る”ことを意識されていたとは。

 とはいえ、最初に“引っかかってほしい”と思う対象者は、不特定多数の人たちではなくまず自分自身ですよね。最低限、自分で引っかかりがないと。

 僕自身、学生時代にはビデオゲームへの興味を失っていた時期もあったりしたし、逆にゲームにどっぷりハマっていた時期もあったので、その頃の自分をそれぞれに思い出して「そんな時の自分に、何があったなら引っかかったかな?」といったことを考えるようにしています。

 そういう意味では、おっしゃるように自分が好きなものを作ろうとしているといえなくもない。

――でも、たとえすべてが上田さん自身の満足のためであったとしても、その自分を満足させるための追求に妥協がないからこそ、結果として出てくるもののクオリティに多くのユーザーが満足できるという側面はあると思います。

 そうなっていればうれしいですね。

『人喰いの大鷲トリコ』

『ワンダ』が感動作として完成するべく、切り捨てた自由とは

――上田さんのゲームは、自分自身が遊んだからこそ味わえる体感の経験に価値があると思います。それはビデオゲームの基本なのかもしれませんね。

 ビデオゲームでしか表現できないものにしたいとは思うんです。せっかくゲームを作っているんだから、小説や映画では表現できないものを作ろうと。

 「これだったら映画とか小説でいいじゃん」と言われないようなものを作りたいと思っていますし、ゲームならではの“何か”を感じてもらえるものにしたいと思っています。

――個人的に特に大好きなのが『ワンダ』の“しがみつく”というアクションです。ただ必死でしがみついて巨像を倒すためにあったアクションとゲージが、エンディングに至る局面で別の意味を持ちますよね。あの瞬間にブワッと涙は出るわ、ゾクッと背筋は震えるわで、ああ、これはゲームを遊ばないと得られない感動だと痛感したんです。あのアクションもやはり計算づくで作られたものだったのでしょうか?

 いえ、計算づくというわけではありませんでした。『ワンダ』に関しては、あのエンディングの演出が最初から頭の中にあったわけではなかったんです。

 ただ、制作中に、あのエンディングの演出に辿り着いた時、“ああ、このエンディングを表現するために、しがみついてよじ登って巨像を倒すという行為がお膳立てとしてあったんだ……”という実感がありました。

 “しがみついてよじ登る”というインタラクションが感情移入や臨場感を高めるような効果があるとは思っていましたけど、自分でもあの結末に辿り着いた時にはとても手応えがあって「うん、このために全部頑張ってきたんだ」と思えるくらいでした。今でもすごく気に入っています。

『人喰いの大鷲トリコ』

――『ワンダ』はゲームをすることによって得られる感情移入をデザインするという点において、1つの美しい形を示したのではないかと。

 でも、僕としてはまだ正解だと思えない部分もあるんですよ。ビデオゲームの本来の在り方は“プログラムで生成されたノンフィクション”だと思うんですね。

 つまり、“プログラムの実現しうる範囲内ではどんな展開でも可能である”ということです。『ワンダ』のラストは、そこまで可能になっていないんですよ。

――と、言いますと?

 ビデオゲームとしての正しさを追求するなら、あのラストシーンでユーザーの頑張りによっては用意されたエンディングを覆して、違った展開があってもいいはずなんです。

 ゲームの物語はレコード(記録し、決定づけられた)されたものではなく、プログラムで作られ、ユーザーが操作することで生成されるノンフィクションなんですから。

――理屈としてはわかります。でも、もし『ワンダ』のエンディングにもっと可能性があって、仮に覆すことができたならと考えると……どうかと。それだと、私はこんなに感動していないと思うんですが。

 ええ、人が映画やドラマを見たり、音楽を聞いたり、物語を読んで感動するのは、それがすでにレコードされていて、その物語の展開が覆しようもないものだからこそ感動する。

 歴史物や悲劇性のある物語なんて特にわかりやすいかもしれない。“抗いようがなく、変えようがないもの”を見た時に、感動する心が生まれる。

 これはもうすでに物語表現の仕組みとしてあるわけです。その点においてビデオゲームは違っていて、レコードされていないからこそなんでもできていいし、本来そうあるべきだとは思っています。

――なるほど。ですが『ワンダ』では結末は1つであり、その結末は上田さんによってレコードされたものでした。

 はい、ラストを何かしらインタラクティブに変えることもできたけど、そうはしませんでした。レコードされたもので受ける感動を、ただゲームの世界に持ってきただけとも言えなくはない。

 “レコード(記録)芸術”と呼ばれるものであって、ビデオゲームもそれを行うことができるという考え方です。そこにインタラクションというパーツを持ってきて、感情移入を高めている。

 けれども、もっと違う可能性をゲームは持っているはずです。レコード芸術の手法ではなく、ゲームであることをフルに生かして、なお感動できる物語というものを、未来では誰かが見つけるかもしれない。

『人喰いの大鷲トリコ』

――それは要するに、たくさんの選択肢を用意するマルチエンディングとも違う、ということですよね。

 そうですね、それはレコードされた物語の種類を増やして収録しているだけなので。

 映画でも小説でも主人公やキャラクターの“どうしてそんな行動を取るんだ”、“なんでそんな選択肢をするんだ”という意外性から始まり、回避できない物語の流れがあって初めて感動する。

 これが鑑賞者の任意でいつでも巻き戻して回避できると言われたら、さほど感動しないと思うんですよ。

――なるほど。ゲームがゲームらしくあればあるほど、感動するシステムから遠ざかってしまう。

 旧来の物語表現では、ですね。だからボクは、ビデオゲームは物語を描くには向いていないと個人的には思っています。

――世界中から心に残るゲームを作るクリエイターと評される上田さんがそうおっしゃるというのも、興味深いですね。

ゲームを取り巻く世界の変化……上田さんは、燃えている!?

――ここ数年でずいぶんゲーム業界そのものの流れが変わって、スマホゲームがすっかり主流のようになりました。以前、スマホだと物理的なボタンがないから物足りない、というようなお話もされていましたが、最近もそのあたりの考えは変わりませんか?

 ボタンのあるなしに関して、わだかまりはなくなりましたね。とはいえ、普及に伴って、スマホなどでゲームをプレイするための敷居は下がって、対して、据え置き機は敷居が上がっていると感じますね。

 そこだけ見れば、据え置き機はマイナスでしかないですけど、逆に言えば「燃えるな。」とも思うんです。

――おお。燃えますか。

 敷居が高いというのであれば、その敷居を超えてでも遊びたいと思うものを作るしかない。その障害を乗り越えるという儀式も込みで、体験を提供したいなと思いますね。

 “映画館に入って、ポップコーンを買って、映画を観るぞ”という一連の流れで気分が盛り上がる。“ゲーム機を買って、ソフトを買って、ゲームする”というのは、僕たちが若い頃のゲーム体験そのものですよね。

 そこまで含めて“ゲーム”というか。買ってでも遊びたい――そう思ってもらえるほどのものを作っていくしかないでしょうね。

『人喰いの大鷲トリコ』

――とはいえ、現状のゲーム業界において、時間をかけて1本の作品を丁寧に手がけるということについて、時代と逆行しているような不安はありませんか?

 むしろ、SCEと協力して据え置き機のゲームを作れている状況に、恵まれていると感じています。正直な“もの作り”をさせていただけていますし。もちろん消費者としてスマホのゲームは遊んではいますけど、自分の思春期時代になかったものなので、即、生産者側にってのは難しいですよね。

――上田さんの思春期時代のお手本というと?

 それこそ、映画であったり、ゲームであったり。お金を貯めて、お金を払って、それでも観たい、遊びたい、手に入れたいと思える質のエンターテイメントに触れる喜びというんでしょうか。あのワクワクした感じが原体験であり、自分の原動力なんですね。

 かつて自分が経験して、財産として持っているこのワクワク感を今の若い人たちにも体験してほしいと思って、僕はビデオゲームを作っている気がしています。

――上田さんがもし“スマホで遊べるようなアプリゲーム作って”と言われてしまったらどうしますか?

 どうしたって流れというものはあるので。ただ、僕の引き出しに詰まってるのは、子ども時代や学生時代に気軽に手に入らない、見られないものをやっと見られて、遊べて楽しかったという経験ばかりなので、まずは考えを改めないといけないですね。

――そうして考えていけば、上田さんのゲーム体験があった時代と、今の時代は少し似てきているのかもしれませんね。据え置き機のハードはそれなりに敷居が高くて、意識しないと買うのをためらいます。でも、欲しがる人にとっては絶対的に欲しいものなわけで。

 それに今はアプリゲームやインディーゲームも戦国時代なので、たくさん並んでいるなかで“引っかかる”ものを作って、なおかつ生き残るものを作るというのは大変そうだとは思います。据え置きゲームはそのぶん、ライバルが少なくなっているとも考えられますから。

――あとは敷居を超えるからこそ得られる別世界観というのもエンターテイメントには大切なんじゃないかと思うんです。ディズニーランドがまさしくそうであるように。

 ああ、わかります。あそこに行けば本当に別世界で、エンターテイメントの提供が徹底されている空間ですよね。

 ゲームで言えば、わざわざハードの電源を入れて、テレビの前に座って、という儀礼的なところをこなすことで、より世界に入っていけるということはあると思うんです。

 僕は映画館が好きなんですが、それこそ映画館で見る映画と、家で見る映画は同じものなんだけど絶対的に違う。

――多くの人たちが上田さんに、その幸福な没入感を感じさせてくれるゲームを期待しているのだと思います。お金やかかる時間といった高い敷居を越えて遊ぶからこそ、そのゲームも体験も、単なる暇つぶしにはなりえない。暇つぶしのゲームならたくさんあるけど、わざわざやりたいゲームを求めている人たちにきっと届くと思います。

 そうだといいなと心から思います。万人が好む、というものがあるとは思っていないんですが、それでもできるだけ多くの方の心に届いてほしいという思いは、やはり強く意識し続けたいと思っています。

上田さん(のように)になりたい人へ

――先ほど正直な“もの作り”ができる立場だとおっしゃっていましたが、現実にはそのような仕事ができない、思うように正直な“もの作り”を貫けないというような立場の人が多くいる時代だと感じます。上田さんが今のような立ち位置にいられることは、とても幸運で幸福であるように見えるのですが、そこに至る考え方のコツや、生き方のコツというのはあるのでしょうか?

 そうですね……運がよかったというのが一番かもしれないですね。

“自分が考えうる【お客さんが喜ぶもの】を作る→実際にお客さんが喜んでくれる”から、ゲームをデザインし、ディレクターをやっているんだと思うんです。

 それが実現できなくなるようであれば、僕はいつでも3Dアニメーターに戻ればいいやと思っています。

――ゲームディレクターであることに執着してないんですね。

 おそらくは、その立場にしがみついていないからこそ、そこにいることができているという部分は大きいんじゃないかと。

 自分の作りたいものを作って、その結果お客さんに喜んでもらえなかったら、それでもまだゲームディレクターを続けたいとは言わないと思いますね。

 そもそもこんな大変な役割を引き受けたりしないで、アニメーションや背景美術に集中したいと言っていると思います。そのほうが充実感もあるし、きっと楽しい気分でいられるから(笑)。大変なんですよ、ディレクターって(笑)。

――でも、上田さんのディレクションした『トリコ』を待ってる人がいるわけですから、どうかよろしくお願いします。発売までは、まだまだ作業的に大変そうですか?

 ボク個人のクリエイティブ作業はほとんど終わっていますが、まだまだ山場はある感じです。完成度を高めるために、作り込んでいかなければいけません。

――個人的にはもう2016年じゃなくなったって「そうですかー、いいですよー、待ちますねー」くらいの感覚になっちゃってるんですが。

 いえ、それはよくありません(断言)。長くかかることは、とてもよくないんです。

――よくないですか?

 長くかかることをよしとしているわけではないんですよ、本当に。そこを僕たちがよしとしているのではないかと思われていることは不本意で、僕たちはいつでもなるべく早くリリースしたいと思っています。

 ただ、ビデオゲームはいわばプログラム芸術で、キャラがただ動いただけではゲームにはならない。多くの人がかかわってプログラムが整って、ようやくゲームとして機能するものなので、本当に大変なものです。

 待ってくださっている人たちのためにも、ここからリリースまでしっかり作り込んでいきたいと思っています。

――では、最後に『人喰いの大鷲トリコ』を楽しみにしている皆さんへメッセージをお願いします。

 動物が好きな人なら間違いなく楽しめると思います。

――なるほど、大勢にアピールですね(笑)。

 ゲームが好きでない人はたくさんいても、動物が好きではないという人はきっと少ないだろうと思いますので、すなわち多くの人が楽しめるのではないかと(笑)。そんな『人喰いの大鷲トリコ』をぜひ楽しみにしていただければと思います。

『人喰いの大鷲トリコ』

 上田さんは最後に「じゃあ、またしばらく潜伏して頑張ってきます」と言って笑った。なかなか孵らない小さな卵を、私たちの知らないところで、上田さんや開発チームの皆さんがこの長い期間あたためていたんだなぁと思えば、ポスターに鎮座する少し不気味なトリコの顔が急にかわいく見えたのだから不思議なものだ。

 『トリコ』の産声を、この耳で聞き届けるまでは。『トリコ』と少年の冒険譚を、この目に刻みつけるまでは。

 そんな風に思いながら待ち続けた日常が、また戻ってくる。だが静かに、そして着実に、その時は近づいている。指折り数えて発売日を心待ちにする。財布や貯金箱とにらめっこをしながら、ただワクワクとその日を待つ。

 春、夏、秋、冬。

 さて、いつ会えるのでしょうか――――。

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