2015年11月9日(月)
スクウェア・エニックスがサービス中のPC用マルチ対戦アクション『LORD of VERMILION ARENA』(以下、LoVA)。本作のオリジナルノベル『ロスト・レゾナンス ~LORD of VERMILION ARENA~』の前篇を掲載する。
『LoVA』は、“デッキビルディング”と“マルチ対戦アクション”が融合した新しいオンライン対戦ゲーム。自分の組み上げたデッキから使い魔を召喚し、真化&超真化させ、敵陣地奥にいるアルカナコアを倒すことで勝利となる。
人気のゲームやアニメのキャラクターが使い魔として『LoVA』に登場するコラボ企画を多数展開しているのも注目ポイント。スクウェア・エニックスが誇る人気タイトルやセガゲームスの『セブンスドラゴンIII』、TVアニメの『ローゼンメイデン』『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』などのコラボも発表されている。
本作のオリジナルノベル『ロスト・レゾナンス ~LORD of VERMILION ARENA~』を執筆するのは、ライトノベル作家の紫藤ケイさん、表紙や挿絵のイラストをイラストレーターのFBCさんが担当。物語は、どこにでもありそうな学校の教室から始まる。主人公のイザは、世界の守護者であり破壊者でもある“刻印の者”として、人知れず刻印戦争に身を投じていくが……。
小説は前篇と後篇の2部構成で、電撃オンライン内特集ページにて順次掲載していく。なお、前後篇ともに文字のボリュームが多いため、それぞれ3本の記事にわけて一挙に公開する。読み逃しがないよう注意してほしい。
◆プロフィール◆
紫藤ケイ
▲写真は、紫藤ケイさんのペットの画像です。 |
ライトノベル作家。2012年に出版社主催のコンテストにて大賞を受賞し、作家デビュー。以降、ライトノベルやソーシャルアプリのシナリオを執筆しており、KADOKAWA/アスキー・メディアワークス刊の『スクールファンファーレ 公式ビジュアルガイド ―オーバーチュア―』にて、オリジナルショートノベルも掲載している。主な趣味はテーブルトークRPGで、自作のシステムを遊ぶことが多い。好きなものは猫と妖精で、何かと著作に妖精を出したがる傾向がある。
FBC(エフビーシー)
漫画家・イラストレーター。ゲームのコミカライズやオリジナルマンガ、スマホゲームのイラストなどを中心に活動中。画力を得るために頭髪を犠牲にしてきたが、ついに禿げ上がってしまい途方に暮れている。『LoVA』では神族をメインにプレイするエンジョイ勢。
◆キャラクター紹介◆
イザ
▲主人公。ドゥクス・イリスによって“刻印の者”となり、刻印戦争に参加している少年。他人とのコミュニケーションが苦手。 |
スズリ
▲美しい黒髪と清楚な雰囲気が男子学生に人気の女の子。イザのクラスメイトだが、ある秘密を抱えている。 |
ドゥクス・イリス
▲イザに付き添う従者。容姿は幼い少女だが、年齢は不明。性格はクールで、美しい銀髪が特徴。タブレットPCを使いこなして情報を収集する。 |
ケットシー
▲イザと契約した使い魔で、自称“大悪魔”。かつては魔王として君臨していたらしいが、いろいろあって現在は猫のぬいぐるみに憑依している。 |
■ロスト・レゾナンス ~LORD of VERMILION ARENA~ 前篇・その1
視界の端に虹が奔った。そう知覚すると同時に、手にした剣を振り上げていた。烈しい光と衝撃が間近で炸裂する――顔面めがけて放たれた虹色の鞭の先端を、辛うじて撃ち払った結果だった。
一歩下がって剣を構え直し、イザは静かに気息を整える。
それなりの背丈。それなりの肉づき。無造作に短くまとめた黒髪、悪目立ちしない目鼻立ち――そして、白い半袖のシャツにスラックスという夏の男子高校生標準の制服姿。容姿にせよ装いにせよ、“どこにでもいる”というありふれたフレーズの範疇から出ることはない。
緋色にきらめく妖しの剣と――凛呼たる闘志に満ちた眼を除いては。
まさしく戦士の双眸だった。驕りも気後れもなく、ただ揺るぎない。命を懸けて戦うさだめを真っ向から受け入れ、“敵”の姿を確然と映し出している。
“敵”は、見るからに尋常の存在ではなかった。
もはや“鎧”と呼ぶのがふさわしい、無数の金属片を生やした群青色のスーツ――虹色の光を放つ鞭――先端の尖った両耳――この地の常識からことごとく外れた異様の風姿だ。
暗い廃屋のなかで向き合う両者が、ふと動く。
武器を持たぬ左手に、あるものを取り出していた。
てのひら程度の大きさの、一枚の札を。
「来い!」「来るがいい!」
ふたりが昂然と声を上げるや、カードが赫々たる光を放った。
苦しみ悶える獣のごとく荒れ狂う光華――それは、徐々に明瞭な輪郭を帯びていく。
ふたりの“刻印”に周囲の魔力が呼応し、カードに刻まれた存在を具現化せしめていく――
彼らこそ“刻印の者”。あらゆる並行世界の神霊魔獣を呼び出し、使役し、もって互いに殺し合う、神秘夢幻の闘争者たち。
戦うことこそ、彼らのさだめ。殺し合いこそ彼らの真義。
彼ら以外は知るよしもない。その戦いに、あらゆる世界の命運が懸かっていることを。
彼らの激突の結果次第で、自分たちが世界ごと滅び去るかもしれない事実を。
1
開かれきった戸が、教室と廊下の空気を融け合わせていた。
活気あふれる生徒たちの喧騒が渦巻く空気だ。始業のチャイムが鳴るまでにどれだけ会話を交わせるか挑戦しているかのような――イザにとっては、まだ慣れない騒がしさだった。
(じきに慣れるさ)自分に言い聞かせながら、見えない壁を思わせる濃密な喧騒のなかに踏み入っていく。(なんせまだ、転校してきて一週間しか経ってないんだから)
気後れを感じ取られないよう、強いて飄然とした風を装って、イザは教室に入った。
教室内のそこかしこでグループを形成した生徒たちが、あのアイドルがどうだ、このネットニュースがどうだと、世間話に花を咲かせている。睡眠が足りないのか机に伏せって動かない者や、急いで宿題をこなしている者、静かに読書をたしなんでいる者の姿もあった。
イザの席はいちばん奥の窓際だ。いつもなら寄り道せずそこへ向かうところだが、今日はそういうわけにもいかない事情があった。
少し進んで足を止め、ちらりと教室の中央を見やる。
そこには、四人の男女が固まっている。
いずれも話したことのない面々だ。正直、滅入る。が、そこで滅入っていても仕方がない。だいたい、まだ会話を交わしたことのない相手の方が多いのだ。こんなレベルで二の足を踏んでいては、クラスになじめるはずもない――そんな理屈で億劫さと気まずさを胸の奥に押し込めながら、イザは、楽しげに語らう彼らのもとへ歩いていった。
「えーっと……」
席の脇に立ち、やや遠慮がちに声をかけてみる。
振り返る四人に、イザはなるべく自然体を意識しながら軽く微笑んだ。
「悪い、ちょっといいかな。拾いものをしたんだけど――」
肩に提げたバッグから、てのひらより少し大きな生徒手帳を取り出す。
「これ、ミキシマさんのだろ?」
「あ」手帳を差し出した先――座ったままの女子が、目を丸くした。「ほんとだ」
「ほんとだ、じゃないっしょ」
よその席から“出張”していたらしく、机に肘をつきながら会話に参加していた女子――確かナガノ・ヒサが、あきれ返った。
「落としたの、気づいてなかったわけ? スズリ」
ミキシマ・スズリは、ゆるりと首をかしげた。「うん。ぜんぜん。――使わないし」
“素朴”――という表現がやけに似合う少女だと、イザは改めて思う。
流れ落ちる滝のごとく長くまっすぐ伸ばした黒髪に、化粧っ気のない顔立ち。華々しい印象はないが、飾らない自然な愛嬌がにじんでいる。『あれだよ、あれ』以前、ヒサが評しているのを聞いた。『気づいたら意外なトコに咲いてる、小さな花とかあんじゃん。あんな感じ』
「ふだん使わないからって、落としたらダメでしょ」
後ろの席に座る女子が年下の妹に言い含めるような口調で告げて、スズリの頭をちょんとつついた。カミシタ・ユキナ。何かスポーツをやっているとかで、すっと引き締まった細面と、静かな度胸を感じさせる切れ長の瞳が印象的な少女だ。
「ていうか、早く受け取ってやれよ。ナナセが困ってるって」
ヒサと同じ“出張”組――ユキナの席の脇に立つ男子が苦笑する。コガ・ダイキ。大柄で筋肉質だが、いっしょにいると妙に和むということで、“もし苗字がクマガイだったらきっとクマさんって呼ばれてた”略して“モシクマさん”というあだ名を頂戴している。らしい。そんな由来のわかりにくいあだ名がこの世にあるのかと、イザは思ったものだが。
イザ
「あ、そうだね」こくりとうなずいて、スズリが手帳を受け取る。「ありがと、ナナセくん」
「あー」こういうとき、なんて言うのがいちばんいいんだっけ、と考えて咄嗟に出てきたのは、「どういたしまして」なんだか時代がかった感のある言葉だった。しかもどもった。なんとなく情けない心地になって、イザは五本の指で手持無沙汰に頬を撫でる。えーと。ここからどうしよう。そういえば何も考えてなかったな。どんなふうに去るのが自然だ?
悩んでいると始業のチャイムが鳴り、イザは内心ほっとして軽く手を挙げた。「じゃ」
そそくさと自分の席に着いてバッグを置く。はぁ、と思わず嘆息がもれた。
人付き合いは気合の消耗が著しい。精神衛生上、気軽に話せる友達をつくるべきだろうか。
「おい」
不意に声をかけられ、イザはぎくりとなった。なんだ。誰だ。あわてて周囲を見回すと、
「おい」
同じ声が、目の前――机の上に置いたバッグのなかから流れ出た。
見れば、バッグの蓋が内側から持ち上げられ、ふたつの瞳が隙間からのぞいている。
生き物の瞳ではない。くすんだ藍色の造り物――ぬいぐるみの瞳だった。
「面白いことがわかったニャ。聞くニャ?」
イザは無言でバッグに手刀を振り落とし、ぬいぐるみを黙らせた。
†
その日の昼休み、イザは校舎の屋上を訪れていた。
雲という雲が焼き尽くされたような、からりと晴れた青空の下、それなりに涼しい風が吹いている。エアコンの吐きつける人工的な冷気にどうもなじめないイザとしては、ここで毎日のんびり弁当を食べたいところだが、安全性の考慮が叫ばれて久しい昨今、生徒にあっさり開放されるはずもない。今回にしても、無断で来るにはなかなか骨が折れた。
「で――どうなんだよ」
屋上の中央にあぐらをかいたイザは、登校時に買っておいたコンビニ弁当を開きながら尋ねる。
視線の先には、“学校の屋上”という環境にひどく似つかわしくない少女がいた。
この世のものとは思われない、ぞっとするほどのなめらかさをたたえた白磁の肌。機械のごとく無機質でありながら、それだけではない、えも言われぬかすかな感情の機微を宿した面差し。水晶をはめ込んだような、澄みすぎて造りものじみた瞳。
身にまとう衣装は、東洋めいていながらどの国のものともつかない。巫女のそれに似ているが、似ているだけで明らかに異質だ。
何者かであるようで、何者ともつかぬ。
“導く者”。
ドゥクス・イリス、と彼女は名乗っている。
「“刻印の者”が来ている」
淡然と、イリスは告げた。
「近い。すでに行動を開始している」
「そういうことニャ」
イザのかたわらで、何かが小さくうなずいた。
あのぬいぐるみだ。
両手でぎゅっと抱くのにちょうどいいサイズ。普通の猫ではなく、頭身をデフォルメされたキャラクターとしての猫がモチーフとなっている。手足はちんまりと短く、逆に、頭部は胴体と同じくらい大きい。愛嬌たっぷりのデザインだが、くりくりとした大きな目元は半眼に歪み、小生意気な感を醸し出している。
「敵はおそらく異界の出身。この世界の摂理作法を知らぬ者」
イリスが虚空から小さな板状端末を取り出した。
この世界において広く普及している電子機器の一種だが、この“あらゆる空間において異質なるもの”には、およそそぐわぬ品だった。
「昨夜、繁華街で強盗事件が起こった。帰宅途中のサラリーマンが暴漢に襲われ、スマートフォンを強奪されたという。泥酔状態にあったサラリーマンは、“青い鎧を着た女に奪われた”と述べている」
普通なら一笑に付すところだ。が。
「異界から来た“刻印の者”が、この世界の情報端末を奪っていった……」
イザが真剣な面持ちでつぶやくと、イリスは悠然とうなずいた。
「その公算が高い。敵はすでに潜伏している。この世界の“刻印の者”を狩るために」
それが、“刻印戦争”――ありとあらゆる並行世界を密かに巻き込む大戦争の原則だ。
ドゥクスから大いなる“刻印”を授かった“刻印の者”は、神霊魔獣を召し統べる力を得て、異界の“刻印の者”との戦いに赴くことになる。
拒絶は自由だ。強制はされない。だが、放っておけば他の“刻印の者”に襲われるか、あるいは自分の世界を滅ぼされることになる。
“刻印の者”同士が互いのドゥクスを伴って戦いの意志を示したとき、それぞれの世界のアルカナ――世界を形作る根幹の力――が結晶化し、“アルカナコア”となって顕現する。敵“刻印の者”を破り、アルカナコアを破壊すれば、そのアルカナは勝利者の世界に吸収される。アルカナが世界の根源である以上、その増加は繁栄を、減少は衰退を意味する。アルカナを失いすぎれば世界の維持が不可能となり、滅亡を迎えることになるのだ。
だから結局、“刻印の者”は戦わざるをえない。人知を超えた力に酔いしれて破壊と殺戮と略奪の限りを尽くすにせよ、自らの命や大切な人のいる世界を守るため決然と戦いに挑むにせよ――殺し合うさだめから逃れることはできない。
ドゥクスたちの目的は何か。“刻印”とは何か。この戦いになんの意味があるのか。何ひとつわからないし、ドゥクスが答えることもない。だが、敵は来る。現実に。どんなに不満があろうとも、戦わなければ自分か自分の世界が滅ぶ。そして、腹立たしいことに、こちらをそんな状況に叩き込んでおきながらドゥクスは何も命じない。選ぶのはおまえだと、あくまでも決断を促すのだ。理不尽かつろくでもない選択肢ばかりを並べて。
なにしろ各世界の神々でさえ手札にしてしまえる存在だ。人の倫理や道理は通じない。
込み上げる反吐を呑んででも、迫り来る敵と――つまりは同じ境遇の被害者と――殺し合うしか、道はない。
「“青い鎧の女”、ねえ……」
箸でつまみ上げた鳥の唐揚げを口に放り込み、イザは空を見上げた。
相手が善人か悪人かなど、考えても意味はない。異界からの来訪者である以上、殺さねばならない敵でしかないのだ。考えるべきは、敵の素性と目的だ。それがわかれば、先手を打って確実に殺せるかもしれない。
「ブレイズって感じじゃないな」
特殊な鉱石を用いた機械で発達した世界の名を挙げる。
「ライズだったら、まず“人間じゃなかった”って言うだろうし」
これは獣人の武人たちが戦乱を繰り広げる世界の名である。
「とすると……ヴァーミリオンか?」
その地を出自とする戦士なら、鎧を着ていてもおかしくない。なにせ剣と魔法の栄える世界だ。魔法の力なら、武具にトワイライト産の一般兵器をも上回る性能を付与できる。かくいうイザも、ヴァーミリオン由来の魔剣を某所で手に入れ、愛用していた。
「なんにせよ、敵を探し出さなければならない」イリスがぬいぐるみに視線を落とす。「こういうときのための使い魔だ。手はあるか、ケットシー」
「こちとらトワイライト暮らしが長いんニャ。ニャめてもらっちゃ困るんニャぜ」
ケットシーは、ニヤリと口元を歪めた。
「相手はニャんらかの爪痕を残しているはず……とニャれば、俺っちさまの出番ニャ」
「においを嗅いで追跡するのか?」真顔で、イリス。
「まじないを使うんニャ! 猫のぬいぐるみにどういう期待をしてんニャ!」
「なんでもいいけど」ちまちまと弁当を食べながら、イザ。「なるべくとっとと見つけたいとこだな」
「ニャら、放課後、さっそく捜査開始ニャ」
ケットシーは、腕組みをしてふんぞり返った。
「どうもおまえらニャ、俺っちへの敬意ってもんが足りニャいからニャ――ここでひとつ大悪魔の底力ってのを見せてやるニャ!」
「おまえ、ぬいぐるみに憑依する前のことは覚えてないって前に言ってたじゃん。“大”じゃなくて“中”悪魔だったかもよ」
「念のため言っておくが、ぬいぐるみを憑代としている今、我々の分類において君は“怪異”に相当する。魔種には属すが、“悪魔”を自称できるかどうかは怪しいところだ」
ケットシーがすねた。
2
放課後、イザの姿は学校近くの繁華街にあった。
都心と言うほどにぎわってはいないが、田舎と言うほど閑散としてもいない。人の密度はその中間という印象で、西洋風の洒落たカフェやファッション店にも、それなりに客が入っている。イザのような学生も多く、すでに三種類ほど異なる制服を見かけている。さすが、近辺では最も大きな繁華街だ。
のろのろと歩道を行くイザは、手にしたバッグを右肩に引っかけている。中のケットシーがバッグの蓋を頭で押し上げ、大きな目をのぞかせた。
「……で、どうよ」
すれ違う人間にも聞こえない程度の声で問うと、
「このまま直進ニャ」
自信に満ちた返答があった。
「異界から来たばかりの人間の霊的な名残ってのは、ニャかニャか隠しきれるもんじゃニャい――ニャんせ“異物”、この世界に存在することそれ自体が異常な存在ニャ。もっとも、霊的な気配に鈍いヤツらじゃ、気づきようもニャいがニャ――」
「おまえならわかるってことか。さすが怪異」
「せめて大怪異って言えニャ!」
「でも小っちぇえし」
ぎゅうぎゅうと頬をつねられながら、ケットシーの誘導に従って進む。途中、道を折れて路地に入ると、繁華街の喧騒が一気に遠ざかった。華やかな表通りから打って変わって、どれだけ汚れようと誰にも見向きもされないような空間が続く。何が混ざり合った結果なのだかよくわからないすえた臭いがして、イザは閉口した。
「もうすぐニャ」さすがにこんな路地の奥では人の目もないと見て、ケットシーがニュッと大きな頭を出す。「気配が濃くニャった。さっきまでのは移動の“残り香”ニャったがニャ――そろそろ、巣が近づいたって感じニャ」
「街中だ」イザは舌打ちする。「やり合うとしたら厄介だぞ」
「あっちだって、下手に騒ぎを起こしたくニャいニャろ。ニャんせ、この世界で暴れりゃ、ケーサツやら軍隊やらが来るんニャから。いくら“刻印の者”でも、ミサイル喰らえばお陀仏ニャ」
「そんなもん街中で撃つ奴がどこに――」
言いかけて。
「……!?」
イザは、ぎょっと立ちすくんだ。「ニャ?」すわ敵か、とばかり肩口に顎を乗せてきたケットシーを反射的にバッグに押さえ込む。「んニャふがっ」
その動作で、向こうもこちらに気づいたようだった。
路地の先。こんな薄汚れた空間には似つかわしくない一輪の花が咲いている。
ミキシマ・スズリ。今朝、初めて話したクラスメイトの少女が。
「……ナナセくん?」
とろり、とはちみつのこぼれるような声で、スズリがこちらの名を呼び、首をかしげた。
「あー……」なんと言ったものか。「偶然だな」
「下手なナンパしてんじゃニェーぞ」
ケッ、とバッグ。どうやら機嫌を損ねたらしい。無視する。
「えっと……ミキシマさんは、なんでこんなところに?」
問うと、スズリは首をかしげたまま、「んん……」と目線を外して考え込み、
「なんとなく……?」
要領を得ない答えを、なぜか疑問形でよこしてきた。
「なんとなくで来るようなとこじゃないだろ」イザは空いている左手で頬を撫でた。ふと対応に窮すると、どうもこの癖が出やすいな、などと思いながら。「しかも女子ひとりでとか……危ないからさ、あっちの、人の多い方に行きなよ」
「ナナセくんは」
「え?」
不思議そうに見つめてくる。「ナナセくんは、どうしてここに来たの?」
「それは……」
言いあぐねた瞬間、
「危ニャい!」
ケットシーの放った鋭い一声が、反射的にイザの身を衝き動かしていた。
スズリを抱え込むようにして押し倒す――直後、横一文字の閃光が走り、頭上で路地壁がばっくりと裂けた。
「イリス!」
起き上がって叫ぶ。即座にイリスが現れ、異界に隠していた武器を放った。この時代、この地域において学生が持つにはひどく不釣り合いな代物――鞘に納められた長剣を、イザは受け取りざまに振り抜く。甲高い激突音。続けて放たれた一閃が鞘に弾かれた音だった。
(鞭……!)
襲いかかってきたのは、虹色に輝く鞭状の何かだった。路地の壁をすり抜けて現れ、イザたちを狙ってきたのだ。弾かれた鞭は、壁の奥に戻っていく。
直後、忽然としてその壁が消え、奥の風景をあらわにした。
調度品のひとつもなく、ぽっかりと空いた空間。廃棄されたらしい小さな店舗の内部だ。
おそらく――とイザは推測する。敵はこの店舗を仮の棲みかと決めたのだ。そして、人目につかずに出入りするのに、正面の入り口を使うのを嫌い――路地側の壁を取っ払って、代わりに幻影の壁を仕込んでおいた、というところだろうか。無茶苦茶だ。
(手の込んだことをしやがる。やったのは……あいつか)
殺風景な店舗の中央に、人影があった。
ぴたりと肌に沿って咲く、なまめかしい群青のスーツで全身を覆った美女だ。
いや――美女か? ひどく中性的に整った顔立ちは女性のものに近いと見えながらも、どこか男性的なたくましさを同居させている。やわらかな胸のふくらみはなく、スーツを盛り上げるのはしなやかな胸筋だ。体格も、女性にしては屈強にすぎ、男性にしては丸みを帯びすぎている。
その肌は、血の通いを感じさせないほど白い。長く伸びた髪もまた、色という色を忘れ去ったかのような白だった。
妖精――という北欧の古い言葉を、イザは思い浮かべる。
面妖の肢体に加え、その者の耳は先端がブレードじみて尖っていた。
「やはり“刻印の者”だったか……魔力の気配がしたから、“あいさつ”をしてみたのだがね」
群青の者は、朗々と謳うように言いながら、大きく肩をすくめた。口調といい抑揚といい仕草といい、何もかも大仰に芝居がかっている。
よく見ると、群青色のスーツには無数の金属片が取りつけられていた。殺伐としたシルエットは、確かに“鎧”と呼ぶのがしっくりくる。
「クロームの、ハイエルフか……」
つぶやきながら、イザは前に進んだ。消えた壁のあったあたりを越え、店舗のなかへと踏み入っていく。
荒廃した地球を放棄して月面都市に移り住んだ超高度文明世界クローム――その地に住むのは、遺伝子変異によって性を捨て去り、より高次の生物となることを選んだハイエルフなる種だと聞いている。
「我が名はリズィール――トワイライトのアルカナ、頂戴するぞ!」
リズィールが大きく腕を振るうと、スーツの袖から虹色の鞭が伸びた。イザは魔剣の鞘を払い、緋色にきらめく刀身を振り上げて迫り来る鞭を撃ち弾く。
もはや戦いは避けられない。イザは剣を右手で構え、背後のスズリに叫んだ。
「逃げろ、ミキシマさん! ここにいたら死ぬぞ!」
そして、空いた左手にカードを抜き放つ。同時に、リズィールもそうしていた。
「来い!」「来るがいい!」
カードが激しい光を放ち、ハイエルフの前にみっつの人影を生む。艶めく白銀の戦闘装甲服をまとった兵士たちだ。その装備の雰囲気には、どこかリズィールと共通するものがある。おそらくクローム製の機械兵だ。ひとりの召喚者が同一の使い魔を呼び出すことはできないから、それぞれ別々の個体なのだろう。
イザの前には、大剣を携えた巨漢の戦士が現れた。仁王像を思わせる厳めしい顔立ちに、狂おしく猛る憎悪と憤怒の瞳が燃える。その左腕は人のものではなく、禍々しく歪んだ魔人のそれ――レネゲイドというのが、彼の名前だ。
(アルカナコアはない……正面衝突になるな)
イザは、乾いた唇をわずかに湿した。
“刻印の者”同士の戦いにおいて、互いのドゥクスが場にいると、自動的にアルカナコアが顕現する。アルカナコアは空間を支配し、“刻印の者”が動きやすいように戦場を“最適化”して戦いを援護するのだが、いかんせん巨大であり、こんな屋内で顕現すれば建物の崩落は必至だ。敵側のドゥクスは、その愚を避けるために空気を読み、異界に隠れたままでいるのだろう。
「ゆけ!」
リズィールの号令を受けた白銀兵たちが、手に手にブレードを抜き放って駆け出した。一方レネゲイドは、イザの命令すら待たず前に出ている。黒い颶風と化して室内を馳せ、間合いに入るや“背教の大剣”を横薙ぎに振り抜く。
二体の白銀兵は、床に倒れ込むようにして剣風から逃れた。最後の一体は跳躍し、剣を飛び越えながらレネゲイドに肉薄、顔面にブレードを突き下ろす。きらめく一刺は、男の眼窩を抉る寸前で止まった――レネゲイドが魔性の左手を伸ばし、先に白銀兵の顔面をつかんで動きを止めていた。さらに、まだ空中にいる白銀兵の胴体を右手の返す刀で薙ぎ払う。苛烈なる剛剣はクローム製の装甲と内部機構を存分に喰い散らかし、血しぶきめいた無数の火花を撒いた。下半身をこそぎ落とされた白銀兵の傷口から、得体の知れない機械の臓器がぼとぼととこぼれ落ちる。
仲間の惨状を目の当たりにしても、残る兵らは怯まなかった。それどころか、仲間が胴を薙がれたときには、レネゲイドの左右に回って挟撃を見舞う態勢にあった。最初から、突出した一体を贄と捧げて、確実にレネゲイドを仕留める腹積もりだったのだ。
右脇腹を抉ろうとした一体が、突如としてその場に転倒した。その足元から、下敷きにされそうになったケットシーがあわてて退避している。こっそりと忍び寄り、足払いをかけたらしい。
左から戦士の心臓を貫こうとした白銀兵は、寸前で後ろに飛びのき、虚空にブレードを振るっていた。硬い音が響き、一条の光芒が弾け散る。兵士の視線の先――イザの後ろから射撃を敢行したのは、ぜんまいやシリンダーなど、多種多様な機械部品をごちゃ混ぜにぶちこんでこしらえたような大型の銃を手にした謎の美女。洒落たレザーのドレスをひるがえし、ニヤリと犬歯をのぞかせる。ブレイズ世界の銃使い、“仇撃ちの”リエルタだ。
「加勢はいるかい、壊し屋」ケタケタ笑うリエルタに、
「どのみち潰す」レネゲイドは獰猛な唸りで返し、手にした白銀兵の上半身を床に叩きつけ、踏み潰した。
どこかに隠れたケットシーを除き、二対二となった使い魔たちが、さらに激しく入り乱れて激突する――
その隙間を、群青の影が縫って走った。
「はははあっ!」
イザめがけ、虹色の鞭を振り抜くリズィール。原理は不明だが、クローム産の武器である以上ただの鞭ではあるまい。少なくとも、トワイライト産の兵器では太刀打ちできるはずがない。文明のレベルが違いすぎる。
だが、魔法の力――ヴァーミリオン由来の魔剣なら、話は別だ。
イザは鞭の一閃を剣で弾きながら前進し、振りかぶっての袈裟斬りを放った。刻印によって増幅された身体能力に魔剣の力が合わさって、達人もかくやという高速の太刀ゆきが宙を裂くが、ハイエルフは軽やかにその軌跡から逃れ、手首の返しで鞭を撃つ。
後退するイザへ鞭のしなりが追いすがる。避けきれない。剣で迎撃する――つもりだったが、鞭はくるりと刀身に絡みついてきた。それが狙いか。一瞬の逡巡――末に手放す。直後、なんらかのエネルギーが鞭からほとばしり、剣を焦がし抜いた。リズィールはニタリと笑って鞭を引き戻し、絡め取った剣を群青の籠手に覆われた手で回収する。
まずい。焦慮がつのる。得物を失った状態でこのハイエルフと戦うのは無謀だ。
不利を承知でいずれかの使い魔をカバーに入らせようとしたとき――
ふたりの間に閃影が躍った。
「はぁぁああああッ!」
スズリだ。
長槍を手にしたスズリが、長い黒髪をひるがえし、リズィールに突進を仕掛けていた。速い。獲物を定めた豹の疾駆を思わせる、しなやかにして俊敏きわまる電撃的刺突。
「何ッ!?」
目を剥いたリズィールは、尋常ならざる角度まで上体を逸らし、辛うじて槍の穂先から逃れた。突き抜ける穂先のすぐ下で、ハイエルフの白い顔が驚愕に歪む。
「まさか、貴様も――」
言いかけたリズィールの手に、横合いからケットシーが飛び蹴りを叩き込んだ。思わぬ一撃に、群青の籠手から力が抜ける。今しかない! イザは落下した剣を滑り込みで拾い、すぐさま逆袈裟に斬り上げた。「ッ」リズィールはケットシーを振り払い、よろけながらも剣をかわす。
「く――」
群青の脚甲が床を蹴り、重力を無視した不可思議な挙動で間合いを広げる。追いすがろうとするイザたちだったが、大きく横に薙ぎ払われた鞭に牽制され、足が止まった。
「その娘も“刻印の者”だったとはな――」
取り繕うように笑みを浮かべるハイエルフの背後の空間が歪んだ。かと思うと、リズィールは、その歪みに溶け込むようにして消えていく。
ドゥクスの異世界移動能力を使って逃げたのだ。残された使い魔の肉体は、レネゲイドらとの戦いの途中でマナに還元され、ふっつりと消失する。
(どうにか切り抜けはした……、か)
完全に敵の気配がなくなったのを見て、イザは大きく嘆息した。
そして、かたわらにいる小柄な少女に視線を落とす。
常と変わらず、どこかぼんやりとした目つきで見上げてくるスズリ――
その後ろに、見知らぬドゥクスが立っていた。
⇒『ロスト・レゾナンス ~LORD of VERMILION ARENA~ 前篇・その2』を読む
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